第17話 騎士の誓い

いつの間にか窓から差し込む光は斜陽となっていた。

橙色の光に照らされた彼の顔が憂いを帯びる。


「時折考えるんだ。もし生き残ったのが僕じゃなく兄上だったらって」


思いを巡らせるように彼は目を閉じる。


「きっと兄上は領地の民たちに愛される素晴らしい領主になっていたことだろう。フィンとだって…」


彼は王太子の愛称を言いかけると、この場にいない王太子殿下を愛称で呼んでしまった事を悔いるようにかぶりを振った。


「…元々フィンレー王太子殿下と近しい友となる予定だったのは兄上だったんだ。殿下が10歳の誕生日に、兄と殿下は引き合わされるはずだった」


囁くような彼の声が部屋にこだまする。


「兄上の代わりに出席した式典で僕はフィンレー王太子殿下と出会った。殿下は『同い年の友が出来るなんて嬉しい』と喜んで、気安い愛称で呼び合う事を提案してくださった。彼は僕を友と呼び、わざわざムーア公爵領までやってきて下さるけれど…」


鈍い動きで彼は瞼を開ける。


「兄上だったら、フィンはもっと屈託なく話が出来ていたんじゃないかと思う。僕はどうしても彼から一歩引いてしまうから」


彼は紅茶の入ったカップに視線を落とした。


「前、王太子殿下がお帰りになった後に君は僕に向かって『ソフィア王女殿下の話をしていた時に憂いを帯びた表情をしていた気がするが何かあったのか』と聞いたよね」


皮肉げに彼は微笑む。


「僕は…羨ましかったんだ。お互いに愛し愛されている彼ら家族が羨ましかった」


自分自身を愚かしいと笑うように、彼は自嘲めいた笑みを浮かべた。


「家族というのは慈しみ合うべきなのだと本に書いてあった。兄上も、マーサもオスカーも、家族というのは大切にするべきものなのだと教えてくれた」


この場にいない人々を思い出すように、彼は目を瞬かせる。


「家族が『慈しむもの』なのなら、せめて僕は兄上の分まで父上と母上の事を愛そうと思った。けど、」


彼は苦しみに耐えるかのように顔を歪ませ、胸を押さえた。


「父上と母上を愛そうとするその度に、母上が兄の生と僕の死を望んだ叫びが、父上のその時の表情が、何度も脳裏をよぎるんだ」


苦渋に満ちた表情で言葉を紡ぐ彼は指先が白くなるほど胸元の服を握りしめる。


「苦しい…苦しいよフローレス。愛そうと思えば思うほど苦しいんだ。…僕はどうすれば良かった?どうすれば良かったんだ‼︎」


心に負った傷を曝け出すように彼は言葉を吐き出した。





それは、彼の魂からの叫びだった。















「公爵卿」


私の呼びかけに彼がこちらを向くと、彼の昏い目に私の苦しげな顔がうつった。


「公爵卿…」


私は彼に近寄りその側に跪く。


「もういい…もういいのです。家族だからといって、愛する事を自分に義務付けなくていい」


彼の目を覗き込み、少しでも深く私の言葉が届いて欲しいと願いながら言葉を紡ぐ。


「愛し愛される家族は確かに素敵です。そうあれたらどんなに素晴らしいだろうと思います」


赤い夕陽が彼の身体を照らしている。


「しかし、そんな家族ばかりではないのもまた事実です。相手から何もかえってこない一方的な愛はつらく苦しい。家族を愛そうという貴方の志は立派で尊いものですが、『愛さなければならない』という意識が今や呪いのように貴方を苛んでいる」


真っ赤な光に照らされて赤く染まった彼の身体の様が、彼が今まで負った心の傷からの血に塗れたかのようだと胸が苦しくなった。


「もう貴方はこれ以上無く努力なされました。もうご自分を『愛し愛される家族』という呪縛から解放していいのです。もう、いいのですよ」


静寂があたりを包む。

遠くに鳴く鴉の声が僅かに耳に届く。


「…良いのか?」


耳を澄まさなければ聞こえないほど微かな声。


「家族を愛せなくても…許されるのか?」


私はその声に確かに頷く。

それを見たウィリアム様の目から一粒、真珠のような涙が零れ落ちた。


「兄上のようになれなくても、僕は生きていていいのか?」


跪いたまま、私は再び強く頷く。


「君は…僕についてきてくれるか?」


掠れた声で問う彼に、私は微笑みかけた。


「以前に申し上げた筈です。『貴方以外の主君はいらない』と。…ボクは一介の騎士です。貴方のご家族の代わりにはなれません。しかし共に在る事なら出来ます」


それを聞いた彼の瞳から一粒、また一粒と彼の頬に涙が滑り落ちていく。

私はそんな彼を見詰めながら表情を改めて口を開いた。


「ムーア公爵卿…貴方を"ウィリアム様"と呼ぶ許可を下さい。ボクは貴方が公爵家の令息だから仕えているのではありません。貴方だから…他ならぬウィリアム様と共に在りたいと思ったから私はここにいるのです」


睫毛を瞬かせる彼に向けて私は言葉を続ける。


「今までは礼儀作法に則って"ムーア公爵卿"とお呼びしていましたが、出来れば貴方をその名で呼びたい。…許可を頂けますか?」


端正な顔立ちの上にほろほろと転がっていく雫をそのままにして彼は頷く。


「…許可する」


私はそれを聞くと胸に手を当てて首を垂れた。


「寛大な御心に感謝いたします。ボク、リア・フローレスは誠心誠意"ウィリアム様"に仕える事をこの槍に誓います」


ウィリアム様は私の誓いを耳にした瞬間、その整った眉を寄せ、泣き笑いのような表情をした。


「ふふ、昔の騎士が忠誠を誓う際に自らの武器を証とする儀式を擬えているの?ふふふ…」


彼は暫く笑っていたが、やがてその形の良い唇を開く。


「…僕も、君の事をリアと呼んでもいい?」


私に否やはない。


「如何様にも」


それを聞いた彼は指で涙を拭うと、まだ頬を伝い続ける涙を物ともせずに笑顔を浮かべた。


「リア。これから改めてよろしくね」


陽に照らされた彼の瞳は、いつか見た海の如く揺蕩うように美しく煌めいていた。




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