【第2章】反転

第3話

 4.


「何が狙いだい?」ノワールが声をやや低め、「隠さず、整理して、聞かせてもらおうか」

「そうだな、まず――」室長は小首を傾げて、「――〝フィラデルフィア計画〟、というものを知っているかね?」

「〝不可視化実験〟?」ノワールが軽く細めて眼。

「そう、レーダから〝消える〟実験だよ」室長が立てて指一本。「結果から言おう。〝不可視化〟という目的は達せられた。レーダどころか、眼でも捉えることは不可能だった。予想を超えた成果とさえ言っていい」

「駆逐艦〝エルドリッジ〟だな?」ノワールから凄み。「都市伝説ってことになってるけど?」

「貴重な技術だ」室長は小さく首を振りつつ、「それにスキャンダルでもある。〝なかったこと〟にしたくなるのは当然じゃないかね?」

「〝貴重〟?」ノワールが室長へ、一歩。「乗組員の惨劇を棚に上げて?」

「ある者は壁に融合し、ある者は蒸発し、」室長は指を一本づつ立て、「ある者は凍結し、そしてある者は発狂した」

 ノワールの眼尻に嫌悪の動き。「それでも実用化を?」

「結果があるからには――」室長は片頬を緩めてみせて、「――当然のことに原因がある。そして原因を知らなければ、策を講じることもできない」

「で、」ノワールが室長へ、さらに一歩。「悪魔を呼び込むようなものを見付けた?」

「ご明察」室長が指を一つ鳴らし、「彼らは実に協力的だよ」

「魂を売れば」眉をひそめつつノワール。「そうなるだろうさ」

「だが、」室長は軽く両手を合わせ、「〝自分の〟魂を、しかも〝売り渡す〟とは――限らない」

 ノワールは鼻を一つ鳴らして、「〝実験台〟の魂をかい?」

 室長の頬に苦笑が一つ。「〝殉教者〟と呼んでくれないかな」

「〝殉教〟?」ノワールが両眼をはっきり細め、「悪魔崇拝の教団でも呼んだのか?」

「崇高なる理想に報いるには、」室長が頬を緩めて、「相応の願望を叶えなくてはね」

「何を、」ノワールは声をさらに低めて、「考えてる?」

「相互利益」室長は悪びれ一つも見せず、「君の利益になるかも知れん。願望を話してみる気はないかね?」

「訊いているのはこっちだよ」ノワールが軽く掲げて刃。

「それは残念」室長は大仰に肩をすくめた。「君の抱え込んだ魂、相談に乗れると思ったんだが」

 ノワールの動きが――止まる。視線に棘。手に力。

「観測結果は――」ゆっくりと、室長の眼が、笑む。「――嘘をつかない。いま君の身体には、2つの魂が宿っているね?」

 ノワールからは、沈黙の圧。

「お節介を承知で話そう」鷹揚に室長。「かの神の子が死から復活を果たしたのは〝3日目〟だ。その意味を?」

 ノワールは、ただ一睨み――から小首を傾げる。

「それが限界、ということだよ」室長が小さく頷きながら、「死した魂は主――私の解釈するところでは、〝大いなる魂〟へ還っていく。〝個〟を――自我と呼んでもいい――保てなくなるのは、〝3日目〟というわけだ。つまり48時間から72時間後ということになるな」

「何が言いたい?」ノワールの声は、地を這わんばかりに低い。

「力を貸せるかも知れない、と――」室長は口角を吊り上げた。「――私はそう言っているんだよ」

 間を置き、ノワール。「――何をやる気だ?」

「魂を」そこで――室長の笑みが消えた。「自我の檻から解き放つこと」

「言葉が」ノワールが眉をひそめる。「足りないな」

「つまりこうだ」室長が片眉を踊らせる。「駆逐艦〝エルドリッジ〟とその乗組員は、〝個の壁〟を解除されたんだよ――一時的にね」

 ノワールは胡散臭げに、「〝個の壁〟?」

「存在を縛る〝壁〟のことだよ」室長がノワールを静かに見据える。「生物に限って言うなら、〝魂の壁〟と言い換えてもいい。自我を保ち、同時に他者を拒む最後の砦――と言えば解ってくれるかな?」

「それが?」問うノワールの声から感情が覗く。

「〝フィラデルフィア計画〟の副産物というわけだ」室長が大きく頷く。「人為的に魂を解放する可能性というわけだね」

「〝可能性〟?」ノワールの顔が、白い。

「私はうぬぼれてはいないよ」指を一本、室長が天へと向けた。「神の御業、悪魔の所業、この手だけで自在に再現できるとは思っていないさ」

「だが、」起伏を欠いてノワールの声。「悪魔はそこに食い付いた――違うかい?」

「その通り」室長は頷き一つ、「彼らにしてみれば、〝契約〟なるものは〝魂の壁〟をすり抜けるための儀式らしいからね」

「僕がその話を外に洩らせば、」ノワールは片頬に嘲笑一つ、「君はなぶり殺しにされるだろうね」

「その頃には、」室長が掌をノワールへ。「君も自我を失っていることだろうね。進むも堕ちるも一蓮托生、猶予は最大72時間。考える時間が必要かな?」

「その前に話してもらおうか」ノワールが、言葉を並べる。「どこで悪魔と渡りを付けた?」

 そこで室長は眉を踊らせ、「今さら隠すことでもないな。〝忘れられた教会〟……」

 その言葉。間を詰める。ノワール。室長の襟を引っ掴む。「どこだ!?」

「ここから、南」室長が掌を南へ向けた。「ウィックロゥ州――グレンダロッホと言えば解るかな?」



 5.


「グレンダロッホ、か」ノワールがシートへ背を預けた。

 古式ゆかしいミニ・クーパーのハンドル向こう、伸びて国道N11号線。天には重く雲の色。

〈休まなくて、いいの?〉ヴィオレッタの気遣いが、文字通りに魂へと響く。

「時間がないんだ」ノワールの声には疲労が滲む。「僕が自我を失ったら、君はどうなる?」

〈ノワールと……〉ヴィオレッタに、寂しげな笑みの気配。〈……一つになるだけよ〉

「こう見えて僕は欲張りでね」ノワールは片頬だけを緩めて、「ハッピィ・エンドが好みなのさ」

〈でも、〉ヴィオレッタの声が沈む。〈私の戻るところはもう……〉

「確かに君のいたスマートフォンはね。もうスクラップになったさ」そこでノワールの声に張り。「だけど、君が行く先ならある。〝セフィロトの樹〟の儀式を完成させれば、君は晴れて救われる――単に制限時間が付いただけさ」

〈クリムゾンが――心配?〉気遣わしげにヴィオレッタ。

「僕は欲張りだって言ったろう?」ノワールが柔らかく、「救いたいのさ、君を――この手で」

〈……〝魂の純度〟……〉

「その話はまだだ」低くノワール。「この件が片付いたら、きっとその時は……」

〈……ごめんなさい……〉かすかにヴィオレッタ。

「……何か、あるんだね?」ノワールの声が鋭さを帯びる。

〈……〉言葉を選ぶような、間。〈……教団のこと、何か判るかも知れないわ。休憩ついでにネットを覗かない?〉

「なるほどね」ノワールが思い当たったように、「君は今ネットに繋がっていないんだったね――いいだろう、代わりのスマートフォンだけでも調達しておこうか」


〈ネット、〉ヴィオレッタは思い当たったように、〈この状態で上手く潜れるといいけど〉

「その時はその時さ」プリ・ペイド端末片手のノワールが駐車場のミニ・クーパーへ乗り込みながら、「それに多少しくじっても、君の本体じゃなければどうとでもできる」

〈物騒に聞こえるわ〉ヴィオレッタから苦笑の気配。

「穏やかじゃないけどね」ノワールはスマートフォンへ契約コードを入力、「想定外はいつものことさ――さぁ、繋がった」

 スマートフォンにインターネットの検索ページ。

〈じゃぁ、〉ヴィオレッタが切り替える。〈端末に意識を集中してみて〉

「こう、かな?」ノワールはスマートフォンを睨み付けた。

〈そうね……〉ヴィオレッタは思案しながら、〈……手応えはあるわ。どちらかというと、眼より掌で意識してみて〉

「なるほど」ノワールは意識を掌へ。「こう?」

〈……いいわ、〉ヴィオレッタが明るい声で、〈捉えた!〉

 途端、ノワールの意識へ割り込むものがある。「何、だ……!?」

〈感覚があるの!?〉ヴィオレッタは驚嘆の声から一転、〈そうね、今の私達なら不思議はないわ。ちょっと待ってて〉

 その間にも、ノワールの感覚が目まぐるしく変わる。見覚えのある、視覚情報へ――。

〈〝視え〟る?〉ヴィオレッタが気遣わしげに、〈人間の感覚に近付けてみたんだけど〉

「ああ……」ノワールの口から感嘆が洩れた。「……これが、君の〝視て〟いる世界?」

〈の、〝翻訳〟に近いわね〉ヴィオレッタは安堵を滲ませて、〈無茶しなければ、ノワールにも伝えられるわ――こんな感じで〉

「じゃあ、」ノワールが思い至ったように、「グレンダロッホの悪魔と〝契約〟している人間も探せるかい? 例えば位置情報や、基地局のアドレスを使えば辿れるはずだ」

〈そうね――ちょっと待って〉ヴィオレッタが周辺地理のイメージに輝点を複数。〈ここから捉えられる〝契約〟者の〝気配〟よ〉

 首都ダブリンに強い輝点が2つ3つ、弱いものが20強。郊外へ下るに従ってその密度はすぐに減り――、

「〝気配〟が、ない?」ノワールからは怪訝声。「グレンダロッホに?」

 ダブリンから南へ下ること60キロほど、グレンダロッホ教会遺跡に輝点は――ない。

〈でも、事実よ〉ヴィオレッタも困惑気味に、〈ネットを介して〝視る〟限りは。確かに人口密度は急に下がるし……〉

「だけど、」ノワールが指摘、「ダブリンにしか悪魔がいない、ってわけでもない」

 事実、まばらながらも〝契約〟者の〝気配〟はアイルランド全域に散っている。

「そう簡単に〝気配〟を見せないってことは、」ノワールの声に興味の色。「それなりに格の高い悪魔がいる、って可能性もあるね」

〈何か考えが?〉ヴィオレッタが声を向ける。

「カメラはどうかと思ってね」ノワールの声は笑み含み。

〈ネットの写真?〉ヴィオレッタの声は疑い半分。

「もっといいものがある」ノワールが片頬に笑みを浮かべて、「観光客の記念撮影さ。悪魔自身の姿は隠せても、周囲の空気感や気流はごまかせない。違うかい?」

〈そんなに都合よく?〉そこでヴィオレッタが、〈ここから〝視え〟る……あ!〉

「あるだろう? ネットに繋がるカメラ――」ノワールはそこで声を低めた。「――つまり、スマートフォンがね」

〈じゃ……!?〉ヴィオレッタも低く声。〈もしかして……!?〉

「そう――あるいは、」ノワールがそこで眼を細めた。「信者のものが」

〈ちょっと待ってて〉ヴィオレッタが勢い付く。〈グレンダロッホ周辺のスマートフォンとリンクするわ〉

 ノワールの意識へ、画像が群れを成して現れた。観光客の記念写真。

〈〝視え〟る?〉気遣わしげにヴィオレッタ。

「ああ、〝視え〟るよ」ノワールが頷く。

〈じゃ、本気を出していくわね〉ヴィオレッタが注意深く、〈気が付くところがあったら教えてくれる? 意識で教えてくれれば拾うから〉

「いいとも」ノワールが唇の端をなめた。「始めてくれ」

 切り替わる。画像の群れ。ほぼ瞬間のスライド表示。

 ノワールが集中。意識を張り巡らせる――気配が一つ、また一つ。

〈いいわ――やれる!〉ヴィオレッタが小さく快哉。

「よし、この、調子……!」ノワールの声が、しかし失速。

〈大丈夫?〉ヴィオレッタが気付く。〈疲れが……!〉

「まだだ……」ノワールが呻く。「まだ……」


「!」ノワールの眼に薄暮の車内。

〈眼が覚めた?〉柔らかくヴィオレッタ。

「何時だ!?」ノワールが左手首のミリタリィ・ウォッチへ眼を投げる。「くそッ、寝落ちしたか……!」

〈焦らないで〉ヴィオレッタはなだめるように、〈どっちにしろ疲れてたんだから、むしろちょうどいいわ。私も引きずられてたみたいだし〉

「そう、か……」息をついたノワールが、そこで思い当たった顔。「待てよ、教団が動くとすれば……」

〈多分、真夜中からでしょうね〉ヴィオレッタが語尾を継ぐ。〈むしろ、今から動いたくらいでちょうどいいと思わない?〉

「ということは……」ノワールが声に期待を込める。「教団に動きが!?」

〈もう一度、〉ヴィオレッタが促す。〈端末に集中してみて〉

 ノワールが手の中のスマートフォンに集中――するなりイメージが浮かんだ。グレンダロッホ近隣、基地局の位置と、そこに繋がる端末数。

〈カメラからの収穫はそこそこだったけど、〉ヴィオレッタが気持ち明るく、〈端末の反応がね、どう見ても観光客の数より――多いのよ〉

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