第6話

 騎士団の到着と同時に、部屋に飛び込んできたのはカトレアだった。


「リザリー!」


 リザリーに駆け寄るカトレアは、真っ青な顔で今にも泣きだしそうだった。

 ブランケットを肩にかけ、いまだ椅子に座ったままの己の目線に合わせるように跪き、顔を覗きこんでくる。


「怪我はない?何処か痛いところは?こんなに震えて……。ああ、やっぱり一緒に帰れば良かった」

「カトレア、ちょっと落ち着いて、わぷ!」


 制服に包まれたカトレアの腕が伸びてきて、リザリーの体を抱く。

 母が子にするような抱擁をする友人に羞恥心が湧いてきたが、その体温と香りに安心する。


 振りほどこうにも振りほどけないでいると、続いてエルンストも入室してきた。

 彼は酷く険しい顔をしていたが、カトレアに抱かれるリザリーを見てちょっと困った顔をする。


「カトレア、そこらへんで止めておきなよ。リザリーが困ってるじゃないか」

「ああ、ごめんなさい。苦しかったかしら?」

「ううん……」


 どう言ったものかわからなかったので、リザリーは唸ることで返す。

 それでようやく、カトレアは回していた腕を解いてくれた。


 改めて二人と向き直ると、エルンストは再び表情を険しくする。


「リザリー、今回は無茶をしたね。それで、さっそくだけど話を聞かせてくれないか?」

「エルンスト!もう少しリザリーを気遣いなさい!」

「証言は記憶が新鮮なうちがいいだろう。リザリー、言えるかい?」


 こちらにひざまずき訪ねてくる彼をカトレアは咎めようとするが、リザリーは首を振ってそれを制した。


「大丈夫だよ、カトレア。エルンスト、話させて」

「リザリー……」


 気づかわしげにこちらの名を呼ぶカトレアに微笑み、姿勢を正してエルンストに向き直る。

 聞く体勢をしているが決して急かさず己のペースを待ってくれている彼に、「エルンストたちが帰ってからなんだけど」と記憶をたどる。


「ちょっと時間が経ってから、ミモザさんがお茶を淹れようと台所に立って……家の中で音が聞こえて」

「……どこかの窓を壊して侵入してきたのかもしれないな。それで?」

「妙な雰囲気だったから二人で部屋を出ようとしたんだけど、奥の部屋から男が……」


 そう言ってからあの不気味な光景を思い出し、ぶるりと総身が震えた。

 暗がりに立つ長身。闇から生まれ出でたような黒い衣服。その中で唯一ぬるりと薄気味悪く光っていたまなこ。

 常世の空気を吸ったかのような気持ち悪さが、リザリーの胃の中に溢れてくる。


 口ごもる己を見たカトレアが、ブランケット越しの肩を支え、優しくさすってくれた。

 はっと彼女を見つめると、いまだ憂いをたたえた瞳で心配してくれていることがわかる。


 柔らかなその感触に少しだけ平静を取り戻し、改めて話始める。


「狙いはミモザさんだって思ったから、鞄で殴って彼女に先に逃げてもらったの」

「抵抗したの?怪我はなかった?」

「転んだけど、もう痛くないよ。それで、相手の足に噛みついて……」


 問いかけるカトレアに答えてそう語ると、ふいにエルンストが片眉を上げて苦笑した。


「噛んだのか。勇敢だな、リザリー」

「無我夢中だったから……。それで男がひるんだから、その隙に逃げ出して」


 ……何とか階下の大家夫妻に保護されて、今に至る。

 そこまで話し終え、リザリーは口を閉ざす。

 エルンストは無言で何かを考えており、カトレアは眉間にしわを寄せこちらの肩を撫で続けた。


 そう言えばあの男はどうなったのだろうか?

 訪ねるべく顔を上げたとき、ふと視界のすみでプラチナブロンドの女性が駆け寄ってくるのが見えた。


「皆さん、ご苦労様です。リザリーさん、お加減はいかがですか?」

「ミモザさん……」


 ミモザ・マーティンは椅子に腰かけるリザリーの顔をのぞき込み、眉を垂れ下げる。

 彼女は別の騎士団とともに現場を確認していたのだが、どうやら己を心配して来てくれたらしい。


「まだお顔の色が悪いですね。もう少し休んでいてください」

「すみません、家に侵入されたのはミモザさんなのに……」

「いいえ、貴女が助けてくれたからわたくしは逃げられたのです」


 ミモザがゆっくり首を横に振って微笑む。それを見て、ようやくリザリーは心から安堵できたような気がした。

 ほっと肩の力を抜くと、彼女の背後から現場を調べていた騎士団の女性がやってくる。

 自分たちよりも僅かに年下らしい彼女は、手帳を片手に報告した。


「侵入したと思われる男はすでにいませんでした。ベランダの窓が割られており、そこから侵入したようです」

「何か盗られたものは?」


 問うエルンストに、ミモザが首を横に振って「いいえ」と答える。


「財布も貴金属もきちんとそろっていました。クローゼットも開けられた形跡はないし……」

「原稿は大丈夫ですか?」


 思わずリザリーが問いかけると、新人作家はためらわずにこくりと頷く。


「今まで執筆したものは全て銀行の金庫に預けてあります。あとは構想段階のものと、新聞社にお渡ししたままになったものが……」


 そこまで言って彼女は口を閉ざし、ふと難しい顔で考え込む。

 大きな怪我もせず物もとられず良かった良かった、と言える状況でないことに気が付いたのだろう。


 金目のものが無事だったということは、泥棒や強盗の類ではない。

 それに男が真っすぐにミモザを狙っていたのをリザリーも見ている。


 だとすると彼は昼間話題にのぼった奇妙な手紙の送り主……そして編集者に血のりのついた指を送ってきた犯人ではなかろうか。


 脳裏にべったりと赤いしみの滲んだ小箱を思い出し、同じくリザリーは口をつぐんでしまう。

 恐ろしさを感じる自分たちの心情を慮ってか、隣に立ったエルンストが慰める様に肩に手を置いた。


「男の顔は覚えているかい?」


 優しく問われ、リザリーは俯きがちだった視線をあげて彼を見上げる。

 その青い目はいつも通り穏やかで、ざわめき脈打っていた心臓が次第に静まっていった。


 息を大きく吸って吐き、落ち着くよう努めながらリザリーはしっかりと頷く。


「……うん。顔は隠してなかったから。ある程度は説明出来ると思う」

「ならまず人相書きを作ろう。難しいことを考えるのはそのあとだ」


 励ますような声色でエルンストに言われ、リザリーはミモザとともに鑑識官のいる別室へと連れていかれた。

 カトレアはいまだ己を心配していた様子だったが、重ね重ね「大丈夫」と言い伝え捜査に戻ってもらう。


 彼女は不安げに「無理しちゃ駄目よ」と言い、苦笑しながらエルンストは「思い出したことがあったら言ってくれ」と告げて現場を見に行った。


「本当にお二人はリザリーさんが大切なんですね」

「……今回は無茶しちゃいましたからね」


 微笑ましく目を細めるミモザに、「反省です」と肩を竦める。

 自分が頼りないから、二人が…とくに面倒見のいいカトレアが憂うのも仕方ないのだろう。


 その後入ってきた鑑識官に、男の人相や背格好、年齢のおおよその目安などを告げて、ともに似顔絵を作成する。

 中年の鑑識官の描く顔は特徴をとらえており、リザリーもミモザもともに「似ている」「間違いありません」と頷きあった。


 明日には手配書が出来上がるということで解放され、二人は再び大家の部屋へと戻る。

 その途中、リザリーはふと思い出したことがあり、足を止めた。


「そうだ、編集長に連絡しないと。ミモザさんのお部屋も用意しないといけないのに……」

「お部屋、ですか?」

「ええ。ここは犯人に知られてしまってますから。仮のお住まいをこちらでご用意します」


 「あ」と小さく呟いたあと、深刻な顔をして作家は頷く。

 例え犯人が捕まったとしても、もうこの部屋には恐ろしくて住めないだろう。

 彼女が望むのなら新聞社として、仮だけではなく新しい住まいの下調べもしてあげたかった。


「編集長に電話してきます。多分今の時間ならまだ社の方にいると思うし……」


 窓の外から差し込む日はすっかり西に傾き、橙に色づいている。

 自分たちがこのアパートメントに来てずいぶん時間が経っており、編集長も心配しているに違いない。


 何にせよ一報を入れたほうがいいだろう、とリザリーは大家夫妻に電話を借りて、新聞社に電話をかけた。


『もしもし、バートン新聞社ですが』


 電話を受け取ったのは、自分より一年早く入社した先輩だった。

 事情を説明し、編集長に繋いでくれと頼むと、彼は事情に驚きながらも奇妙な事実をリザリーに告げる。


『編集長ならさっき出かけたよ。多分、もうすぐそちらにつくと思う』

「え?」

『あんな物が送られてきたばかりだし、リザリーが遅いのを心配したんだと思う。まあ、丁度良かったじゃないか』


 先輩は笑って言ったが、どうにも納得できずに首を傾げた。

 何だか妙にタイミングがいい。偶然と言えば偶然なのだろうが……釈然としないまま、リザリーは電話を切った。

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