第4話
6.
「グレンダロッホの教会は、」宵闇の中、ノワールは石積みの門を前に立つ。「外敵から身を守る砦――という側面もあったそうだね」
〈眼の調子はどう?〉ヴィオレッタが念を押す。〈私の魂が入って夜眼は利くと思うけど〉
「調子は上々だよ」頷き一つ、ノワールは歩を進める。「前にも増してよく見える」
〈よかった〉ヴィオレッタの安堵の気配。〈相性が悪かったりしないかと心配してたの〉
観光用に整備された小径を踏んで、ノワールは門の内側へ。
「実際、」ノワールは門をくぐりながら、「この門だって明かりがなくてもよく見える。元は防壁の上にあったって話だけど」
〈でも、〉ヴィオレッタから指摘の声。〈砦として造られた教会は他にもあったって話よね〉
ノワールの感覚へ、グレンダロッホの観光案内。
「そう、」ノワールが歩を刻み、見張りの塔であったとされる円形の塔――ラウンド・タワーへ眼を向ける。「バイキングの襲来やイギリスの支配下で、大部分は破壊されたそうだね――でも、ここは破壊を免れた」
〈〝忘れられた〟から?〉ヴィオレッタから確認の声。
「そう伝えられているね」恐れず、隠れず、ノワールは前へ歩を刻む。「何か重なると思わないかい? ――〝忘れられた教会〟という、その名前に」
〈つまり、〉ヴィオレッタが返して、問い。〈〝忘れられる〟ための技術とか?〉
「そう、」ノワールはラウンド・タワーを軽く見上げて、「あるいは〝視えなくなる〟技術とか、さ。そのニーズが現代でも生きているとなれば、〝フィラデルフィア計画〟に興味を持つのも納得がいくってもんだ」
足を進め、小道を辿り、ノワールはラウンド・タワーの足許へ。
「そもそも襲撃される理由ってものを考えれば、」30メートルはあろうかという塔を、ノワールは見上げる。「そこに財宝や、さもなきゃ〝秘密〟が隠されているからだろう――ってくらいには、予想も働くもんじゃないか」
おもむろに、ノワールが――振り返る。「違うかい? 悪魔崇拝の信者さん達――いや、〝忘れられた教会〟のご一行、と言った方が正しいのかな?」
そこで、闇に、気配が――複数。「やけに肝が太いな」
「なに、」肩をすくめつつ、ノワールが踵を返す。「隠すまでもないからさ。ダブリン大学から連絡は受けているんだろ?」
「背後から襲われるとは思わないのかね?」進み出たのは――黒いローブの男が一人。
「その気なら、」ノワールは不敵に、「とっくの昔に襲ってきているんじゃないかな? それ以前に、どこぞの〝室長〟さんが僕に〝紹介〟したりするわけないけどね」
「大した自信だな」黒ローブには笑みの気配。「何が望みだ?」
「〝セフィロトの樹〟の悪魔、」ノワールは声を一段低めて、「君たちなら知っているんじゃないかな――どこにいる?」
黒ローブは軽く肩をすくめて、「ほとんどを狩り尽くしておいて訊くことかね?」
ノワールは眼を細めながら、「全部じゃないさ」
「狙いは、と訊くところだが――」黒ローブは風と受け流して、「――訊かずとも実に判りやすいな。〝セフィロトの樹〟の儀式かね?」
「話が早い」ノワールが小首を傾げる。「残る悪魔は1体。どこにいる?」
「知ったとして、」黒ローブには苦笑の気配。「君には辿り着けんよ」
「じゃあ、」ノワールは毛ほども動じず、「喚び出すことだね」
「応じるとでも?」黒ローブが鼻白む。
「痛い目に遭いたいのかい?」一歩、ノワールが進み出る。「僕はいま、虫の居所が悪くてね」
「では質問を変えよう」黒ローブは動じた気配も見せず、「訊いてどうするね?」
「君に話すことじゃない」断言、ノワール。
「教えてもいいが、」粘り付くような声で、黒ローブ。「どこの悪魔を――玉座に据えるつもりだね?」
「〝玉座〟?」ノワールが眉を踊らせた。
「おや、」黒ローブの声は嘲笑含み。「まさか――知らないのかね?」
「魂に」ノワールの声がさらに低まる。「肉体を与える儀式のはずだ」
「〝審判の日〟でかね?」嗤って黒ローブ。「あぁなるほど、抜け殻の肉体なら確かにいくらでも手に入るわけだ。あながち嘘というわけではないな」
「何が言いたい?」なお不穏にノワールの問い。
「そのままの意味だよ」黒ローブは歌い出さんばかりに、「我々としては面白くないがね。〝審判の日〟――長年の悲願を、横からさらわれるわけだからな」
「何の、話だ……!?」唸らんばかりにノワール。
「なるほど、本当に知らないようだ」黒ローブは小さく首を振りつつ、「我々が相手にしているのは、どんな顔をしていようが悪魔だということだよ。ならば老獪や狡猾こそ、もって対するべきものではないかね?」
そこでノワールが詰め寄った。「何の話だと訊いている!」
「〝セフィロトの樹〟とは、」一方の黒ローブは涼しい声で、「異界を織りなす悪魔の〝力〟、その勢力図に他ならない。皮肉なことに神秘主義者どもは世界の一端を言い当てていたわけだ――悪魔の世界のことではあるがね」
「その〝セフィロトの樹〟の〝力〟を集めれば、」低く、重く、ノワール。「さ迷う魂を肉体へ返すことができるはずだ」
「なるほど」黒ローブは小さく息を洩らして、「さしずめ、君の中にいる〝2人目〟に――肉体を与えようとでもいうのかな?」
「質問に答えろ」ノワールの声が静かに滾る。
「答えるとも」黒ローブは声に笑みすら含ませて、「〝地獄の門〟を開こうというわけだな」
「〝地獄の門〟?」ノワールに戸惑い。「何の話だ?」
「知らないかね?」黒ローブは興味深げに、「魂を肉体へ喚び戻す儀式だよ」
ノワールの声に戦慄が兆す。「〝セフィロトの樹〟の儀式じゃないのか?」
「確かに〝セフィロトの樹〟の儀式を完成させれば、」諭すように黒ローブ。「手に入る〝力〟は〝地獄の門〟に不足ない――ただし」
「〝ただし〟?」ノワールが眉をひそめた。
「ただし、」黒ローブが大きく頷く。「鍵が要る――人の世から〝地獄の門〟を開くには」
「僕はいま虫の居所が悪いと、」ノワールは嫌悪も露わに、「さっき言ったつもりだが?」
「では結論から伝えよう」黒ローブは楽しんでさえいるように、「人間を表す〝獣の数字〟666、これだけの数の、魂が……」
「生け贄を!?」ノワールが声を尖らせた。
「有り体に言えばな」黒ローブはまっすぐノワールへ、「しかし誰の魂でもいいというわけではない」
「まだ先があるのか」ノワールが奥歯を軋らせる。
黒ローブは指を一本立てて、「そう、〝魂の純度〟が高くなくてはな」
7.
「何……だって……?」ノワールが絶句。
〝魂の純度〟――クリムゾンの手紙にもある。『〝魂の純度〟を研ぎ澄ませ』、と。
「〝魂の純度〟だよ」黒ローブがことさらゆっくりと、「聞いたことはないかな?」
「……」ノワールからは、灼け付くような眼の光。
「神とは即ち幻想に過ぎない。事実、奇跡など心から信じている人間がどれほどいるか――という話だよ」諭すように黒ローブ。「だが人間の心は弱い。幻想と解っていてもなお、心では神の救いを求めてやまない――愚かだとは思わないかね?」
ノワールはただ、拳を固める。
「もちろん例外も、人間の中には存在する」黒ローブは小首を傾げつつ、「神の不在を直視し、ありもせぬ〝神の力〟などに頼らず、〝現実の力〟のみをもって物事に当たる〝意志の強さ〟――これを称して〝魂の純度〟というわけさ」
「それを……」ノワールからはかすれ声。「……意志の強い魂を、生け贄に?」
「現世から〝地獄の門〟を開くには、欠くことのできない〝鍵〟というわけさ」黒ローブが鷹揚に頷き一つ、「この〝魂の純度〟という概念は永らく失われたままだった――かの悪名高い〝魔女狩り〟でね。〝セフィロトの樹〟と〝地獄の門〟を独占しようとした王侯貴族が火種だが――何とも見事な集団ヒステリィにまで発展したものだな」
「その話が、」ノワールが小さく声を置く。「質問とどう関係するんだ?」
「ここからだよ」黒ローブが口角を大きく上げて、「この〝魂の純度〟という概念を――再発見した者がいる」
「話を引き延ばすのが目的なのか?」ノワールの声が凄みを帯びる。
「〝地獄の門〟の鍵を再発見した功労者だよ? これを称えずして何とするね?」黒ローブの声が粘りを増す。「その名を、君も耳にしたことはないかな? ――〝ヴィオレッタ〟」
瞬間、ノワールの眼に力。奥歯が軋り、筋がこわばり、全身に静かな悲鳴が満ちる。
「実に興味深い」黒ローブから鷹揚な拍手。「〝室長〟から話は聞いているよ。君は我々に何を望む? 〝魂の救済〟? 〝審判の日〟? それとも不毛の大地でアダムとイヴでも気取ってみるかね?」
「……答えろ!」ノワールは奥歯をすり潰さんばかりに、「〝セフィロトの樹〟の儀式を完成させたら……!!」
「〝セフィロトの樹〟の儀式を完成させた悪魔は、我々が呼ぶところの〝完全体〟へと進化する。その〝力〟は絶大だ」そこで黒ローブは指を一本立てて、「その〝力〟で、あらゆる悪魔が、現世へと姿を現すことが可能になる――〝儀式〟も〝契約〟も必要なしにね。これこそ〝審判の日〟というわけだ――この意味を?」
「世界中の、魂が……?」ノワールの眼にはただ怒り。
「そう、悪魔は〝満足〟という感情を知らないからね」黒ローブは大きく頷いて、「現世の魂という魂を貪り尽くすだろう――これで答えになったかな?」
「止める手立ては!?」ノワールがコンバット・ナイフをかざして、「――〝セフィロトの樹〟を! その儀式を!!」
黒ローブはノワールの眼を見据えつつ――頬を吊り上げた。「揃えさせなければいい――〝セフィロトの樹〟に相当する〝10の柱〟と〝22の小径〟を。もっとも今は、最後の1柱を除いてどこぞの悪魔が握っているがね」
「……クリムゾン……!!」地を這うような、ノワールの声。
「君にはそう名乗っているわけだな?」黒ローブは頷きを返して、「では、その〝クリムゾン〟を――その存在を滅ぼしたまえ」
ノワールが眉をひそめる。「滅ぼす、だと……?」
「『そんなことが可能なのか?』――そう言いたそうな顔だな」黒ローブが掌をかざして、「まずはその理由から語ろうか。悪魔の魂は再生を繰り返す。つまり肉体が滅びようとも、心は存在し続けるわけだ。〝完全体〟への野望もね」
ノワールが小首を一つ傾げる。黒ローブが言を継ぐ。
「つまり魂ごと滅ぼさなければ、いずれまた危機は訪れるというわけさ。そしてその方法だが――聞くかね?」
沈黙――の奥からノワールが頷く。
「悪魔を征するなら、悪魔をもって臨むほかない」黒ローブは大きく頷きを見せて、「例えば悪魔の血、例えば悪魔の爪」
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