第46話 手紙

 カミオカとジェシカの2人が榊とケイ子を通さずに直に接するのはこれが初めてのことになる。朝倉との闘いが終わった今、電磁波を気にする必要がなくなったわけだが、それでも直接の意志の疎通が今日が初めてということに違和感を覚える。 

 ジェシカがなぜカミオカの後を追ってこの時代に来たのかも全ては朝倉を排除したあとだと、はぐらかされた時からジェシカはきっと何か隠していると榊は睨んでいた。

 そのジェシカが今、自らケイ子の身体を借りてカミオカのことを待っている。

 

 特有の電磁波をまとったジェシカはいつにも増して眩しかった。

 歩み寄るとその青くなった瞳が少し潤んでいるのが見てとれる。その青い瞳には違和感のある黒髪のストレートヘアが、カミオカの理性を繋ぎとめるのに役立っていた。それでも彼女は美しとカミオカは思う。

「ハイ、ジェシカ」

 歩み寄ったカミオカの腕が彼女を抱き寄せようとした時、涙の雫がジェシカの頬にひと筋の糸を引いた。

 カミオカの腕が届く前に、自らカミオカの腕に飛び込んでその首に絡み付いたジェシカが、傾けた唇をカミオカのそれに押し付ける。

 カミオカは動揺するがそれも寸暇のことで躊躇のないジェシカの貪るような絡み付きに、負けじと彼女の背中を強く抱きしめた。

 長い間、絡み合った後も互いの身体を抱き寄せたまま無言で見つめ合う2人。

 セダンはいつの間にか駐車場からエスケープしている。

「イチロー、私にはもう時間がないのケイ子に手紙を渡してあるから、それを読んで」

「時間がないって、未来に帰るのかい。でもどうして」

 なぜ時間がないと言うことになるのだろう。僕だって後を追って未来に戻れば時間なんていくらでもあるじゃないか。そう言いかけた時、カミオカの中に空恐ろしい考えが浮かび上がる。

 僕はもう未来に戻れない。

 だとしたらジェシカは最初からそれを知っていたに違いない。蒼褪めたカミオカが無意識に一歩退いた。

「嘘だろジェシカ」

 頭を振るジェシカが、遠のくカミオカに縋り付いて最後の思いを訴えかける。

「これだけは信じてイチロー、そして忘れないで。あなたを愛しているわ」

 最後まで言い終わらないうちに、ジェシカの電磁波の光が弱くなり始めたかと思うと、その光はアッと言う間に消え去ってしまう。

 さよならも言わずにジェシカの魂はこの時代から消滅した。

「ジェシカはもう行ってしまったわ。彼女は今日この時間に戻るのが最初から決まっていたのよ」黒い瞳を取り戻したケイ子が話だした。

 だからジェシカはあれほど焦っていたのかも知れない。

「カミオカ、バトンタッチだ。俺がケイ子と話をする」

 半ば放心状態のカミオカが肉体の使役を解くと、榊が主体を取り戻す。

「ジェシカはカミオカに会いに来ただけじゃなさそうだな、ケイ子は知ってるんだろ」

「私は何も知らない。ただ彼女がこの時代にいるのは今日が最後だと言うのは、何となく感じていたわ。きっと彼女の目的は何かが無事に終わるのを見届けるためだったのよ。逆に言えばそれ以外のことは何もないってことになるんじゃないかしら」

 カミオカが息を呑むのを感じる。すこし残酷な展開になる予感がしてくる。

「見届けるためにって、朝倉がくたばるのをか」

「それは違うと思う。あなたたちの戦いが今日じゃないと駄目ってわけじゃなかったでしょ」

 確かに今日と決めたのは俺たちだが、今日と言う日に特別な意味はない。

「ジェシカが置いて行った手紙の内容は、2人のプライベートなことは除いて私たちには知る権利があるわ。行きましょう」

 ケイ子はそう言うと踵を返して駐車場から自宅マンションのエントランスに向かって歩いて行った。


 リビングで手紙を受け取った榊は、封を切って便箋を広げる。左利き特有の傾きを一文字づつ注意を払って矯正しながら慎重に書いたと思われる几帳面できれいな横書きの文字列が整然と並んでいた。もちろん日本語で綴られている。自分で読むかとカミオカに尋ねてみるが、どうやらその気力はないらしい。榊はざっと目を通すとカミオカとジェシカにとってプライベートな後半部分は避けて読むことにする。チラリと視線を上げるとキッチンでコーヒーを淹れていたケイ子が戻って来るところだった。鬼瀬と格も腰を下して固唾をのんでいる。


Dear Ichiro

 まず最初に私はあなたに謝らなければならないことがあります。

私はアメリカ政府の指示を受けたスパイだったの。驚いた、それとも勘のいいあなたのことだからうすうす気が付いていたんじゃないかしら。でも最初からと言う訳じゃないのよ、それは私とあなたが理化学研究所で出会って付き合うようになってからの話、最初はあなたが開発したタイムマシンの研究開発段階における報告書にアメリカ政府が興味を示したからだと思っていた。今思えばあなたの研究にアメリカ政府が危機感を抱いたからに違いないわ。そうじゃなければ、政府に協力しないと私はおろか姉妹やその家族にまで国家反逆罪を適用するなんて言い出さなかったはずだもの。だから仕方がなかったのよ。もしかしたら私は取り返しのつかないことに加担してしまったのかもしれない。黙っていて本当にごめんなさい。どうしても言い出せなかった。でももう私の任務はこれで終わり。だからせめて私が知ったことだけでもここに書き残していきます。


 私がこの時代に来た理由はひとつです。今日イタリアで開催されたG20サミットが無事に終わるのを見届けること。

 このサミットが無事に終わらないと100年後の未来でアメリカにとってどんな不都合が起こるのか私には知らされていない。でも今日のサミットが終わるまでの間、この時代の榊公平と朝倉竜一の2人から目を離すなとも言われていた。どちらか1人でもサミットを妨害しようとしたら私はそれを阻止しなければならなかったの。幸いあなたは記憶の一部を喪失していてサミットどころではなかったし、朝倉竜一も辿り着くことは出来なかった。ただ今日のサミットで中国の国家主席がペットの猿を連れてきているのが報道されているのを見てピンと来たことがあるの、あなたはタイムスリップさせたサルの脳細胞を調べることによって猿が過去の世界で何を見てきたのか映像化する方法を開発していたわ。その過程でタイムスリップさせた猿がそのペットを通して今日のサミットで何が起きたのか、あなたは見てしまったんじゃないかしら……


 不意に、榊が読んでいるジェシカの手紙がその手から零れ落ちて床に散らばった。

「どうした公平」黙って聞いていた鬼瀬が身を乗り出す。

 激しい眩暈に襲われた榊はこれまで経験したこのない頭痛に襲われる。

 遠くの方から何かが迫ってきたような耳鳴りが段々と大きさを増し榊の聴覚を奪う。両手で耳を塞いでもどうにもならない。耳の奥を針で突かれたような激痛が走り榊がソファーから転げ落ちた。

 格が救急車とケイ子に叫んだ大声がかろうじて榊の耳に届く。

「待ってくれ大丈夫だ。これは俺のじゃない」

 意味不明な言葉を残して榊はその後もしばらく、苦痛に呻き苦しんでいたが、やがて落着きを取り戻していく。

 呆然と見つめる3人の前で荒い呼吸をした榊がようやく這い上がってソファに座り直す。汗だくの榊にケイ子がタオルを渡してやる。

「すまんもう大丈夫だと思う。ケイ子悪いけど水を一杯くれ」

「本当に大丈夫か脳卒中かとおもったよ。俺のじゃないって変なこと言ってたけど、カミオカがってことか」

 コップの水を飲み干しながら頷く榊は、たった今突然ジェシカの手紙の内容にあるそのままの映像が大挙して頭の中に雪崩込んできたのを思い出して吐き気を覚える。

「あぁ、俺のことじゃない。どうやら手紙の内容に触発されてカミオカの記憶が戻ったみたいなんだ。でも取り敢えずは手紙の続きを読む」榊は何度か咳ばらいをして手紙を手に取った。

 

……あなたは見てしまったんじゃないかしら。見てはいけないものを。それが何なのか私にもわからないわ。

 そしてこの手紙を読んでいると言うことは、無事にサミットが終わったってことね。私は未来に帰って今頃そのことを報告している。これで政府はもうそちらの時代に干渉しようなどと考えはしないでしょう。

 なぜ、私がここまで言い切れるのか疑問に思ってるでしょうね。そうその時代にタイムスリップした人間が、他に2人もいるのになぜ政府はそれを知っていて敢えて口封じをしようとしないのか。その答えは、カミオカイチローも、朝倉竜一ももう未来には帰ることが出来ないからなのよ。あなたたちの肉体はもう処分されているわ。私には止められなかった、本当にごめんなさい……


 榊が言葉に詰まる。カミオカが未来に帰れなくなった理由がハッキリしたからだ。

〈大丈夫だ、公平続けてくれ〉

 それでもカミオカの声は毅然としている。もしかしたら記憶を取り戻したカミオカには、何かいい方法があるのかも知れない。気を持ち直して榊は続ける。


……政府は肉体を処分することで、あなたたちの魂も消滅してしまうと思っているの。万が一生き残ったとしても未来に帰ってこれなければ同じことだととも考えているわ。あなたは一体何を知ったのかしら。そしてどうしてタイムスリップなんかしたの……


 読むのはここまでだと言う顔で榊は首を竦めて見せる。

「取り敢えずはこんなところだ、あとはカミオカとジェシカの問題だ」

 その続きをカミオカに読ませる為にしばらく無言で手紙を眺め続ける。

 鬼瀬と格は、思い出したように慌てふためいてテレビを点けに行く。サミットはもう終わっているが、終わったばかりなら、サミット関連の報道番組を見つけるのに苦労はしない。傍らのケイ子は相変わらず澄まし顔でコーヒーを啜りながらテレビ眺めていた。 

 

……この世界であなたを見つけた時は本当に嬉しかったわ。でもそれと同時に悲しくもあった。会って話すのが怖かったわ。だから正体を明かさないであなたと朝倉竜一を監視しつつサミットの成り行きを見守ることが出来ないか考えたわ。でもそういう訳には行かない事態が次々と起こったわね。もしこの時代であなたや朝倉竜一が生きながらえていたら、殺さなければならないと言う命令が出ていなかったのが救いだったわ。たとえ生き残っていたとしても未来に帰れないあなたたちは取るに足らない存在だと政府が考えている証拠ね。逆にG20サミットが無事に終わることが、どれほど大事だったかってことを証明しているわ。きっとあなたはその真相を知っているのね。仮にあなたが記憶を取り戻したとしても、もうこの件には係わらないでほしい。その上で、あなたはこれからどうするのかしら宿主の榊公平がいつか年老いて死んでしまう時に一緒に死んでしまうのかしら、それとも宿主を変える方法を見つけることが出来れば、あなたはずっと生き続けることが出来るのかしら。これからは榊公平やケイ子たちにも協力してもらってその可能性を追求してそれを実現させてほしい。それを叶えて今日から100年間生き続けて下さい。そして誰かの身体を借りて100年後の未来に戻った私にすぐに会いに来てください。だからさよならは言わない。ずっと待ってるから……

 榊は静かに手紙を閉じて封筒にしまった。

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