第7話

更なるバグが君を待ち受けている


 雷鳴とどろき、鮮血のように赤黒く燃える空は、決して夕日に暮れているのではない。

 大気を汚す魔の物の闇が濃く、異形の力が渦巻いている場所にこういった超常現象はよく起こると言われている。

 真っ赤に燃える空は昼夜を問わず、この地方の光景は、10年間変化が無いと伝承が残っていた。


 もちろん禍々しいのは空だけでなく、大地もだった。

 草木も生えない灰色の土の上には、人間たちの営みの近くでは決して見ない魔物が闊歩している。

 本や人づてでしか聞かない、未知の怪物が実在しているのだ。


 駆け出しではまったく歯が立たないことは確実……否、名うての剣士や魔法使いであろうと生き残れるのは何人か。

 事実、この地を浄化しようと旅立ったものの話は聞けど、帰ってきたものの話は聞かなかった。


『トリスタン要塞』


 それがこの赤い空と廃れた大地の中心にある建造物の、通称である。

 決戦地と名の付いたその場所は、過去、人間と魔の者が起こした大きな戦の跡地。聖騎士トリスタンが名誉の戦死を遂げたと、伝説を持つ場所だった。


「……まあ、そういう設定なんすけどね」

「誰に話しているんだい?」


 急にメタなことを語りだしたリューカの顔を、ロクトバは覗き込む。

 弓使いは妙に疲れた表情で、件の赤い空を見上げている。今日何度も見た、遠い目だ。


 だがまあ、疲れてしまうのも致し方ない。むしろ、いままでのことを考えれば、疲れない方がおかしい。

 ロクトバも、気のせいじゃなく痛み出した頭を慰めるように額に手を当て、ため息をついた。


 頭痛の原因は間違いなく疲労だろう。

 それに異界とか、魔界とか、そう言ったフレーズが似合いそうな毒々しい場所は、あまり目に優しくなかった。

 疲れを紛らわせるために、視線を比較的落ち着いた色の大地へと戻す瞬間見えたのは、自分たちの背後に続く影。


 ロクトバは彼(?)に目を止め、じっと見つめた後ためらいがちに口を開く。


「……封じられた魔の者さん、ここらへんに敵の気配はないですか?」

「『ああああい』よ。これぞ我が真の姿。我はこの老人に封じられし魔の物よ」

「そうですか、なら良かったです」

「『ああああい』よ。これぞ我が真の姿。我はこの老人に封じられし魔の物よ」

「……」


  振り返った先の、漆黒の鎧を身にまとった重厚感ある人物はお決まりの台詞を放つ。

  敵意をこちらへ向けている魔物が近くにいれば、「臓物」だの「闇の儀式」だの物騒な台詞とともに走っていくはずだから、多分この辺は安全だ。


「封じられた魔の物さん、攻撃するときは普通に喋るんすねえ……」

「それも何か怖いよな」


  そんな会話がロクトバとリューカの間にあったのも、記憶に新しい。


  しかし背後を歩く漆黒の巨体……封じられた魔の物氏のおかげで、戦闘面では苦労しなくなったのは本当に助かった。

  ロクトバたちが気を張って索敵せずとも、魔の物氏が見つければ早速退治してくれる。防御力が紙のようだったおじいちゃんの時とは違い、後ろを気にする必要も無い。


  おじいちゃん……と久しぶりにこのクエストの主要人物のことを考えて、ロクトバはふっと目を瞑った。


「おじいちゃんと旅をしていた時が懐かしいなあ……」

「何かもう、過去の人って感じっすね……」

「おじいちゃんと一緒にいた時間の方が長いと言うのに……魔の物さんとの記憶の方が濃い……」

「バグったおじいちゃんも濃厚だったっすけどねえ」


 二人の脳裏に過るのは、段差では死に、坂で死に、魔物に襲われ死ぬおじいちゃんとの記憶だ。

 思い出は風化し、やがて美化されるというが、三人が過ごしたおじいちゃんとの過去もきらきらと輝いて、それはそれは美しいものに……は、ならない。

 ただただあるのは疲労感。リューカの言う通り、ゲームキャラクターの一生の中でも、濃厚すぎる時間だった。


「まあ、このまま上手くいけば封じられた魔の物さんが、敵を一掃してくれるから、全滅の心配は無いよね」

「到着までにゲームが故障しなければ……それは私たちにはどうしようも無いっすけど」


 今まであえてロクトバが口にしなかった恐れを、リューカが呟いた。

 ゲーム自体の故障。前にも説明した通り、それは世界と自分たちの終わりである。

 画面の前にいるプレイヤーたちにとっての『死』と同等のものが、まさにロクトバたちに迫ってきている。


 自分たちは今、首の皮一枚繋がっているような状態なのかもしれない。

 そんな恐怖を振り切るように頭を振って、ちらりと背後を振り返る。

 元凶であり、現状の切り札は、漆黒の鎧をきらめかせながら、ロクトバたちの後についてきている。


「戦闘は魔の物さんに任せるとして……僕たちはミスしないように慎重に、でも早く進もう」


 主人公の歩みが止まらない限り、自分たちに出来るのはこのクエストが早く終わるように行動することだけだ。

 いまだ恐れが表情に現れているリューカだったが、しかし意を決したように強く頷いた。


 赤いマントをひるがえす主人公もまた、いつになく真剣に見える。

 幾度もメニュー画面を開いては仲間のステータスに気を配り、最短ルートを確認し、一同の方を振り返ったりしていた。


 ───そして一行は草木も生えぬ巨大な山脈へとたどり着く。

 地形がロードされるのに時間がかかったのは、データの重さのせいかバグのせいかわからぬまま、ロクトバたちはその光景に息をのんだ。


 見上げる山の中腹には、禍々しい空気を漂わせる、古びた建物がそびえている。そこに続く道は、今まで見てきたどんな坂よりも急だ。

 血のように真っ赤だった空には、いつの間にか暗雲が立ち込め、雷とともに異様な世界を作り出していた。

 何処からともなく聞こえる鳥の声……いや、まともな鳥ではあるまい。魔物の類の声が、あたりに響いている。


 まさに、そこは決戦地。


 ごくり、とつばを飲み込んだ音は、自分のものだったのか、それともリューカか主人公か。


「おっかない……けど、あとは一気に駆け抜けるだけっすね!いきましょう、主人公さん、ロクトバさん!!」


 冷や汗を額に滲ませながらも、意を決したようにリューカが言った。

 ロクトバも静かに応えるように頷く。彼女の声が聞こえたわけではないだろうが、主人公は最後の確認をするように二人を交互に見る。


 ちなみに封じられた魔の物氏は、「『ああああい』よ。これぞ我が真の姿。我はこの老人に封じられし魔の物よ」と答えた。

 リューカが「そうっすね!がんばりましょう!」と頷き返す。


 そして恐らく……どんなボス戦に挑むよりも固い決意で、一行が一歩を踏み出した───その時だった。


「……っ」


 眩暈。

 一瞬だけぴしり、と亀裂が入るように、視界……つまり画面が歪む。少なくともロクトバにはそう見えた。

 時間にしてみれば一秒にも満たないそれだったが、嫌な予感がしてあたりを見回す。隣ではリューカも、そして眼前では主人公も、戸惑った様子で立ち止まっている。


 最後に背後……にいるはずの封じられた魔の物氏を確認しようとして、何故だかぎくりとした。

 その理由はすぐにわかる。抜群の存在感と威圧感を持つ漆黒の鎧が、己の視界に映らなかったのだ。


 ───その代わりに、ロクトバの目に映ったのは、とても小さく頼りなく、そして見慣れた姿。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 幾度聞いたか柔和な声と、しわが深いが優しい顔立ち。白い髪の毛と髭が特徴的の人物。

 この困難(クエスト)のそもそもの原因。今回のMVP。本来は生まれたばかりの孫に会うために移動するだけだったその人。


 ───おじいちゃん。


 その名を心の中で呼び、ロクトバは嘘だろうと天を仰いだ。

 「お」とリューカの口が開き、その後声は出さずにぱくぱくと開閉だけを繰り返す。

 小刻みに動くのが常の主人公が、珍しく完全停止した。


「どうして、なんで……今になって……」

「嘘、でしょう……」


 今にも天に召されそうな声を出したのは、ロクトバとリューカ、同時だった。

 クエスト開始時から繰り返した見た、【クエストに失敗しました。酒場へ戻ります】の文字が、ネオンで装飾されたようにちかちか点滅しながら、頭を巡った。

 胸を覆うのは絶望感。目の前に見えるのはもはや何とか登れそうだった山道ではない。地獄へと続く黄泉平坂であった。


 二人は気が付いていなかったが、実はここで『賢者の石』の効果時間……ゲーム時間にして24時間、が切れていたのである。

 『賢者の石』の特殊効果がバグっていたためだったのだが……まさかここで切れるとはなんという不運。

 その効果の終わりはロクトバのやる気の終わりでもあった。


「主人公くん、もう駄目だよ。戦力のない状態であの砦までたどり着けるわけがない」

「……私たちの実力じゃあ、ここの魔物は跳ねのけられないっすよ。諦めましょう……」


 リューカも、俯きながらぽつりと呟く。

 以前のサイクロプス戦ですら、手ごわさを感じたのだ。

 無敵戦艦こと封じられた魔の物氏がいない今、何が待ち受けてるとも知らない山で、主人公一行に勝ち目はない。


「主人公くん、リセットしよう……悔しいけれど、これ以上進むのはデータにも負担がか、か……る……?」


 負けを認めたロクトバが、違和感に気づいたのはそのセリフを言い切る前だった。

 視界……画面が微妙なリズムで揺れているような気がしたのだ。

 錯覚か、と幾度か目を瞬かせるが、やはり変わりはない。


 隣を見るとリューカも不思議そうに首を傾げ、主人公はあたりを見回しているのか体がぐるぐると動いている。


「え?なに?こわ?」

「ついにバグが画面にまで……?」


 やはり早くリセットを、否、一度電源を落としてと今一度言いかけたとき、ロクトバの横を何かが高速で横切った。

 ───背筋に走る嫌な予感。

 こんな光景を以前にも見たことがある。まだバグをバグだと感じていなかった、あの町の酒場前での嫌な思い出が脳裏を過る。


 見たくないと思いつつも、顔はその高速で動く影を追った。

 ロクトバの予想通り、その影は特徴的な白ひげをあごに蓄えている。場所に似つかわしくない微笑みをたたえた顔、そして冒険には向かない布の衣服。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 高速で遠ざかっていくその台詞に、ひゅっと喉を鳴らしたのは、己とリューカどちらが先だったか。


「お、おおおおお……」

「おじいちゃああああああんんんんんっ!!」


 二人の叫びは、轟く雷鳴も恐ろしい魔物の鳴き声も敵わぬほど大きく悲痛だった。

 腕を、指すらを真っ直ぐ、おじいちゃんが去っていた方へと向けるが、もはや届く位置はとうに過ぎ去っている。

 氷の上を滑るかのように、摩擦を感じさせないなめらかさでおじいちゃんは山へと近づいていった。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 不思議なことに手足は動いていない。直立不動である。

 不自然なほど真っ直ぐ立っているおじいちゃんが、お決まりの台詞と共に、不自然なほど早くぬるりと動いている。


 先に追いかけたのは、主人公だった。

 表情は変わらないが慌てたように赤マントをはためかせ、山のふもとへ向かって走り出す。

 我に返ったロクトバたちも真っ青になって後を追うが、それより先に、おじいちゃんの足が山の段差にかかった。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 ───転ぶ。手足をぐぎりとありえない方向に捻って、おかしな体勢で。


 それを覚悟して三人は再び息を飲んだ……しかし。


「……あれ?」

「……え?」


 その段差を、ぬるりとおじいちゃんは超える。

 勢いはそのままに、彼は険しい山道をやはり滑るようなスピードで登りはじめていた。まるでそこに斜面などないとでも言いたげである。


「おお、お主らが連れてってくれるのかい。こりゃあ頼もしいのう」


 幾度聞いたかわからないほど、耳に馴染んだ台詞。

 奇妙な光景に一同は僅かに呆け、しかしすぐにはっとした。


「待って待って待って!おじいちゃあああんっ!!!」


 叫びながら三人は後を追い続ける。もはやバグだとかリセットだとか故障だとか考えてられなかった。

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