来客ですよ

タカば

第1話

 一年ぶりに実家に戻ると、うるさいくらいのセミの声が俺を出迎えた。

 車を停めて、エアコンの涼しい空気から体を出す。途端に容赦ない熱気がジリジリと俺の肌を炙ってきた。駐車スペースの先に、広いだけが取り柄の古ぼけた民家が記憶通りの姿で建っていた。


「お兄ちゃん、おそーい!」


 突然投げかけられた元気な声。

 振り向くとそこには青いワンピース姿の妹が立っていた。


「優花? お前なんでここにいるんだ?」

「お兄ちゃんが実家に戻ってくるって言うから、私も戻ってきたんじゃない。もー、早く玄関の鍵あけて! 玄関先でずっと待ってたからもう暑くって!」


 優花はぱたぱたとワンピースの襟元を仰ぐ。流れ出した汗で、長い黒髪がいく筋も首に張りついていた。


「へいへい。ちょっと待ってくれよ」

「早く早く! この玉のお肌がこれ以上日に焼けたら大変!」

「お前、その歳で日焼け気にしてるのか。気が早すぎねえ?」

「UVケアは、高校生でも遅いくらいですー。まあ? 枯れかけ社会人のお兄ちゃんには、わからない感覚かもしれないけどさ」

「どうせ俺は枯れかけだよ」


 鍵を外し、玄関の引き戸をがらりと開ける。外より若干温度の低い空間に足を踏み入れた。

 ほこりっぽいが、日差しに焼かれるよりはまだマシだ。


「たっだいまー」


 唐突にコーン! と澄んだ高い音が響いた。

 木琴よりはやや甲高く、鉄琴よりはやや鈍い。美しいけれど、不思議な音色だ。


「おい、何鳴らしてんだよ」

「いいじゃん、習慣だったでしょ? 家に帰ってきたら、玄関においてある呼び鈴代わりのサヌカイトを叩くって」

「出迎える人もいないのに、叩く意味ないだろ」


 玄関脇には、俺の拳くらいの大きさの黒い石が置いてあった。

 よく建材に使われている黒御影に近いそれは、地味な見た目に反して不思議な特性を持っていた。

 鉄琴の打棒のような硬いもので叩くと、コーンと澄んだ音をたてるのだ。

 サヌカイトと呼ばれるそれは、世界的にも珍しい石で香川県の一部地域でしか産出されないそうだ。昔の東京オリンピックでは選手を和ませるために食堂にこの音が流されていたとか、流されていなかったとか。


「私これ叩くの好きなんだ。本当に不思議だよねー。見た目は単なる鰹節サイズの石なのに、こうやって叩くとびっくりするくらい綺麗な音が出るんだもん」


 優花はコン、と再びサヌカイトを叩く。


「石の密度が異常に高いせいでそうなるらしいな。叩きすぎて割るなよ? 硬い石だけど、割れには結構弱いんだから」

「か弱い妹にそんなことできるわけないじゃん。お兄ちゃん、失礼すぎ」


優花はぷうと頬を膨らませる。


「……昔、力任せに雨戸開けようとして、そのまま外したことあったよな」

「私は、か弱いの!」

「ヘー、ソウダッタンダー」

「その棒読みやめて!」

「でもまあ、懐かしい音ではあるよな」


 俺も軽くサヌカイトを叩いてみた。

 コン、とかわいらしい音が響く。


「開けっ放しの玄関にこれが置いてあって、客はこいつを叩いて来訪を知らせる……おっとりとした田舎ならではの風景だよ」

「街のほうだと考えられないよね」

「まあ、今だとインターホンが普通だな。これは、呼び鈴のなかったころの、やたらだだっ広い日本家屋用の道具だから。呼び鈴として機能してるのはもうあまりないんじゃないか」

「貴重なものなら、やっぱり活用しないとね」


 コン、とまた優花がサヌカイトを叩く。


「お前は、単に叩きたいだけだろうが。ったく、玄関先で突っ立ってるのもあれだし、中入るぞ」

「はーい」


 靴を脱ぎ、俺たちは家の中へと足を踏み入れた。放置されていた床がぎしぎしと音をたてている。


「……うーん、覚悟はしてきたけど、埃だらけになっちゃってるねえ」

「もう一年以上もほったらかしにしてたからな、この家。とりあえず雨戸あけて風を通すか」

「そうだね。じゃあ私は台所のほう開けてくる。お兄ちゃんは客間のほうお願いね」

「わかったよ」


 俺は早速雨戸に手をかけた。ずっとほったらかしにしていたせいで、やたら滑りが悪い。


「だいぶ固くなっちまってるなあ」


 不意にコーン、とサヌカイトの音が響いた。


「ん? 客か。はーい、どちらさま?」


 玄関に行くと、そこには小柄な人物が立っていた。


「勝? おるんな」

「ばあちゃん! どうしたの、突然」

「突然はあんたやろうが。本家でおったらな、あんたの車が実家のほうに向かっていくんが見えたけん。帰ってきたんかなー思て来てみたんや」

「来てみたって、ばあちゃん、膝を悪くしてたじゃないか。本家からここまででも、結構距離あるよ? 美紀おばさんは? ひとりで来たの危なくない?」

「人を年より扱いせんの。ここまで来れたんやから、大丈夫やって」

「大丈夫じゃないよ、とにかく座らないと! ああでも、上がったり和室に正座するほうが膝には悪いのか」

「ここに座らせてくれたらええよ」


 言うが早いか、祖母は上がりかまちに腰を下ろそうとする。俺はそれを慌てて止めた。


「ちょっと待って。掃除してなかったから床が埃だらけなんだよ。今拭くから」

「こんな古いスカート、埃で汚れたってどうもないがな」

「せめて座布団持ってくるから!」


 俺は玄関脇の客間から座布団を引っ張り出す。これもほこりっぽいが、板の間の上に座らせるよりはマシだ。


「優花、本家のばあちゃんが来た! お前も顔出せよー」


 優花の返事はない。


「なんだ、聞こえてないのかな……まあいいや。とにかく座布団座布団……っと」


 俺は急いで玄関に戻った。祖母の座れそうな場所にばふ、と座布団を置く。


「ばあちゃん、おまたせ」

「はあ……よっこいしょっと。勝は優しい子やなあ」

「そうかな」

「こんなばあちゃんの膝のことを、ちゃーんと気にしてくれるのは、優しい子やからやろ」

「これくらい、たいしたことないよ。ばあちゃん」

「ええのええの」


俺を見て祖母は細い目をますます細める。


「……大きゅうなったなあ。勝は岡山の大学で何か勉強しよったな。もう大学を卒業したんやったかいな」

「三年前に卒業したよ。今は香川に戻ってきて、旅行会社に就職してる」

「旅行会社? なんや電車の切符とったり、旅館の予約したりするとこやったかいな」

「まあそんなところ。予約の代理だけじゃなくて、お客さんに旅行の計画をたててあげたりしてるよ」

「へえ、そうなんかあ。勝が用意した旅行やったら、楽しそうやなあ。ばあちゃんが元気やったら、勝に旅行の手配をしてもらうとこなんやけど」

「うちは、膝の弱いばあちゃんみたいな人のために、段差の少ないルートとか、そもそも歩かなくていい旅行プランをたてて提案したりもできるよ。本家からここまで来れるんなら、充分行けるって」

「はー、勝に手配してもろたら。こんぴらさんの上まで行けたりするんか」

「そこでいきなりこんぴらさんの石段の上なのかよ。……まあ、籠に乗せてもらえるところまでなら、なんとかなると思うけど」

「あれも悪うないんやけどなあ。揺れるんがちょっと腰になあ。せや、勝。ちょっとおぶって行ってくれんか」

「あの石段をばあちゃん背負って上がれって? 普通に登るのもきついのに無理だって!」


こんぴらさんこと、金比羅宮は急な山の上にある。その石段は全部千段以上、場所によっては傾斜角度が40度にもなる急階段もあるのだ。


「だいいちそれで転んだらむちゃくちゃ危ないよ?」

「はっはっは。冗談や、冗談。勝が優しいけんな、ちょっと甘えてみただけや。さすがにこんぴらさんの上まで本気で登ろうとは思っとらんわ」

「久々に会った孫をからかうなよ、ばあちゃん」

「すまんなあ。まあ笑い話いうことで許したって」

「はあ……」

「その様子やったら、会社でうまくいっとんやな」

「う……うん、まあ」


 俺は祖母の言葉に素直に答えられなかった。

 だって、会社は……もう……。


「ええ大学卒業して、ええ会社入って、ほんだら次は嫁さんやなあ。勝、誰ぞええ子はおるんか?」

「え、誰ぞって」

「こんな優しいええ子なんやから、みんなが放っておかんのちゃうか? ええ話もよっけあるやろ」


 祖母は俺の聞かれたくないことばかり質問してくる。

 俺は祖母から視線を外した。



「あ……うん。恋人は……いるよ。大学のころから付き合ってる」

「そうなんか。よかったなあ。ええ子か?」

「ああ……美人っていうよりはかわいい感じの……人」

「ほうほう」

「華奢で小さくて……見た目そんな感じだけど、中身はしっかりしてて……こう言ったら変だけど、すごく頼りになる人なんだ」

「あっはっは。女はしっかりしとるほうがええんや。勝もええ子を見つけてきたんやなあ。ばあちゃん安心したわ」

「うん。ばあちゃんが安心したなら……」

「お兄ちゃん? 誰と話してるの?」


 優花の足音が近づいてきた。


「さっき声かけただろ? 本家のばあちゃんだよ。俺の車見て、来たみたいでさ」

「おばあちゃん? 三年前に亡くなったでしょ?」


 しん、と玄関が一瞬静かになった。


「え? だって、今ここに……! って、あれ?! いない?」


 そこにあったのは、埃だらけの床に置かれた、埃まみれの座布団だけだった。

 祖母の小柄な姿はどこにもない。

 目を離したスキに帰った? 足の悪い祖母が?


「大丈夫? お兄ちゃん」

「本当にいたんだって! ほら、膝の悪いばあちゃんを座らせてあげるために、座布団を出してきて!」

「あー! 座布団が真っ白じゃない。お兄ちゃんの考えなしー」

「いやだってばあちゃんをそこに座らせるわけには」

「だから、おばあちゃんはもう亡くなってるの。お葬式にも出たはずでしょ? ボケるにはまだ早いよ?」

「いや……その。え? 葬式出たっけ? 俺が?」

「本家のヌシみたいな人だったから、かなり大きなお葬式になったのに、もう忘れちゃった? ボケるには早いよ、お兄ちゃん」


 優花に指摘されて、ようやく記憶がよみがえってくる。

 そうだ、大学卒業を間近に控えた俺は、慣れない喪服を着こんであちこち走り回っていた。


「あー……そうだ、弔問客がやたら来てて、それをさばくのに、分家の俺たちも夜中まで手伝わされた……ような」

「しっかりしてよね。あ! しかも客間の雨戸まだちゃんと開けてないし! 早く埃出したいんだから、さっさとしてよね?」

「あ……ああ」


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