第19話 瞳の色の

しとしとと雨が降る中、私はコートの襟を立てて足早に目的地へと向かっていた。

生暖かい雨がじっとりと服を濡らしてゆく。








小洒落た喫茶店のドアを開けると奥のボックス席に座っている栗色の髪色をした2人がこちらを振り返った。


「リア、こっちよ‼︎」


湿気の高い外の様子とは裏腹に晴れやかな笑顔を浮かべたポピーはこちらへ向けて大きく手を振った。

同じく笑みを浮かべたライリーも軽く手をあげる。

私はコートを脱ぎながら彼らが待つボックス席に近づき2人の向かいに腰を下ろした。

注文を取りに来た店員にコーヒーを頼み一息吐くと、ライリーは私に話しかけてくる。


「よお、久しぶりだな」


すっかり日に焼けて精悍な顔立ちになっても変わらない彼の笑顔に私は思わず相好を崩す。


「本当にね。行商に行きっきりで殆ど帰ってこないんだから」


私がそう言うと彼は頭を掻きながら苦笑した。

その横でポピーが溜息をつく。


「お父様にも困ったものだわ、この2年の間ライリーは出ずっぱりで息をつく暇もないんだもの。この2年で、双子とは思えないくらいわたしたちは見た目が違ってしまったわ」


そんな事を言いながらこの店自慢のカフェラテをスプーンで掻き回すポピーだが、そんな彼女の顔立ちもまた徐々に大人びたものへと変化しつつあった。

生来の可愛らしさを残しながら大人としての落ち着きも兼ね備え始めた彼女は魅力的な女性へと成長を遂げていっている。


「父さんはなぁ…商品への目利きは鋭いけど、他人に対する期待が高いところがあるから…」


そう言いつつライリーがポピーを宥める。


「まぁ、今ここにいない人について文句を言っても仕方ないわよね。ライリー、この間行ってきた行商について話してよ。わたしたち、あなたのお土産話を楽しみにしていたんだから」


同意を求めるようにポピーがこちらを向いたので、私は肯定するように頷いた。


「ボクもぜひ聞きたいな。先日まで山々が広がる領にいたんだっけ?」


「ああ。この間行商で滞在していた領地は宝石が採掘される鉱山があって、宝飾産業が有名な街が各地に点在しているんだ。ムーア公爵領にも宝石を卸しているから、機会があったら見に行くといい」


嬉しそうに行商であった出来事について話すライリーは心なしか得意げだ。





暫くの間彼は宝石の見分け方や街で見かけた煌びやかな宝飾品の数々を扱う店の事について話していたが、


「それでさ…その時出たんだよ」


急にその声を低くした。


「出たって、何が?」


私が聞き返すと、彼は一層低い声で


「魔獣が街に出たんだ」


と囁く。


「えっ‼︎魔獣が?」


ギョッとしたような顔でポピーが驚くと、ライリーは重々しく頷いた。









この世界には『魔獣』というものが存在する。魔獣は自然発生する災害のようなもので、獣のような姿をしているがその多くは謎に包まれている。


学者曰く、「魔獣は生き物のように見えるが生き物ではない。自然からいつの間にか発生する災害の一種。度々出現しては嵐のように周りへエネルギーを撒き散らす存在」だそうで、森などで魔獣に遭遇したら速やかにその場を離れる事が最良の対応とされている。

魔獣は周りの物質に損害を与えたり、生き物の生気を吸い取ったりするからだ。


街に出る事は滅多にないが、ごく稀に出現してしまった際には騎士団が討伐部隊を組織する。


魔獣の体には鉱石のような物体がめり込んでおり、鉱石が徐々に小さくなっていき消えた瞬間に魔獣も消滅する事から魔獣の動力はその『鉱石のような物体』なのでは?と推測されているが、何にせよ魔獣は死体も残らず跡形もなく消え失せてしまうため原因の究明には至っていない。









「オレ、魔獣なんて初めてみたよ。四つ足で立っていて、轟々燃え盛る炎みたいに実体が判然としないんだ。領内の騎士たちがやってきて立ち向かっていったけど…」


ライリーは肩をぶるりと震わせる。


「あんな化け物に向かっていかなくちゃいけないなんて考えただけでゾッとする。もう2度と魔獣とは関わり合いになりたくない」


そう言いながら彼が飲み物を啜ると、ポピーはホッとしたように首を振った。


「とにかく、ライリーが無事で良かったわ」


「大変だったね」


ポピーと私が労うと、彼は神妙な顔をして頷いた。














「ねぇ、リア。あなたは大丈夫なの?」


思い出話に花を咲かせて暫く。

急に声を潜めたポピーはこそこそと私に囁いた。


「大丈夫って…何が?」


何を問われているのかよく分からず聞き返すと、ポピーは真剣な顔をする。


「あなたは8歳で騎士団に入隊した時から14歳になった今までずっと男性として生活している訳だけど…無理はしていない?つらくはないの?」


ポピーがそう問うと、ライリーも真面目な顔をして私を見た。


「オレも気になっていたんだ。騎士団は男所帯だろう?不便な事や困っている事はないか」


2人があまりに心配そうにこちらを見詰めるので、私は答えに窮して黙り込んだ。










女性らしく身体が変化していく度に募る焦燥感。身体の成長を素直に喜べない事への哀しみ。しっくりこない一人称を使い殊更男性のように振る舞う時の、腹の底から込み上げてくる違和感。


自分の身体が女だという事を否定し続けることに私はどうしようもない苦しさを感じていた。


それと同時に。

私は女である以上、どうしても総合的に見て男に力で劣る。筋肉量の性差を克服するべく独自の身のこなしを編み出したが、それもいつまで通用するか分からない。『自身の性別や身体を厭いたく無い』、そう思いながらも「もしも私が本当に男であったなら」とそう空想する事をやめることができない。


『女性』というありのままの自分の性別でいる事が出来ない苦しみと、いっそ自分が『男性』だったらと夢想する、矛盾。










そこまでつらつらと考えて、目の前の2人に返事をしなければと私は彼らに向き直った。


「ウィリアム様の筆頭護衛騎士という事で1人部屋を与えられているから、今のところはあまり困る事はないかな。色々と思うところはあるけれど、でも…」


瞼の裏に穏やかな瑠璃色の瞳が思い浮かぶ。


「それでウィリアム様を支える立場が手に入るなら、それで良い」


迷いなくそう答えると2人はなんとも言えない表情で顔を見合わせる。

そして同時に溜息を吐くと、私の頭をわしわしと撫で回した。


「えっ、急にどうしたの?」


頭を撫でられながらあたふたしていれば、彼らはより一層強く私の髪を掻き回す。


「リアはこうと決めたら一直線だからな。今は何も言わないが…本当にしんどくなったら言うんだぞ」


「わたしたちの前では、あなたはあなたのままでいて良いのよ。わたしたちの仲でしょう、それくらいは甘えてね」


目を白黒させながら、私は彼らの言葉に頷いた。
















「ウィリアム様、こちらです」


「ああ、ごめんね。物珍しくてつい街並みを眺めてしまっていた」


また別の日。

ウィリアム様からの要望で、私と彼はムーア公爵領内の宝飾品が有名な街に来ていた。








遡る事数日前。

ウィリアム様はフィンレー王太子からの手紙を前にして思案していた。

手紙曰く。「この間は長らく王宮に押し込められていた気疲れでどうかしていた。許して欲しい。だがお前を親友だと思っているという言葉は本当だ」という旨の文面から始まり、反王族派と思われる者たちが無事捕まった事、長く半軟禁状態だったソフィア王女の心労が溜まっているので贈り物をあげたい事、せっかくならウィリアム様と一緒に贈り物を選びたい事などが書かれていたそうで。


ウィリアム様は喜んで了承の返事を送り、私に「贈り物を選ぶのに良い場所はないか」と意見を求めてきた。

そう聞かれて、先日ライリーに聞いた『宝飾品の加工を産業としているムーア公爵領内のとある街』が頭に浮かんだ私がそれを伝えた所さっそく下見に行く事になったのである。








前を歩くウィリアム様の様子を気にしながらフィンレー王太子殿下の手紙にあった「反王族派と思われる者たちが無事捕まった」という文言について思い起こす。


漫画『君と白薔薇』では王太子殿下の学園卒業後に反王族派が勢いを増し、マルティネス王家転覆に向けて暗躍する。フィンレー王太子の手紙によれば「反王族派は捕まった」らしいが、漫画通りに事が進むとするならば今回の大捕物では反王族派を根絶やしにする事は出来なかったのだろう。

私が反王族派の貴族の名前を把握していれば捜査に協力し不安材料を取り除く事が出来たかもしれない。しかし漫画には詳しく反王族派の貴族たちの名前は載っていなかったし、もし知っていたとしても「何故そんな事を知っているのか」と尋問される事になるだろう。


(ままならないな…)

そんな事を考えていたが、


「リア、ソフィア王女の年頃だとどんなものが好ましいのだろうね」


というウィリアム様からの問い掛けで我に返った。















それは露天の店が立ち並ぶ一角を回っている時の事。

ある物を見て、私は思わず足を止めた。


繊細な銀の細工に、海のように深みのある瑠璃色の宝石と、見る角度によって七色に輝く白い真珠があしらわれたイヤーカフ。

(この宝石…、まるでウィリアム様の瞳の色のようだ)

目を奪われていたのは一瞬だったが、ウィリアム様は私の様子に気がついて


「どうしたの?」


と不思議そうな顔で問い掛けた。


「いえ、何でもございません」


私が咄嗟にそう言うも、ウィリアム様は私が目を奪われていた宝飾品に気がついていたらしく、件のイヤーカフを眺めて双眸を細めた。


「わぁ、素敵だね。耳につける物なのかな?とても綺麗な銀細工だ」


微笑みながらイヤーカフを眺めるウィリアム様の元に、店主と思しき女性がやってくる。


「坊っちゃま達、そのイヤーカフが気に入りましたか?その真珠はこのムーア公爵領内で採れた小ぶりながら一等美しいものを使用しております。そしてその宝石は深く濃い青から淡い紫まで、光の当たり具合によって色が変化する『知性の海』という宝石です」


店主がゆったりとした様子でイヤーカフを手に取ると、埋め込まれた宝石の色がゆらりと揺らめいた。


「この銀細工もムーア公爵領内で名うての職人によるものです。貝殻と海をモチーフにした細工が、この宝石や真珠によく似合っているでしょう?最近は中性的なデザインが人気なんです。このイヤーカフも男女を選ばないデザインですから、坊っちゃま達のような男性にもお勧めですよ」


そう言ってにこにこと笑う店主は私たちに向かってイヤーカフを差し出した。


「ご試着も出来ますよ。どうです?」


ウィリアム様は私の方をにこやかに振り向くと、


「リア、気になっていたんだろう?試着してみたらいいんじゃないかな」


と私に向かって囁いた。

少しの間私は迷っていたが、決意を固めてイヤーカフを受け取る。

耳にそれを着けると、店に備え付けられた鏡を覗き込んだ。

(…うん、やはり綺麗なイヤーカフだ)

そう思いながら自らの耳を注視する。


「このイヤーカフは綺麗ですね」


はにかんでそう言いつつウィリアム様を振り返った。







ウィリアム様はこちらを見つめたまま時が止まったようにその双眸を見開き静止していた。








「…ウィリアム様?」


不審に思って呼びかけるも、反応がない。


「ウィリアム様、ウィリアム様、どうなさったのですか」


そう呼びかけながら彼の身体を揺さぶる。

彼はぱちぱちと瞬きをした後、みるみるうちにその顔を青褪めさせたかと思うと両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

私がどうしたのかと尋ねても、


「何でもないよ」


と繰り返すばかりだ。

私は訝しく思ったが、その時店主が声を掛けてきたので私はそちらへ意識を向けた。











帰り道、ウィリアム様の顔が血の気なく青褪めている事が気に掛かり何度か声をかけたけれど、その理由に対して彼が答える事はついぞ無かった。




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