第2話

『どうして以前の設定をないがしろにするようなことをなさるのですか?

 貴方は弱きを助け悪をくじく騎士のはず。


 『ローゼンナイト』はこんな安易な物語ではなかったはずです。

 カトレアの言い分に丸め込まれないでください』


 リザリーはエルンストから受け取った便せんを見つめ、困惑に顔を歪める。


 書かれている言葉一つ一つは読むことが出来る。

 しかしそこに込められた意味……これを書いた人間がどんな気持ちでいたのかを理解することが出来ないでいた。


 小説や歌劇の脚本に対するファンレターなら、多少傲慢と感じるものの手紙を書く気持ちや送る意図はわかる。

 しかしこれを届けられたのは現実の人間だ。現実の人間に設定も物語もないはずなのだ。


 それ以外にも過激で下品な言葉が多く、眉をしかめるリザリーにエルンストは苦笑する。

 己の手からそっと便せんを取り上げ、「あまり見すぎない方がいいみたいだな」と丁寧に内ポケットにしまった。


 子供にするようにリザリーを慰めた後優しく背を押し、二人は再び歩きはじめる。


「意味が分からないだろう。設定や物語って言葉は舞台俳優へのファンレターのようだが……」

「エルンストは舞台俳優じゃないし……。それにその……『ローゼンナイト』って」

「僕のことだろうね」


 エルンスト・ローゼンでなく、騎士(ナイト)ローゼンと記したことに何か意味があるのだろうか?

 そこに差出人のこだわりのようなものを感じてしまい、リザリーはぶるりと身震いする。


「カトレアへの手紙もこんな言葉を使っていたよ。差出人は二人を物語の登場人物とでも思っているのかな?」

「現実と空想を混同させているファンか、確かにその可能性もありそうだが……」


 友人は形のいいあごに指をあて、ふむと考え込みはじめた。

 彼は優秀な脳細胞を活発に働かせて、怪文書の差出人について推理しようとしている。


 悩まし気な表情も美しいなと横目で見ながら、リザリーも色々と考えをまとめてみた。


 王国騎士団の役割は、他国では警察官に当たると思われる。

 しかし騎士団と言う名前や、貴族子息子女が多く入団するゆえ身目麗しいものが多く、国内国外問わずファンがいるらしい。


 エルンストとカトレアの名は特に有名で、王都クルツをはじめエンドル王国中に広まっていると言っても過言ではない。

 難事件を解決する彼らに憧れ、勝手な妄想の果てに劇や小説と区別がつかなくなったものがいて理想の騎士像を作り上げた。


 しかし近づいてみると、エルンスト、カトレアの言動が想像と離れ過ぎている。

 違う、こうじゃない、僕のエルンストはこんな言い方をするわけない…その人物は、怒りに任せて筆をとり…、


(……なんて、現実味がないかな。そこまで妄想を混同するファンなんていなそうだし)


 そのまま二人は考え事に没頭し、無言で歩き続けた。

 気が付けばリザリーが務めている『バートン新聞社』のビルディング前にたどり着き、はっと我に返ってエルンストを見る。


「送ってくれてありがとう。エルンストも…手紙の件もあるから気を付けて。あとカトレアのことも」

「ああ……いや、リザリーも気を付けてくれ。何かあったら電話してほしい」

「?私は大丈夫でしょう……」


 奇妙な手紙を受け取ったのは、エルンストとカトレアだ。

 一介の新聞記者であるリザリーには関係がないはず……と笑おうとしたところで、友人の真剣な顔を見て口を閉ざす。


「この手紙は奇妙で目的がわからない。それにこれは騎士団本部ではなく僕とカトレア、それぞれの実家に配達されてるんだ」

「それは……」

「差出人は僕たちのプライベートも把握している可能性がある。何か気になったことがあったら必ず連絡をな」


 再度念を押して、エルンストは去っていった。

 取り残されてリザリーは、しばらく呆然と立ち尽くす。


 じきに聞いた言葉が頭を巡り始め、異様な悪寒を感じてついあたりを見回してしまう。

 北からやってきた非情な風が、冷たく背筋を撫でたかのような感触だった。


 閑静なオフィス街はいつも通りの様相で、日もまだ高い時間である。

 怪しい人間が行きかうはずもないとわかっていても、浮かんでくる鳥肌を押さえられず腕をさすりながら新聞社へと入った。



 エルンストの言葉を聞き気を揉んでいたが、午後の新聞社で何かが起きる気配は無かった。


 書類の整理に、先輩記者の記事編集の手伝いにと、追われる時間。

 慌ただしく穏やかとは言い難いが仕事に熱中出来たおかげで、その言葉を忘れていたほどだ。


 夜食のサーモンサンドイッチが届くころには、それほど心配することではないのでは?とまで思うほどであった。

 『ギャレイル』の女性オーナーから食事と共にとびきりの笑顔を受け取り、リザリーの疲れが一瞬で癒される。


「お仕事お疲れ様です。頑張ってくださいね」

「ありがとう。また何か食べに行きますね」


 年若くいつも愛想の良いオーナーにチップを渡して見送り、書類を片側に寄せてからサンドイッチの包みを開ける。

 ローストチキンと色とりどりの野菜、そして『カフェテリア・ギャレイル』オリジナルソースを絡めた珠玉の一品がそこにあった。


 一口食むと、トーストされ表面がぱりぱりさっくりしたパンに、甘辛いソースが絡みあう。

 チキンは噛むとじゅっと旨味があふれ出て、シャキシャキしたレタスとオニオンの歯ごたえ、甘さもまたたまらない。


 最後を惜しむようにゆっくりと食べきり、リザリーは息を吐きながら窓の外を見つめる。

 すでに外も暗くなってきており、自宅へ急ぐ職業人間の影がここからでも見えた。


 腹が満たされると不安もなくなるのか、昼間の時に感じた悪寒はもう覚えない。

 やはりエルンストの気にしすぎだったのだ……頭の中でそう呟きながらデスクの上を整理し、残りの仕事を片付けようと書類の山に手を伸ばした。


 ファッションに関する小さなコラム記事をまとめ、先輩に頼まれていた資料を作成する。

 編集長のロジャー・バートンから声をかけられたのは、ちょうど山となっていた仕事の終わりが見えてきたところである。


「ミス・クラントン。ちょっとすまないが、こちらを手伝ってくれるかい」

「はい、ちょっと待ってください。すぐ終わりますんで」


 穏やかな顔立ちとまるぶち眼鏡が特徴のバートン編集長は、デスクの周りでぱたぱたと走り回っている。

 忙しそうだなと彼の机に歩み寄ると、大量の封筒が詰め込まれている木箱がいくつも積まれているのが見えた。


「どうしたんですか……って、ああ。すごいですね、これ全部ファンレターですか?」

「ああ、クラントンくん!そうでしょう。明日チェックしようと思ったんだけど、どうにもならなくなっちゃってねえ」


 人の好さそうな顔を歪めながら、編集長はたははと笑う。

 積み木のように積まれている箱の一つに手を伸ばしながら「手伝いますね」と申し出れば、バートンは「すまないね」と頭をかいた。


「事件続きで新聞の売り上げもいいからねえ。掲載小説のファンも増えてるんだよ」

「いいことじゃないですか。私たちも作家先生も、数年は食うに困りませんよ」

「そう言ってくれると助かるよ。あんまり社員に残業はさせたくないんだけど。あ、わけたらこっちの箱に入れてね」


 いくつかある空の木箱を指さしながら、「もう少しあるから持ってくるね」とバートンはばたばたと慌ただしく去っていく。

 それを見送ってリザリーは、ファンレターを選別する作業に没頭した。


 あて先と差出人、そして中に危険なものが混入されていないかをチェックし、あとでまとめて渡せるように作家ごとに空の木箱に放り込んでいく。


 一通一通、無心で確認していくうちに、不意に頭の中にエルンストの言葉がよみがえってきた。

 作家への本物のファンレターを目にして、昼間の会話と記憶が結びついたせいである。


(……流石に作家あてのファンレターに混じってくるはずがないよ。あれはエルンストたちへの手紙なんだから)


 ざわざわと立ち始めた鳥肌を押さえるように、リザリーは必死に自分で言い聞かせる。

 何とか平静を保ちながら木箱一つを空にすると、ファンレターの量が一人だけ飛びぬけて多いことに気が付いた。


 多くの手紙のあて先は、ミモザ・マーティン。

 一年前にデビューし、最近本を出版したばかりの女流作家である。


(ミモザ宛のファンレターはやっぱり多いな……。この前の短編も評判が良かったみたいだし)


 リザリーと歳は変わらなかったはずだが、その表現力と感性に惹かれるものは老若男女問わず。

 確かエルンストとカトレアも彼女の文章を手放しで褒めていた…と思い出しながら次の木箱に手を伸ばし、にわかにぬるりとした感触に眉を跳ね上げる。


 封筒の感触では絶対にありえないそれに、恐る恐る手を引いて───体を強張らせた。

 赤黒くぬるりと固まりかけた液体が、リザリーの指から手のひらにかけてべっとりと付着している。


「ひいっ!」


 リザリーの甲高い悲鳴が編集部に響き渡り、体を引いたはずみで木箱が落ちた。

 ガタン!という大きな音に社員の視線が一斉にこちらを向いたが、気遣うことは出来ない。


 ただべっとりと手についたどす黒い赤と、木箱の中から滑り落ちた同色の液体のついた小包に視線は縫い付けられていた。

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