第47話 終章
榊とカミオカの間に暫しの沈黙が訪れる。
鬼瀬と格は、テレビの前に陣取って成功裏に終わったG20サミットに関するニュース番組を見ていた。時折アメリカの大統領や中国の国家主席が画面に映ると、ここで何が行われたのか、自分たちなりに素人目で検証している。これからアメリカによる陰謀の 100年間が始まろうとしているのに、彼らはまるで他人事のように盛り上がり、果てはケイ子までそれに加わって、まるでクイズ番組の間違い探しでもしているかのようだ。画面に映る各国の大統領らも笑っている。アメリカの大統領だけは目が笑っていないと思えるのは、ここにいる自分たちだけだろうかとふと思う。
テレビの前の3人を遠目に見ていた榊が覚めたコーヒーを啜る。そして様子を窺うようにカミオカに語りかける。
「記憶戻ったんだろ。まさか戻ったついでに今までのことは忘れたなんて言わねえよな」
〈大丈夫だ。しっかり覚えている。それよりこんなことになって申し訳ない〉
「何が」
〈私には元から帰る所がなかったんだ。従って今後も君の身体の中に居続けることになる。もちろん君が許してくれるなら、の話だが〉
「何だそんなことかよ、俺なら全然構わねぇよ。それより聞かせてくれよお前が何でこの時代にやって来たのかってことをよ」
〈そうだな、最初から順を追って話すよ〉
カミオカは、しばらく黙り込んだ。頭の中でまだ整理がついていないのかもしれない。そのまま待っているとカミオカ自身も確認するかのように話し始めた。
〈私は今から100年後の未来で化粧品会社の商品開発部に所属する研究員だったことは以前に話したことがあったね。そこで私が研究していたのは、自身のDNAから人工培養して作り出した新しい肉体に、意識を移し替えると言う究極の若返りを目指すというものだった。これが成功すれば、元の肉体が抱えていた障害や疾患などは全て、培養する時点でDNAを操作して正常な状態にしてあるため、極めて健康な身体で人生をやり直すことが可能になる夢のような研究だ。そして実験が動物実験の段階になってこの研究は大きく方向転換することになった。どうやっても意識の移植が上手くいかなかった。そしてある時、実験を終えた猿の意識が不安定になっていることに私は着目した。この時はまだ猿の意識が時空間を彷徨っているなんて思いもしなかったから、ただ元の肉体から意識を抽出する施術に何か重大な意識障害をもたらす欠陥があるのではないかと考えた私は、実験中の猿の意識がどうなっているのか、何を感じ何を見ているのか映像化しようと試みたんだ。それが成功したから、猿の意識が時空間を彷徨っていることがわかったんだ。
時の世界の情勢は、中国が開発して世界に解放したネット網に依存し、新しい発明や機密情報は、瞬く間に中国に吸い上げられ模倣されるか、あるいは堂々と中国政府が介入し、挙句には中国のものであると宣言され奪われてしまうのが当たり前の世の中だった。私はこの発見を日本政府に報告した。中国政府に知られてしまう前に保護してもらうためだ。この研究に理解を示した日本政府は同盟国であるアメリカと急遽共同で専門の研究機関を発足させる。目的はもちろんタイムマシンの開発で、これが成功すれば歴史認識問題が解決することはもちろん、過去に起きた過ちが詳細に検証できるようになり、既存のシステムや今後のあらゆる開発に役立つようになる。というのは建前で、数十年前に起きた今の中国の覇権が築かれる切っ掛けになったイスラム国家による世界同時サイバーテロの真相が詳らかに出来る。場合によっては現状の世界情勢までが引っくり返ることになる。誰もが口にはしなかったが、だれもがそこに期待をしていた。
しかし研究を進めていくうちに私は、中国の陰謀説そのもの全てが実はアメリカ政府の自作自演だったということを知ってしまう。アメリカは100年に渡り世界を欺いてきたのだ。アメリカ政府がジェシカをスパイに仕立て上げたのは、私とジェシカが関係を持っていることに目を付けたからに違いない。そしてタイムマシンの開発が長引いていることを理由に研究が打ち切られたのは、私がアメリカの陰謀に気付いてしまったのが原因だったと思う。そもそもが研究機関を立ち上げたこと自体、私の研究をコントロールするのが目的だったのではないか。それ以後この研究には何人も手を付けてはならないとされるが、元の化粧品会社に戻った私は、この研究から手を引くつもりはなく、日本に残ったジェシカと密かに研究を再開する。アメリカ側にとってはジェシカがスパイだったのは実に都合が良かったはずだ。
そしてタイムマシンの開発は遂に成功する。
この時既に、今日のG20サミットから全てが始まっていることを私は知っていた。私の実験でタイムスリップした猿が、アメリカ政府の手によって中国の国家主席が暗殺され、その替わりに精巧なアンドロイドにすり替えられる一部始終を見ていたのだ。従ってG20サミットが無事に終わった今日をもって中国はアメリカの傀儡国家になったというわけだ〉
榊が唸り声を上げる前に、テレビにかじりついていた鬼瀬と格がこっちを見て反応する。
「鬼瀬はまだしも格までカミオカの声が聞こえるのかよ」
〈彼の身体は、朝倉が長く共有してきたんだ。聞こえても不思議はない〉
テレビの前から2人がやってきてソファに座った。カミオカの話に耳を傾けようと2人とも目を閉じて集中する。カミオカは続ける。
〈アメリカは再び世界の覇権を取り戻そうと画策している。中国を意のままに動かし、世界同時サイバーテロを仕掛けて多くの犠牲者を出した。私もジェシカも遺族の1人だ。あのテロがアメリカの陰謀だったと言うだけでも許せないが、未来の世界ではもう終わってしまったことだ。過去に遡ってアンドロイドに成り代わった中国国家主席を破壊したところで、100年後の私たちの世界が、それに影響を受けて姿を変えることはないんだよ。1度死んだ人間も生き返ることはない〉
「待てよカミオカ、そしたらお前は何をしにこの時代に来たってんだ」
〈私は、この時代に何かをしに来たんじゃない。アメリカ政府の手から逃げて来たんだ。それにこの時代の君らに伝えたいこともあった〉
「命を狙われたのか」鬼瀬が言った。これに榊がカミオカの代わりに頷いて見せる。
〈私は更にその後の研究でアメリカがこの先、核兵器を使おうとしていることを突き止めてしまった。標的にされるのはこの日本だ。もうすぐ私の住む未来で中国とアメリカの戦争が始まる。そしてアメリカの同盟国である日本に核が落とされ中国は世界を敵に回し第3次世界大戦に突入する。そして中国は破れ敗戦国となってそれまで築き上げてきた全てをアメリカに搾取されるという筋書きだ。因みに朝倉は中国がこの時代に送り込んできた工作員だが中国共産党にリークしたのはこの私だ。この問題は国家主席が1人で握り潰せる問題じゃないからね。私はジェシカがスパイだと言うことも知っていた。そして過去のとこばかりかこれから起きることまで知ってしまった私のことをアメリカ政府が放っておくはずがない。身の危険を感じた私は、自らタイムスリップしたんだよ。自分の身体が処分されることは最初から覚悟していた〉
口に運ぼうとしていたコーヒーカップを止めてどれだけ時間が経ったのか判然としなかった。それでもほんの10秒程度のはずなのに、ひどく疲れた気分になる。
「100年後の未来で日本は核攻撃される運命なのか、カミオカはそれを伝えに来たんだろ……でもよ今の話だと、仮に俺たちが中国の国家主席の恰好をしたアンドロイドを破壊したとしても、カミオカのいた未来では何の影響もしないんだろ」
〈それでも、この世界の未来は変わる。今からでも出来ることはやったほうがいい。自分たちの未来は自分たちで作ることが出来るんだ〉
「ちょっと待って、そしたらあなたの言ってることに矛盾が生じるわ」
ケイ子が疑問を口にする。確かにそうだ。カミオカはこの時代で仮にアンドロイドになった中国の国家主席を破壊してアメリカの陰謀を阻止したとしても、未来は何も変わらないと言った。1度死んだ人間は生き返らないとも。それなのにこの世界の未来は変わると言う。
〈時空間は輪になっているんだ。過去に行こうが未来に行こうが一定方向に時間を進んで行くといつか元の場所に戻って来るんだよ。地球の上を真っ直ぐに歩いて行ったらまた元の場所に戻るのと一緒でね。ただしこの輪は気が遠くなるほど長い。なにしろ時空間は宇宙全体のものだからね。そして起きてしまった事実は変わらないが、未来は変えることが出来ると言ったのは、例えて言うと時空間はタイヤのように転がって歴史と言う轍を作っているようなものなんだ。1度できた轍は2度と変えられないけど、前に進んで新しい轍を作るのは歴史を作る自分たち次第と言うことなんだ〉
「僕は、病み上がりみたいなものだからよくわからないんだけど、要するにあれを」格がカメラ目線で笑顔を作っている中国国家主席を指さした。「壊すことに意味はあるってことだよね」
「格、お前はよくわかってるよ。で俺たちはこれからどうする。公平」
榊がテレビの画面を見遣る。スクリーンにはサミットで中国の国家主席とアメリカの大統領が笑顔で握手を交わしている。
「アメリカは今日のこの時点で、いつか日本に核を落とすことを考えてんのかな」
榊の疑問にはだれも言葉が浮かばない。
「俺は100年後の未来がどうなろうと知ったこっちゃねえと思ってたけどよ。日本に核が落とされるってのは何か捨て置けねえな」
それはみんなも同じ意見に違いない。
「あのアンドロイドどうにかして3人でぶっ壊してやんないとな」
「何言ってんのよ。4人でやるわよ」
珍しくケイ子が口を尖らせて話に乗っかって来る。そんな彼女の顔も嫌いじゃないと榊は思う。
一泊おいて格が「おーー」と雄叫びを挙げるとケイ子が睨み付ける。
「あまり大きな声を出さないでよ。近所迷惑でしょ」
〈公平。私だっているのを忘れてもらっては困る〉
「カミオカ、お前は賛成しにくいんじゃねえのか」
榊はジェシカが残して行った手紙をつかみ取る。
カミオカが言った時空の摂理が事実なら、榊たちがアメリカの陰謀を打ち砕いた時、時空と言うタイヤはコースを変え、あらたな轍を作り始める。未来は変わってしまうのだ。カミオカの魂が100年生き続けたとしても未来に帰ったジェシカが待っているとは限らなくなる。
〈心配してくれてありがとう、ジェシカは待っていると言ったが、例え未来が変わらなかったとしても、私はもうジェシカに会うことは出来ないんだ。人間の魂も肉体と一緒で寿命があるらしい。君の体の中で、それに気付いてしまったんだよ。未来での私の研究だった究極の若返りは所詮一時期のもので、不老不死に繋がるものではなかったと言うことだ。だから気にしないでくれ、私も日本人だ。100年後の日本を守るために尽力したい。それでこそ命を懸けてタイムスリップして来た意味が有るというものだ〉
「でもさぁ、まだ諦めるのはまだ早いんじゃないのかな」
再びテレビに見入っていた格が振り返って言った。
「諦めるのは早いってどう言うことだ」と鬼瀬が言う。
ニュースでは相変わらずサミットの報道が流れ続けている。格が各国首脳陣が並ぶ絵面の中の中国の国家主席を指さした。
「あのアンドロイドを壊して未来が変わるなら、逆に言えば壊すまで未来は変わらないんだから、まずはタイムマシンを先に造ってジェシカに会いに行けばいいんじゃないの」
「そうよ、あれに近づいて破壊するなんてそう簡単に出来る事じゃないわ。それ相当の準備期間もいる。下手したら何年もかかる。だからその間にカミオカはこの時代でもタイムマシンを造ってしまえばいいのよ」
それはこの時代に来て何度か考えたことがあるが、この時代の設備でタイムマシンを作るのは不可能に近い。様々な技術革新のブレイクスルーを待たなければならないし、未来でタイムマシンを開発し、自らタイムスリップして時空の摂理を悟ってしまった今、彼らの言うことがいかに戯言か考えるまでもなくわかる。
それでも彼らの気持ちが嬉しくて「ありがとう」とお礼を言う。しかしその一方でもう1人の私が声高に訴えかける。
結論を出すのはまだ早い。未来は変えることが出来る。変えられない未来なんて存在しない。彼らにそう教えたばかりじゃないか。私もきっと変えて見せる。不可能の扉をこじ開けて、私は必ずジェシカに会いに行く。
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