第8話

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 もはや呪文のようにも聞こえる台詞。

 するすると、あるいはぬるぬると真っ直ぐ進むおじいちゃんに、三人は言葉も出ない。

 頭の先から指の先までぴんと真っ直ぐで、足の裏だけ地面についている状態で進むおじいちゃんは、正直なんだか気持ち悪かった。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 当たり前だが三人の歩き方はおじいちゃんとは違い、普通に手足を前後に動かして走っている。

 ほっとした。取りあえず自分たちには影響のないバグらしい。

 直立でスケートするような体勢でしか動けなかったら、ゲームキャラクター人生を華々しくリタイアしたいと思うところだった。


 しかし、そんな人生が嫌になるくらいの走り方(?)でも、ずいぶん早い。

 ロクトバたちが全力疾走してぎりぎり追いつけているくらいなので、通常時のおじいちゃんのペースとは比べ物にならなかった。


「ロクトバさん、これ、敵が出たらどうする……」


 後ろに続くリューカが不安げに呟いた……瞬間、遠くからギャアウッ!とけたたましい雄叫びが聞こえてきた。

 明らかに人間のものでは無い。はっと視線を向ければ一行の行く手に、恐ろしげな角を生やした緑色の皮膚の鬼が数体、こちらを睨みつけている様子が見えた。


 顔かたちや動きはゴブリンに似ている。

 しかし目にははっきりとした理性の色が浮かんでおり、手に持っている剣もきちんと砥がれている。簡素だが衣服のようなものをまとい、その上から鋼を鍛えて作った鎧で防御を固めている。


 この大地にだけ住む、ゴブリンの上位種だ。


 まずい、と背中に冷たい汗が浮かぶ。

 武器も防具も、自分たちのものよりも鋭く分厚く、使い込まれている。大柄で、筋肉も発達している。

 最初の大地でレベルを上げている状況のロクトバたちなど、防御する前に切り捨てられてしまうだろう。


「おじいちゃん、待って……!!」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 止まるように促すが、バグという超常現象に支配されたおじいちゃんが言うことを聞いてくれるはずがない。

 その体がぬるりとゴブリンの武器が届く場所に近づいた瞬間、ロクトバは今度こそ終わりを予感して顔をしかめた。


 ───が。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 ぬるん!とおじいちゃんの体がゴブリンをすり抜け滑った……ように見えた。

 しかもNPCが近づいているというのに、魔物は反応しない。視線はおじいちゃんを通り越し、真っ直ぐに主人公を見据えている。


 「え?」と思った。

 あれほど派手に動いているのに、台詞まで喋っているのに、おじいちゃんは認識されていないのか?

 戸惑いながらも一行が武器を抜こうとしたとき、ウギャアアッ!と再び甲高い声をゴブリンがあげた。


 好戦的な雄叫びでは無い。

 体力をゼロにしたときに敵があげる、断末魔である。


「え?」


 一切攻撃を加えていないのに、断末魔?

 戸惑いを加速させながら凝視していると、おじいちゃんが通り過ぎた場所にいたゴブリンたちが断末魔を上げ、消滅した。

 ───消滅した。


「え?ええええ?」

「ちょ、ちょっと待って、どういうことおじいちゃん!おじいちゃーんっ!?」


 これが横スクロールアクションゲームなら、無敵アイテムを入手した『無敵状態』と納得できたことだろう。

 しかしロクトバたちはファンタジーRPG界の人間だったので、ただただ叫び混乱しながら、おじいちゃんの背中を追いかけることしか出来ない。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 その台詞はもはや誰に言っているのか。

 おじいちゃんはぬるりぬるりぬるりとゴブリン達の横をすり抜け……否、自らあたりに行っているのだと気が付いた。

 「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」。その台詞が聞こえるたびに異形の魔物たちは断末魔を放ち、消えていく。


「まるで当たり屋のようっす」

「……ちょっと違くない?」


 一瞬だけ納得しかけたが、当たり屋はもう少し怖い職業の怖い人種が行っている詐欺ではなかろうか?


 二人が何の実にもならない会話を交わしているうちにも、おじいちゃんはぬるぬると山道を登っていく。流石決戦地と言わんばかりに魔物は現れたが、無敵の体はどのような凶悪な個体もものともしなかった。

 ロクトバたちがあの魔物の名前は何だったかな?と思い出す前に、叫び声と共に消えていく。


 標高が高くなるにつれ、まわりの空気もさらに禍々しいものに変わっていった。

 毒でも混ぜ込んであるのかと思うほど空気が濁り重く、黒々とした雲は陽光を一切遮り、雷鳴は轟き鳴りやまない。


 演出であると知っていてもぞっとしたものを感じていると、駆け上がる一行の前に目的の砦が現れた。

 おじいちゃんは真っ直ぐに砦の出入り口……ぴったりと閉ざされた扉へと向かっている。

 しっかりと組み合わせられた木材と石材で造られた堅牢な扉の前に、ゆらりと揺れる影が見えた。


 木や建築物の影では無い。とは言え、人がいなくなって久しい砦である。

 異様な気配にロクトバは息を飲んだ。


「ロクトバさん、あれ」

「ああ、魔物だ……」


 その影は隣にある砦と比べても背が高い。

 影……だと思っていたが、どうやらそれはそのモノの体が漆黒の鱗に覆われているからそう見えたのだと気づいた。

 かろうじて人型ではあるが、角が生え、爪は鋭く、背中にはドラゴンを思わせる羽根が生えている。

 目だけがただ鮮血のように赤い。


 二人がその存在を認識したのと同時に、その血のように赤い目がぎろりとこちらを向く。


「愚かなる人間風情が。よくぞ、この地へ来たものよ」


 人と同じ言語を操る魔物だ。

 恐らくストーリー終盤用に設置されていたのだろうその人物は、はっきりとした理知の光を持って主人公たちを睨みつけている。


 ───間違いなく、強い。剣を交えれば激戦となるだろう。


 戦う前にそれを実感させる威圧感を放っている。


「しかしこの砦に入ることは叶わないだろう。何故ならお前たちはここで死ぬからだ!」


 くっと、そのモノの唇が愉悦に歪む。彼は威嚇するように羽根を広げて、勢いを殺さず走り寄る命知らずどもを見据えた。

 雷鳴が轟く環境音だけだった世界に、重々しいBGMが流れる。


「さあ、かかってこい!我が名は竜王ヨルムンガ」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 ───その全てを言い終わらぬうちに、白いひげを蓄えた直立の老人がぬるりと彼の間をすり抜けた。

 なかなか名曲の予感がしたテンポのいいBGMは、佳境に入らず終了する。


「ぎゃああああっ!まさか魔王四天王のこのわたしがあああああっ!!!」


 恐らく断末魔だろう声を上げる竜王なにがし氏を横目で見ながら、ロクトバたちはおじいちゃんを追って無言で砦へ向かって駆け抜けた。

 ぴろりろりん、と経験値が入り、かなりレベルが上がったような感覚がする。そのころにはなにがし氏の姿は、完全に背後から消えていた。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」

「……」

「……せめて台詞最後まで言わせてあげてぇ」

「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 何となくこうなる予感がしていたので皆足を止めなかったのだが、竜王なにがし氏が可哀想である。

 情けない声でおじいちゃんに訴えるも、もちろん魔物たちを体当たり(?)で一掃してきた老人は答えなかった。


 竜王なにがし氏とBGMを作ったスタッフの苦労を悼んでいると、あれほど遠くに見えていた砦がもう目と鼻の先にあることに気が付く。

 山のふもとで見た時には感じなかったが、かなり大きく、古く歴史を感じさせる建物だった。


 先ほどのなにがし氏とは違った厳格ささえ感じる威圧感を受け、ロクトバは少し息を飲んで砦の上から下までをじっくり観察する。

 大きな石材を組み合わせた外壁は、所々欠けて苔むしているものの、いまだにその役目を果たしそうな場所であった。

 しかし中からするのは魔物の気配。当たり前だが人がいるように見えない。


 ロクトバが地上を視線に戻すと、ぴったりと閉ざされている扉の前で、おじいちゃんが停止する。

 こちらが声をかけるまえにくるりと振り返った老人は、相変わらず直立の姿勢で口を開いた。


「おお、やっとついたわい。流石『ああああい』じゃのう」

「違う台詞!」

「新鮮!」


 もはやおじいちゃんは、「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」botと化してしまっているのだとばかり思っていた。

 久しぶりにそれ以外の台詞が聞けて、一行の胸が奇妙な感動で満たされる。


 もちろん、おじいちゃんの体が直立のままなのは気にしない。気にしてられない。


「ほっほっほ、これでようやく孫に会うことができるのう」

「いないっすけどね」

「こんな所にいてたまるかっていうね」

「娘たちも心配しているじゃろうなあ」

「でしょうね」


 長い間バグとお付き合いして行方知れずになったおじいちゃんを、心配しない家族がどこにいるといるのだ。

 彼の関係者たちの心労を思い、ロクトバたちがうんうんと頷いていると、そもそもの原因はしわだらけの顔に朗らかな笑みを作った。


「お礼は酒場に預けてあるよ。本当にありがとうな」


 その台詞に、ロクトバははっとした……と同時に、物々しい環境音からがらりと雰囲気が変わり、ファンファーレが流れる。

 【クエストクリア!】と画面に大きく文字が映ったのは、すぐあとだった。


 ───場所に似合わないBGMは、クエストが完全終了した合図。

 今までも主人公のレベル上げにつき合わされ、幾度か聞いているから間違いはない。


「……や、」

「やった……?」


 しかしその実感がいまいち湧かず、ロクトバとリューカはいまだに笑顔を浮かべるおじいちゃんを凝視し、そしてお互いに顔を見合わせ口を開いた。

 視線の隅で、主人公がぷるぷると体を震わせている様子が見える。

 これは感動しているのではなくて、メニュー画面を開いたりカメラアングルを切り替えたりして、本当に全てが終わったかを確かめているのだろう。


 ロクトバはリューカから視線を外し、主人公を見、そして最後におじいちゃんを見る。

 改めて彼の笑顔を見て、クリアと言う言葉がすとんと胸に落ちてきた。


「終わった……」

「終わったっす……」


 ロクトバが言い、リューカが言った。

 再びお互いに顔を見合わせ……くしゃりと顔を歪ませる。

 画面のすみでは、主人公もようやく現状が夢では無いことを理解したのか、ボタン連打でジャンプしまくっていた。


 再度クエストクリアのBGMが流れたような気がすらしたのは、一同の錯覚だったのだろうか?


「や、ったあ……」

「やった!やったっすよロクトバさん!主人公さん!!」

「終わった!僕たちの長く苦しい戦いがようやくおわったんだあああああっ!!!」


 思わず漏れた涙を、誰が責められるだろう。

 ガッツポーズを決めるリューカに、天に祈りを捧げるロクトバ。主人公は相変わらず狂ったようにジャンプをしまくって、喜びを体全体で表現している。


 一言でいえばカオスであった。

 しかし自分たち以外に誰の目も無い。否、誰かの目があったとして責められるものか。


 この喜びを分かち合うため、リューカと手を握り合おうとして……ロクトバはふと違和感を感じた。

 視界が……つまり画面全体がぶれている。主人公がジャンプをしているせいかと思ったが、違う。

 何となく嫌な予感がしてはっと顔を上げた。


 おじいちゃんが笑っている。

 直立不動で笑っている。

 まだバグから解放された様子ではないと、ようやく気が付いた。


 嫌な予感が加速して刹那、ぷつ、と、何かが千切れるような禍々しい音がする。

 同時に視界が暗転し、世界全てが闇に閉ざされた。

 ───そして、ロクトバの意識は途切れた。

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