第2話
3.
「お邪魔します」
ノワールがドアにノックをくれると、ものの数秒で相手が出た。中背な身体、白衣の下にははっきり筋肉の存在感。名札の肩書きには『研究員』とある。
「あなたが、取材の方?」にこやかに研究員。
「ええ。本日はよろしくお願いします」ノワールも笑顔で掌を差し出した。「二つ返事でご快諾いただいて、本当に助かりました」
「うちの室長が珍しく上機嫌でしてね」研究員がノワールの掌を握る。「是非実験場をご案内したいと」
「これは嬉しいですね」掌を握り返してノワール。「僕も楽しみにしてたんですよ。『電磁気から見る生命活動』――この研究論文を見付けて興奮しましてね」
「理解して下さる方がいるってのは最高ですね」そこで研究員は背後を示し、「ではこちらへ――『オカルトじみてる』って、学会じゃもう散々で」
「『火のないところに煙は立たない』じゃないですか――あぁ、噂じゃなくて、『事実があるところには兆候がある』って意味なんですが」研究員の背後、ノワールは多弁を装いつつ、「科学が生命の原理を捉えたとなったら、世界が引っくり返りますよ」
「嬉しいお言葉です」研究員が肩越しに笑顔を一つ、奥のドアへとノックをくれた。「室長、取材の方をお連れしました」
「あぁ、お通ししてくれるか」ドア向こうからは、興奮気味な声。
「入ります」一言の後に、研究員がドアを開けた。
書類棚に埋もれるかのように、細身の研究室長が安くない紅茶を淹れていた。
「初めまして、室長」進み出たノワールが掌を差し出す。「ノワールと申します」
「お待ちしておりましたよ」ポットを置いた室長がノワールへ向き直る。「私の研究室を挙げて歓迎させていただきます」
「素晴らしい研究です」ノワールも心持ち声を浮かせて、「今回の取材を通して、少しでもお力添えできればと」
「では、是非とも間近で実験をご覧いただきたいですな」室長は繰り返し頷きながら、「私は準備の指揮を執ります。実験開始まで、研究員をご案内に付けましょう」
「これは――」ノワールが感嘆の声を上げる。「――テスラ・コイル?」
地下実験場、周囲を取り巻く塔の列。
天井は決して高くはないが、空間のほとんどをテスラ・コイルが埋めている。
「よくご存じですね」研究員は笑顔を見せる。
「ニコラ・テスラが〝世界システム〟構想の根幹に据えていたと記憶しています」ノワールは周囲を見回しながら、「通信だけでなく、電力も遠隔転送できるとか」
「その通りです」研究員が満足げに頷き、「基本構造は高周波で高電圧を実現できる変圧器ですが、ここのは増幅率に性能を特化させたものです」
「増幅率、ですか」ノワールが眼を研究員へ。
「そう、電磁場の」暗転。「とびきり強力なヤツですよ」
閃光。放電。場が歪む。視界に緑。微光が滲む。
見やる。研究員。姿が霞み――黒い霧。
ノワールが腰を沈め――かける間もなく。
裡から、感触が、爆ぜて、ぼやけ――、
灼熱が刺す。
酷寒が抉る。
臓腑が煮える。皮膚が溶けゆく。
視覚がただれ。味覚が潰れ。聴覚が這い。触覚が裂け。嗅覚がのたうち。
遮るための腕はない。
逃げ出すための足もない。
遮る瞼も。叫ぶ喉も。耐える理性も。支える心も。
墜ちる。落ちる。堕ちていき――。
〈……ル……〉
覚えのある声。
〈……ワール……〉
涼やかな、それでいて寂しげな……、
〈ノワール!!〉
聴こえた。意識へ――ヴィオレッタ。
『……〝エルドリッジ現象〟は?』聴覚、研究員の声が揺らぐ。
ノワールの頬に硬い感触――床と知る。
「観測したよ」室長の声には笑みの色。「しかも反応が2つ。〝魂の壁〟は解除したはずだが」
全身の感覚が揃わない。ノワールの中で意識が逸る。
『〝が〟?』研究員の声が尖る。『〝喰い〟損ねたぞ。何か問題が?』
〈答えなくても大丈夫。私が右眼の〝封印〟を解くわ、あと2秒!〉
「反応が重なったんだよ」室長の声が喜悦に滲む。「〝憑依〟か、うまくすれば〝融合〟して……」
〈1!〉
『違う!』研究員の声が低まる。『もう1人はどこに!?』
〈今よ!!〉
鋭く意識。みなぎる力。跳ね起き、地を蹴り、跳びかかる。室長の襟首を――遮る、影。研究員。
白衣の右肩を引っ掴み、ノワールが再び地へ力。研究員を支えに跳び上がる。高く宙――から身をひねり、室長の右斜め後ろへと。
着地。深く沈んで溜めてバネ、右手に銀のコンバット・ナイフ。
正面、研究員。振り向くその眼に昏い、光。脈打つ。悪魔の証。
地を蹴る。鋭く下から伸び上がる。室長をかすめ、悪魔へ向けて、衝き出す。刃。脇の腹。
悪魔が防ぐ。右の腕。なお衝く。力。抉り込む。
低い声。苦悶の色。悪魔の右腕が霧と散り――代わりに時間を稼ぎ出す。逃れた。悪魔。横へ跳ぶ。
低くノワールは肩から受け身。一挙動で構えを低く取る。
悪魔は一転、向き直――りかけたところへ。
地を蹴る。ノワール。間を詰める。
咄嗟。悪魔。左の掌。圧を撃つ。
踏み込む。ノワール。深く。低く。くぐる。迫る。左の胸へ――。
捉える。刃。衝き込む。奥へ――心臓へ。
叫びが上がる。悪魔がのたうつ。なお押す。ノワール。押し倒す。
仰向けの悪魔にノワールが馬乗り、心の臓をナイフで抉る。
『愚か……な!』苦悶の中から悪魔。『……我々を……甘く!』
悪魔が左手をノワールへ伸ば――そうとしたところで。
掴む。ノワール。悪魔の手首。握る。締める。締め上げる。悪魔の瞳が驚異に染まる。
『貴様……』悪魔の瞳、光が弱る。『この……腕力……まさ、か……』
無言。ノワール。ナイフに力。悪魔の身体が力を――喪う。滲む。霧と散る。
深く、息――。
ノワールの耳に、鷹揚な、拍手――。
横目に白衣。一睨み、疲労をノワールが噛み殺す。重い身体に気力を一つ、地を踏みしめて立ち上がる。
「お見事」室長の瞳に敵意はない。むしろ興味の色がある。
「光栄だね」ノワールは棘を隠さない。「その調子じゃ、色々と話してくれるのかな?」
「紳士的だね」室長は穏やかに笑んでみせ、「その眼を使えば、何もかも見通せるだろうに」
「荒事はあまり好みじゃなくてね」ノワールが軽く掲げてコンバット・ナイフ。
「いいとも」室長が両の肩をすくめて、「さて、何から訊きたいかね?」
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