第21話 白薔薇の園
朝の爽やかな日差しが紅葉した並木に降り注いでいる。
豪奢で趣のある学生寮の門の横に立っている私は、往来を行き交う人々の様子を眺めていた。
背後にある門から白い制服を着た貴族の子女たちが出てきては彼らの使用人と思しき者たちと共に学舎の方向へ向かっていく。
その様子をそれとなく見つめていると後ろから声がかけられた。
「リア、待たせたね」
その声に振り向けば、そこには私が敬愛してやまない我が主の姿があった。
真新しい白い制服に、艶めく濡羽色の髪のコントラストが美しい。この1年で急成長を遂げた背丈は男性の身長の平均値を優に超え、その面立ちは端正かつ優美である。その白い肌は相変わらず滑らかで、垂れ目がちの瑠璃色の瞳は今日も凪いだ海のように穏やかだ。
「それでは入学式が行われる講堂へ行こうか」
ここ1年のうちに変化した低く落ち着いた声でそう言うと私へ向かって彼は微笑む。私は学舎の方向へ歩き出すウィリアム様に対して黙礼すると、彼に付き従って歩き出した。
貴族の子女が集う、王都の中でも王宮に近い場所に位置するルーク王立学園。
当時の国王であるルーク・マルティネスが設立した学園で、貴族は15歳から18歳の間この学園に通う事が義務付けられている。
由緒と伝統あるこの学園は古いながらもよく手入れされた豪奢な建物が連なって構成されており、学舎、学生寮、使用人寮、いくつもの研究所などその施設は多岐に渡る。
さらに教師陣は各学会でも名のある面々を集めてあるという、まさに学問を学ぶにあたってこの国の最高峰と呼ぶに相応しい場所だ。
15歳となったウィリアム様も、当然の如く学園に通う事となった。
すっかり健康体となったウィリアム様はその慈悲深さを使用人たちに惜しみなく発揮し、最初は自己保身からウィリアム様に擦り寄ってきた使用人たちも段々と彼を心から敬うようになっていった。
民たちを知ろうと精力的に街へ降りて、庶民に扮してではなく公爵令息のウィリアム・ムーアとして話に耳を傾けるようになってから、民たちも次第にウィリアム様へ心を開きつつある。
学園へ出立する際の使用人たちのあたたかな見送りや、領内の人々のにこやかな声援は記憶に新しい。
学園入学が近づいた折にウィリアム様から
「僕について学園に来てくれないか」
と命じられた時は歓喜に打ち震えた。
ルーク王立学園に連れて行く事が出来る使用人の人数は、どんなに身分が高かろうが1人だけ。
その1人に選ばれた事がどんなに私を舞い上がらせたかは筆舌に尽くし難い。
ウィリアム様を講堂の入り口に送り届けると、私は使用人たちが控える奥まった場所へと踵を返した。
学園では、講堂での集会や授業中など特定の状況下において学生は使用人と別行動を取る事が求められる。その理由は学生同士の交流を促進する為と銘打たれている。しかし実際は、その昔使用人に甘えっきりで何もしない貴族子女が多く現れた時分、それを阻止する為定められた規則であるとまことしやかに囁かれていた。
私は他の使用人たちのように列に並び姿勢を正す。
暫くすると式が始まり、学園長が格式高い高説を述べ始めた。
来賓として訪れている国王陛下、王妃殿下のご挨拶も終わり、新入生代表としてフィンレー王太子殿下が壇上に上がる。
ウィリアム様と同じ程の背丈まで成長した彼は、年齢を重ねて益々顔立ちの華やかさが増していた。低い位置で緩く一つに束ねられた金の髪は輝き、その若草色の目は春の若葉のように生命力が溢れるような煌めきを放っている。
彼は王太子と呼ぶに相応しい見事な所作でお辞儀をすると、堂々とした様子で祝辞に対する礼を述べた。来賓の席に座っている国王陛下と王妃殿下が心なしか誇らしげな顔をしているのは気のせいでは無いだろう。
学園長がもう一度壇上に上がり締めの言葉を述べ、式はお開きとなった。
「はぁー終わった終わった」
「フィン、お疲れ様。堂々とした挨拶だったね」
「だろ?流石だって褒めてくれてもいいんだぜ?」
「本当にさすがだよ。フィンだからこそ出来た挨拶だと思う」
「…実際に言われると照れるな」
照れてほんのり赤くなった頬をぽりぽりと掻く王太子殿下にウィリアム様は笑みを向ける。
フィンレー王太子は照れくさそうにしていたが、暫くすると体勢を立て直した。
「それはそうと、今日はこれから暇だろ?学園内を探索しないか?」
「学園内を?勝手に歩きまわっていいのかな…」
戸惑う様子のウィリアム様にフィンレー王太子は悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「新入生が学園内を歩きまわることは禁止されていない。な、そうだろうエドワード」
フィンレー王太子に話を振られた焦茶色の髪をした背の高い男性は、無言で王太子殿下の言葉に頷いた。
エドワードと呼ばれた彼はフィンレー王太子殿下の護衛騎士としてこの学園に連れて来られた従者である。癖のある焦茶色の髪に浅黒い肌をした無口な男性だ。
「ほら、しきたりには詳しい王家の護衛騎士であるエドワードだって頷いている事だし」
「そう…。それじゃあ行こうかな」
そう言いながらウィリアム様が微笑むと、フィンレー王太子は
「そう来なくちゃな‼︎」
と笑った。
「と来れば、まずは…おっと、不味い。待ち伏せしている奴らがいる」
勇んで歩き出そうとした王太子殿下は、講堂の出入り口を見てクッと眉を顰めた。
「待ち伏せ…?」
ウィリアム様が怪訝そうに呟く。
私が講堂の出入り口を見れば…なるほど、そこには貴族の子女がたむろしていた。
「前に言っていた、フィンと近づきたいっていう人たち?フィンも大変だね」
そう返したウィリアム様に、フィンレー王太子は目を見開いた。
「お前、気づいてないの?狙われているのはお前もだよ、お・ま・え・も‼︎」
「えっ」
瞠目するウィリアム様を見て王太子は呆れたように肩をすくめた。
「公爵家の跡取りで、一度は病弱で跡を継ぐか疑問視されたが蓋を開けてみれば将来有望、しかも王太子である俺からの覚えもめでたい。ほら見ろ、あいつらの視線の先を。お前のことをチラチラ見ているだろ」
そう言われれば確かに彼らはウィリアム様の事をギラギラした目で見ていた。
「この分だとあの出入り口からは出られないな…。ふっふっふ、こんな事もあろうかと他の出入り口をリサーチしておいたんだ。そっちからこっそり抜けよう」
そう言って王太子はウィリアム様の手を引きながらにんまり笑ってウィンクをした。
抜け出した先は白い薔薇が咲き乱れる美しい薔薇園だった。
芳しい甘やかな薔薇の香りが漂っている。
「見渡す限り薔薇ばかりだ…。白い薔薇の生垣が美しいね」
ウィリアム様が生垣に咲く白い薔薇を覗き込みながらそう話すと、フィンレー王太子も感嘆したように頷く。
「王宮の薔薇園も見事だが、ここまで白い薔薇ばかり集めた薔薇園は初めて見たな」
そう言いながら薔薇園を進んでいくウィリアム様と王太子殿下。
その時。
ふと、少女の笑い声が微かに聞こえた気がして私は足を止めた。
「…?…どうしたのリア」
ウィリアム様が不思議そうにそう問いかけてきたので、
「いえ、何でもございません」
と首を振る。
しかし時同じくして、前を歩いていたフィンレー王太子が立ち止まった。
「…ウィル、何か聴こえないか?」
それを聞いたウィリアム様が耳を澄ませる。
「…女性の声?」
フィンレー王太子は首を縦に振った。
「ああ。向こうのほうからだ」
王太子殿下はニヤリと笑い、
「俺たちと同じ逃亡者かもしれない。誰なのか見てみようぜ」
と言いながら足音を消して声のする方向へ歩いていった。
「もしかしたらリラックスするために薔薇園に来た在校生かもしれないよ。邪魔をしたら悪いんじゃないかな…」
心配そうな顔をしながらもウィリアム様は王太子に着いていく。
「この向こうだ」
その場所に辿り着き、フィンレー王太子は生垣を覗き込む。
「…?」
怪訝そうな顔をした王太子を見てウィリアム様も生垣から向こうを伺った。
フィンレー王太子が呟く。
「誰だ…?貴族では見た事がない…。動物に囲まれているが…」
その呟きを聞いてハッとする。
白薔薇の園…少女の声…動物に囲まれている…。
そこまで考えて私は生垣の向こうを覗き込んだ。
「あはは‼︎くすぐったいわ‼︎…突っついても何も出ないわよ。あたしは今日あんたたちの餌になるようなものを持っていないんだから」
波打っている赤茶けた長い髪、日に焼けた小麦色の肌に、薄くそばかすのある顔。
「今日はおしゃべりだけ。ほら、あんたたちの話を聞かせてよ」
小鳥や鹿や狐に囲まれた、灰色の目をした少女。
私は彼女を知っている。
彼女はシャーロット・ミシェル。
『君と白薔薇』の、主人公だ。
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