Reversal ~Fake(Vol.2)~ (C)Copyrights 2021 中村尚裕&焔丸 All Rights Reserved.
中村尚裕
【第1章】暗転
第1話
1.
暗闇の枕元に、着信音――。
一挙動。手に取る。スマートフォン。ノワールの声はすでに鋭い。「ヴィオレッタ? 何があった?」
『ノワール!』電話越しに女――ヴィオレッタの緊張が伝わる。『クリムゾンの気配が消えたわ!!』
「解った」跳ね起き、ノワールは寝室を出る。
電話に出たまま居間へ。風の肌触り。窓辺でカーテンが揺れていた。
「相変わらずだな」ノワールが居間の明かりをつける。「こういう時ぐらい……ん?」
違和感――。
ソファの前、テーブル上――メモが一枚。
「書き置き?」ノワールがメモへと手を伸ばす。
『クリムゾンが?』電話向こう、ヴィオレッタの声も訝しげ。『わざわざ?』
メモには流麗な筆記体。
◆
ノワールへ。
〝最後の一体〟を取り逃がしたのはまずかった。
どう足掻いたところで人間は人間だ。神という他力に頼るような弱い存在に過ぎない。
足を引くならいないほうがマシだ。ここからは私一人でやる。
心配しなくとも、〝セフィロトの樹〟はこの手で完成させる。
後を追うつもりがあるなら、〝魂の純度〟を研ぎ澄ませてから来るがいい。
忘れられた教会まで辿り着けたら、その時は打ち明けることもあるだろう。
クリムゾンより。
◆
「間違いなくクリムゾンの筆跡だ」ノワールはスマートフォンを会話モードへ切り替え、メモへとかざす。「ヴィオレッタ、見えるかい?」
『……!』ヴィオレッタが息を呑む。
「……そういうことか」ノワールが眉をひそめた。「僕が知らなくていいはずの単語がある――そうだね?」
『……でも……いえ、』消え入りそうにヴィオレッタ。『聞いて……ノワール……』
「話さなくていい」ノワールが割り込む。
『でも……!』言い募るヴィオレッタ――そこへ。
「僕は君を救けたいんだ」断言、ノワール。「君の肉体を蘇らせて、魂をこのスマートフォンから移してね」
『ええ、その気持ちは嬉しいわ』ヴィオレッタの声には複雑な色。『でも……』
「そう、これは僕の意志だ」ノワールはなだめるように、「身勝手な願望さ。君が僕のところへきた時からの、ね」
『……でも……』思い詰めた声でヴィオレッタ。『やっぱり隠しておけることじゃ……』
「その時がくれば、」遮るノワールの声も苦い。「僕も全てを受け入れるさ――だけど今はその時じゃない」
『だけどクリムゾンを、』ヴィオレッタが声を突き付ける。『追うんでしょ?』
「君を救うためにもね」言い切るノワール。「〝セフィロトの樹〟の儀式は、クリムゾンが完成させなきゃ意味がない」
思案の間を置き、ヴィオレッタ。『……この先、知らなきゃきっと進めないわ』
「君は知ってる」ノワールは励ますように、「手がかりを君なりに解釈して、僕を導いてくれればいい」
『……いいの……?』ヴィオレッタの声が先細る。『……それで……』
「もうすぐ1年の付き合いだ」ノワールは声を明るくして、「そろそろ、肉体に戻ってからのことを考えるのも悪くない。そうは思わないか? 例えば――僕の助手とか」
『ここを?』ややほぐれた声で、ヴィオレッタ。『私の、居場所に?』
「そうさ。だから、」ノワールは軽く笑んでみせ、「手がかりは地道に足で稼げばいい。遠回りでも、あきらめなきゃ手は届くさ」
『そうね……』ヴィオレッタが悩ましげに、『……どこから、どうすればいいかしら……』
「まずは、手伝ってくれるかな」ノワールは声をやや明るくしてみせ、「思い付いたことがあるんだ」
『〝思い付いた〟って?」ヴィオレッタには怪訝の色。
「クリムゾンは」ノワールはデスクのPCへ。「SNSでフェイクを探していたことがあってね」
『〝フェイク〟?』オウム返しにヴィオレッタ。『〝なりきり〟のこと?』
「そう、」PCの電源を入れながらノワール。「自称悪魔とか、自称吸血鬼のね」
『それを?』ヴィオレッタも呑み込み始める。『私に……?』
「クリムゾンのヒント、君なら理解できるんだろ?」優しくノワール。「今は過程をとやかく言うつもりはない。ただ手がかりが掴めれば、それでいい」
ヴィオレッタが、思い切る。『……解ったわ』
2.
『PCへデータを転送するわ』ヴィオレッタの声と同時、PCのモニタにウィンドウが複数。『〝なりきり〟は手がかりにはなるわ。でも悪魔の狙いはそれだけじゃないの』
ウィンドウには各種SNS、ニュース・サイトと掲示板。
「悪魔は人間を〝誘惑〟して、」ノワールはウィンドウの中身に眼を走らせつつ、「欲望を叶えるための〝契約〟を迫るよね」
『そう』ヴィオレッタは肯定しつつ、『でも相手は〝心の弱い人間〟だけに限らないのよ』
最前面のウィンドウに、戯曲『ファウスト』――その要約。
「確かにね」ノワールには納得顔。
『ファウストがメフィストフェレスと〝契約〟したように、』続けてヴィオレッタ。『大者の悪魔と〝契約〟する人間は、どこか秀でている場合が多いと思うのよ』
「クリムゾンが向かっている先には、」ノワールは顎に指を当てつつ、「悪魔、しかも大者――なるほどありそうだ」
『だから悪魔との〝契約〟者、』ヴィオレッタの言葉とともに、ウィンドウの表示が猛烈な勢いで切り替わる。『それも何かに特化した人間を探すわ』
「〝契約〟の〝気配〟、だったかな?」ノワールから確認の声。
『そう、』ヴィオレッタが肯定一つ、『より具体的には、悪魔が〝力〟を行使した痕跡ね。強力な〝契約〟ほど、洩れ出る〝力〟も大きいはずなのよ――それから……』
「魂を〝喰らった〟〝気配〟とか?」ノワールが問いを重ねる。
『ええ』ヴィオレッタの声が苦くなる。『こっちは、何て言えばいいかしら……〝契約〟者の魂の、〝力〟が大きいほど〝視え〟やすくなるわ』
「欲望とか?」ノワールが連想を口に出す。
『他にも意志の〝力〟とか』ヴィオレッタが新たにウィンドウ一つ、『こんな感じに』
ウィンドウには回路のような光の網――の中に、輪郭のぼけた光球が大きく一つ。
『偶然だけど、』ヴィオレッタが解説を添える。『以前記録に成功した〝気配〟よ――魂が〝喰われた〟瞬間の』
「いいさ、深くは訊かない」頷いてノワール。「候補を絞り込んで……」
『……!』そこで、ヴィオレッタが息を呑む。
「何か、あったんだな?」ノワールが低く、ただし気遣わしげに、「話せることかい?」
『……ええ……でも少し、待って……』ヴィオレッタの動揺は小さくない。『……何てこと……』
「無理には訊かないさ」ノワールの声が優しげに、「今夜はもう休むかい?」
『いえ……、』ヴィオレッタの声が小刻みに震える。『見付けたのよ……魂の、異常な輝きを』
「〝異常な〟?」ノワールが眉をひそめた。「つまり、いままさに魂が?」
『あんな輝き方、〝視た〟こともないわ』ヴィオレッタは声を押さえ込むように、『ただ〝喰らわれる〟だけなんかじゃない。魂が砕かれでもしたような……』
「場所は、」そこでノワールが声を低める。「絞り込めるかい?」
『……ええ』我に返ってヴィオレッタ。『ちょっと待ってて』
そこでウィンドウがまた一つ。ヴィオレッタが痕跡を手繰っていく。ネットの向こう、サーヴァの一つ、防壁をくぐり、迷路を抜けて――、
『見付けたわ』ヴィオレッタが表示を止めた。『ダブリン大学――電磁気研究室』
「ダブリン大学……」ノワールが顎へ指を添える。「電磁気学か、なるほどね」
『心当たりが?』怪訝げにヴィオレッタ。
「例えば脳波は、」ノワールは言葉を選びながら、「電気信号――つまり電流のパターンとして捉えられているし、電流があれば磁気も生まれる」
『つまり魂が、』ヴィオレッタの声は晴れない。『科学的に研究されてるの?』
「もちろん、これで全部が説明できるわけじゃないだろうけど」ノワールは肩を一つすくめて、「生命活動としての魂に迫るなら、電磁気学も貢献できておかしくないって考えさ。研究室の発表論文、探せるかい?」
『ちょっと待ってて』ヴィオレッタがさらに開いてウィンドウ。
学会のホームページにアクセスすれば、論文を探すのは難しくない。『ダブリン大学』『電磁気研究室』、2つの単語で絞ってみると――並ぶテーマは300件をたやすく超える。
「もっと絞ろう」ノワールが提案。「とりあえずここ2年で」
検索結果が絞られた――24件。
「『電磁気から見る生命活動』――」重く、ノワールが一点を見つめる。「あるいは、こいつか……」
論文の著者、プロフィールにある肩書きは――研究室長。
「他に、」ノワールはタイトルに眼を据えたまま、「この室長の論文――一覧は出せるかい?」
『いいわよ』即答、ヴィオレッタ。
続いて検索――。
室長の著した論文は『電磁気から見る生命活動』を筆頭に、
『電磁気を用いた生命活動の検知』
『電磁気と実存在の共鳴現象』
『電磁気が生命活動に及ぼす影響およびその検証』
『電磁気学から見る実存在の一側面』
と続き、以下表示枠の端までを埋めている。
「生命活動と実存在……」ノワールが指を顎へと添えた。「魂と肉体、あるいは現世……」
『そう、そこよ』ヴィオレッタも声を低めて、『さっきの話だと重なってくるわよね――悪魔と関わりがあると思う?』
「生命や魂を科学的にどうにかしようって研究なら、」ノワールはウィンドウを睨みながら、「悪魔が深入りしていてもおかしくはないと思うね。魂は悪魔の〝力〟の源だし」
『それに魂は、』ヴィオレッタが言を継ぐ。『異界で存在を保つための糧――だったわよね』
「クリムゾンによればね」ノワールは小さく頷いて、「さらに魂といえば……」
『〝魂の……〟』ヴィオレッタが重く言いかける。
「そう、」ノワールはその言を遮って、「クリムゾンが言い残したキィワードにも〝魂〟の単語があった。分のいい賭けだとは思わないかい?」
『……』ヴィオレッタが言葉を呑み込む、間。『……行くの?』
「もちろん」ノワールから笑み。「僕は〝そういう人間〟だからね」
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