第43話 能力開発
内側から巨大な丸太をぶつけて突き破ろうとしているかのような音が、少し前から断続的に響いているのを榊は倉庫の2階の窓から身を乗り出して聴いていた。
身体が復活した朝倉がコンテナの扉を内側から破壊しようとしている音だ。
「野郎思ったより早く治しやがったな。どれちょっくら行って時間稼ぎして来るわ」
窓の桟に片足をのせた榊が鬼瀬を見遣る。
「公平、無茶するなよ」鬼瀬が言った。
榊はコクリと頷くと顔を前に向けて窓から再びコンテナ群に飛び降りる。
〈長谷川も倒したことだし、ここは鬼瀬君と一旦引いた方が得策だと思わないか〉
「そうしたいとこだけどな、少し前から朝倉の電磁波が消えているのに気付いているか」
たとえ何処にいようと放出される電磁波が朝倉の居所を榊たちに教えてくれていた。今後、電磁波が辿れなくなるということは、考えるまでもなく根本的な戦略の見直しを迫られることになる。
〈本当だ。何も感じない。と言うことは、ここで一旦引いたら朝倉を見失うことになるな〉
コンテナの上に降り立った榊は朝倉を閉じ込めたコンテナに向かって行く。まもなく1台のコンテナが使い物にならなくなる。もし自分がコンテナに閉じ込められたら、あのように破壊出来るだろうかと考えてみるが、出来そうもないことはすぐに思考の外に投げ捨ててカミオカとの会話に戻る。
「だろ、ここで引いたら次は奴の居所をどうやって探す。奴にはまだ100人以上の子分もいるんだぜ。電磁波を辿れることが、唯一数の理論を帳消しにするアビリティだったのによ。あいつ進化することにかけては貪欲なんだ。今日ここでケリをつけないと次の機会には、俺たちが考えてることは通用しなくなってる可能性もある」
やはり12年先輩は伊達じゃないということだ。もしや電磁波のオンオフは、こっちを誘う為に敢えてずっとオンにしていた可能性も充分考えられる。願わくば12年の研究成果の全てをレポートにして提出してもらいたいものだ。
〈万が一の時は、朝倉の取引に応じてくれて構わない〉
「あのなぁ、朝倉の言っていることなんて嘘に決まってんだろ」
〈そうやって思ってくれるのは嬉しいが、君たちの命が掛かっている。中学生の時のような喧嘩とはわけが違うんだぞ〉
「そんなことは百も承知だ。だからってほいほい自分の信念を曲げれるほど器用じゃねえし、なにも当てずっぽで嘘だって言ってるわけじゃねぇんだけど」
〈本当に不器用な奴だ。君には呆れるよ〉
なぜ嘘だと断言出来るのかその突っ込みどころは無視されたが、カミオカの口調は言うほど呆れてはいない。むしろ好意的ですらある。
「鬼瀬の方が俺よりもっと不器用だけどな、まぁ取り敢えず今はもう少し時間稼ぎだ」
朝倉を封じ込めていたコンテナの扉が、まるでバネ仕掛けのように弾け飛ばされた。壊れた閂の破片が宙を舞って榊の頭上を掠めていく。
全身からほとばしるように輝きを放つ例の電磁波はなりを潜めていても、圧倒的な存在感をまとった朝倉がそこにいるのは、コンテナの陰で見えなくてもビリビリと伝わって来る。
「カミオカ、あの野郎なんだかさっきと雰囲気が違わねえか、身体ごと進化でもしたのか。まるでフリーザーみたいだな」
〈冷凍庫に例える意味が理解できないが、少なくともコンテナにもう一度封印することは無理だろうな〉
朝倉がその顔に陽の光を浴びる。清々しいとも言える顔をして榊を見遣る。
「ひとつ教えといてやる。俺は進化しているんじゃない、人間が本来持っている能力を開発しているだけだ」
これがどういう事かわかるか。そんな顔をした朝倉が悠然と榊を見据える。
「ハードじゃなくてソフトの問題ってことだろ」榊は敢えて言葉にしないで念じる視線を投げかけてみる。
「その通りだ」朝倉も声を出さずに答えてみせる。「榊もう一度言うぞ。今すぐ俺を受け入れろ。さもないとこの場で死ぬことになるぞ。そのケツに隠し持っているスタンガンが役に立つと思ってるのか」
確かにスタンガンを使おうと考えていたが、まるでこっちの隠し玉がこれだけなのかと見透かしたような言い方と、どこか達観したような尊大な態度がなんだか癪に障る。
「カミオカ、俺たち3人の意識がグループ化してるぞ。なんかヤバくねえか」
〈いや状況はもっと深刻だ。朝倉は君の記憶領域にアクセスできる。と言っても無条件に君の記憶領域にアクセス出来るのは表層の思考部分のみだ。それ以上は人が本来持っているプライバシーを侵害されたくないと言う意識がプロテクトとして機能している。要はメモリーは覗けるが、ハードディスクは覗けないということだ。こうなったらこっちも戦いながら、人間が本来持っている能力を開発して対抗して行くしかない。能力開発は私が担当する。公平は今の自分の目的に専念してくれ。朝倉に読み取られたくない情報は考えないようにするんだ〉
「わかった。作業分担が出来るのはこっちの強みだな」
榊は、地を蹴って爆発的な瞬発力を発揮すると一気に朝倉の間合いに飛び込み、がら空きの左脇腹にボディフックを繰り出した。しかしそれは当然のように空を切る。そこへ朝倉の拳が打ち降ろされる。これをバックステップして躱した榊は、打ち降ろしで前屈みに身体が流れた朝倉の顔面に一発お見舞いしようとするが、それよりも早く朝倉の顔面は榊の繰り出そうとした拳の軌道から外れて見せる。
自分の状況判断は、経験に基ずく勘によるところが大半だが、朝倉のそれは明らかにこちらの思考領域を読んで躱している。それをまざまざと感じさせる一瞬だった。
次に右にステップした榊はフェイントを入れて朝倉の右脇腹を狙うがこれも空を切る。そこへ朝倉が左膝で榊を急襲しようとするが、その予備動作の前段で榊は膝の軌道上から外れて見せた。それは勘による反応で避けたのではなく、榊自身も朝倉と同じことをやってのけたのだ。カミオカの能力開発が早くも功を奏し一瞬でインストールが完了された結果、榊も朝倉の思考領域にアクセス出来るようになったのだ。カミオカがしたことは朝倉の思考のSSIDを取得したようなものだ。
「カミオカ、人の思考って公共の電波並みに流れ出てるんだな。て言うかそれをこの一瞬で出来るようにしたお前が凄い」
〈私のしていることは、既に売り出されている商品を模倣して販売する三流家電メーカーのそれと同じだ。本当に凄いのはこの朝倉だ〉
こうなると互いが繰り出そうとする打撃の読み合いが始まる。コンマゼロの果てしないカウンター合戦。意表を突こうとする騙し合いの応酬。傍目にはただ向き合っているだけでも、実際はそれ以上の体力が消耗されて行く。手を伸ばせば届く位置で微動だにしない2人の男が、日射しを浴びているとはいえ尋常ではない汗を吹き流している姿は異様だった。それでいて互いの能力開発も競争相手を得て加速して行く。やがて2人は徐々に最小の労力でそれが可能になる術を見出して最適化し吹き出す汗は止まりつつあった。
そしてこの均衡を最初に破ったのは榊だった。いや榊の身体を動かしたカミオカだった。
カミオカの放った榊の右拳は真正面から朝倉の顎を捕らえた。朝倉は思わずその場から2歩、3歩と退く。
いくら榊の身体で、しかも肉体強化がされているとはいえ、実際には喧嘩などしたこともない一介の科学者に過ぎないカミオカの打撃が、朝倉に肉体的なダメージを与えれるはずもないが精神的な動揺が朝倉の身体をよろめかせたのだ。
朝倉は目を丸くして榊を見遣る。
「カミオカとうとうやったな。だけどパンチの打ち方がなっちゃいねえ」
〈咄嗟だったんだ、次はもっと増しなのが打てると思う〉
この会話は当然朝倉にも聞こえている。その朝倉が納得顔で言う。
「そう言うことだったか、どうりで腰の入ってないパンチだ。だがこれで有利になったと思うなよ。今ので俺にもわかったことがある」
朝倉の思考が読めた。右の拳が来る。榊はそれを躱してカウンターを合わせる。さっきまでと変わらない思考の読み合いが始まる。ところが榊は朝倉の左拳を顔面に叩き込まれてもんどりを打った。
「今のは効いたぜ。多分顎が砕けてる。カミオカすぐに治るか」
〈大丈夫だ。それより朝倉は通常の思考をフェイクにして無意識の拳を繰り出すことを覚えたようだぞ。今後は朝倉の思考を当てにはするな気を付けろよ〉
「学習して応用するのが早いな。こっちだって負けねえぞ」そう言った榊が跳ね起きると朝倉に向かって行って殴り掛かる。
榊の思考が読み取れても、カミオカの思考にまでは触手が届かない。故に時折カミオカの意志が反映する攻撃は、朝倉にとって意識の外からの飛んでくることになる。だから当たる。一方朝倉は、榊が読み取れない記憶領域にまで思考領域を押し広げ、その領域で攻撃を司ることにより、榊側からはあたかも無意識の拳を発動しているように見せている。機械的にはアクセスできないハードディスクの一部をメモリーとして使用しているのと同じ理屈だ。
読めない攻撃は避けようがなく、先ほどの微動だにしない思考の読み合いから一転して殴打の応酬が始まったが徐々に均衡が崩れ出し、やがて朝倉の攻撃だけが空を切り始める。
〈公平、どうして朝倉の攻撃が避けられるんだ〉
「簡単なことだ。だけどそれを今話したら種明かしになる」
しかし、いくら榊の打撃だけが当たるとしても、その打撃は不慣れなカミオカの意志に基ずく打撃である限りそれはどこまで行っても、運転初心者がフェラーリに乗ってサーキットを走っているのと大差がない。従って効きもしない打撃を恐れる必要のない朝倉は、自分の打撃が当たらなくとも一向に焦る気配は見られない。判定勝ちがあるなら圧倒的なポイント差に違いないが、追い詰められているのは榊側の方だった。
そして唐突に局面がひっくり返る。榊の思考をフェイクにしたカミオカの意識的な攻撃を、あたかも無意識に見せている時間はそう長く続かなかった。朝倉がカミオカの拳を手の平でがっちりとキャッチした。
「所詮、付け焼刃は通用しねえんだよ。勝負あったな」
拳に続いて、もう一方の手が榊の喉元に迫る。抵抗も虚しく首を鷲掴みにされた榊は宙吊りにされたままコンテナに押し付けられてた。そのまま喉首を握り潰すことも可能なはずなのに、朝倉は打撃を躱された鬱憤を晴らすかのように榊の顔面や鳩尾に重い拳をメリ込ませていった。
〈公平このままじゃ時期に再生が追い付かなくなるぞ〉
誰のせいでこうなったと思ってるんだ、と言う言葉を呑み込んで榊はこの状況からの脱出を模索する。しかし思考は朝倉に筒抜けになる。
それにしても朝倉の無意識の打撃は実に躱しやすかった。思考をフェイクにしているが故に、それがフェイントとなって高い確率で逆に飛んでくるからだ。仕舞には逆に来ないときの癖まで見抜けるようになった。だから全部躱せるようになった。わかったか朝倉、これがお前のパンチや蹴りが当たらなかった答えだ。
一朝一夕で無意識の攻撃を繰り出すのは至難の技だ。朝倉や榊レベルでも不可能と言っていい。それでも2人はそれに近いことをやってのけた。そして榊はディフェンスの種明かしをブラフにして、朝倉の意識の外から10万ボルトの改造スタンガンを頭に押し付けることに成功する。
通電の衝撃に榊は宙吊りから解放されるが、朝倉にさほどのダメージはなさそうだ。それよりも余程驚いたらしい。こめかみの辺りを痙攣させて凄まじく恐ろしい目でこっちを睨んでいる。もしかしたら感電するのは苦手なのかもしれない。
再びの対峙。睨み合い。心の探り合い。
朝倉の肩越しに倉庫の2階の窓がちらついた。
「鬼瀬の腕はまだ治らねえのか、あと何分掛かるんだ」
それは不用意な心のつぶやきだった。朝倉が眉を釣り上げる。
「鬼瀬の復活を待ってどうする。単純に2人掛かりなら勝てると思ってるのか」
突如、朝倉の眼球が真っ黒に染まっていく。漆黒の眼球から放たれる視線の槍は榊に向かって飛んでくる。その切っ先に乗っている朝倉の思考を受け入れたら最後だ。睨まれた相手の脳内はありとあらゆる障壁を突破され全てを見透かされ丸裸の自分を朝倉に晒すことになる。
しかしそれは今の榊に限っては通用しないことはわかり切っているはずだ。
それなのにどうして今更。
朝倉の視線の槍は、榊の目前で真上に上昇し弧を描いて方向転換した。
その先には、倉庫の2階の窓がある。
「しまった。朝倉は鬼瀬の思考を読みに行ったんだ」
〈公平、今なら朝倉は動けないはずだ。なんとかするんだ〉
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