第15話 廊下での遭遇

春の気配が近づいて来たある日。


「庭で見頃のスイセンを見に行こうか」


そうウィリアム様が仰ったので、私たちは庭へ向かうべく廊下を移動していた。





公爵家の権力と財力を示すかのような長く広い廊下。

人の気配どころか塵ひとつ無いそこに私たちの足音だけが響く。





先を歩いていたウィリアム様が不意に廊下の窓へ視線を向ける。


「…美しいね」


彼の視線の先に目をやると、無数の白いスイセンが庭いっぱいに咲き乱れていた。

ウィリアム様は暫くの間柔らかな微笑みを浮かべながら白いスイセンの群生を見つめていたが、


「早く直接見たいね。先を急ごうか」


という言葉と共に再び歩き出す。





私もそれに付き従おうとしたした時。

廊下の向こうから近づいてくる人影を見て、ウィリアム様がその歩みを止めた。








豊かな白金の髪を結い上げ、淡い薄紫の豪奢なドレスを身に纏った美しい人。

麝香撫子の花のように幾重にも薄い布が重なったドレスは儚げなその人をより一層魅力的に見せる。

それは私が護衛騎士として赴任して以来初めて顔を見る人物。ウィリアム様の母君である、公爵夫人のオリビア・ムーアだった。



侍女たちを後ろに引き連れながら一輪の花のように佇むその人は、ウィリアム様の姿を彼女の菫色の瞳に写すと蕩けるような笑顔を浮かべた。

その艶のある唇がゆっくりと開かれる。


「テオドール」


ウィリアム様に向かって、彼女は一片の迷いもなくそう呼びかけた。













ウィリアム様は少しの間凍りついたように動かなかった。

数秒の後、彼は静かに息を吐き出して


「…母上‼︎今日は良い天気ですね‼︎」


と彼らしからぬ快活な大声で応答する。

それを聞いた彼女は益々笑みを深めてウィリアム様を見つめた。


「テオ、可愛いテオ。最近の様子はどう?近頃すっかり姿を見せないから心配していたのよ」





それは一見、母と子の微笑ましい会話風景に見える。

彼女、オリビア・ムーア公爵夫人から紡がれる我が子の名前が"テオドール"でさえなければ。

(どう言う事だ?テオドールはウィリアム様の兄君のお名前だった筈…。いったい、何のつもりで…?ウィリアム様を当て擦ろうとでもいうつもりか?)

そう思いながら公爵夫人の顔を伺って、私は思わず息を呑んだ。




皮肉か嘲りの表情を浮かべているかと思われた彼女の表情は予想に反して慈愛に満ちていた。

そのガラス玉のような菫色の瞳は目の前にいる人物が"テオドール"であることに何の疑いも持っていない。

(この人は本当に、ウィリアム様の事を今は亡き長子の"テオドール"だと思い込んでいる)

その事実は最初に思い描いた想像よりよっぽど残酷で、怖気が走るものだった。


そして…

(ウィリアム様のいつもらしからぬ快活な大声…。私の予想が正しければ、ウィリアム様は公爵夫人を刺激しないために"テオドール兄君"のふりをなされている)

自分を亡き兄だと思い込んだ実の母親と、亡き兄を演じながら会話する…。

(なんて…なんて、惨い…)

目の前の光景の残酷さに人知れず身を震わせる私を他所に、ウィリアム様はあくまで明るく言葉を続ける。


「心配をおかけして申し訳ありません。自分も母上にお会い出来ず、寂しく思っていました‼︎今、思いがけずお会い出来てとても嬉しいです‼︎」


「まぁ‼︎テオ、あなたはわたしを喜ばせる天才だわ。本当に可愛い子‼︎今すぐ一緒にお茶会を…」


夫人は弾けんばかりの笑顔を浮かべたが、何かを思い出したように困ったような表情をになった。


「そういえばこれから公務があるのだった。全く、急に呼び出すのも程々にして欲しいわ」


そう言ってため息をつく。


「はぁ、憂鬱」


さも面倒そうに口を尖らせた…かと思えば、急に顔を輝かせる。


「そうだわ‼︎公務なんて知らないふりをしてお茶会をしてしまえばいいのよ。さぁ、そうと決まればさっそく…」




「何を愚かな事を言っている」


急に浴びせかけられた男性のものと思われる低い声に、公爵夫人は白けたような顔をする。

彼女は嫌そうな顔をして後ろを振り返った。


「…バートランド」


そう呼びかけられた黒髪の男性は、その鈍色の目で鋭く夫人を睨んだ。


「お前がいないと進まない書類があるのにいつまで経ってもやってこない。使用人を呼びに行かせても追い返してしまう。しょうがなく態々探しに来てみれば…こんなところで油を売っていようとは…全く…」


その男性は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、夫人に向かって廊下の奥を顎でしゃくった。


「余裕がない人ね」


公爵夫人は無表情にそう呟く。

そしてウィリアム様に向かって


「テオドール、愛しているわ‼︎ご機嫌よう」


と言い残すと侍女と共に廊下の奥へ消えていった。









「父上…」


険しい顔で立っている背の高い男性…バートランド・ムーア公爵に向かって、ウィリアム様が思わずといった様子で声をかける。

ムーア公爵はそんなウィリアム様を一瞥した。




何の感情も浮かんでいない冷たい瞳。




『声をかける価値もない』と言わんばかりに、ムーア公爵はウィリアム様の呼びかけに応える事なく踵を返すとあっという間に去っていってしまった。
















廊下に残された私たちは暫くその場に立ち尽くしていた。


「フローレス」


ふとウィリアム様が私に声をかける。


「ごめん…スイセンを鑑賞するのはまた後日でもいいかな。部屋に戻りたい気分だ」


そう言うと、ウィリアム様は遅々とした動きで自身の部屋に向かって歩き出した。

私はその場で一礼すると、無言でウィリアム様の後を追った。


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