第3話

 俺はふらふらと家から出ると、車に戻った。

 トランクを開けて、持ってきた荷物に手をかける。


「今のは一体何だったんだ……白昼夢か? にしては妙に生々しい……」


 生前とおなじ、にやっと笑う省吾。

 その姿に幽霊と呼ばれる者のようなおどろおどろしさはない。


「省吾……」

「お兄ちゃーん?」


 ぼうっとしていると、家の中から優花の声が飛んできた。


「あ、ああ。すまん、すぐ戻るー」


 俺はあわてて荷物を持って家に戻った。

 リビングまで持って行ってから、中身をあける。


「といっても、あんまり荷物は持ってきてないんだよな。着替えと……酒と……ん? 軍手とロープ? 俺、なんでこんなものを持って帰って来たんだ? 軍手は掃除に使うとしても、こんな太いロープ、何に使うつもりで……」


 コーン、とまたサヌカイトが鳴った。


「……今度は誰だ? というか、何なんだ」


 沈黙しているとややあって、再びサヌカイトが鳴る。

 間違いない、このサヌカイトは俺を呼んでいる。


 俺は意を決して玄関に向かった。


「……ど、どちらさま?」

「勝、お前なにびくびくしとるんや」

「あんたの実家やろ」

「父さん、母さん! どうしてここに!」


 玄関にいたのは、両親だった。


「あんたが実家に帰ってくる、って優花から聞いてな。急いで来たんよ」

「間に合ってよかったわ。季節でもないのに帰ってきたけん、久々に大汗かいたで」


 ふたりの額には、玉のような汗が浮かんでいる。


「ふたりとも……」

「久しぶりやなあ、勝。あんた、働き過ぎやったんとちゃう? こんなにやつれてしもて。人が折角お父さん似の男前に産んであげたのに、台無しやないの」

「うん……ごめん」

「えらい素直に謝ったなあ」

「ごめん」


 俺は玄関に膝をつくと素直に謝った。


「何があったかは知らんけど、……これは重症やねえ」

「だいぶまいってるみたいやな」


 うなだれた俺の背中を、母が優しくなでてくれる。


「あんたのこと、相談できる人はおらんの? 友達とか、会社の人とか。落ち込んどるときには、話を聞いてもらうだけでも楽になるもんやで」

「親友……は、もういない。同僚とか、社長とかには……申し訳なさすぎて、何も言えないよ」

「彼女とかはどうなんや。前にうちに連れてきてた翔子ちゃん。大学のころからの長いつきあいなんやろ? こういう時に支えてくれるもんとちゃうんか」


 確かに、恋人は心の支えだ。

 何もしてくれなくても、そこにいてくれるだけで前向きになる元気をくれる。

 でも。


「翔子……とは」

「どした?」

「あいつとは、別れる……」

「ウソやろ? お前、うち連れてきたとき、滅茶苦茶仲がよかったやないか」

「そうそう。えらい可愛らしいお嬢さんで、見てるこっちが困るくらい、ベタボレやったのに。あの子、確かひとつかふたつ位お姉さんやったっけ。頼りないあんたには、ちょうどええ人やと思ってたんよ」

「でも! 浮気なんかされたら一緒にいられないよ!」


 俺は血を吐くような想いで叫んだ。


「浮気……? ほんまのことか」

「ああ。俺のせいで……会社が大変なことになってしまって……それで、対応に追われた後、夜中にどうしても顔が見たくなって、彼女のマンションに行ったんだ。そしたら、裸の男が彼女の部屋で寝ていて……!」

「裸かー、ほんまに見たんか」

「見たよ! 見たくもないけど! 翔子のマンションのリビングで、裸で大の字とか! ……頭がどうにかなりそうだった」

「勝……」

「わけわかんねえ……確かに、会社に入ってからは忙しくなって会う回数は減ってたけど……それでも、デートの時はできるだけ二人で楽しいことをしようって、約束してた。実際、二人で料理作ったり、ちょっとしたおでかけとか、なんとか時間やりくりして合わせて……生活が落ち着いたら一緒に暮らそうって言ってたのに。……どうして……どうしてこんな風に裏切れるんだよ!」


 感情を爆発させた俺の肩を父さんがぽんぽんと叩いた。


「会社と彼女と、ダブルパンチやったんか。それはきっついなあ」

「あれだけ大好きって言ってて、あんなかわいい笑顔を俺に向けてくれてたのに、それが全部ウソだったなんて……」

「真面目で気立てのよさそうな子やったやんか。浮気やなんてすぐには信じられへんわ。第一、あんたが選んだ子やのに」

「俺の人を見る目なんて所詮その程度のものだったんだよ。プロデューサーには騙されるし、恋人は浮気してるし!」

「まあ……プロデューサーいう奴には、会っとらんからわからんけどの。翔子ちゃんには俺も何度か会っとる。浮気するような子にはとても見えんかったぞ」

「でも!」

「落ち着け、勝。これでもお前より三十年近う長く生きとるんや。俺もそれなりに目は肥えとる。間違いない、翔子ちゃんは真面目なええ子や。信じてやらなあかん」

「だったら、あの裸の男はどう説明するんだよ!」

「そこやけどなあ」


 結局、問題は解決しない。


「まあまあ、無理に考えんの。勝、そういえば、今日のご飯は食べたんな?」

「ああ……まだ……」

「それやったら、まず何か食べな。あんた、ろくにご飯も食べんから冷静になれんのや。辛い時にはな、まずごはん。それからぐっすり寝ること! 食べて寝たら、スッキリしてええ考えが浮かぶもんよ」

「何その精神論……食べても寝ても事実は変わらないよ」

「でも、物考える余裕はできるやろ。追い詰められたときはな、問題をちょっと棚上げしてしまうんも手や。無理に向き合って、すぐになんとかしようとするけん、余計に無理がでてしまう。案外、一日やそこら、何も考えんと寝とったら、どうにかなることも多いで」

「そんな楽観的な話じゃないんよ」

「無理に悲観的になる話でもないやろうが。勝、今のお前はちょっと疲れとんや。急いで結論を出さんでええ。ちょっとでええから、休め。事実は変わらん……確かにそうや。でも、その事実を見とるお前の目はどうなっとんや? だいぶ曇っとるんとちゃうか。見方を変えたら、全然違うもんが見えてくる。そしたら、道が開けてくるから」

「父さんは脳天気すぎるよ……」

「そう言うたもんでもないぞ。なにせ母さんのメシ食って寝て、そんで俺は定年まで会社で戦ってきたんやからな」

「……だから、父さんは結構太ってたんだ?」

「軽口言う元気くらいは戻ってきたか」


 父が笑う。


「あんな、台所の床下収納のところに漬物があるけん、それ出して食べな。奈良漬けと梅干しやったらまだ大丈夫やろ。あとは……納戸の非常持出し袋に缶詰がよっけ入っとったはずやわ。鯖と秋刀魚とか」


 さすが一家の母。なんだかんだ言っていろいろ用意していたらしい。


「そんな味の濃いもんばっかりやったら胃ぃ壊れるんとちゃうか?」

「そうやな……言うても、保存食は味の濃いもんばっかりやし。あとは……そうや! 缶詰の中にパンの缶詰もあったはずや。あれやったら味薄いんとちゃう?」

「それも大概濃いで。しゃあないなあ、ええこと教えたるわ。二階の寝室の奥の、ベッド脇の戸棚にとっときの奴がまだ置いてある。ほったらかしやけど、ええ味がすると思うで」


 それを聞いて、母は目を吊り上げた。


「あんた何お酒勧めとんな! そっちのが余計胃ぃに悪いに決まっとるやろ」

「ダメか? ほんまのとっときなんやけどなあ」

「アホ言わんといて」

「は……はは……ありがとう、父さん、母さん」

「お兄ちゃん? 誰と話してるの?」


 優花の足音が近づいてくる。俺は妹のほうを向いた。


「父さんと母さんだよ、優花」

「父さんと母さん? ふたりとも去年事故にあって……」

「ああ、死んだな。だから、俺が働きに出たあと、この家はずっと無人だった」


 しんとまた玄関が静かになった。

 俺はゆっくりと口を開く。


「それから優花。お前も死んだはずだろ? 七年も前に」

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