第6話
エキサイティング、トランス爺
無言の道中であった。
固定台詞のない主人公はもちろん、ロクトバもリューカも何かを言うつもりになれない。
ただ黙々と、目的へと続く道を歩く。
最後の村を出てから険しい道だったが、山道に入ってからは草木も生えぬようになった。
切り立った崖が両側を囲み、地面は灰色がかった岩肌、空も鈍い色の雲がどんよりとかかっている。
荒んだ景色に心が冷えて、というわけではない。
無論、画面の向こうのプレイヤーに、決められた言葉しか告げられないから……というシステム上の理由でも無かった。
そういう次元の問題はとうに通り過ぎていると、───肩越しにロクトバは、背後に続く巨躯を振り返る。
「『ああああい』よ。これぞ我が真の姿。我はこの老人に封じられし魔の物よ」
「……」
「……」
「……」
「『ああああい』よ。これぞ我が真の姿。我はこの老人に封じられし魔の物よ」
唯一、この静寂の景色の中で、背後の大男……おじいちゃんから変化した、封印されし魔の物氏だけが喋り続けている。
幾度かリューカが「うるせえっ!」と切れかかったが、彼の台詞が途切れるわけではない。
恐らくこれも、先刻から続くバグの洗礼なのだろうが、今回は本当に性質(たち)が悪かった。
切れ続けて体力も気力も消耗したらしいリューカが、仲間キャラにあり得ない目つきで口を開く。
「封じられし魔の物さんってどうやったら死ぬんすかね……?」
「やめなよ、たぶん無駄だよ。不死属性だよ」
「おじいちゃんは簡単に…………だったのになあ」
「やめて。はたから聞いてたら殺人鬼の集団だよ。老人虐待だよ」
抑揚のない声でぶつぶつ呟くリューカの言葉につい頷きそうになったが、最後に残った倫理でいさめることが出来た。
自分がバグることを望むのならともかく、ゲームとはいえ他人の死を願うなど、絶対に口にしてはいけない。
───むろん、そうなれば気持ちがすごく楽になるんだろうなあ、とは思っていたが。
今回のバグの性質(たち)の悪さとは……見ての通り、おじいちゃん改め封じられし魔の物さんが死んでいないことである。
護衛対象が生きているのだから、クエストは失敗扱いにはならない。
いつもの文字とともに酒場に帰還せず、旅は続く。封じられた魔の物さんの姿もそのままに、一行はトリスタン砦に向かっているのだ。
ただ、明らかにラスボス付近の登場人物なのだろうなあ、と思う人物を連れて歩く心労は、今までの非では無かった。
「圧が……すごいっす……怖い……隣を歩きたくない……」
「すれ違う旅人さんが『え?それ仲間と違うんじゃない?』みたいな顔で見てたの、絶対忘れない」
「これから色んな街に行くたびに、『あいつらボスキャラ連れて歩いてたよなあ』みたいな目されるっすね……」
「やだああああ……」
ロクトバは自身の頭を手で押さえて、子供のように首を横に振る。
つい先ほどまでは「キャラ崩壊っす」とたしなめていたリューカは、もう何も言わなかった。
もちろん主人公に、二人のその葛藤が届くわけもない。
恨みつらみがこもった視線で、ロクトバは前を歩く赤マントを見つめた。
「この状態でよく先に進もうと思ったよなあ」
「もしかして、状況が面白くなっちゃってるのかもしれないっすね……」
「……やけともいうよね、きっとそれ」
モニターの前でプレイヤーはいったいどんな顔をしているのだろうと考えたが、案外自分たちと変わらないのかもしれなかった。
ここまで来て後に引いたら、今までの苦労が水の泡……そんな気持ちでコントローラーを握っているのだ、きっと。
自分たちと同じ苦労を、主人公が抱えていると思わなければやっていけない。
ゲームの正義側の思考とは知られたくないことを考えていると、不意に諸悪の根源たる赤マントの歩みが止まる。
疲弊しきっていたロクトバたちも、はっと身を強張らせた。
崖の間の空気を揺るがせる、人間とは思えない禍々しい叫び声を聞いたのだ。
ロクトバもリューカも、今までに聞いたことのない声。びりびりと鼓膜を震えさせる振動に、肌が泡立つ。
「なに……っすか?」
「わからない……でも、こんな恐ろしい声……、あ、あそこ!前だ!!」
険しい山道、その頂上。崖と崖の間にゆらりと、何者かの影が揺れる。
こちらからは、まだ豆粒のような大きさにしか見えない。しかし周りの岩に比べても、その身長は遥かに大きく、体格もいい。
ロクトバの胴回りほどもあるだろう、灰色の太い腕が、粗野なつくりの棍棒を握っていた。
───そして何よりも目立つのは、その影の顔に光る、ぎょろりと光る一つの目である。
「……サイクロプス」
行く手を阻むものの正体を、ロクトバが呟いたと同時に、再び咆哮が響き渡る。
魔物が、サイクロプスが吠え、こちらに向かって駆け下りてきた。
どしん、どしん、と魔物が一歩を踏み出すたびに、揺れる地面。動きは決して早くないが、歩幅が大きすぎる。
ロクトバが剣を抜き、補助魔法をその身にかけようとしたうちに、巨体は一行に向けて棍棒を振り上げようとしていた。
「リューカ、目を狙え!」
「了解っす!」
一つ目の魔物は総じてその巨大すぎる眼球が弱点である。
サイクロプスも例にもれず、目立ちすぎる弱点を突けば勝機のある相手だった。
……ただ、自分たちのレベルが適正値であれば、だが。
(戦ったことのない相手だ。主人公くんを含めても、僕たちじゃ相手にならないかもしれない……!)
リューカが次々と矢をつがえ放つが、サイクロプスは棍棒の一振りで、飛来するそれを簡単に撃ち落とす。
主人公とロクトバが補助魔法をかけ合い、隙を作るべく切りつけるが、なかなか決定打が入らなかった。
このままでは徒にこちらの体力が消費されるだけ……全滅のヴィジョンが、ロクトバの脳裏にぬるりと過る。
その時だった。
魔法攻撃に回った主人公に代わり、サイクロプスの攻撃を避けていたロクトバの目に、何かが映る。
硬質の鎧に守られた紫色の腕には、人の身長ほどの大剣が握られていた。
黒いその影は、驚きに寸の間目を見開いた己の隣に立つと、代わりにサイクロプスの一撃を受けとめる。
大気を揺るがすほどの轟音が鳴り響くとともに、巨体同士がにらみ合った。
「愚かなるものの臓物を闇の儀式へとささげてくれよう」
何だか血なまぐさくて怖いことを言ったのは、飛び出してきた黒い鎧の影。
まさかの手助けに、一同は思わず攻撃の手を止め、その名を叫んだ。
「ふ、封じられた魔の物さんっ!!」
「封じられた魔の物さん……!一緒に戦ってくれるんすか!?」
まるでヒーロー登場の場面、感動的シーンである。
しかし、ロクトバたちの脳内には「あ、封じられた魔の物さんって戦ってくれるキャラなんだ」、と冷静な考えが渦巻いていた。
単にどう反応していいかわからなかっただけだが、一同のそのはしゃぎように気をよくしたのか、封じられた魔の物氏はふっと短く笑う。
「我が障壁となるものは全て塵となるのだ」
冷たく告げて、彼は剣を横に振るう。
たいして力を入れたようにも見えなかった。
刹那聞こえたのは───じゅ、と水分が蒸発するかのような音。
半瞬遅れて、断末魔とともにサイクロプスの巨体が消滅する。
瞬きをする間もないその攻撃に、リューカの喉が「ひゅ」と鳴った。
しばし、静寂。後に残ったのは、何事もなかったかのような、荒廃した岩肌だけ。
他愛もない、とでも言いたげに、封じられし魔の物氏は大剣を腰の鞘へと納める。
攻撃とも思えない、まるでハエでも追い払ったかのように余裕を見せる封じられし魔の物氏を、しばらく三人は呆然と見つめた。
戦い終わった魔の物氏は、のそのそと元にいた位置……ロクトバとリューカの後ろへ戻っていく。
また少しの静寂があった。
「……やったあ。ロクトバさん。私たちは無敵の戦艦を手に入れたっすよ」
「えええ?ええ?えええええ???」
それでいいのだろうか?と言う気持ちをこめて、ロクトバはリューカを凝視する。
というか、先ほどと態度が違いすぎないだろうか。
確かに一撃でサイクロプスを消滅させた攻撃力を見れば、死を願っただけで反撃されそうで怖いが。
問い詰めたい気持ちもあったが、無の表情をしているリューカが何を考えているのかは、あまりわかりたくなかった。
(主人公くんもなんか……混乱しているのかな……?)
リューカから主人公へと視線を転じれば、慌てた様子で封じられた魔の物の周りをまわっている。
その行動が、「よく観察しておこう」なのか、「おめえすげえな!オラ気に入ったぞ!」なのかは判断が出来なかった。
頼むからワープの巻物の時みたいに突飛な行動をとらないでくれよ、と願いつつ……、ふとロクトバはメニュー画面を開いた。
確認するのはもちろん、自分たちの背後で異様な存在感を放つ、封じられし魔の物氏のステータスである。
(さっきは驚きすぎて、見る余裕は無かったからな……。うん、こっちもすっかり変わってる)
バグのせいで歩いただけでHPが減っていったおじいちゃんとは対照的に、魔の物氏のステータスは総じて高かった。
攻撃力も、防御力も、魔法耐性エトセトラ、一行の中で一番レベルの高い主人公よりも優れている。
この性能はやはり、終盤あたりで現れるキャラクターなのだろうということがよくわかった。
(確かにこれだけ見ると、リューカの言う通り無敵戦艦にも等しい……けど)
気になることが、一つある。
それは基本的な能力のことではなく、本来キャラクターの名前が記してあるはずの場所にある違和感。
己ならロクトバ、そして主人公ならば任意の名前(今は『ああああい』)と言う文字があるはずの場所に現れているのは、『ジーサ』。
つまり封じられし魔の物氏の名前は、いまだに……おじいちゃんのものである。
(この人の名前も『ジーサ』と言うのか……いや、きっとこれもバグ。封じられし魔の物さんは、まだおじいちゃんということなのか?)
頭がこんがらがりそうなことを考えつつも、ロクトバは嫌な予感が芽生えるのを止められなかった。
あるいは、遠い目をしながらぶつぶつ言っているリューカも、怖いくらいにぐるぐる回ったままの主人公も、同じものを感じていたのかもしれない。
───もしかして、自分たちはとんでもない爆弾を抱え込んでいるのではないか?
ロクトバの額に汗が浮かび、背中にはっきりと悪寒が走る。
ちらりと視線だけで、この初期パーティに相応しくない巨漢の男を振り返った。
無論その険しい顔からは、不安を和らげる言葉も、バグへの解決策も伝えられない。
三者三様、抱えるものがありながらも、しかしパーティは出発した。
いつまでもここにいるわけにもいかない。
よろよろと隣を歩くリューカが、今にも消え入りそうな声で告げてきた。
「……ね、ねえ、ロクトバさん。もしこのバグで、セーブデータが全部消えたら、ううん、ゲームデータ自体がおかしくなったら……」
「大丈夫、大丈夫だよ……。そう簡単に世界が消えたりするもんか」
歯噛みしながらのロクトバの慰めは、芽生えた不安において何の意味も持たなかった。
セーブデータのロスト。
それだけだったら、まだいい。画面の前のプレイヤーだけが、コントローラーを投げ出して頭を抱えるのみだ。
しかしゲームプログラムそのものの故障。
これはこの世界そのものの消滅を意味する。
ロクトバも、リューカも、主人公も、街の人々、魔物たち、何もかもが消えてなくなる。
だからゲーム制作会社は口をそろえて言うのだ。
───バグ技、改造等は、ご自分の責任で行ってください。弊社は一切の責任を負いません。
(くそ、何も起きないでくれよ……!)
祈るロクトバの表情は、当たり前に険しい。
だが道中は自分たちが考えていたよりも、ずっと楽でスムーズなものであった。
封じられし魔の物氏が、飛び掛かる魔物たちを、千切っては投げ千切っては投げを繰り返してくれたおかげである。
主人公たちは剣を抜くこともしなかった。
そして数十分後……。
一行はついに目的地、『トリスタン要塞』へと到着することになったのだった。
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