第2話
ぷりぷり怒りながら、優花が去っていく。
俺は再び、たてつけの悪い雨戸に手をかけた。
「おかしい……。確かに俺はばあちゃんと会ったはずだ。普通に話したし、普通に受け答えしてたのに。……でも、葬式に行ったのも覚えてるしなあ。なんだったんだ、今のは」
考えこんでいると、コーン、と再びサヌカイトが鳴った。
「……っ、え? ばあちゃんがまた来たんじゃないだろうなあ」
コーン、と再び鳴るサヌカイト。
玄関に出るべきか、出ないべきか。考えこんでいると、音の主はコココン、コン、ココン、ココン、とリズミカルに何度も叩き始める。
「ったく、このふざけた叩き方は、省吾! お前か!」
「まさるー、久しぶりやのー」
そこにいたのは、小学校以来の悪友、省吾だった。
悪ガキだった省吾は、今も変わらず悪ガキのような顔でにやっと笑う。
「久しぶりで、人の家のサヌカイト連打するんじゃない。やってることはピンポン連打と一緒だからな?」
「ダッシュで逃げんだけええやんか」
「それやったら、ただの嫌がらせだっつうの。何しに来たんだ、お前」
「お前が実家に帰省したいうん聞いて来たんや」
「え? なんでお前が、俺の帰省を知ってるんだ?」
「田舎のネットワークをなめたらあかんぞ。これくらいの情報、朝飯前や」
「何だよその怖いネットワーク」
「まあ、ほんまは優花ちゃんから聞いたんやけどな」
「そっちかよ。あれ? お前なんで優花とつながってんの」
「高校時代は、優花ちゃんもいれてよう三人で遊びよったやろ。兄貴の同級生と妹でメルアド交換するくらいは普通や、普通」
「なんかその発言、ロリコンぽいぞ」
「ロリコン言うほど歳は離れとらんやろうが。まあ優花ちゃんの話はええんや、お前の顔見に来たんやから」
「見ておもしろい顔でもないだろ」
「そうつれないこと言うなや、親友やん」
「親友って言うなら、もっとちゃんと返事しろよ。就職してからこっち、電話はおろか、メールの返事もしてこなくなったじゃねえか。心配してたんだぞ?」
「悪い、悪い。店の仕事が忙しすぎてなあ。でも今までほったらかしやったぶん、今回は何を置いてでも、お前のところに来たんやけん許してくれや」
「調子のいいところは全然変わらないのな。忙しいって言ってたけど……そういや、チェーンのファミレスに就職したんだったっけ?」
「おう。バイトからそのまま社員に昇格や。二年目からは店長もまかされとる。まあ、出世言うにはちょっとしょぼいけど、一国一城の主ってやつ? 店一個切り盛りするんは楽しいで」
「二年目から店長って、それ早すぎないか? バイト時代があったって言っても、マネジメントするのはまた別の能力がいるだろうに」
「そこはそれ、あふれる才能と人徳のなせる技って奴? マネジメント言うけど、パートのおばちゃんたちは、結構気のええ人ばっかりやからよう助けてもろとるよ。まあ、本社からコスト削減やー、って言われてて、平日のシフト人数が二人以上組めんのがつらいとこやけど」
「ふたり? なんか少なくない?」
「言うても、ソレ以上雇ったら月の上限コスト超えてまうからなあ」
「何、そんなの決められてんの」
「店ごとに、仕入れや人件費なんかの運営にかけてええコストはここまで、言うて本社から決められとってのー、それを越えたら減点されるシステムなんや。どこの店もこの上限コストが結構エグい値でなあ。どういう計算式なんか、よくわからんけど」
「そういう……ものなのか?」
省吾の説明に不穏なものを感じて、俺は首をかしげる。
「目標達成のために、コスト下げないかんのやけど……飯屋やから、仕入れのコストはどうしたってそれなりにかけなあかん、そうなると削れるところ言うたらどうしても人件費になってしまうんや。で、結局平日のシフトが二人いうことに」
「それで店が回せるのか? お客がたくさん入るなら、やっぱり人はいるだろ」
「足らんところは、俺が店に出てカバーしとる。まあぎりぎりやけど、お客が困るようなことにはなっとらんよ」
「おいおい、店長のお前が店に出てたら、接客以外の管理業務を誰がするんだよ」
「いやそこは、店長の俺がやるで」
「店に出てるって言ったよな? 今。そんなのでいつやるんだよ」
「店が閉まった後やなあ」
「ちょっと待て、ファミレスって、閉店時間は夜の十時くらいじゃなかったか」
「うちは二十四時やな」
「日付変わってからかよ。その時間からどれだけの仕事を片付けてる?」
「シフト管理に、仕入れのチェック、月ごとの予算調整、客の回転率計算、それから本社から送られてくるキャンペーンの対応して」
聞けば聞くほど、不穏な単語ばかりが飛び出してくる。
おいこれ、だいぶ話がおかしくないか?
「もうひとつ聞いていいか? その店、開店時間何時だ」
「モーニングやっとるけん、朝の六時?」
「……店長のお前は何時から出勤だ?」
「当然六時前にはおるな。俺がおらんと仕込みの手が足らんようなるけん」
「お前いつ寝てるんだよ! どう考えても、寝てる暇ないぞ」
「ナポレオンも三時間睡眠で生きとったんや。俺やったら一時間くらいでどうにかなるって」
「ナポレオンは後で失脚したし、お前はもっと寝ないとダメだ」
「大丈夫やって。寝んでも、案外接客できるけん。まあ……エリア長からの売上目標指示だけはどうにもならんけどな」
「何か罰則とかあるのか?」
「給与査定には響くわなー。そうでのうても、店に来たときに思い通りの売上がなかったら、その場でバンバン机叩いて叫びだすし。まあ怒られたところで、あの立地でこれ以上の売上出んから、どうしようもないんやけど」
「それは立派なパワハラだぞ……」
「パワハラ? 何やそれ」
「パワーハラスメントの略称。上司とか社長とか、上の立場の人間が、それを利用して下の平社員なんかを理不尽に脅したり、怒鳴りつけたりすることだよ。お前のそれは、証拠とったら立派に裁判で訴えられる内容だぞ」
「へー、そうなん? 物知りやなあ」
「そんな風にのんきに構えてる場合じゃないって。そんな会社辞めたほうがいい」
「でもなあ、一応大学出た言うても、会社言うたらファミレスしか知らんような、若造がふいっと会社やめたところで、この不況や。再就職する場所やこないって」
そう思わせるのがブラック企業のやりくちだ。
今の会社以外に雇う場所などないと宣言し、選択肢を奪うのだ。
「あるよ」
「そうか?」
「お前は頭いいし、仕事も真面目にやる奴だ。それに、入社二年目なのに店長としてちゃんと店を切り盛りしてこれてたんだろ? 大丈夫、お前ならどこの会社でも即戦力で働けるって」
「そうかなあ?」
「そうだって。……というか、このままの生活続けてたら死ぬぞ?」
「せやなあ……」
ふっと省吾の顔が歪んだ。いつものへらへらした笑いじゃない。今にも泣きそうな寂しそうな笑顔になる。
「早いうちに、お前にそう言ってもらえてたらよかったんやけどなあ」
「省吾?」
「まあ俺の話はこれくらいでええやん! それよりお前は? 仕事はうまいこといっとんか?」
唐突にバンバンと背中を叩かれた。
「え? 俺?」
「せや! そもそも俺は自分の話するために来たんやのうて、お前の様子を見にきたんやからな」
「俺……俺、は」
「讃岐ニコニコ観光やったっけ? お前の就職したとこ。結構噂は聞いとったでー。小さいけど、ええ企画をよっけ立ててるって。うちに来とるおばちゃんたちも、ニコニコ観光のツアーに行きたい、って昼休みの言うとったわ」
「会社……は、いいところだよ。すごく面倒見のいい先輩に、いちから仕事を教えてもらってる。一応大学で経済とか勉強してたけど、仕事に必要なスキルって、全然別ものでさ。正直わからないことばっかりなんだけど、新しく学ぶのはすごく楽しい」
「おーおー、目ぇきらきらさせよって。ええ仕事やっとるんやな」
「そうだな。人間相手の仕事だから、時々予想外のことが起きて、トラブル対応することもあるけど、旅行の企画がうまくいって、お客の反応が良かったときは、嬉しいんだ」
「お前、人喜ばすん好きやったもんなあ。あ、でもいくら仕事が楽しい言うても、お前こそ無理して仕事しとらんか? 企画の書類作りよって午前様、とかトラブル対応で何日も地方に行ったりとか」
「実は一回やった」
「やったんかい」
「入社して一年目の時だったかな。一ヶ月くらいずっと終電まで残って作業してたことがあって、社長に見つかって、怒られて仕事量の調整された」
「お前も人のこと言えんやないか」
「その時に社長に怒られたから、今お前に言ったの。うちの社長、人は財産って考えてるいい人でさ。今俺に無理をさせたら、一時的に売上は上がるかも知れない。でも、そのまま無理をさせ続けたら一年後には俺という人材はいなくなって、結局会社全体としては損をしてしまう。そんな働かせかたをするつもりはない、ってさ。それで、社長の下で何年もずっと元気に働けるようなボリュームで仕事をさせてもらってる」
「お前……どこに就職したんや。何その社長? 菩薩? 菩薩様か? うちのエリア長のおっさんとは雲泥の差やわ」
「お前のところの上司は特に異常だからな」
「やっぱそうなんかのー」
「そうなんだって」
「お前がそう言うんやったらそうかもな。でも反対に、お前はええ会社に恵まれたなあ」
「本当にそう思う。……でも」
「うん?」
「でも……会社が、なくなってしまうかもしれない。俺のせいで」
今度は俺の顔が歪む番だった。
「……何があったんや」
「地方と映画がタイアップする、って話を聞いたことあるか?」
「あー、うどんの映画とか犬の映画とかが、香川の観光業界と手ぇ組んで作ってたいうのは聞いたことあるな」
「昔から、他の地方より映画の誘致はよくやってたんだけどな。映画があたって、うまくブームに乗ったら観光客が増えるから」
「また新しいのをやるんか?」
「今度、女の子を主人公にしたアニメとタイアップするって話が持ち上がったんだ。島を舞台に、オリーブ農家の子の奮闘記を描く……だったかな。かなり面白そうなアニメで、これは当たる! って話になってさ。観光課が中心になってイベント計画したり、オリーブチョコのお菓子を用意したり、キャラクターがプリントされた列車を走らせる手配をしたりしてさ。うちの会社も結構な出資をしてて、イベントツアーをいくつも企画してた。あとは作るだけ、ってところまでこぎつけたんだけど……」
「ぽしゃったんか」
「ああ……プロデューサーが金を持ち逃げしたんだ」
「持ち逃げ? まじか。それおもいっきり犯罪やないか」
「調べてみたら、そのプロデューサーは詐欺師みたいなもので、今までも人に出資させるだけさせて企画をつぶす、ってことが何度もあったみたいだ」
俺はぎゅっと拳を握り締めた。
「あれだけ力をいれていた企画が潰れた、ってことで、県の観光課も旅行会社もものすごいダメージをうけることになってさ」
「そら災難やったなあ……でも、それはお前のせいなんか?」
「プロデューサーを連れてきたのは俺なんだ! 地方の観光コンベンションで知り合って……話を聞いて意気投合して! まんまと騙されてみんなに紹介しちまった。その上周り全部巻き込んでお金を出させて! 今、うちの会社はこの騒動の発端になった、ってことで観光協会から反感を買ってる。うちみたいな地元密着型の観光会社が観光協会に睨まれたら、もう終わりだよ。つぶれてしまう……あの会社が……俺のせいで」
「そっか……それは責任感じるなあ」
「社長も……先輩も……あんなにいい人たちなのに、こんなことで……!」
「……なあ、その企画、もうどうにもならんのか? 他の映画とすり替えたり、プロデューサー変えたりとか」
「アニメ制作側のスタッフも、監督も手配がすんでるから、プロデューサー変えるだけならすぐできると思う。でも、持ち逃げされた金が……やっぱり痛い。あの金がないと、これ以上企画を進められないよ」
「反対に言うと、金さえ戻ってきたらどうにかなるんやな」
ふむふむ、と省吾は頷く。
「まあ……理屈ではそうなるな」
「せやったら、なんとかしたろか」
「なんとかって? 金はかなりの額だぞ。俺が死んで保険金を社長にあげたって、穴埋めにもならないくらいで」
省吾はひらひらと手をふった。
「そうやない。その詐欺師っちゅーやつをどうにかするんや」
「何言い出すんだ、お前。警察にも届けてるけど、計画的に金持って逃げた人間はそう簡単に捕まらないって。第一見つかったとしても金が戻ってくるとは……」
「ええから、そいつの特徴教えてんか? 写真とかないの」
「スマホに……写真が残ってるけど」
俺はポケットからスマホを出すと、アルバムに保存されている写真を表示させた。
そこには人当たりの良さそうな青年と、何も知らずに馬鹿みたいに笑っている俺の姿が写っている。
「ふーん、詐欺師言うから胡散臭い見た目かと思ったら、結構真面目そうな奴やん。これは勝が騙されるんも納得や」
「悪かったな、騙されて」
「拗ねんなって。まあまかしとき」
「まかせろって、お前……」
「お兄ちゃん? 誰と話してるの?」
優花がやってきた。
「省吾だよ。さっき訪ねてきてて」
「え? 省吾先輩は半年前に亡くなったでしょ」
しん、と再び玄関から音が消えた。
振り向いたその時には、もう誰もいなかった。
「ええええ? そんなはずない! 今さっきまでそこで話してて……え? またいない? 嘘だろ?」
「確か、働いてたファミレスで、過労で倒れてそれっきり……。お兄ちゃん、お葬式で『どうして一言相談してくれなかったんだ!』って、号泣してたじゃない」
優花に指摘されたとたん、急に記憶が鮮やかになる。
「……あ、あれ? そうだ……ひどいパワハラうけて、働き過ぎで。じゃあ今まで話してたのは何だったんだ? 」
「知らないよー。もー、お兄ちゃんはさぼってばっかり! ここはもういいから、車から荷物おろしてきて。暗くなったら車から物を降ろすの面倒だから」
「あ……ああ」
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