第3話 わたしの世界は一変した。


 ――ガチャ。


「ただいまー」


 家に帰ったわたしは声を上げる。しかし、返事はない。


 まぁ、お兄ちゃんの事だ――ヘッドホンをしているか、仮眠でも取っているのだろう。


「返事がないね」


 とルカ君。いつもは気にならないその言葉も、今はついつい深読みしてしまう。


(誰も居ない家に二人っきり……二人っきり……二人っきり……)


「そ、そうね」


 何だろう。ドキドキする。

 そんな、わたしの考えなど、知る由もないルカ君は、


「じゃ、コレ……ここに置いておくよ」


 と買い物袋をいつものように玄関に置いてくれる。


「うん、ありがとう♥」


 どうしよう? 家に上げた方がいいのかな?

 でも、部屋に二人っきりは不味いよね。


 わたしが逡巡しゅんじゅんしていると、


「じゃ、また明日」


 とルカ君は出て行ってしまった。


「またね……」


 わたしは軽く手を振りながら、見送る。


 ――バタンッ。


 ドアが閉まった。

 いつものり取りだったけど――もう、いつも通りではいられない。


「……」


 わたしはしばらくの間、閉まったドアを眺めていた。

 ほぼ無意識だったのだろう……鍵を閉め、チェーンを掛ける。


 買い物袋を持ったまま台所へ行き、手洗いうがいをした後、冷蔵庫に牛乳や玉子、野菜などを仕舞しまう。


(あっ、お兄ちゃん……また、わたしのプリンを勝手に食べたな)


 いつもなら怒って部屋に押し入るところだが、とてもそんな気分にはなれなかった。


 部屋へ行き、着替えもせずに、わたしはベッドの上へと仰向あおむけで倒れ込んだ。


(制服がシワになっちゃう)


 そんな事をぼんやりと考えつつも、手近なぬいぐるみを抱き締めると――そのまま、ベッドの上を転がる。


 右へ左へ、行ったり来たりを数回繰り返した後、ぬいぐるみに対し、マウントポジションを取る。そして――うぉーっ――と何発も殴りつけてしまった。


(おっと、いかん!)


 我に返る。


「ゴメンよ……ワタヌキさん」


 わたしは眠たげな目をしたタヌキのぬいぐるみに謝り、再び抱き締めると、ゴロンと横になった。


(これが、初めて彼氏が出来た時のテンションか⁉)


 恐ろしいモノを体験してしまったぜ!

 いや、冷静になるんだ――わたし。


(そもそも、ルカ君の事――ホントに好きなの?)


 顔が好みで、優しくて、ちょっと頼りないけど……いつもそばに居てくれて、買い物も手伝ってくれる。


 母子家庭で休みの日には、たまにお昼をご馳走してあげて――あれ?


 元々、このワタヌキさんだって……わたしに似ているからって、ルカ君がプレゼントしてくれた物だ。


 先週も新しく出来たお店で、プリンを買うために一緒に並んでくれた。


(いやいやいやいやいや――これ、最初から付き合ってる感じですよ!)


 仰向あおむけになると、自然と口元がゆるみ、自分でも分かる程のあやしげな笑みを浮かべてしまう。


 ――ドンッ!


 隣の部屋で大きな音がする。お兄ちゃんだ。

 寝惚ねぼけて椅子いすから落ちたのだろうか?


「まったく、お兄ちゃんは……困った人だよね」


 わたしはワタヌキさんにそう告げると、天井へと放り投げた。

 そして、落ちて来たところをキャッチする――はずだった。


 ――ビチャッ。


 わたしの手に触れると同時に、ワタヌキさんは深紅の液体となって部屋中に飛び散った。


 上へと伸ばした手から、ポタポタとしたたり落ちるあかしずく


 わたしの顔とベッドをに染める。



 ▼▲▼  ▼▲▼



 ――ガバッ。


 突然の出来事に、わたしはベッドからね起きた。

 だが――


「あれ? 何ともない……」


 てのひらについているはずあかい液体は何処どこにもない。

 床にはワタヌキさんが転がっている。


(夢でも、見ていたのかな?)


 それにしては、やけにリアリティのある夢だったけど……。


 ――ドサッ。


 今度は大きなモノが床に落ちる音だ。


「まったく、お兄ちゃんは……」


 わたしは部屋を出ると、お兄ちゃんの部屋の前で足を止める。


 ――ドンドンッ!


 変な夢を見た所為せいか――多少、気が立っていたため、少し乱暴にドアをたたいてしまった。


「ちょっと、お兄ちゃん⁉」


 ――ドンドンッ!


 やはり返事がない。

 まさか、倒れてるんじゃ――わたしは勢いよくドアを開けた。


「もうっ、お兄ちゃん! さっきっから――」


 そこで、わたしは絶句する。


 わたしの目に映ったのは、一人の少女の姿と――その少女の手に握られた刃物につらぬかれる――お兄ちゃんの姿だったからだ。


 世界のすべてが、紅と黒に変わる。

 わたしよりも小柄で可憐な少女――白銀の髪と紫水晶のように綺麗な瞳。


 真っ白で綺麗な肌と、それを覆い隠すような漆黒の外套がいとうに身を包んでいる。


(その姿は、まるで死神だ!)


 この日、この時をさかいに――わたしの世界は一変した。

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