第38話 代々木パーキング

「あそこって、代々木か」

 免許取りたての頃、路上に車を置いたまま、たむろ出来るところはないかよく探していた。新宿には安心して路駐出来るところがあまりない。そこで思い付いたのが高速のパーキングエリアだ。中でも代々木パーキングは無人だから都合がいい、警察も滅多にやってこない。来たとしてもすぐに出ていけばいいだけの話だ。場所も近い。


「一本もらうぞ」

 車を停めて、サイドブレーキを引いた榊がダッシュボードに手を伸ばした。

 鬼瀬も一緒に一本抜いて火を点ける。二人同時に少し窓を下す。

「鬼瀬、俺が今までお前に嘘を言ったことがあるか。……ないよな」

 鬼瀬は黙って頷いた。

「これからも鬼瀬に嘘を吐くつもりはないし、今から俺が話すことも全て真実だと言うことを忘れないでくれ」

 鬼瀬は首都高を流れる車を眺めながらもう一度頷く。榊はそれを確認してから話を続ける。

「さっき市場の屋上にいた朝倉だが、あれは朝倉であって格でもある。正確に言うと朝倉が格の身体を無断で使っているんだ」

 鬼瀬がどんな反応をするか榊は待った。

「なんだかよくわからねえけど、俺は最初に格と殴り合ってたんだ。最後にあいつは失神した。俺が勝った。そう思ってぶっ倒れている格を抱き起おしたらそれが朝倉に変わっていたんだ。もしかしてあいつは、二重人格ってやつか」

 榊は左右に首を振ってそれを否定する。

「違うんだ。話はここからだ。いいかよく聞けよ。朝倉は未来からタイムスリップして来たんだ」

 鬼瀬の顔色から緊張の糸が切れたような感じがした。細い一重目蓋の奥にある黒い瞳はやっぱり丸かったとわかるほど目を見開いたまま鬼瀬の表情は凍り付く。真面目に話を聞くかどうかの分岐点にいるのがよくわかる。榊は慎重に言葉を選びながら、ここ最近の話を包み隠さず全て鬼瀬に話して聞かせた。


「今も、お前の中にそのカミオカってのがいるのか」

 この胸にな、そういう意味で軽く握った拳で自分の胸を2度叩いて見せる。

 鬼瀬は30秒は静止していた。10トントレーラーが前を通り過ぎて本線車道に出て行く。

 本線車道を流れていく車のヘッドライトの光が、車内に届き鬼瀬の顔を掠めてコーナーを曲がって行った。ようやく鬼瀬が話し始める。

「正直言って、信じられねえ話だけど、あそこにお前が来なかったら俺は多分死んでいたからな。公平、俺はお前を信じるよ。格の言ったことも信じてやんなきゃいけないしな」

「格が何か言ったのか」

「俺は今日、朝倉の野郎を殺るつもりで竜神会の事務所から奴の後を付けた。そしたらあの野郎、格の住んでるマンションに入って行きやがった。朝倉が格と偶然同じマンションに住んでるなんてあり得ないだろ。俺は朝倉と格が繋がってると確信したよ。公平と連絡が取れなくなったのは、格と朝倉の2人が既に公平のことを殺してるんじゃねえかと思った」

「それで格を、市場の屋上によびだした訳か」

「格を呼び出して朝倉のことを問い詰めたら、あいつ知らねえって言ったよ。そんなことするはずがないだろって、切れて俺に殴り掛かって来たあの格を信じることにする。公平の言う通りなら、俺が見たのも、格が言ったことも辻褄があうしな。」

 鬼瀬は半分以上灰になっている煙草を灰皿に押し付けて続ける。

「それで公平も車くらいなら持ち上げれるのか」

「まぁ見てろよ」

 榊は車を降りると正面に回って、鬼瀬が乗ったまま、車のバンパーに手を掛けて軽々と持ち上げて見せる。

 更に、鬼瀬が車内で両目を丸くしている間に、見てる者には殆んど一瞬で運転席に戻って見せる。最後にドアが閉まる音が鬼瀬の耳に届く。

「瞬間移動まで出来んのかよ。他には何ができる。まさか空飛んだりすんのか」

 榊は子供のように興奮する鬼瀬の肩を掴んで言う。

「お前、すこし怪我してるだろ。俺の目を見ろ」

 互いの視線が重なったとたん鬼瀬は自分の視野の中心に穴が開いてそこから何かが自分の中に入って来るのをハッキリと感じた。視界の全ては正常な視力を失い、水の中から外を眺めているような景色になる。身体に力が入らない。声も出すことが出来ない。やがて顔や肘や膝の神経が訴えていた鈍痛や打ち身や、擦過傷による小賢しい傷やが癒えていく。

 榊が視線を外すと身体が軽くなった。痛みはすっかりなくなっている。

「マ、マジかよ……すげえな……」身体中を点検するようにして、あちこちと自分の身体をさする鬼瀬の感嘆が、数日前の自分のそれと重なる。

「これでも、カミオカが俺の身体に宿ってから2週間も経っていないんだぜ。対して朝倉は12年だ。生身の身体で車と壁に挟まれても、死なないのが納得できるだろう」

 鬼瀬は市場の屋上に榊が助けに来なかったら、本当に危なかったと改めて思い知った。溢れる冷や汗が鬼瀬のシャツを濡らす。

「その不死身の化け物から、格をどうやって助けるんだ」

 きっとまだ鬼瀬は半信半疑だろうが、話を聞くだけではなく自分から問題提起してくれるのは好ましい傾向だ。分岐点は越えているに違いない。


「朝倉に騙さていることを気付かせてやれれば一番いい、その上で朝倉を自分の身体から追い出せることも教えてやるんだ。でもそんなに簡単なことじゃない。朝倉は俺の目の前で顔を格に変えることもやってのけた」

「顔が格でもそれが本当の格かどうかわからねえってことだな」

「他にも俺たちでさえ想像も出来ない能力を持っていると思っておいたほうがいい。加えて奴は竜神会の会長だ。手足になる人間は百人は以上いる」

「やっかいだな、その百人以上を堂々と動かせる口実を俺が与えちまった。これって勝ち目ゼロじゃね」

「だから仕切り直しが必要だって言ったんだ」

 鬼瀬が榊を見やる。

「公平だってカミオカってのを自分の身体から追い出せるんだろ。そうすれば朝倉だってお前の身体に用がなくなるんじゃねえのか」

 榊は肩を竦めながら言う。

「朝倉は、カミオカがこの時代で何かをする前に殺そうとしているんだ。当然、俺もその何かを知っているはずだと朝倉は思っている。だから今更俺の中からカミオカを追い出したって無駄だ。奴の殺すリストから俺の名前はもう消えねえ」

「その何かを公平が本当は知らねえって、朝倉に教えるのも癪だしな。それにお前まさか本当に日本の未来の為に命を懸けるとか思ってんじゃねえだろうな。そんなことなら俺は付き合ってやらねえぞ」

「そこには俺も、ピンと来てねえ。実際100年後の日本にあんまり興味もねえし。だけどよ、カミオカはもう俺の仲間だ」

 ちょっと臭いことを口走ったかと後悔する。鬼瀬も入る必要のないドブ川の淵に立たされているような顔をしている。

 鬼瀬のスマホが鳴り出した。

「おっ兄貴だ」ヤクザの世界では鬼瀬の兄貴とはもちろん東崎のことである。東崎は今や、先代の親父から代を引き継いで二代目東崎組の組長になっている。

「ご苦労様です。何か」

 電話に出た鬼瀬は言った。目上に対する態度だが口調は中学当時の上下関係から抜け切れていない。少し砕けた関係に聞こえるのに、榊は少し愉快だった。だが電話の向こうのデカい声は、少しも穏やかじゃない。

「何かじゃねえ、てめぇ朝倉とやったってどういう事だ。あそこには手を出すなって先代からもあれほど言われてんだろう。馬鹿かお前は。説明してみろ」

 苦笑いをした鬼瀬は、スマホを耳から離してスピーカーに切り替える。

「事を荒立てるつもりはなかったんですよ。朝倉には新宿から消えてもらおうと思いましてね。その方が何かと都合がいいでしょ。ところが、あの野郎、案外強くて失敗したんですわ」鬼瀬がいたずら坊主のように舌を出して見せる。

「何がところがだ。全くふざけやがって殺るならキッチリ殺ってこい。中途半端なことしやがって、この半人前が、指落とすくらいじゃ済まさねえぞ」

 これにはさすがの鬼瀬も顔色を変える。

「なんだと、人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって、こっちだって死にかけてんだぞ。ちっとは可愛い舎弟の安否を気遣うの気持ちはねえのかよ、いいか朝倉はキッチリ殺ってやるから、それまでどっかに雲隠れでもしとけ、この腰抜けが」

 鬼瀬は勢いで通話を切った。榊は堪えきれずゲラゲラと笑ってしまう。

「鬼瀬、そんなんでいいのかよ。破門になるぞ」

「俺だってもう朝倉の的に掛かってるだろ」

 鬼瀬が諦めたような表情で榊を窺い見る。榊もそうだな、とは言えない。

「竜神会と揉めるのにビビってる組なんて糞くらえだ。破門になる前にこっちから辞めてやるぜ。それより、仕切り直すってどうするんだ、公平」

「何かと準備が必要なんだ」

 榊はエンジンを始動させると車をだして代々木パーキングエリアから車を出した。









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