第13話 街
「街へ視察に行きたいんだ」
ウィリアム様がそう切り出したのは、庭に雪が降り積もったある日のことだった。
「視察、ですか」
私がそう聞き返すと、ウィリアム様は真面目な顔をして頷く。
「僕は今まで殆ど外に出た事がない。貴族が外出する時、担当の護衛騎士がいない場合は屋敷の警備の騎士が警護にあたるのが一般的だけれど、みんな僕と関わり合いになりたくなさそうだから頼みづらくてね」
彼は顔を窓の方へ向け、外を眺める。
「貴族は自領の民が生きやすいように暮らしを整えなければならない。僕が領主になるかは分からないけれど、その可能性が少しでも存在するのなら、僕は良き領主になれるよう努力する義務がある。領民たちがどんな暮らしをしてるのか、何を欲しているのか…、見てみたいんだ」
その表情は真剣そのものだった。
私はウィリアム様の横顔を見ながら、街へ視察に行くための準備について思案する。
「…明後日でもよろしいでしょうか」
数秒の後に私がそう提案すると、ウィリアム様は驚いたように振り返る。
「連れて行ってくれるのか?」
「はい。今すぐにという訳にはいきませんが、2日ほどお時間を頂ければ可能かと」
私の言葉を聞いてより一層目を見開いた彼は、やがてその表情をゆるりと緩ませた。
「…街へ出るなんて出来ないと思っていた。とても嬉しい。フローレス、ありがとう」
私はウィリアム様に向かって軽く一礼をすると、頭の中でこれから必要となるであろう物資を調達するための算段を立て始めた。
よく晴れた朝。
人の行き交う道の端で幌馬車から降り立った私は後ろを振り向き手を差し出した。
そっと重ねられた白い手を引くと、馬車の荷台からハンチング帽を目深に被った少年が姿を表す。
少年が地面に両足を着けるが早いか、幌馬車は土煙を上げて走り去って行った。
物珍しげに周囲を見渡す少年の耳に口を寄せる。
「卿、そのように周囲を繁々と見つめていては不自然です」
そう囁くと、ハンチング帽を被った少年…ウィリアム様は慌てたように視線を前に戻した。
「ここは馬車の乗り合い場なので長く留まると馬車に乗る人々の妨げになります。移動しましょう」
「分かった」
私はウィリアム様の手を引いたまま、足早に街の中心部へと向かって歩き出した。
ここは海沿いから少し内陸に入った所にある街で、様々な店が立ち並ぶ繁華街は領地の中でも一,二を争う賑わいを見せる。
ウィリアム様は最初貧民街の視察を希望していたが、初めての視察で貧民街に行くのは危険であると私が説得した結果、人の行き来が盛んなこの街を視察する事となった。
元々孤児で平民出の私は変装するまでもなくどこからどう見ても完璧な一般人だったが、一方私の主君はといえば平民の出立ちをしても隠しきれない上品さが所作から滲み出てしまっている。
木の葉を隠すなら森の中とはよく言ったもので、人の多いこの街だからこそ目立たずに済んでいるものの…
(これが田舎町や貧民街だったら一発で良いところの貴族だとバレていただろうな)
そう思いながら、私はウィリアム様を横目で盗み見た。
そんな私の内心など知らない彼は、興味津々と言った様子で店先に陳列されている果物を眺めている。
「フローレス、これは?」
「それはヤナの実ですよ。この街の郊外で収穫される特産品で、外側に付いている果肉ではなく種の中をくり抜いて食べるんです」
ウィリアム様は感心したように頷く。
「これがヤナの実なのか…。安価で庶民によく好まれていると本で読んだが実物は初めて見る」
しきりと感心している様子のウィリアム様に、奥から近付いてきた店の主人が声をかけた。
「やぁ、坊やたち。家の使いで来たのかい?そのヤナの実は今朝収穫したばかりで新鮮そのものさ‼︎一つ買っていかないか?」
「いや、僕は…」
店の主人からの販売口上を断ろうとしながらも、ヤナの実から目が離せない様子の彼を見て、私は店頭に並んだその実を手に取った。
「一つ下さい。すぐに食べるので、割ってもらえますか?」
「はいよ‼︎まいどあり‼︎」
私からお金を受け取った後、実を割る為に店の奥へ引っ込んだ店主を見送っていると、隣から視線を感じた。
隣を見れば、ウィリアム様が驚いたように私を見つめている。
「フローレス…」
そう呟きながら唇を震わせているウィリアム様を見て、私は軽く首を傾げた。
「召し上がってみたいのではと思ったのですが…もしかしてボクの思い違いでしたか?」
彼は緩く首を横に振った。
「食べてみたかったのは事実だけど…さっき払ったのはフローレスの賃金から出したものだろう?いけないよ…」
そう言いながら口を引き結ぶ。
「僕が迂闊にも金貨しか持ってこなかったから、さっきの乗り合い馬車でもフローレスにお金を出させてしまった。金貨を使うのが貴族か王族くらいだなんて知らなかったんだ。だから今回はもうお金を使わないようにしようと思っていたのに…」
自分を責めるように唇を噛む彼の顔を、私は覗き込んだ。
「公爵卿が庶民に扮して街に降りるのは初めてなのですから、金貨が庶民にとってどれだけ珍しいかを知らなくても無理はありません。今回のことは、ボクからのプレゼントだと思ってくれませんか。その方がボクも嬉しいです」
ウィリアム様は少しの間逡巡していたが、私が笑いかけると微笑みを返してくれた。
「…ありがとう、フローレス」
ウィリアム様がそう仰った直後、店主が二つに割れたヤナの実を持って戻ってきた。
スプーンも貸してくれたので店先でヤナの実の可食部を口に含む。
白み掛かった半透明のそれは薄甘く、ゼリーのようにぷるぷるしている。
初めて食べる食感に驚くウィリアム様を横目で見ながら、私は次の一口を口へ運んだ。
それから輸入品を多く取り揃える文具屋、鮮やかな衣類が揃う服飾の店、生活雑貨の店など、様々な店をまわった。
昼食として屋台でダックサンドを購入したら、
「こんなに豪勢に鴨の肉が挟んであるサンドイッチがあるのだね。屋敷ではサンドイッチ自体食べる機会がないからこんなものは初めて見るよ」
とウィリアム様は驚いていた。
感心するウィリアム様の横でダックサンドにかぶりつけばジュワッとした肉汁と甘めのタレが口の中に広がる。
貴族の食事は基本的にコース料理であるし、もしサンドイッチを出すにしても上品な一口サイズのものが一般的だ。
しかも貴族におけるサンドイッチの立ち位置はピクニックなどの外出の際に用意されるもの、というイメージがあるため、ウィリアム様がこんな豪快なサンドイッチを目にする機会はなかなか無いだろう。
ウィリアム様は最初"かぶりつく"という普段馴染みのない食べ方に苦戦していたようだったが、私がダックサンドに齧り付くのを見て食べ方を模倣し、最終的には上手に食べられるようになっていた。
街の広場までやってきて散策をしている時のことだった。
街のシンボルとも言えるほど市民や観光客に親しまれているこの広場は、今日も人で賑わっている。
メインストリートを歩いている際、私はウィリアム様の歩みがやけに遅いことに気がついた。
そっと彼の様子を伺う。
(…ウィリアム様の息が心なしか荒いような気がする)
そんな事を思っていると、ウィリアム様がその場で歩みを止めた。
怪訝に思った私は、
「卿、どうかなさいましたか?」
そう声をかけながらハンチング帽の下を覗き込む。
「…⁉︎」
彼の顔を見た瞬間私は思わず瞠目した。
ウィリアム様の顔は異様なほど白く、冷や汗がいく筋も流れている。
その顔は苦悶に満ちていてその形の良い眉の間には深い皺が刻まれていた。
とても尋常な様子とは思われない有様だ。
「卿⁉︎お体の具合が優れないのですか⁉︎」
小声で問うと、彼は力なく微笑む。
「ごめん、持病の発作が出たみたいだ」
そう言いながらも、私に気を使っているのか笑みを保ち続けているが、青白い顔ではそれがかえって痛々しい。
ウィリアム様は苦しげに手で胸部をおさえた。
止めどなく流れ続ける人の波が、立ち止まった私たちを押し流そうとする。
(ここにいては人目を集めてしまう。何よりウィリアム様が落ち着いて休めない。どこかへ移動しないと…)
焦りながら辺りを見回すと、遠くにあるベンチが人と人の隙間から視界の端を掠めた。
「卿、失礼致します」
咄嗟にウィリアム様を抱え上げる。
「…⁉︎…フローレス、何を…?」
「ご無礼をお許し下さい」
私は彼の身体を腕で固定するとベンチへと急いだ。
暫く後。
「ありがとうフローレス。助かったよ」
ベンチから起き上がったウィリアム様はそう言って私に笑いかけた。
広場の真ん中でウィリアム様が体調を崩した後、ベンチに到着した私は有無を言わさず彼をベンチへ横たえた。
彼は暫く苦しんでいたが、安静にするに従って徐々に呼吸も穏やかになっていった。
現在は顔色も回復し、体調も幾分か良いように見える。
「それにしても、こんな所で持病の発作が出るとは思わなかった。最近はあまり発作が出ていなかったから油断していたな」
ウィリアム様はそう呟くと私の方を見遣る。
「フローレスには迷惑をかけてしまった」
その顔から読み取れるのは自責の念と…
(…悲しみ?)
「…何故、悲しげな顔をされているのかお聞きしてもよろしいでしょうか」
そう尋ねると、ウィリアム様は思わずと言った様子で自身の顔に触れた。
「…そんなに分かりやすく顔に出ていたかな」
睫毛を伏せながら彼が俯くと、その艶やかな黒い短髪が揺れる。
「こうして無様な姿を見せてしまったんだ。もう外には連れてきてもらえないだろうと、そう思ってね。…情けないだろう?こうして従者である君へ迷惑をかけたのに、それを申し訳なく思うよりも、外へ出られない事への無念が先立つなんて。上に立つ者として失格だ」
自嘲するように彼は笑う。
「今までも無理を言って外へ出た事があったんだ。その時連れてきた従者はずっと怯えていたよ。当然だよね、もし外出中に僕が儚くなってしまったら責任の一端を負わされるのだから。今回だって君の事を考えるなら外に出ない方が良いって分かっていたのに」
グッと噛み締められた彼の唇は痛々しい。
「この身体さえ健康だったら…」
何かを堪えるような顔で、ウィリアム様は手を握りしめる。
私はそんな彼を見ていられず、強く握りしめられた彼の手をそっと両手で掬い上げた。
ハッとしたようにウィリアム様は私の目を見る。
私はそのまま彼の手を両の手で包み込んだ。
「卿、発作が起こったのは貴方のせいではありません、病気のせいです。ご自分をあまり責めないで下さい」
ゆっくりと言い含めるように、彼の目を見つめながら言葉を舌に乗せる。
「『もう外には連れてきてもらえないだろう』と貴方はそう言いますが、そんな事はありません。発作が起こるのなら、事前に休憩所を見繕ってから外出すれば良いのです」
「事前に…休憩所を…」
驚いたような顔で私を見返す彼に向かって、私は言葉を重ねた。
「ただ、外出するにあたって一つだけ約束して頂きたい事がございます」
彼の手をギュッと握る。
「ボクにだけは、体調不良を隠さないで下さい」
それを聞いて彼は呆けたような顔をした。
「…それだけ?」
ぽかんとする彼に向かって強く頷く。
「はい。貴方がどんなに苦しい思いをしていても、それを知らなければボクは何も出来ません。知ることさえ出来れば一緒に対処出来ることもあるかもしれないでしょう?」
そう言うと彼は目を見開いた。
驚きと喜びと戸惑いをごちゃごちゃに混ぜたようなそんな感情を顔に乗せ、彼は表情を歪ませる。
「…約束しよう。君には体調不良を隠さない。…これからも僕と共に外へ出てくれるか?」
私が彼を真っ直ぐに見つめて
「はい。ご一緒致します」
と頷けば、ウィリアム様は
「ありがとう」
と笑った。
夕暮れの橙色の陽を浴びながらウィリアム様を背負って歩いた。
ウィリアム様は
「もう歩けるよ」
と仰ったけれど、まだ少し顔色が悪いようだったから無理やり押し切った。
ぽつぽつと話しながら帰る道は、行きと同じ道なのに何処か違うように感じる。
背中に主君の重みを感じながら、私は一歩また一歩と馬車の乗り合い場へ向かっていった。
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