第12話 訪問者

「うん、完璧だ。君は物覚えが良いね」


「…勿体ないお言葉です」


私がウィリアム様から文字を教わるようになって数日が経過した。

彼は少しの事であっても折に触れて私を褒めて下さるので、褒められる事に慣れていない私はその度動揺しないようにするのに必死だ。

毎日、1日につき1時間文字を教わるこの時間が私にとって楽しみへと変化したこの頃。

その気恥ずかしくも穏やかな時間は、


「おーい、ウィル‼︎来たぞ‼」


突如部屋に突撃してきた訪問者によって中断される事となった。















「なるほどな。こいつがウィルの護衛騎士なのか。俺たちと同い年くらいだな」


椅子に座った少年は、その若草色の瞳をウィリアム様の側に立つ私の方へと向けた。


「フィン、『こいつ』なんて言ったらフローレスに失礼だろう」


ウィリアム様が嗜めるように少年に声をかけると、少年は唇を尖らせる。


「いいだろ、ウィルの前でくらい砕けた言葉で話したって。どうせ王宮では嫌になるくらい丁寧な言葉遣いで話さなくちゃいけないんだからさ」


若干拗ねたような顔をしていた少年は私の顔を見上げると、


「そこのお前‼︎えーっと、なんだっけ?名前忘れた…。…まぁ、とにかくウィルの騎士‼︎よろしくな‼︎」


にかっと笑ってそう言った。







私はこの少年を知っている。

肩ほどまである金の髪を後ろで緩く括り、宝石のように輝く若草色の瞳を煌めかせる彼…フィンレー王太子。

漫画『君と白薔薇』のストーリーでは自由奔放な王子として登場し、主人公のシャーロットと恋に落ちる人物だ。

その華やかな顔立ちは輝かんばかりで、表情は生き生きと生命力に溢れている。


そんなフィンレー王太子は今、人懐っこい笑顔でウィリアム様と話に花を咲かせていた。








「先触れがないのはいつものことだけど、今回は何の用で来たの?」


ウィリアム様が紅茶の入ったカップを上品に傾けながらフィンレー王太子に問う。


「友と会うのに理由が必要か?」


頬杖をつきながら悪戯っぽい笑みを浮かべてウィリアム様を見つめる王太子へ、ウィリアム様は困ったように、それでいて嬉しそうに微笑んだ。


「王太子殿下も暇じゃないだろうに…」


「ああ、暇じゃないね。毎日忙しくて目が回りそうだ。次から次へと知識を詰め込まれるし、少し暇ができたと思えばその隙を狙って取りいってこようとする貴族共が鬱陶しい」


苦々しい表情で紅茶を飲む彼の所作は、さすが王子だと見たものに言わしめるであろう程に洗練されていた。


「まぁ理由という程の理由ではないが、強いて言うならそこの奴を見に来ようと思ったというのが理由の一つだな」


そう言いつつフィンレー王太子は私の方へチラリと視線を向ける。

ウィリアム様はそれを聞いてきょとんとした顔をした。


「フローレスを?」


「今までどんな護衛騎士候補が来ても拒否していたお前が受け入れるなんて、どういう心変わりかと思ってな。一体どんな騎士が来たのやらと期待しながら見物に来た訳だが…」


王太子は、ふぅ…と息を吐き出す。


「案外普通の奴で拍子抜けしてる」


「『案外普通』って…フローレスのことを一体何者だと思っていたの…」


「そうだな…。怪物みたいな大男、絶世の美男子、はたまた超人的な力を持つスーパーマン…なんて線もありえるか、なんて」


そう言いながら王太子はにやりと笑う。


「フィン…」


ウィリアム様が呆れたような目でフィンレー王太子を見遣ったが、次の瞬間先程まで笑っていたのが嘘かのように王太子は真面目な顔をした。


「冗談だよ。ウィルが護衛騎士候補を拒否していた理由を俺は知っている。何はともあれ、俺としてはウィルが護衛騎士を側に置くようになって良かったと思っているんだ。…なぁ、ウィル。どうしてそいつを側に置く気になったんだ?」


ジッとウィリアム様の顔を見つめるフィンレー王太子に、ウィリアム様は


「ふふふ…内緒だよ」


と美しく微笑んだ。


















「そういえば、ソフィア王女はご健勝?」


和やかな談笑がひと段落ついた頃、ウィリアム様はふと思い出したようにフィンレー王太子に問い掛けた。


「ああ、元気そのものだ。俺を見つけるといつもついてくるので困っているよ」


困っていると言いつつも、とてもそうは見えない表情で王太子はデレデレと相好を崩す。


「確か今年で4歳になられたのだったかな?」


「そうだ。庭で花を愛でるのが好きらしく、庭師から貰い受けた花を俺によく渡してくれるんだ。かわいいだろう?」


自慢げに妹王女の様子を語る王太子に向かってウィリアム様は微笑ましげな表情を浮かべた。


「僕は暫く王城へ伺っていないからね。ソフィア王女にも謁見していないが、4歳といえばさぞかわいいざかりだろう」


「ああ。父上も母上も王室付きの使用人たちも、みんなソフィアに夢中だ。ソフィアには生まれ持って人を惹きつける力があるのかもしれないな」


至極真面目な顔をしてそう述べるフィンレー王太子は完全に妹王女にめろめろだが、本人は至って冷静なつもりらしかった。


そんな王太子をウィリアム様は一層微笑ましげに見つめていたが、ふとその顔が憂いを帯びた。

ともすれば見間違えかと思うような、一瞬の翳り。

私がその翳りを認めた次の瞬間には、ウィリアム様は既にその顔に微笑みを湛えていた。
















王太子殿下がウィリアム様の部屋を退出した後。

まるで嵐が去った後のように、室内は静けさに包まれていた。


ウィリアム様は先程から静かに本のページをめくっている。

私は彼を見つめながら、声をかけようとしては逡巡し止めるのを繰り返していた。


ウィリアム様の顔に浮かんだ一瞬の翳り。

それについてウィリアム様に問い掛けるべきか否かを決めかねていたのだ。





「さっきからどうしたの?」


部屋に穏やかな声が響く。

ハッと我にかえれば、ウィリアム様がクスクスと笑いながらこちらを眺めていた。


「まるで魚みたいに口を開け閉めして。…何かあったの?」


静かに微笑むウィリアム様を前にして、私はごくりと唾を嚥下した。


「あの…先程、ソフィア王女殿下のお話をされていた時なのですが…」


そう話し始めると、ウィリアム様は無言で言葉の先を促す。


「一瞬、公爵卿が憂いを帯びた表情をなされた気がして。何か、ございましたか?」


私がそう尋ねると、ウィリアム様は僅かに目を見張った。











少しの間私たちは見つめあっていたが、やがてウィリアム様はゆるりと目を細める。


「何にもないよ」


柔らかなのに、『これ以上踏み入ってくれるな』と線引きされたかのように距離を感じる声。


「心配してくれたんだね。フローレス、ありがとう」


その声音は穏やかに思えるがそこに含まれているのは私の質問に答える事に対する明らかな拒絶だった。





私は暫く無言で立ち尽くしていたが、


「…感謝の言葉を賜るなど、恐縮です」


そう言って頭を下げた。











その日、陽が暮れて夜が来るまで、部屋にはページをめくる音だけが響いていた。



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