第9話
いつもの酒場には、いつもの喧騒がそこにある。
魔の物という闇の気配が忍び寄っているとはいえ、人々の営みは穏やかに続いていた。恐ろしいバグによって侵略されることもなく、住民たちはゲームキャラクターの生活を甘受している。
───世界は平和である。
「……強制リセットかあ」
「ハード、酷使してましたからねえ……」
ロクトバとリューカは、いつもの席で酒場の喧騒を見つめながらぼんやりと呟いた。
テーブルの上には安酒とつまみで頼んだナッツ類が置いてあり、二人でだらだらとつまんでいる。
ゲーム時間にして数日、現実時間では数時間経っているほどの重労働だったから、しばらく何もしたくない。
周りの人間も、ロクトバ達が悲惨な目にあったことは理解していたので、そっとしてくれていた。
「……主人公さん、復活しますかねえ」
テーブルに肘をつきながらナッツを齧るリューカが、ちらりと酒場のカウンターに視線を移す。
普段ならクエストを受注するその場所に、赤いマントの人物が所在なさげに佇んでいる。
全ての元凶、主人公『ああああい』は、ゲームの電源が落ちて復旧してから、一度も動こうとはしない。
恐らくだが……画面が復活した後、苦労が水の泡となったことを理解してそのままコントローラーを手放したのだろう。
いまごろ床に寝そべってふて寝でもしているのかもしれない。
クエスト開始時間が現実時間で夜遅くだったから、もうすでに夜が明けているのだろうし。
プレイヤーが感じただろう虚無を思い、ロクトバはジョッキに注がれている安酒を一口のんだ。
しゅわしゅわとした馴染みの炭酸が、ぐっと喉から染みわたり、奇妙に安心して息を吐く。
「……まあ同情はしないけど」
「振り回されましたからねえ」
主人公と同じく、ロクトバ達だってしばらく動きたくない。労働はお休みして、のんべんだらりと酒場で休養したかった。
「……封じられた魔の物さんって、いつかまた会うことになるんすかねえ」
ぽりり、と幾つ目かのナッツを口に含んだリューカが、そう言えばと顔を上げる。
ロクトバは脳裏に、いかつい漆黒の鎧をまとった異形の戦士のことを思い浮かべる。同時にめくるめく護衛クエストの思い出もよみがえり、ぶるりと体を震わせた。
「僕はしばらく会わなくていいかな……」
出来ることなら自分の知らないところで開始されるクエストの登場人物であってほしい。
なぜおじいちゃんに封じられているかも、わからないままで良かった。
ふと視線をテーブルから酒場の窓へと移すと、その向こうに朗らかな笑顔を浮かべたおじいちゃんが歩いている様子が見える。
───おじいちゃんがバグから解放されて良かったな。
と静かに思った。
数日後、ゲーム公式からおじいちゃんの護衛クエストに重大なバグがあるとして、修正パッチが配布された。
おじいちゃんが失われた戦闘民族の末裔でその体のうちに伝説の戦士を封じられていることをロクトバたちが知るのは……さらに数か月後のことである。
バグのせいで護衛対象のおじいちゃんがすぐに死んじゃうんだけど? 天藤けいじ @amatou2020
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