第39話 拉致

 雑居ビルから出てきた5人の男たちは、そのまま区役所通りに向かってバラバラと歩き始めた。

 時刻は東の空がうす明ける午前4時半。眠らない街と揶揄される歌舞伎町が一番静かな時間帯でもある。彼らが通り過ぎようとしている24時間営業のバッティングセンターに人影は見当たらない。ゴミ置き場に群がっているカラスが泣き叫びながら飛び去って行った。オープンシャツの肌けた胸元から入れ墨が覗いている20代後半の男が5人の中で一番年長者だった。皆一様に気怠そうにしているのは昨夜から飲んでいたからに違いない。人の気配が他に殆んどないことが、歌舞伎町で浮いた存在でもある彼らから緊張感を希薄にしていた。

「タクシー拾います」

 後ろについて絶えず周囲の機微を窺っていた10代後半の若い衆が、区役所通りに向かって走り出すと、鉢合わせのタイミングで1台の黒いRV車がタイヤを軋ませながら突っ込んで来た。

 早朝の歌舞伎町に乾いた炸裂音が断続的に響き渡る。

 至近距離で銃撃された若い衆が血飛沫を上げながら身体をのけぞらせた。

 他の4人が何ごとかと咄嗟に身を屈めるが、ハンドルを切って横向きになったRV車のウインドウから突き出された無数の銃口から身を隠す術などありはしない。撃たれた無数の弾丸は一発も外れることなく全て4人の全身が受け止めることになった。

 この4人の詳しい身元が判明するのは何日も後のことになるが、最初に銃撃された若い衆は、駆け付けた警察官が竜神会の組員だと知っていたため、他の4人も竜神会の組員に違いないと判断される。

 そして竜神会組員襲撃はこれだけで終わらなかった。その日のうちに新宿のあちこちで発生し、更に4人が死亡し5人が重軽傷を負うことになった。

 この襲撃事件を、一方を竜神会とする暴力団同士の抗争だと断定した警視庁は、歌舞伎町に300人の機動隊員を導入し警戒に当たらせる。これによりヘタに身動きが取れなくなった竜神会をはじめとする暴力団員の姿は歌舞伎町から姿を消した。

 

 東崎剛士が父親から代を引き継ぐにあたって、一番懸念したのはやはり竜神会の存在だった。

 竜神会の前身は、かつて自分も所属していた暴走族新宿カオスだ。まだ東崎がカオスの一兵卒だった頃に、突如現れて総長になった朝倉とは顔を合わせることは殆んどなかったが、前総長、長谷川とは歳は離れているが同じ中学の出身だったこともあり、兼ねてから知れ渡っているその伝説的な強さに憧れてカオスに入ったのだ。その強さは単に腕力によるものだけではなく、緻密に計算された用意周到な奸計があったからだとカオスに入ってから嫌というほど思い知らされたが、東崎はそんな長谷川の底知れぬ恐ろしさにも惹かれていた。

 竜神会のことなら、先代に言われるまでもなく、よくわかっている。

 

 その竜神会とことを構えるにあたって東崎が最初にしたことは、嫁と子供を長期の海外旅行に行かせて、自分自身と他の組員は自宅や組事務所から退避をすることだった。

 巨大な組織の後ろ盾を持たない暴走族上がりの竜神会が、なぜ歌舞伎町で組事務所の看板をだして存続できるのか、それには理由があった。

 世間には、ある日突然、それまで一介の暴走族に過ぎなかった半グレ集団が歌舞伎町で暴力団に生まれ変わり、組事務所を開いたように映っているが、実はその数日前には歌舞伎町にある全ての暴力団組織に所属する幹部以上の者の自宅宛てに挨拶状を送っていたのだ。

 挨拶状の内容は、警察当局から準指定暴力団に認定されたからには今後は竜神会として名称を変更し、正式に暴力団として歌舞伎町で再出発するとした簡単なものだったが、これが自宅に直接送られて来たことの意味は深い。彼らが暴走族時代に暴力団と揉め事を起こし、ひとつの組を壊滅状態に追い込んだ事件はまだ記憶に新しい。この挨拶状に対し何らかの声明を上げることは、そのまま竜神会が握っている個人情報が正しいことを認めることにもなり、迂闊に手がだせなくなったことと、各組が横並びで出方を窺っているうちに時間が経ち、そのうちにうやむやになり、やがては歌舞伎町で市民権を得てしまったという経緯がある。

 この挨拶状はもちろん東崎の自宅にも送付されてきていた。その竜神会を相手にことを構える前に、家族や組員を普段の生活圏から退避させるのは当然の処置と言えた。

 事件から1ヶ月が経ち、竜神会組員襲撃が東崎組の組員によるものだったと警察が発表するとマスコミ各社が竜神会と東崎組の抗争事件だったと、こぞって騒ぎ出し、その直後、沈黙が守られていた歌舞伎町で東崎組の組事務所が爆破される事件が起こった。


「やつら早速やりやがった。事務所には誰もいなかったはずだな」

 東崎がそう言うと背後に立っている若い衆が「はい」と返事をした。

 最初の襲撃で、会長の朝倉ないしは若頭の長谷川を殺害できなかったのは、想定外と言ってよかった。それが叶えば、これを機会に一気に竜神会を壊滅に追い込むと言う筋書きが、歌舞伎町の他の組織とも出来上がっていたのだ。

 東崎は爆破の報道を続けるテレビの電源を切ると、広げていた新聞を雑に折りたたんでテーブルに投げつける。

「朝倉と長谷川の行方は、まだ何もわからねえのか」

「はい。何か少しでも情報が入ったら新宿署の組対4課の刑事からも連絡が入る手筈になっています」

 フンッと鼻で溜め息を吐くと東崎はふんぞり返る。

「おい、腹が減ったな、なんか買って来いよ」

「もう行かせています。間もなく戻るかと」若い衆が腕時計を確認しながら言う。

 場所は都心から離れた郊外にある一軒家だった。こうして竜神会の情報網から逃れている拠点を他に5か所設けている。どの拠点にも銃火器等は充分に用意してある。5か所に分散しても30人いる組員が寝泊まりするには多少手狭ではあるが、それぞれが覚悟して臨んだことだ。予想以上の竜神会の反応の速さに最早、他の組織が参戦してくることは考えにくい。しかしそれでも死人を出させた東崎組は引く訳には行かない。

「ちょっと長くねえか。お前見てこい」

 東崎の命令に若い衆は逡巡する素振りを見せる。他の組員は姿を消した竜神会の朝倉と長谷川の行方を追って出払っている。

「俺は大丈夫だから、行ってこい」

「すぐ戻ります」若い衆はそう言い残して出掛けて行った。

 東崎はまたテレビのスイッチを入れる。爆破報道は一段落し、ニュースは今日から始まるイタリア開催のG20サミット関連に変わっていた。ひと通りチャンネルを回してからまた電源を切る。

 この家から買い出しに行くとしたら歩いて5分ほどの所にあるスーパーマーケットか、そこから更に5分ほど先にあるコンビニになる。時刻は昼の午後2時台。周辺は小規模の畑も点在する閑静な住宅街だった。

 衣擦れの僅かな音さえハッキリ聞こえるほど物音のしない部屋の中で時計の針が15分間進んだ。

 依然として静かだが何かが起きているに違いない。楽観視するつもりはない。

 ローボードの戸棚から拳銃を2丁取り出して、1丁を腰に差すと音を立てずにリビングから玄関の様子を窺いに行ってみる。すると住宅街に反響する自動車の音が迫って来るのが聞こえてくる。閑静な住宅街には不釣り合いな勢いだ。予感が確信に変わってもそれを信じたくなかった。

 玄関の三和土に裸足のまま下りると扉にへばり付いてドアスコープを覗き込む。

そこには丸く歪んだブロック塀に半開きのままの門扉が映っていて、既に白いワゴン車が止まっいた。スライドドアが開いて中から黒づくめの男が4人降りてくる。そのうち2人が庭先に回り込み、残りの2人が真っ直ぐ玄関に向かって来てドアホンを鳴らし扉をドンドンと叩き始めた。

 男たちの風貌からして刑事であるはずがない。なぜここが竜神会に嗅ぎ付けられたのか見当も付かない。

 予感がした時点で逃げなかったことを後悔する。

 拳銃を握っている片手を背に隠したまま東崎は覚悟を決めて扉を開く。

「なんだおまえら」

「俺たちは竜神会だ。あんた東崎組長だよな」

 2人のうち前に立っている狐目のスキンヘッドの男が言った。もう1人は今時の若者らしく短めの髪をつや消しワックスでまとめているが、東崎を射抜くような据わった目で片手をスーツの内側に入れている。いつでも銃が抜けるようにしているのは明らかだ。

「うちの若い衆はどうした」

「この家にあんたが今一人だって教えてくれたよ。車に乗ってる。あんたも一緒に来てもらおうか」

「嫌だと言ったら」

「この場で殺す」その声は、背後から聞こえた。

 振り返ると先に庭に回って行った2人が揃って拳銃を構えている。

 東崎は持っている拳銃を2丁とも床に置いた。


 ボディーチェックをされてから促されるままに白いワゴン車に乗り込んだ。座席の奥にはさっきまで部屋で一緒に過ごしていた若い衆が、口に粘着テープを貼られ両手足もテープでぐるぐる巻きにされて乗っている。意識はハッキリしているようだ。最初に買い物に出ていた方は左の目尻が青黒く腫れあがり、頭が力なく垂れている。目が合うと、申し訳なさそうに視線を下げた。

 スライドドアが閉まると東崎ら3人は頭に黒い頭巾を被せられた。他の2人と同様に両手の自由を奪われたが口と両足はそのままにされた。

「この場で殺せばいいじゃねえか」強がりと言うよりも懇願に近いものがあった。

「何都合のいいこと言ってんだよ。うちの人間を大勢殺ってくれんたんだ。すぐには殺さないよ。生きているのが嫌になるほど苦しんでもらわないとな。でも今は無傷で連れて来いって命令だからよ」

 鼻で溜め息を吐いた東崎はそれ以上何も言わなかった。それから目的地に着くまでの約1時間、7人を乗せた白いワゴン車の中は時折り、東崎の若い衆が啜り泣く声がするだけだった。











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