第3話
赤黒い液体のついた小包は、ミモザ・マーティン宛のものだった。
そして液体の正体……見覚えのある赤さと鉄臭さから皆口にしなかったが、それが血液だということは察しがついていた。
リザリーは悲鳴を上げたあとすぐにバートン編集長に助けられ、洗面所に連れて行かれ手を洗った。
石鹸と消毒液を使い何度も何度も手をこすり、やがて赤く腫れあがってしまったところでバートンが慌てて止める。
彼に慰められながら編集部へ戻ると、荷物の中身は既に改められていたようで同僚の一人が顔を青くしながらバートンに告げた。
「指です。切断された小指が入っていました。丁寧に包んでありましたが、何かのはずみで血が漏れたようで……」
それを聞いて、リザリーは胃の中をひっくり返されるような気持ち悪さを覚えた。
食事を食べてすぐだったら、ここで内容物を吐き戻してしまっただろう。だからと言って良かったと思えないが。
口元に手を当てる己に、編集長が慌てて背をさすりながら椅子に腰かけるように促す。
「騎士団を呼ぼう。クラントンくん、本当にすまない。僕が一人でチェックしていれば……」
いいえ、編集長のせいではありません。と言いたかったが、口は震えるばかりで上手く動かない。
結局そのままリザリーは騎士団が到着するまで、慌ただしい編集部を眺めることしか出来なかった
「リザリー!大丈夫?」
聞き覚えのある声にはっと顔を上げる。
酷く慌てた様子の友人、カトレア・モリスが、いつの間にかそばに立ち己の顔を覗きこんでいた。
「カト、レア……」
「ええ、落ち着いて。ひどい目にあったわね」
「うん、いや……何というか……」
目で見たもの、手で感じたもの、嗅いだ臭いに、聞いた情報。全てが恐ろしい。
恐ろしいと言うのに現実味が無く、気持ちがふわふわと空に浮いていて落ち着くことが出来ない。
ぼうっとしているうちにも事態は進み、場面は変わる。
まるでめくるめく悪夢を見ているようだった。
「……リザリー、落ち着いたらでいいから話を聞かせてね。私たちは調査をしてくるわ」
言って、カトレアは既に調査を開始していた仲間の騎士団に合流する。
エルンストは既に己が調べていた箱や、他の手紙類にも目を通していて、一度だけ心配そうにちらりとこちらを振り返った。
頼りにならないリザリーだが、せめて「心配しないで」と言うことだけ伝えるために緩やかに微笑む。
きっと歪な顔をしていたのだろう自分に、エルンストは殊更心配そうな表情を見せたが……それでも切り替えて現場検証に戻っていく。
(情けない……)
今までとは違う理由で気が重くなり、リザリーはうつむいた。
昼間のやり取りでも思ったことだが、どうにも自分は子供っぽく頼りない。エルンストたちが心配するはずだった。
(こんなことで役立たずになりたくないのに…このままじゃろくな新聞記者にもなれない……)
先輩たちはすでに優秀な騎士団として国内どころか国外にも名を轟かせている。
このまま二人との差をつけられるばかりなのだろうか……そう考えるとことさら気分が憂鬱になっていく。
落ち込んでいて事態が好転するはずもないのはわかっているが、動けぬリザリーは騎士団たちが調査をする様子を眺めるしかない。
やがて一通りのことが終わったらしいエルンストがこちらに近づき、目線を合わせるようにひざまずいてくれた。
「リザリー、落ち着いたか?」
「エルンスト……。うん、さっきよりはマシになったかも」
先ほどよりは形になっている笑顔で答えて、リザリーはエルンストに視線を向ける。
柔らかい、まるで本当の兄のように優しく己を見つめてから、彼は表情を引き締めた。
「覚えていることを話してくれるか?いったい何があったんだ?」
「うーん。それほど話せることはないと思うけど……」
そう前置きして、ファンレターのチェックを始めてから小包を発見するまでのことを説明しはじめる。
生々しい血の感触や臭いのことを思い出すのははばかられたが、覚えていたことや感じたことなどは全て話した。
時折エルンストから質問が入り、記憶にある範囲で答えていく。
おおよそ知りたいことは聞いたらしい彼は、ふむ、とあごに指をあてて考え込み始めた。
無言でそれを見つめながら、リザリーはとある不安が胸の中にわだかまっていることに気が付く。
はく、はく、と唇を開閉させ僅かに戸惑ったあと、不安を吐露するように訊ねた。
「ねえエルンスト。あの小包の送り主って、やっぱり……」
「まだわからない。結論を急ぎすぎるのは危険だ、リザリー」
エルンストが首を横に振り、優しく笑う。
彼はゆっくりと立ち上がると編集部の中をぐるりと見回し、全員に聞こえるように声を張り上げて言った。
「目ぼしいものは調べ終えたし、後の調査は騎士団本部に戻ってからだ。リザリー、また協力してもらいたいことがあるから、お願いしてもいいか?」
最後の言葉はこちらに向かってかけられたものである。
リザリーは一瞬戸惑ったが、それでも意地で彼を見上げて頷いた。
◆
翌日、リザリーはエルンスト、カトレアとともにミモザ・マーティンの自宅を訪れていた。
新進気鋭の女流作家の家は、王都クルツの中央区に建てられた真新しいアパートメントの一部屋で、非常に立派な内装をしていた。
もとより彼女は貴族階級出身で金があると聞いている。
先に連絡をしていたので事件のことも知っていたミモザにリビングへ通され、三人はテーブルを挟んで彼女から話を聞くことになった。
「……昨日電話を頂きましたが、恐ろしいこともあるものですね」
そう言いながらミモザは、ため息をつく。
話題の女流作家はプラチナブロンドに灰色の目、血の気のない肌を持つ美女だ。
一見すると儚げな深窓の令嬢といった雰囲気だが、その目には力強い光が宿っており、意志の強さがうかがえる。
事実、彼女は自分あての小包に切り落とされた指が入っていたと聞いても、顔は歪めはしても動揺することはなかった。
「一般の方に血なまぐさい話を聞かせて申し訳ないのですが…何かお心当たりはありますか?」
優しく問うのはカトレアである。
ミモザは少し考えたあと、「いいえ」と首を横に振った。
「過激なファンレターを頂くことはありますが、こんなことをするような方は知り合いにはいないと思います」
その言葉に、リザリーだけでなくカトレアも少しだけ身構えた。
「ファンレター、か……」と小さな呟きがエルンストからもれ、それを聞いたミモザが「何か?」と首を横に傾げる。
エルンストは眉をたれ下げて微笑み、「すみません」と謝罪した。
「実は我々にも先日奇妙な配達物が送られてきたところだったのです。それがファンレターじみたものだったので反応してしまいまして」
「まあ、それはわたくしの小包と何か関係が?」
「いいえ……。私たちとミモザさんには小説家と読者という以外関わりはありませんし」
悪戯に不安にさせぬためかやんわりと彼はそう言ったが、ミモザは何か気になったのかしばらく無言でうつむいていた。
やがて顔を上げた彼女は、エルンスト、そしてカトレアとリザリーを真剣な眼差しで見つめる。
「申し訳ありません。よろしければ、ですが、その配達物を見せていただくことは可能でしょうか?」
意外な彼女の要望に、エルンストは引っかかるものがあったのか眉間にしわを寄せ、そして頷いた。
制服の内側から例の手紙を出し、ミモザへ差し出す。
隣に座るカトレアも「あまり見ていて気分のいいものではありませんよ」と気遣いながら、手紙を差し出した。
ミモザは頷くと、まずはエルンストの手紙を開いてじっくり読みはじめる。
彼女は目で文章を追うたびに、顔をどんどん険しくさせていった。
一枚目の手紙を読み終え、次に彼女はカトレアの手紙に手を伸ばす。
全てを読み終えるまで無言でいたミモザは最後に手紙を机に置いて、重々しくため息をつく。
「やっぱり、そうですわ」
「……これに、何かお心当たりが?」
問うカトレアに、ミモザは神妙な面持ちで頷いた。
「これと似たものが先日わたくしの家にも送られてきたのです。最初は現実と小説の区別がつかない方からのファンレターだと思っていたのですが……」
予想外の告白に、リザリーは目を見開いてカトレアと顔を見合わせた。
意外なことに彼女もまた己と同じように目を大きく丸くしている。
ただエルンストだけがこの展開を予想していたのか、眉間にさらに深いしわを刻んでいた。
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