第1話

 『カフェテリア・ギャレイル』の温かいコーヒーを一口含みながら、リザリー・クラントンは手渡された紙を睨み見る。

 どこにでも売っている特徴のない白い便せんには、癖のない丁寧な字で長々と文章がつづられていた。


 受取人の名前からはじまるそれは、一見するとただの手紙のようにも見える。が、読み進めていくうちにリザリーの眉間にしわが寄っていく。


「身の程を知れ、貴女は王国騎士団には相応しくない。「勝手にして」という身勝手な言葉を使うなど言語道断である」


 便せんの一文を読み上げて、視線をテーブルを挟んで向かい側に座る友人と転じる。

 ロングコートを思わせる格調高い制服を着こなす、カラスの濡れ羽色の髪を持つ美女…カトレア・モリスは深くため息をついていた。


 物憂げなその様子すら美しい友人は、気持ちを落ち着かせるように紅茶を口に含んでから話始める。


「気味が悪いでしょう。人の会話を盗み聞きした上に難癖までつけてくるのよ。何を考えているのかしら」

「そうだね。しかも、書いている意味がちょっとよくわかんないし」


 カトレアの口調に珍しく戸惑いの色が浮かんでおり、リザリーは同情しながら再び便せんに目を落とす。

 常に凛としていて頼りがいのある友人から相談があると持ち掛けられたときは何事かと思ったが、これは誰かに話したくもなるだろう。


 便せんに書かれているのは、いつどこでカトレアが何をしていたかの記録。

 そしてそれに関しての注文や注意が大半だった。


 他人を監視し、言動に文句を言う傲慢で不気味な人物がいる。

 気分が悪くなったリザリーは顔をしかめ、昼時のカフェテリアの喧騒にかき消されない程度に低い声で尋ねた。


「この『勝手にして』というのはいつ言ったの?」


 カトレアは「いつだったかしら」と少しだけ考えて、やがて思い当たったのか顔を上げた。


「この前、エルンストと口論になったの。それでちょっとカッとなって言ってしまったような気がするわ」

「それは……騎士団本部の中で、だよね」

「そうね。そのはずだわ……」


 カトレア・モリスはこのエンドル王国の女王に仕える、王国騎士団の一員だ。

 同じく騎士団のエルンスト・ローゼンとは幼馴染で性別の壁を越えた相棒。意見を違えることも多いが、良き仕事仲間である。


 基本的に彼女らは街の中央区に建てられている騎士団本部で仕事をしている。

 警備はしっかりしていて音が漏れるほど古くもなく、当たり前だが通りがかりの誰かが偶然声を聴いてしまった可能性は低い。


 騎士団の中に手紙を送った犯人がいるのか。それとも誰かが侵入していたのか

 これ以外にもカトレアをつけていなければ知りえない情報も書いてあり、悪意があるのは明らかである。


「誰かに見張られているのかな……?心当たりはある?」

「こんな仕事だもの、心当たりしかないわ」


 ジョークっぽく肩を竦めるカトレアだが、リザリーは笑うことは出来なかった。


 二人が生まれた国、エンドル王国は大きく人が多いゆえに犯罪も多い。

 特にこの王都クルツの犯罪発生率は毎年上がるばかりで、国の秩序を守る騎士団の仕事がなくなることは無かった。


 エルンストは騎士として優秀で幾多もの事件を解決しており、彼を恨む犯罪者は多いだろう。

 この手紙も、そんな裏社会の人間がカトレアを怯えさせるために送った手紙かもしれない。


 そう考えるとどっと不安が胸に押し寄せ、自然と眉が垂れさがってくる。

 カトレアがリザリーの顔を見、「そんな顔しないで、大丈夫よ」と優しく慰めた。


「何かある前に対処はするわ。こうやって貴女にも相談しているんだし」

「……でも、こういうのは私よりエルンストに見てもらったほうがいいんじゃ?彼ほどの洞察力はお披露目できないよ」

「いいえ、貴女の意見を聞きたいの。手紙の…最後の方を読んでみて」


 言われ、疑問に思いながらリザリーは最後の一文に目を通す。

 そこに記してあった言葉はこの中で一番意味がわからず、つい口に出して読み上げてしまった。


「きちんとキャラクターや設定を思い出すべきだ。読者の気持ちを無下にしないで。……?」


 前に書かれているカトレアへの文句ともいまいち繋がらず、首を傾げる。


「まるで作品へのファンレターみたい、な……?」

「やっぱりリザリーもそう思う?」

「こういう手紙は新聞社にもよく送られてくるもの。作家や作品への愛が深すぎて、周りが見れなくなってる感じの…」


 リザリーは新米ではあるが、とある新聞社の編集部で記者として働いている。

 とはいえまだ大きな記事を書くことは出来ない、下っ端の下っ端。

 新聞に作品を掲載している作家あてのファンレターチェックなどの雑用も多かった。


 送られてくる中には普通のファンレターとは違う、少し熱量や攻撃性が高い手紙もある。

 この便せんに書かれている一文はそれに近い気がするのだ。


「でもどうして、カトレアへの手紙にこんな一文を……?」


 作品へのファンレターとして考えると、他の文に使われている言葉もそう見えてくる。

 まるでカトレア自身が何処かの作品のキャラクターで、その書かれ方に不満があるかのように見えてしまうのだ。


 失礼かとも思ったが素直にその感想を口にすると、カトレアは唸りながら「そうよね」と頷いた。


「わけがわからないわ。何なのかしら……」


 友人の疑問を解決できるほどの言葉を、リザリーはもたない。

 ただ胸の中で漠然とした不安と恐怖感が、むくむくと育っていくのを感じていた。


 その後、あれこれと意見は交換したが明確な答えがでるわけでもない。

 リザリーはカフェテリアを出る前に、夜食のデリバリーを注文し、カトレアと別れた。


 物騒な街は事件続きで近ごろはデスク周りが忙しく、下っ端のリザリーも連日残業続きである。

 

 注文したチキンサンドイッチのことを考えようとするが、やはりカトレアの件が頭から離れず、つい嫌な考えが頭を巡る。

 何事も無ければいいのだが……。


 ぼんやり顔をうつむかせて歩いていると、ふと視界の中にこちらを向いている靴先が映った。

 誰かがリザリーの行方を塞いで立っている。

 

 驚きから対応が遅れぎょっと顔を上げると、そこにいたのは王国騎士団の制服を着こなす背の高い美丈夫。

 金色の髪をかきあげながら彼は、呆れた表情でリザリーを見ていた。


「前を見ていないと転ぶぞ、リザリー」

「……え!?あ、エルンスト?」


 はきはきとよく通るバリトンボイスは力強く、腹に響くような心地がする。

 その堂々たる美貌で存在感を得る男は間違いなく王国騎士団員、エルンスト・ローゼンだった。


 彼とカトレアは幼馴染で、リザリーと二人は学生時代の先輩後輩の仲。

 今も変わらず己と仲良くしてくれる彼は、じっとこちらを見つめて口元に笑みを灯す。


「ギャレイルでコーヒーを飲んでいたのか?カトレアも一緒だったんだろう?」

「え?なんでわかったの?もしかして見てた?」


 訝しむリザリーに、エルンストは青色の目を細めて右手を目の前にかざす。

 彼の長い指に挟まれて、ひらりと揺れる紙……紙幣大の大きさのそれに見覚えがあり、リザリーはあれ?と慌てながらバッグを漁った。


 財布と一緒に中に入れていたはずのものが、やはり無くなっていて改めてエルンストを見る。


「ケーキとコーヒー、合わせて950オルか。落としていたぞ。まったく君は相変わらず迂闊だな」

「あ、領収書……!本当だ。ありがとう、エルンスト」


 ため息混じりのエルンストから先ほどの領収書を受け取り、リザリーは眉を垂れ下げる。

 情け無い己の顔を見て、年上の友人はしょうがないなと笑う。


 そのままエルンストは新聞社まで送ろうと申し出て、どうやら話したい事があるらしいと察したリザリーはそれを承諾した。

 己の歩調と合わせてくれる友人は、美しい顔をしかめながらぶつぶつと呟いている。


「カトレアと一緒だと思ったのは彼女が今朝から物憂げな表情をしていたからさ。何か心配事があるかと思ったが、この僕に相談してこない!なら次にカトレアが頼るのは友人の君だろうと検討をつけていた」


 自信家な彼らしい物言いに苦笑しつつ、リザリーは「そうだよ」と相槌をうった。


「カトレアは変な手紙を貰っててね。それがちょっとおかしくて……」

「内容がまるでファンレターのようだったから、新聞記者である君の意見を聞きたい、そう言ったわけか……」


「そこまでわかってたの?」と彼を見上げると、友人は端正な顔から表情を消し「少し違う」と首を横に振る。


「僕の所にも届いていた。脅迫文でもない、こちらを監視しているような文面の『ファンレター』がね」


 今度はリザリーの顔から表情が消えた。

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