第22話 白パンと小鳥
「えっ?パン屋のおじさんったら、あたしが居ない間にそんなあたし好みの新作を出したの⁉︎もう少し入学式の時期が遅ければなぁ。あたしもその新作のパンを食べられたのに…」
白薔薇に囲まれた少女はくるくると表情を変えながら動物たちの鳴き声に耳を傾けている。身じろぎをする度に、その腰ほどまで伸びている赤茶けた波打つ髪が揺れた。
そんな彼女を覗き見ながらフィンレー王太子はウィリアム様に小声で話しかけた。
「なぁ、彼女は頭がイカれたフリをしているのか、それとも本当に頭がイカれているのか…ウィルはどっちだと思う?」
ワクワクとした様子で彼女を見つめるフィンレー王太子の瞳は面白いものを見つけたと言わんばかりに輝いている。
「フィン、そういう言い方は良くないよ。動物を愛好する人の中には動物に話しかける趣味の人もいるっていうし、きっと彼女もその1人なんじゃないかな」
困ったように笑いながらウィリアム様は王太子殿下を嗜めた。
「でもウィル、彼女が動物に話しかける姿は実に自然だと思うだろ?」
その言葉を聞いてウィリアム様は目を細めて少女を見遣る。
「…確かに、彼女は本当に動物たちの言葉を理解しているかのように見えるね」
「だろう?…なぁ、彼女に話しかけてみないか?」
フィンレー王太子は好奇心を抑えられない様子でそう提案する。王太子のウキウキした顔を見てウィリアム様は苦笑した。
「フィンがどうしてもというなら止めないけれど、僕は賛成しかねるな。人は誰しも他人に見られたくない一面を持っている。こんな奥まった場所でわざわざ人目を避けるようにしているという事は、彼女は動物に話しかける姿を人に見られたくないんじゃないのかな。その上で声をかけるのは気が進まない」
その言葉を聞いて思案したフィンレー王太子はやがて真面目な顔になって頷いた。
「…確かにそうだな、一理ある。残念だが彼女に話しかけるのはやめておこう。俺に人を辱める趣味はない」
王太子はそう言うとパッと立ち上がった。
「白薔薇は存分に堪能したし、そろそろ別の場所に行かないか?この学園には他にも面白そうな場所がたくさんあるんだ」
同じく立ち上がったウィリアム様が微笑む。
「そうだね、違う場所も見学してみたいな。例えば学園の図書館とか」
「じゃあそこもまわろう」
そう言いながら彼らは歩き出した。
その瞬間だった。
「え?ソフィア王女殿下が今朝、こっそりパンを千切って分けてくれたって?へぇ、白くてふわふわで賽の目状の模様があるパンを小鳥たちに…。ふーん、あんた王宮のパンなんて分けてもらっていたら舌が肥えていつものパンを食べられなくなるんじゃないの?」
少女のその言葉を聞いたフィンレー王太子がぴたりと動きを止める。
ウィリアム様は生垣を振り返って、
「こういう風に知り合いの行動を妄想されるのはあまり良い気分じゃないね」
と眉を顰めた。
「…事実だ」
ぽつりとフィンレー王太子が呟く。
「え…?」
ウィリアム様が聞き返すと、王太子殿下はウィリアム様に向き直った。
「ソフィアが今朝小鳥に餌としてパンを撒いていたのは事実だ。しかしそれは誰も知らない筈なんだ…他でもない俺が人払いをしたからな」
それを聞いてウィリアム様は目を見開く。
表情が無いままフィンレー王太子は言葉を続けた。
「朝食の後ソフィアが俺の所へやってきて、『朝食のパンを隠して持ってきたからそれを小鳥へあげたい』と言い出したんだ。パンを小鳥に撒くのははしたない事だと思ってこっそり相談に来たんだろう。俺は適当な事を言い使用人たちを下がらせて、庭の一角でソフィアがパン屑を撒く様を見ていた。それが今朝のことだ。…パンの特徴も一致している」
そこまで話すと王太子殿下は黙り込んだ。
ウィリアム様は驚きつつも冷静に問い掛ける。
「誰か使用人が見ていて、その使用人からの話をあの少女が聞いたという可能性は?」
フィンレー王太子は首を横に振る。
「ソフィアと俺がいたのは庭の死角になる部分だった。もし俺たちを目視できるほど使用人が近づけば先に俺が気付く」
今度こそ言葉が出なくなり、2人は口をつぐむ。
生垣の向こうから聞こえる少女の声だけが辺りに響いていた。
ウィリアム様が真剣な表情で口を開く。
「…誰も知らない筈の王族の動向を彼女が知っているのならば、それは由々しき事態だね。まず国王陛下や王妃殿下にこの事をご報告して…」
「いや、今直接あの少女に話を聞く」
ウィリアム様の声を遮り王太子殿下は断言する。
目を瞬かせるウィリアム様を尻目に、王太子は彼の護衛騎士の方へ振り返った。
「エドワード、彼女は武器を持っていそうか?」
その言葉を聞いた彼の護衛騎士は生垣から向こう側を一瞥する。
彼の護衛騎士が首を横に振ると、王太子は頷いた。
「エドワードはここで待機していろ。いざという時はよろしく頼む」
そう言いながら少女の元へ歩いて行こうとするフィンレー王太子の肩をウィリアム様が掴んだ。
「待ってフィン。相手は王族の私的な情報を入手出来る術を持っている人物だ、無闇に近づくのは危険だよ。相手の身元を特定した後、経過観察をしてどういう人物か見極めてから接触した方がいい」
フィンレー王太子は唇を噛む。
「確かに、ウィルの言う事は最もだ。それでも…」
王太子は鋭い視線を少女のいる方向へ向ける。
「俺が手をこまねいている隙にもし誰かに危害が及んだら?ソフィアや父上や母上が危険に晒される可能性があるのなら、あの少女を放置する事は出来ない…‼︎」
そう言って彼は生垣から飛び出して行く。
それを見たウィリアム様は焦ったような顔をしたが、
「リア。様子を見ていて、もし僕たちが危なくなったら飛び込んできて。お願い」
と私に言い残してフィンレー王太子の後に続いた。
彼らが生垣から打ちいでると、少女は驚いたように体を震わせた。
「誰…?」
そう言いながら振り返った彼女は金の髪の青年の存在を認めて驚愕の表情を浮かべた。
「お、王太子殿下…⁉︎どうしてここに…⁉」
灰色の瞳が見開かれる。
それを聞いたフィンレー王太子は硬い面持ちで言葉を発した。
「俺を知っているのか。なら話は早い。…お前は何故今朝のソフィアの動向を知っている?」
それはまるで研いだ刃のような声だった。
問い掛けられた少女は息を呑む。
「まさか、先程の声を聞かれて…?」
そう呟いたかと思うと少女の双眸が警戒と怯えを露わにした。
じりじりと後退する少女と、そんな少女を鋭い視線で射竦めるフィンレー王太子。
双方の間に緊迫した空気が漂う。
「フィン、落ち着いて」
そんな状況下で、ウィリアム様の穏やかながらも芯のある声が耳朶を打った。
ウィリアム様はフィンレー王太子にそう言うと、少女に向かって微笑んだ。
「ごめんね、急に僕たちが出てきたから驚いたよね。僕はムーア公爵家のウィリアム・ムーア。警戒する気持ちは分かるけれど、どうか僕たちの話を聞いて欲しい」
そこまで言葉を紡ぎ、ウィリアム様は王太子殿下に目配せする。
フィンレー王太子はそれを受けてハッとした様子で目を見張ると、バツが悪そうな顔をした。
「…ウィル、ありがとう。俺は些か冷静さを欠いていたようだ」
王太子は咳払いをして少女へ向き直る。
「すまない、ご令嬢。もう知っているかと思うが、俺の名前はフィンレー・マルティネス。この国の王太子だ。レディ、名前をお伺いしても?」
そう言って多少ぎこちないながらも彼は少女に笑いかけた。
王太子というこの国でも特に尊ぶべき存在に名のられたら名のり返さない訳にはいかない。
少女は警戒を解かない様子ではあったが、
「…シャーロット・ミシェルです」
としぶしぶ名を告げた。
その名を聞いてウィリアム様とフィンレー王太子は首を傾げる。王太子は最初より柔らかな口調でシャーロットに問い掛けた。
「ミシェルという一門は聞いた事がないが…。階級は?」
そう尋ねられると彼女はキュッと口を結ぶ。
「…あたしは貴族じゃありません。平民です」
「平民?…ああ、なるほど。特待生制度か」
ウィリアム様が納得した様に頷いた。
ここ、ルーク王立学園は基本的に貴族が通う教育機関だが特例として平民が入学する事がある。
その制度の名は『特待生制度』。
様々な条件をクリアした成績優秀な平民のみが入学を許される制度だ。
「もう、行っても良いですか。あたし暇じゃないんです」
後退りするシャーロットを宥めるようにフィンレー王太子が両手を軽く挙げる。
「ちょっと待ってくれ。見た所、レディは俺たちと同じ新入生だろ?式も終わったしもう少し時間はあるはずだ」
そう言うと、彼は一歩シャーロットに近づいた。
「本題に入ろう。正直に答えてくれればすぐに解放する、約束するさ」
王太子の若草色の瞳が鋭い光を放つ。
「さっきと同じ質問だ。…何故お前はソフィアの動向を把握していたんだ?」
その視線に晒されて、シャーロットは無言のままに俯いた。
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