第14話 貝殻

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拝啓 親愛なるライリー・モーガン様


クロッカスが美しく咲いている今日この頃ですね。

いかがお過ごしでしょうか。


先日ポピーに会った時、貴方が隣領の山岳地帯へ行商に行く旨を聞き驚きました。

山岳地帯は魔獣が多く出ると聞きます。

ライリーは騎士団で共に武術を納めたかつての同朋ですから、滅多なことで倒れる事はないと信じていますがやはり少し心配です。


ポピーと一緒に貴方のお土産話を聞く日を待ち望んでいます。



貴方の友人、リア・フローレスより


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「フローレス、君は何か好きな物はあるの?」


予想外の問い掛けに目を瞬かせていると、ウィリアム様は尚も言い募った。


「好きな場所とか、気に入っている手持ちの物とか」






先日街で視察をした日からウィリアム様はこうして私…"リア・フローレス"について興味を示す事が増えた。

今までも良き隣人として関わろうとしてくれていたが、先日の一件からは特に私という個人を認識し『為人を知ろう』とする姿勢が垣間見えるようになった。

私との関係を良いものにしようという彼なりの心配りは私を面映い気持ちにさせる反面、聞かれても答えられる程の中身が自分にはないという事実を突き付けられる。

『ウィリアム様を守りたい』というエゴ以外に生きる軸が無い私は、ウィリアム様を守り切った後どうなるのだろうか。もし私よりも優秀な護衛騎士が現れお役御免になった時、役割を終えた私はどのように生きていけばいいのだろうか。






「…フローレス?」


心配そうなウィリアム様の声に自分を取り戻す。


「ごめん、答えにくい質問だったかな。言い難いなら無理しなくていいからね」


「いえ、そういう訳では…」


私は頭を回転させ質問の答えを捻り出そうとする。


「…海、でしょうか」


好きな場所と聞いて最終的に頭に浮かんだのは、ムーア公爵領にやってきて初めて目にした煌めく海洋だった。


「海が好きなんだ。海で何かするの?」


「これといった事はしませんが…ただ眺めたり貝殻を拾ったりしています。休日はよく海へ行きますね」


「そうなんだ」


彼は顎に手を当てて思案していたが、少しの間の後こちらを向いて口を開いた。


「よければ君がよく行く海岸に今度連れて行ってくれないか?」


自身の顔が困惑の感情を浮かべるのを感じながら慎重に言葉を舌にのせる。


「きっと、公爵卿が面白く感じるような事は何もありませんよ」


私の戸惑いを他所にウィリアム様は薄く笑みを浮かべた。


「それでもいい」


その細く形の良い白い指が開かれた本の頁をなぞる。


「僕が見てみたいというだけだから」


その感情が読めない笑みで見つめられて私は思わず首を縦に振っていた。

















ちらちらと細雪が降る曇天の空の下。


寒々しくて何処か寂しいような心地のする冬の海には、仄かに春の訪れを感じさせる生暖かい風が吹き込んでいる。

舞い落ちる白く細かい雪たちが砂浜に落ちては消えていくのを眺めながら、私とウィリアム様は海岸沿いを歩いていた。




「ここは静かだね」


サク、サク、と音を立てながらウィリアム様が私の半歩前を歩く。


「ねぇフローレス。何故海の砂浜には雪が積もらないのか知っている?」


不意にそう尋ねられて私は歩みを止める。


「…存じ上げません」


考えても思い当たらなかったので私が正直にそう答えると、彼は沖の方を見つめながら言葉を続けた。


「海の水には塩分が含まれている。塩分は氷を溶かす作用があるんだ。だから少量の雪であれば砂浜に染み込んだ海水の塩分に溶かされてしまう。だから海の砂浜に雪は積もらない」


彼はクルリと振り返る。


「ふふ。実際にその光景を見たのは今が初めてだけどね」


その目を細めてウィリアム様は微笑む。


「君は僕に様々な事を教えてくれる」


その笑みを前にして、私は口を開いた。


「そんな…。私は何も知りません。卿の知識量には足元にも…」


そのように言うと、ウィリアム様は海を見渡しながら再び話し始める。


「そうかな。君が連れてきてくれなければ僕は海の煌めきを知らなかった。風の冷たさも、街の人々の騒めきも、ヤナの実の美味しさも。知識だけ持っていたって意味はない。君が、僕の中の知識を血肉を持った見聞に変えてくれた」


そこまで話すと彼は暫く海を見つめ、そしてまた歩き出した。

少し歩いた所でしゃがみこむ。

そして何物かを拾い上げるとそれを空にかざした。


「真珠貝だ」


彼は手の角度を何度も変えてそれを眺める。

外側の無骨さとは裏腹に、オーロラのような輝きを放つ内側が美しく光った。

彼の手の中で貝殻が光を反射する様をぼんやりと見つめていた私は、近づいてきたウィリアム様にハッとする。

ウィリアム様は私の手を取ると、その手に持っていた真珠貝を私に握り込ませた。


「公爵卿…?」


意図が分からず困惑する。


「君にあげる」


怪訝な顔をした私に向かって彼はふんわりと微笑んだ。


「真珠貝は外から見れば他の貝と変わりない。しかし中をひとたび開ければ様々な色に輝く内側が顔を覗かせる」


私に笑いかけながら首を傾げる。


「まるで君みたいな貝殻だ」


その言葉に息を詰めた私を、その深い海のような瑠璃色の瞳が見つめる。


「…ボク如きには過ぎたお言葉です」


言葉に詰まりながらやっとの事でそう返すと、ウィリアム様は困ったように眉を寄せた。


「君は自己に対する評価が低すぎる」


そしてその身を翻すと、


「まぁ、それは僕個人の意見だから信じなくても構わないよ。その貝殻も好きにしておくれ」


それだけ言ってまた海岸沿いを歩き始めたので、放心していた私は足早にその後を追った。



















その夜、ウィリアム様に頂いた真珠貝を眺めながら『この貝をどこにしまえばいいものか』と考えあぐねていた。

他の貝と一緒の瓶に入れてしまうのは惜しい気がするし、かといって出しっぱなしにすれば埃がついてしまう。


「…今度、この真珠貝用の入れ物を買ってくるか」


そう呟いて、ひとまず瓶の横に置く。





七色に光を反射するその貝を見ていれば海で彼に言われた言葉を思い出した。

(『まるで君みたいな貝殻』か…)

真珠貝を見つめながら頬杖をつく。

(今の私はそんな大層な人物ではないけれど、いつかこの真珠貝のように内側が輝くような人に私もなれるだろうか)

夜が更けていっても、私は飽きる事なく真珠貝の輝きを見つめ続けた。


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