第11話 文字
「気になる?」
私が正式にウィリアム様の騎士となってから3日目。
ペンの走る音が響く室内で彼は突如そう言った。
文字を書き込んでいる紙から顔も上げずに発されたその声の意図が分からず、暫く経ってから
「……気になる、と言いますと…?」
と聞き返せば、彼はそこで初めて私の方に顔を向けた。
「僕の手元を見ているようだったから」
僅かに首を傾げてこちらを見るウィリアム様の言葉に少し動揺する。
「邪魔をしてしまい申し訳ございません。今後は出来る限りそちらを向かないように致します」
そう言いながらお辞儀をすると、ウィリアム様は横に首を振った。
「ああ、責めている訳ではないんだよ。興味があるのかと思って。今まとめているのは各地域の特色についてだけど…君はそういった学問が好きだったりするのかな?」
心なしか期待するような声音で尋ねてくる彼を前にして、私は言葉を詰まらせた。
(これは…学問について語り合うような事を期待されているのだろうか。私にそんな学は無いし、そもそも私が見ていたのは…)
そんな私の様子を見てウィリアム様は首を傾げる。
私は少しの間沈黙していたが、主からの不思議そうな視線に耐えかねて口を開いた。
「内容を読んでいた訳ではないのです。…文字を見ていました」
「文字を?」
「はい。ボクは簡単な読み書きなら出来ますが、難しい単語などは読めません。公爵卿が書いていらっしゃる文字は見覚えのない単語ばかりでしたので、珍しくて」
それを聞いて彼は僅かに目を見開く。
「そうか、文字が…」
ウィリアム様は微かな声でそう呟くと、
「簡単な読み書きは出来ると言ったけれど、どこで習得したの?」
と尋ねた。
「私がいた孤児院には絵本が数冊あったのでそれで少し覚えました。あと騎士見習いの時、報告書を書くのに不便で無い程度に座学で習いました」
私がそう答えると彼は顎に手を当てて考え込み始めた。
そして私の方に再び視線を向け、
「君は文字が書けるようになりたい?」
と問い掛ける。
その質問の意図が分からないながらも、
「はい、文字を扱えるに越した事はないので」
と返答すれば、彼は微笑みながら
「そう。…君が良ければだけど、僕と一緒に文字を勉強しない?」
と口にした。
私はそれを聞いて暫く呆けていた。
「公爵卿と一緒に、文字を…?」
やっとのことでそう聞き返す。
「うん。君が嫌じゃなければだけど」
「そんな、嫌な訳ありませんが…。具体的にはどのようになさるおつもりでしょうか。ボクは文字の習熟度が高くありません。公爵卿とご一緒出来る程のレベルでは…」
私がおそるおそる尋ねると、ウィリアム様はいっそう笑みを深めた。
「フローレス、君はアウトプット勉強法って知っているかな?」
「…?…いえ、存じ上げません」
「一度勉強した事を復習する際、一人で勉強するよりも学習内容を人に教えた方がより理解が深まる、という理論に基づいた勉強法の事だよ」
「はぁ…なるほど…?」
「つまり質問の答えとしては、僕が君に文字を教えるって事だね」
「えっ」
それを聞いて私は硬直する。
「それは…ボクに都合が良いばかりなのでは…?」
私がそう言うと、彼は天使のように清らかな微笑みを浮かべながら
「まさか‼︎ 僕は君に文字を教える事でより文字に対する理解が深まる。君が僕から文字を教わってくれるだけで、僕は凄く助かるんだよ」
と仰る。
「フローレス…僕の我儘を聞いてくれないか…?」
そう言って見上げてくるその瞳は純朴そのもので、『ウィリアム様のお時間を私に使わせてよいのか』と葛藤していた私は呆気なく陥落した。
「ボクでよろしければ‼︎」
直立不動の姿勢でそう答えると、ウィリアム様は心底嬉しそうににっこりと笑った。
ウィリアム様はとても教え上手で、しかも
「フローレス、もうこんなに出来る様になったんだね。素晴らしい」
「筆跡がまた綺麗になったね」
「流石だよフローレス。この分だとすぐに追いつかれてしまいそうだ」
なんて褒めちぎってきたり、
文字だけでなくいつの間にか様々な勉学や行儀作法なども教えてもらう事になったりするのだが、この時の私はそれをまだ知らないのだった。
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