第10話 貴方と共に
途切れることのない雨音が沈黙する私たちの間に降り注ぐ。
…ウィリアム様は優しい方だ。
ご自分の安全を考えれば護衛騎士を側に控えさせた方がいいに決まっているのに、一介の騎士に過ぎない私のことを案じて、私が傷つかないように退路を示してくれている。
それでも。
「ムーア公爵卿」
私の答えはもう決まっている。
「ボクを貴方の護衛騎士としてお側に置いて下さい」
私がそう言って暫く。
彼は凍りついたように反応を示さなかったが、数拍経って驚いたように目を見開いた。
まるでありえないものを見るかのように私を見つめる。
「…側に1週間控えていて分かっただろう?この屋敷に勤めても僕と共に孤立するだけだ」
「そうかもしれませんね」
「さっきも言ったけれど僕が公爵を継ぐ保証はないんだよ?」
「はい」
「本当に君は理解しているの?」
「理解しております」
「僕は使用人に紅茶すら用意させる事ができないくらい立場が弱いんだ。もしもの時に、君の事を庇えるかも分からない」
ウィリアム様はそう呟くと何かを思い出したかのように顔を歪めた。
私はそれに答えることなく、ウィリアム様の机の上に置かれている紙束の1番上の紙に手を添える。
「…ボクが初めてここにやってきた時、ムーア公爵卿はずっと本に向き合って何事か書き綴っていました。最初は貴方が何をしているのか、分からなかった」
紙束のうちの一つを手に取り、ぱらぱらとめくった。
「領地経営の仕方、各地方の特色、礼儀作法、経理、計算、外交問題、医療、教育、貧困層について…」
紙束に残された膨大な量の勉学の痕跡。
「今なら分かります。自分が領主となった時、領民の為に何ができるのか。どうすれば領民が豊かになるのか。貴方はいつも考えていたんだ」
本棚に歩み寄り適当な本を抜き出す。
ページを捲れば、どのページにも隙間なく書き込みがしてあった。
その隣の本も、そのまた隣の本も。
びっしりと書き込みがしてある本たちは、彼の弛まぬ努力と苦労を示していた。
ウィリアム様の方へ振り返る。
「公爵卿。ボクと貴方が水場で出会った時、ご自分がなんと仰ったのか覚えていらっしゃいますか」
私がそう言うとウィリアム様は僅かに身じろぎをしたが、無言で話の続きを促した。
「汚れと傷に塗れたボクに向かって『僕と同じような歳でありながら厳しい訓練に耐える君を尊敬する』と、貴方はそう仰ったのです」
あの時のウィリアム様の眼差しを思い出す。
「貴方は目の前の領民を単なる"数"として見るのではなく生きた"人"として向き合う事が出来る方だ。身分の垣根を超えて、相手に対して敬意を抱き尊重することが出来る稀有な人間だ」
ウィリアム様は素晴らしい領主になる素質がある。
でも実際にウィリアム様が領主になるかならないかは私にとってさして重要じゃない。
最初はただ、『前世の私の心を救ってくれたウィリアム様』を助けたいと思っていた。
でも、今は。
民のためを想い努力する貴方だから。
一介の騎士を案じて1人でいる事を選ぶ貴方だから。
水場で執事を諭したように、目の前の人と真摯に向き合い間違った事を正そうとする貴方だから。
だから、私は貴方を守りたい。
「ボクの主君は貴方です。貴方以外の主君はいらない」
私は真っ直ぐにウィリアム様を見据えた。
「紅茶を淹れる使用人がいないのなら、ボクが紅茶を淹れましょう。
貴方と共にいる事が孤立に繋がるというのなら、喜んでその孤立を受け入れます。
貴方が辺境に行く事になったならボクに1番に知らせてください。孤児院育ちで家事には慣れていますから、きっと辺境へ行ってもお役に立ってみせます」
想いが伝わって欲しいと願いながら懇願する。
「どうか、ボクを貴方のお側に置いてください」
ウィリアム様は暫くその場から動かなかった。
そして椅子にもたれかかり長く息を吐き出すと、両手で顔を覆う。
「参ったな…」
力が抜けたような顔で彼が微かに笑う。
「こんなに熱烈な言葉を言われるとは思わなかったよ」
彼は少しの間そのまま静止していたが、やがて椅子から立ち上がると私の前まで来て止まった。
「僕の完敗だ」
私より少し背が低い彼が、私の顔を見上げる。
「リア・フローレス。君を僕の…ウィリアム・ムーアの筆頭護衛騎士に任命する」
彼は凛とした様子でそう宣言する。
そして、
「これからよろしくね、僕の騎士」
花が綻ぶように笑ったのだった。
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