第20話 独白(ウィリアム視点)
粛然とした自室にて。
僕は本の頁をめくりながら、毎日変わらず僕の警護をしてくれている彼を盗み見る。
スッと伸びた背筋、一分の隙もなく着付けられた騎士制服。
襟足程の長さに整えられた亜麻色の髪。
森の湖畔のような深緑色をしたその瞳はいつも真っ直ぐで揺るぎない。
僕は本にまた視線を戻すと人知れず溜息をついた。
僕が彼…リア・フローレスに恋をしてしまったのだと気付いたのは、宝飾品を扱う露店で彼が海をモチーフにしたイヤーカフを試着した時だった。
中性的なデザインだというそれは彼に似合いそうで、僕は彼に試着を勧めた。
事実、それは彼にとてもよく似合った。
僕の瞳の色をした宝石を身につけた彼の姿は僕の心を満たし、僕を幸福な気持ちにさせた。
『愛おしい』という感情が心の底から湧き上がり僕を包み込んだ頃、僕はようやく自分の心の動きに疑問を持った。
(『愛おしい』…?)
浮き立つような、ドロドロしたような、相手を自分のものにしたいような、そんな気持ち。
その気持ちの正体に思考が行き当たった時、頭を殴られたかのような衝撃が僕を襲った。
いつからだろう。
いつから僕はリアにこの気持ちを抱いてしまっていたのだろう。
赤く燃える夕焼けの中で、僕に向かって騎士として誓いを立ててくれた時だろうか。
彼が僕を『愛し愛される家族』という呪縛から解き放ってくれた時だろうか。
街で発作を起こした僕の手を握りながら、「また一緒に街へ出かけましょう」と言ってくれた時だろうか。
もしかしたら、もっともっと前から僕はリアに恋をしていたのかも知れなかった。
気がつけばイヤーカフを着けたリアが僕の名前を呼びかけながら僕の体を揺さぶっていた。
心配そうに僕を見つめる彼の顔を見て、僕は彼に許されない想いを抱いてしまったのだと血の気が引いていった。
帰り道、リアが心配そうに度々僕へ話しかけてきたけれど正直言ってよく覚えていない。
その夜、ベットに横たわりながら僕は考えを整理しようとしていた。
僕は公爵家の跡取り。
僕以外が跡取りとなるなら話は別だが、このまま僕がムーア公爵家を継ぐのならば僕は貴族の淑女を妻に迎える義務がある。
成人して、つつがなく妻を迎え、やがて生まれた子と共に人生を歩んでいく。それが貴族としての僕のあるべき姿だ。
百歩譲って迎える妻が平民であることが許されたとしても、それは問題の解決にはならない。
リアが男性であろうが女性であろうが僕にとって愛おしい人である事に変わりはないが、実際問題として彼は男性であり、そしてこの国の法律で同性婚は認められていない。
(もし…もし、リアが女性だったなら…)
縋るようにそこまで考えて、僕は自身の醜悪な思考回路に戦慄した。
(今僕は何を考えた?彼が女性であれば良かったと、そう考えたのか?)
自分の欲望のために彼の性別を否定するという自分の身勝手さに吐き気がして、僕はギュッと目を閉じた。
(そもそもリアの気持ちはどうなる。立場上、僕に迫られたらリアは受け入れざるを得ない。仮に彼が僕の求愛を断ろうとすれば彼は職を失う可能性に怯える事になる)
彼は献身を捧げてくれているが、それは恋情から来るものではない。
(仕えるべき主君に恋情を向けられるなど悪夢以外の何ものでもないだろう。彼が僕からの求愛を断っても彼の仕事を奪うつもりは無いけれど、もし僕が彼の立場だとしたら耐えられる気がしない)
彼は孤児だ。僕に求愛された結果、頼る所も無く身一つでここを逃げ出す彼が思い浮かんだ。
(この気持ちは抱いてはいけないものだ。葬り去らなければならない)
そう思ったけれど。
その笑みが。
いつも真っ直ぐな視線が。
ピンと伸びた背筋が。
朝、いつも整っている彼の後頭部に思いがけず見つけたぴょんと跳ねた寝癖が。
僕のことを呼ぶ声が。
ふとした時にかけられる気遣いが。
彼の事を思い出すほどにその全てが愛おしくて、その想いを捨て去ろうとする度に僕は心臓握り締められるような苦しみを味わった。
「…様、ウィリアム様」
ハッと我に返ると、僕の騎士が心配そうにこちらを見つめていた。
「勉学に励むのもよろしいですが、少し休憩なされたらいかがでしょう。先程から随分根を詰められているようなので…。よろしければ紅茶をお淹れします」
そう声をかける彼に、僕は微笑みながら返事をする。
「じゃあ、お願いしようかな。よろしくね」
ほっとしたように「かしこまりました」と答えながら戸棚に向かうリアの背中をぼんやりと見つめる。
(この想いが叶う事はないだろう。でも僕はどうしてもこの気持ちを消し去る事が出来なかった。この気持ちを絶対に気取られないようにする事が僕に出来るせめてもの事だ)
「ウィリアム様、砂糖は1つでよろしいですか?」
「今日は2つでお願いするよ」
振り返った彼に、僕は笑顔でそうこたえた。
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