それを友情と呼ぶには

 やあやあこんにちは。金木犀です。正しくは金木犀の精。今は昔からお世話になってる友達が、人の姿をとって部屋を借りたそうで、片付いたからとお呼ばれしてるところです。真新しいテーブルの上に置かれた、曇りのないガラスのコップに一杯の水。コーヒーなど出されると少ししか飲めないのでこれはありがたい。

「お招きありがとう。こういうの新鮮です」

「いや、こっちこそ悪いな。わざわざ歩かせて」

 そう言いながら向かいに腰かけるのは、ぼくが植えられたばかりの頃近所に巣くっていた蜘蛛です。ぼくのつける葉の一枚にも届かない小さな体はカモフラージュ、本当は植え込みよりふた回りは大きい妖怪蜘蛛なんだそう。実際に見る機会は今までなかったし、これからもその予定はないけども。

 蜘蛛の新居はあらかた片付けられて……うん、ぼくの知る『人の住む部屋』と比べて、なんだか……。

「……ちゃんと整頓したんだね」

「物が少ないって言っていいんだぞ」

 遠回しな言葉に隠した本音をずばり当てられて苦笑する。蜘蛛は気を悪くした様子もなくぼやいた。

「管理できないほどものがあるよりいい」

「それは確かに」

 頷いてちびちび水を飲む。蜘蛛は自分のマグカップに指だけ引っかけて、じっとこちらを見つめてきた。

「何かついてる?」

「ああいや、違うんだ。……君が部屋にあまり、文句を言わないものだから」

 意図が分からず首を傾げると、蜘蛛はため息混じりに言った。

「招かれ慣れてる奴は飲み物にうるさかったり部屋が地味なのにケチつけたがる」

 頬杖ついて不機嫌そうに、家主は唇を尖らせる。長生きな分知り合いも多く、なんだかんだ面倒見がいいから引っ越しにあたって手伝いを理由に押しかけた妖怪たちが多くいたと聞く。

「そんな知り合いばかりでもないでしょ?」

「それはそうだが……でも、殺風景だとは言われるんだ。物はもっと増やした方がいいのかな」

「生活感がないと怪しまれたりするらしいから、収納とか増やしたら?」

 訳知り顔でアドバイスなどしてみるけども、ぼくは人として過ごす時間って少ないからなあ。ふんわりした知識をそのまま投げ渡すだけだ。

「鉢植えなんか置くのもいいみたい」

「サボテンとかか? そういうの、君が嫌いだろ」

「ええ。この格好してるときならまだしも、いつも天井がある生活なんて考えたくもない」

 笑って頷くと、「じゃあしないよ」とけろりと返された。性凶悪にして悪辣の妖怪が、ぼくが嫌だと思うことならしないんだそうだ。おかしいの。くすくす笑うと怪訝な顔をされたので、すいと視線を他所に向ける。

「台所、見てもいい?」

「いいけど、見るものなんかないぞ」

「そうなの? ……わ、ほんとだ」

 がらんとした台所。ガスコンロに使われた形跡はなく、新品らしき調理道具なんかも種類は少ないし、定位置から動かされてないみたいだ。

「料理とかしないの?」

「今のところ予定はないな。最低限のものは揃えたが、今のところほぼインテリアだ」

「もったいなくない?」

「今はこの家に慣れるのが先だと思ってるからな。食事は後だ」

 もっともらしいことを言っているけど、食べてるものをそんなに変えたくないだけじゃないのこれ。まあ分からなくもないので頷く。

「それもそうだね。……うん? これは?」

 食器棚にある物の中でふと目を引いたのは、華奢な作りのマグカップ。もう一つある家主のものと比べると一回り小さい花柄のものだ。シンプルなものでまとめられた棚の中で、ささやかに存在を主張するそれを見て聞けば、蜘蛛は困ったような、照れたような、怒ったような、ともかく複雑な顔をした。

「……友人が使うやつだ」

 友人。その言い方にぴんとくるものがあって、遠回しなのも面倒でストレートに尋ねた。

「人間のお友達ができたんだっけ。その子専用なんだ」

 視線を逸らし、しかししっかりと無言の首肯。なるほどね、と頷いて、ちょっと気になったことがあったので聞いてみる。

「ちなみにこれは君が買ったやつ?」

「いや……二人で、出掛けた時に。何も言わずに買ってきて、帰るときに置いといてほしいって言われたから……」

 曖昧な物言いだが、つまり元々置くつもりでなかったところに相手に頼まれて折れたらしい。これはまた驚くほど押しに弱い。こういう私物って友達の家に置くものだったっけ? いまいち分からないので、無難な相づちを打つ。

「仲がいいんだね」

「そう思うか?」

 隣から響いた低い声に目を瞬く。なんか思ってた反応と違うな、と思った瞬間、がっしり肩を掴まれ、ぐわんぐわんと揺さぶられる。

「なになになにうわどうしたのうわわ」

「君からもそう見えるんならやっぱり私はもう……なんか、駄目だ! 妖怪としての自己とか、あれが……とにかく、とにかく駄目なんだ!」

「なん、なんなんなんのはなしぃ……?」

 力では敵わないので揺さぶられながらどうにか聞くと、いきなり肩を放されてふらつく。そのままよろよろリビングに戻ってしまったので、ぼくもそれを追う。

「駄目だ私は……もうどうしたら……」

「うん、落ち着いて話して?」

「うう……」

 テーブルに突っ伏してめそめそし始めたのを、半ば呆然と眺める。そこそこ長い付き合いだけども、こんなところは初めて見た。

「整理して話してほしいんだけども、そもそも何が駄目になってるって?」

「だって駄目だろう……私は妖怪なのに、人間をあんな風に、大事にしてしまっては」

 うつむいてぼそぼそと言うのを聞いていれば、人間と仲良くしすぎて妖怪としてのアイデンティティが危うい、少し距離を置いた方がいいと思うが距離を置くとすぐトラブルに巻き込まれるどうしよう、という話だった。深刻な顔で言うので身構えていたが、なんだか少し思っていたのと違った。

「人間と仲良くしちゃ駄目って、狐だか蛇だかだって結婚して子供生んだりしてるのに」

「やつらは脊椎動物だろうが!」

「あっそういうボーダーがあるんだ……」

 人の嫁になった無脊椎動物の縁者が知り合いにいるでしょ君、という突っ込みはしない。面倒くさそうなので。

「いやそれだけではないが……私がそもそも、人と親しむような生き方をするように生まれてはいないはずなんだ。それなのにこんなのは、おかしくないか?」

「そう言われましても。蜘蛛の妖怪で仲いいの君しかいないし」

 ぼくの気のない返事に、蜘蛛は表情を暗くして頭を抱える。

「分からないんだ、どうしたらいいのか……自分がどうしたいのかも分からなくなってきた」

「重症だね」

 聞きながら、どう答えるべきかを考える。今のままだと情報がちょっと少ないね。いろいろ質問をしてみよう。そうだな、まずは……。

「その子のこと好きなの?」

 コップのふちを弾いて音を出しながら訊けば、蜘蛛は難しい顔で黙り込んでしまった。不動の長考を経て、蜘蛛は答えらしき言葉を絞り出す。

「……好き……と言えるのかもしれないが……それだけではなく……あの子には恩もあるし……事情を知っているだけに放っておくこともできず……ただ距離が近いとたまにびっくりするけど嫌というわけでもない……」

「一言じゃ言い表せないんだね」

 ざっくりまとめると、蜘蛛は途方に暮れたような顔で頷いた。それから苦悩に満ちた表情で唸るように言う。

「自分でも、たちが悪いと思うのは……あの子が、私に友達みたいにする度に、『どうして私を恐れてくれないんだ』と思ってしまうことだ。正直自信なくす」

「悪い妖怪としての自信?」

「そうだ」

「じゃあ本気で怖がられたら満足なの?」

「満足するのかもしれないがそうしたらあの子の友達としての私が多分結構つらい」

「板挟みだねえ」

 聞いている限りそうとしか言いようがない。毒にも薬にもならない木の精であるぼくからすると、人間とのつきあい方なんて好きにすればいいじゃんね、としか言えないのだか、人間にとって毒の側であるという自負を持つ蜘蛛からすると折り合いをつけるのが難しいらしい。食事は昆虫派なのに、難儀だなあ。

「というか、どうしてぼくに聞くの? それこそ人間の敵! みたいな連中に聞いた方がよくないかな?」

「それはもうやった。そうしたらあいつら腹抱えて笑いやがるんだ、腹が立つ」

 目を尖らせてぶつくさ言う蜘蛛は、物憂げなため息をついて小さくこぼした。

「あいつらも、同じような目に遭えばいい。大事なものを失うようなことに巻き込まれて、死ぬよりよほど気分が悪い思いを何度もして、それなのに相手が笑うだけで、何もかも報われたような気持ちになればいい。笑い事じゃないんだ、こっちは」

 怨嗟にしてはやけに寂しい悪態に、何も言えなくなってしまう。口ごもるぼくに蜘蛛は一瞬「しまったな」という顔をして、仕方なさそうに苦笑いした。

「こういうところが駄目だと思うんだけどな」

「駄目じゃない、と思うけど……誰にだって、何にだって、例外くらいあるよ」

 だから自分を許してやんなよ、と続けることはできなかった。どうにか絞り出した返事が、最適解でないことがわかっているからだ。難しいなぁ。何を言っても言い訳になるけど、ぼく、普段はただの街路樹だから、そういう経験は足りてないんだよ。足りなくても困らなかったんだよ。この蜘蛛も似たようなものだったはずなんだけどな。

 ただまあぼくから言えることは見つかったので、勿体ぶらずに話すことにする。

「人間を大事にしてるんじゃなくて、その子だけを大事にしたいんだ、と考えればいいよ」

「?」

「人間一人に対しての態度で決まるようなことではないと思うよ、悪と言うのは」

 怪訝な顔をする蜘蛛に、ぼくは上手くまとまらないなりに話そうとした。

「人間を等しく害することばかりが、妖怪の悪ではないでしょう。その子以外の人間なんてどうでもいいくらいのエゴがあった方が悪そうじゃない?」

「悪そうって、君……」

 呆れる蜘蛛は、しかししばらく考え込むような素振りを見せた。うつむいたまま力無く、首を横に振る。

「私にとってその考えは柔軟すぎる……」

「長生きだもんねえ」

 蜘蛛のマグカップが空なので、ミネラルウォーターのボトルを差し出すと乱暴に注いでぐいと呷った。そのまま黙ってしまったので、ぼくは続ける。

「実際問題、その友達が危なくなったら放っておけないんでしょ? ただ助けてあげたいって、それが最初にあるんなら、きっとそれだけでいいんだよ」

 蜘蛛はうつむいて顔を上げようとしない。その目はここではないどこか、恐らくは蜘蛛の心の内を写し、つるりと輝いている。

「友達に危険な目に遭ってほしくないって気持ちがあるのなら、それを無理に抑えたり、距離をとったりしようとしなくてもいいでしょ。君が、ぼくみたいな妖怪の友達相手にしてきたことと変わらないよ」

「……そういうものかな」

「そうだと思うな。どうしたいかは、別に無理に形にしなくてもよくて……きっと、その時その時に何をしたかで、自然と固まっていくものだと思う」

 そう締め括ると、蜘蛛は「何を、したかで……」と呟き、小さなため息をついた。への字に曲げられていた唇がふっと緩む。

「……どうせ、放っておくこともできないからな」

 ぽつりとこぼれた言葉は前向きなものではないけれど、肩の力の抜けた表情に、こちらも少しほっとした。

「ありがとう、笑わずに聞いてくれて」

「いえいえ。ぼくでよければいつでも聞くよ」

 何も解決してないけど一件落着の空気になったところで、部屋の隅からぴろりと音がした。音源は小さくて黒い、板のようなものだ。

「なあに、これ」

「スマホだ」

「君の? 君がスマホを?」

「必要に迫られた。あの子とすぐ連絡取れないといろいろ危ないんだ」

「例えば?」

「知らないうちに偽汽車に乗りそうになってる。その時は私の知り合いだったからどうにかなったが……」

「それは危ないね!」

 実際あったことなんだそれ? 大変だな……。とはいえ鳴ってはいたので取りに行き、蜘蛛に渡す。

「ゲームとかするの? 面白い?」

「よくわからないんだ、そういうの。使うのは電話と、なんか、短い文送るやつくらいだ」

「メール?」

「違うらしい。ともだち登録がどうのとか言ってた」

「そうなんだ」

 ぼく自身よく知らないけど、最近のはもっと他にいろんな機能があるんだし、いろんな使い方をしてみてもいいんじゃないだろうか。そういうの面白がらないタイプだからやらないのも無理ないか。受け取ったスマホをテーブルに伏せてしまった蜘蛛に首を傾げる。

「というか見なくていいの? メール」

「メールじゃないが……いやしかし、君がいるのに」

「お構いなく。待ってる間そこの漫画読んでいい?」

「いいけど、借り物だから汚さんでくれ」

「……誰から借りたの?」

「それは……その顔! 分かってて聞いてるだろ!」

 怒られたのでごまかすように笑って漫画をパラパラめくる。ふむふむ、現代を舞台にした、でも現実には起こりそうにない出来事の話らしい。こういうのあんまり読む機会ないからなあ。

「む」

「どうしたの?」

「いや、さっき言った人間の友達からで……聞きたいことがあるから会いたいそうなんだが……」

 困った顔をする蜘蛛に、

「君が構わないなら会ってみたいな。面白そう」

「面白そうって……まあ、君ならいいか。近くにいるらしいからここに呼ぶぞ」

 のろのろと画面を触るのを横目にふらりと鏡台の前に立つ。服とか髪とか変じゃないかしら。前髪を触り、襟を正していると、蜘蛛が不思議そうな顔をしてこちらを見た。

「何そわそわしてるんだ」

「いや、人間と話すの久しぶりで……変なところあったらちゃんと言ってよ?」

 はにかみながらそう言うと、蜘蛛はどこか遠くを見るような目をして笑った。

「気にしなくていい、あの子は目や足の数が多少違ったところで動じない人間だからな」

「……すごい肝が据わった子なんだね」

 どうしよう、人間の友達の面白い情報ばかりが増えていく。目や足の数が違うのは多少では済まされないよ。本当、どんな子なんだろう。

 落ち着かない気分で待っているうちに玄関のチャイムが鳴り、蜘蛛が扉を開けに立つ。ぼくもその背を追いかけて、人間のお友達を出迎えた。

「いらっしゃい。どうしたんだ」

「すみません、急にお邪魔しちゃって。……お客さんですか?」

 見慣れない靴を見つけてか、首を傾げる人間の友達。蜘蛛はぼくの方を振り返って、

「友達が来てるんだ。紹介する」

「初めまして……」

 蜘蛛はぼくより背が高いので、脇にずれてもらって挨拶する。見た目は普通の人の子だ。ちょっと童顔かも。ちょっと不思議に思ったのは、両手で何かを包むようにしていることだ。手が塞がってるのに蜘蛛はなんも言わないし。いつものことなのかな。

 ……しかしこの顔、どこかで見たことあるような……近所に住む人間なら見覚えがあるのも分かるけど、それよりちょっと印象に残るようなところを見たような。しばらく考え込んで、

「思い出した。ちょっと前の夏に野良猫にいじめられてたカマキリを助けてた子だね」

 そう言うと、蜘蛛の友達は目を丸くした。毒にも薬にもならないとはいえぼくも妖怪、驚かれるのは結構好きだ。にこにこするぼくを一瞥して、蜘蛛は友達に問う。

「そんなことしたのか」

「確かに昔、そんなことしましたけど……五、六年前の話ですよ? どうしてそんなこと……」

 首を傾げる人の子に、いたずら心をくすぐられる。なんかこういうの久しぶりだな。ちょっとからかってみようかな。

「誰もいなかった? 本当に? よーく思い出してみてよ」

 にやにや笑って尋ねると、蜘蛛に脇腹をどつかれる。ちょっと、と睨むと、露骨にため息をつかれた。

「意地の悪い言い方はやめろ。……こいつは金木犀なんだ。この姿でなければ気づかないのも当たり前だ」

 さっさとばらされてしまったので、正直に名乗る。

「えへへ、金木犀です。駅からちょっと言ったところの橋のそばに植わってるやつ。この格好してる時間の方が少ないです」

 人からすれば相当変わった自己紹介だと思うのだが、その子は気にした様子もなく会釈をして自分から名乗った。そのとき少し考えて、「人間です」と付け加えていたのがおかしかった。面白い子!

 蜘蛛は友人を部屋に通し、その子専用のマグカップに麦茶を注いだ。

「ところで、聞きたいことって?」

「そうなんです、ちょっと見てほしい子がいて」

 見てほしい「子」って……生き物? そう言って広げられた手のひらから、何かがテーブルの上に走り出た。

「この子、多分妖怪だと思うんですけど……お二人は何か知ってますか?」

 見れば、小指の爪ほどの大きさの蜘蛛が、テーブルの上でうろうろしている。知ってるも何も、と隣の蜘蛛に目を向けた。

「これ、君の小蜘蛛じゃないか」

「こぐも?」

「うん。遠くの知り合いへの伝言みたいなお使いをさせたりしてる……そうだよね?」

「え? あ、うん。そうだ。そう言えば少し前に出した気が……」

 視線を泳がせる蜘蛛を見て少し怪訝に思ったが、友達は気づいていないのか、小蜘蛛を拾った経緯を教えてくれた。

「買い物の途中、信号で待ってたら見つけて……ついてきたので、車に轢かれたりしたら危ないと思って捕まえて、連れてきたんです」

 平然と言うが、町中で見かけるにしては結構なサイズの蜘蛛だと思う。今の人間って虫苦手じゃなかったっけ。蜘蛛も礼を言いつつも若干渋い顔だ。

「そうか、ありがとう……でもどういう生き物か分かっていないうちから素手で触るのはやめろ。噛まれたらどうする」

「毒があったりするかもしれないしね」

「気をつけます……でも言葉が通じてるっぽかったから、大丈夫かと思って」

 ねえ? とその子が声をかけると、小蜘蛛は片方の前足を振り上げた。友好的な態度にぎょっとするぼくらを気にもせず、小蜘蛛は人の子の手の周りをうろちょろしている。大きい方の蜘蛛は難しい顔をして、いくつか尋ねた。

「……ちょっと聞いていいか? その蜘蛛、見つけたとき何をしていた?」

「何を……? 気づいたときは、動かないでじっとこっちを見てました。歩いたらついてきたので、なにか言いたいことがあるのかなって思って」

「そうか……」

 黙り込んでしまった蜘蛛を、その友達は不思議そうに見ていたが、うろちょろする小蜘蛛の近くに手を置いて訊ねた。

「この子達、外に行くのが仕事なんですよね。また見かけたらどうしたらいいですか?」

「困ってないようだったらほっといてくれて構わない。よっぽどのことがない限り自力で帰ってこれるようになってる」

「賢いんですね。そっか、挨拶もできるもんね。了解です」

 えらいねえ、と微笑んだ友達の手から小蜘蛛を取り上げ、大蜘蛛は何かぶつぶつ言いながら台所の方に引っ込んでしまった。ぼくは説明不足の家主に代わって間を繋ぐ。

「蜘蛛とか怖くないんだね。人って足多い生き物苦手だと思ってたよ」

「人によりけりですよ。私は元々好きでも嫌いでもなかったんですけど、最近好きになってきました」

「ほほー。なんかきっかけがあったり?」

 お友達の視線が台所に向けられて、「内緒にしてくださいね」と照れくさそうな微笑み。もちろんと頷き、しかめっ面で戻ってきた蜘蛛に視線をやると「なんだ」と睨まれた。そんな顔しても怖くないって。

 そのあと、蜘蛛とお友達が話をするのを聞いたり、蜘蛛が借りていた(やっぱり友達から借りたものだったようだ)漫画の話を聞いたりして時間が過ぎた。時計を見て、人はぱっと立ち上がった。

「じゃあ、今日は帰りますね。お邪魔しちゃってすみません」

「いいよ、気にしなくて。またな」

「はい、また。金木犀さんも」

「ぼくも? 嬉しいな、またね~」

 小さな背中が遠ざかっていくのをベランダから見送ってから部屋に戻る。蜘蛛が口を開こうとしないので、仕方なく口火を切った。

「あの小蜘蛛ってさ」

「…………」

「普通あんな、話しかけても反応したりしないよね? 言われたことを聞くだけの意思のない分身だよね?」

 努めて冷静に尋ねれば、人間の友達の手前極めて冷静に装っていた蜘蛛が爆発した。

「私だって想定外だ! なにお手ふりしてんだあいつは! 私かあれ! 何だ!」

 パニックになっているらしく言ってることがめちゃくちゃだ。息を荒げる蜘蛛を落ち着かせ、もう一度「あれどういうこと?」と聞くと、蜘蛛は苦虫を噛み潰したような顔をした。襟を引っ張ると、さっきの小蜘蛛が走り出てくる。

「……こいつは伝言済ませて帰ってきたところの蜘蛛だ。私のところに戻ってくる途中であの子を見かけて、何か起きたときのためについていったんだろう。あの子が気づかなければ家に無事につくまで見送ってから帰ってきたと思う」

「そんな融通利くやつだったんだ、それ」

 感心して頷くと、大蜘蛛がそれはもう難しい顔をして首を横に振った。

「……そんな指示は出していない。本当なら、伝言の命令だけ聞くはずなんだが……最近よくあの子に何かあったときにすぐ気づけるような方法がないかとは考えていたから、無意識のうちにそうするように仕向けてたのかも……」

「そうなんだ。正直ちょっと引く」

「心底同意だがちょっとは隠せ! 本当のこと言われるのが一番傷つくんだぞ!」

 苦悩に頭をかきむしる蜘蛛の背中を撫でつつなだめ、何を言えばいいのか分からないなりに慰める。

「まあ、問題になる前に気づけてよかったと言えなくもないよ。ギリアウトくらい」

「アウトなんじゃないか! 無意識な分余計悪いよ……こんなこと前にもあったな? まあいい、一度小蜘蛛は全部回収しよう。あの子の家に巣くってたら困る」

「あー……別にいいんじゃない? 蜘蛛は益虫なんだし。あの様子だと本人が気にしなさそうっていうかさあ……それに普通の蜘蛛と区別つかないよあれ」

「私が気にするんだ! 無自覚のストーカーなんか最悪だ! 妖怪として駄目どころの話じゃないだろ! やるにしても同意を得てからだ!」

 妙なところで倫理観しっかりしてるのが、この蜘蛛のよいところでありかわいそうなところだ。自分より弱い存在と深く関わるようになって、いろいろ考えなきゃいけないことが増えて大変らしい。あんまり悩ませてもかわいそうなので、適当に話をそらす。

「それにしても感じのいい子だね。君が夢中になるのも分かる気がする」

「…………」

 ぼくとしては誉めたつもりだったのだが、蜘蛛はなんだか渋い顔をしている。なんでそんな嫌そうなの、と聞くと、蜘蛛は悩ましげなため息をついてぼやいた。

「君に好かれるのはいいんだがな、あの子の場合たちの悪いのにも好かれるからな……私みたいな……」

 そこで自分を真っ先に出しちゃうところがなあ……お友達もそういう自虐的なの困ると思うけど……。言葉には出さず呆れつつ曖昧に頷くと、蜘蛛はぎりぎり歯軋りした。

「狐や狸の知り合いがそこそこ増えてるのが心底心配だ……あの子も慣れたのかちょっとやそっとじゃ驚かないが、なんか私の知らないところで悪い虫にちょっかい出されてるらしいし……あの子はなんも話してくれないし……」

 そりゃよっぽどのことがなければ相談しないよ、子供じゃないんだし……と言いたかったが、この調子じゃ言っても聞いてもらえなさそうだ。

「そんな心配なら、ぼくも何か見かけたら声かけるようにするよ」

 気休めにもならないだろうけど、とつけ足すと、蜘蛛ははっと顔を上げて、力なく肩を落とした。

「悪い、こんな愚痴ばっかりで」

「そういうこともあるって」

 気にしないで、と手を振ると、蜘蛛はばつが悪そうな顔をして咳払いをした。

「まぁ、あの子のことは今日はもういいだろ。せっかく来てくれたんだし、何して遊ぶ?」

「将棋か囲碁ある? 久し振りにやりたい」

「将棋な。ちょっと待て、確かあっちの部屋にあったはず」 

 窓に近い場所に座布団を敷いて、無言で指す。お互いそれほど強くないので、長考あり待ったありのゆるい対局だ。

 ぼくが一勝二敗で、蜘蛛が二度目の長考に入ったところで置きっぱなしにしていたスマホが音を立てた。さっきと違う音だな、と思う前に、蜘蛛がスマホを引き寄せている。なんだか表情が険しい。

「すまん、出るぞ。……もしもし」

 電話の向こうから聞こえてきたのは、先程別れたはずのお友達の声だ。

『すみません、お客さんがいるのに何度も』

 遠慮がちな挨拶に、蜘蛛は眉間の皺を深くした。

「別にいい。……電話なのは、今、困ってるのか?」

 今、に力を込めた聞き方に、電話の向こうの声が困ったように揺れる。というか聞き方が質問というより確認の色が強い。

『ええと、今すぐ死にそうな事態ではなくてですね、でもちょっと心配というか、自分だけでどうにかできるか分からなくて、それで……』

「自分だけでどうにかしようとしなくていい。落ち着いて、簡潔に起きてることだけ教えてくれ」

 蜘蛛はそう言って電話の向こうの友達を諭しているが、体は立ち上がって落ち着きなくうろうろしている。座ったら? 無理? そっか。

 電話の向こうの沈黙を辛抱強く待つこと十数秒、困惑しきりの声が、何が起きているかを説明してくれた。

『……今、かまきりっぽい人が恩返しするから家に案内しろって』

 瞬間、空気が凍りつく。ぼくは唖然として固まってしまったのだが、慣れているのかなんなのか、蜘蛛の立ち直りは早かった。すぐさま頷き、素早く問う。

「わかった。すぐ行く。場所は? ……わかった。絶対そこを動かないように」

 電話を切った蜘蛛が、眉間に深い皺を刻んでロングブレスのため息をつく。ぼくはなんと言ったものか分かりかねて、ぽつりと呟いた。

「悪い虫ってそういう」

「違う。いや、結果的にはそうなってしまったがそういう意図で言ったんじゃない」

 光のない目で食い気味に否定する蜘蛛は、もう一度深いため息をついて額に手を当てた。申し訳なさそうな目をして「投了だ」と呟く。

「悪いが今日はお開きでいいか。ろくなもてなしもできずに悪い」

「いいよ、面白かったし。また遊びに来てもいい?」

「もちろんだ。私は暇だからいつでも来ればいい」

 そう言いながら簡単に身支度をすませた蜘蛛が、鍵を手に出ていくのを追って部屋から出る。

「急ぐなら蜘蛛になってベランダから出た方が早くない?」

「それだとスマホ持っていけないからな。前にそうやって連絡とれなくなって大変なことになったことがある」

「大変ってそれはまたどんな……ああいや、今度でいいよ。ゆっくりできる時に教えてくれれば」

「本当にすまない。この埋め合わせはする」

 恐縮しきりの大蜘蛛に、気にしないでとひらひら手を振る。

「それよか早く行ってあげて、押しかけ女房に困ってるみたいだし」

「そうだな、助かる。じゃあまた!」

 素晴らしいスタートダッシュで去っていく友達を見送り、困らされている割には生き生きしている姿にこっそり笑う。あーあ、ぼくも人間の友達欲しくなっちゃったな。……いや、蜘蛛ほどはまりこんでしまったら困るけど。もう少し、適切な距離でいられる友達ならほしいな。

 後日教えてもらったところ、件のかまきり女房(仮)は蜘蛛の知り合いに預けられて、人間社会について学び、どう恩返しするか考えることになったらしい。「結局お友達は結婚するの?」と蜘蛛に確認したら無言で睨まれたので、その後の関係についてはお友達の方に聞くことにするよ。

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