第37話 鬼瀬 VS 朝倉

 格の中で沈黙を守り続けていたリュウは、鬼瀬がユラリと立ち上がり迫って来るのを感知していた。そして突進してきた鬼瀬が何を狙っているのかも察しがついた。

 たった今未来から戻った振りをして、格に警告をしようとしたがリュウは敢えてそれをしないで黙っていることにした。それによって無防備の格の顔面に落ちた鬼瀬の踵は、格の鼻骨もろとも意識をも砕いた。


 鬼瀬はすぐさま馬乗りになって拳を振り上げる。しかし格が気絶しているのは一目瞭然だった。ここまでかと大きく息を吐いた。

 このまま放っておくと鼻骨骨折により溢れ出す大量の出血で窒息する恐れがある。鬼瀬は馬乗りの状態から立ち上がり、格に跨った格好で襟首を掴んで上体を起こしてやる。

 その時、格が目を開いた。いやそれは朝倉竜一だった。鬼瀬は明らかに人相の違う格の顔に気付く間もないまま、逆に襟首を掴まれて下から足をすくわれ巴投げを食らった。

 背中と腰をコンクリートに強打した鬼瀬は激痛にのたうちながら、格の精神力に感服するとともに、この殴りあいがまだ続けられることに無情の喜びを感じてしまう。

 立ち上がると格も既にに立ち上がっていた。

 何となく雰囲気が変わったように思えるが、何が違うのか今は興味がない。その格が今度は鬼瀬に、掛かって来いと合図をする。

 怒りや喜びが綯交ないまぜになった訳のわからない感情が爆発して、咆哮を上げながら、磁石に吸い寄せられるように格に向かって行き、目前で跳躍し右の拳を格の顔面に叩き込むと、すぐさま左の返しを脇腹に突き刺した。手応えはあった。あったのだが格の身体は微動だにしない。見上げると冷たい目がこっちを睨みつけていた。

「お、お前誰だ」

 鬼瀬はようやく気が付いた。ここにいる男は最早、鬼瀬のよく知る亀山格ではない。

 鬼瀬の脳裡には様々な思いが同時多発的に巻き起こる。

 この男が格じゃないなら、こいつは一体誰だ。俺は誰を相手にしているんだ。

 ……まさかこの顔、朝倉か、朝倉なのか、だとしたらどこで入れ代った。それとも最初から朝倉だったのか。

 鬼瀬はここで初めて、格と朝倉の体格があまりにも酷似していることに気が付く。「お前ら双子だったのがっぐぁ」

 後に続く言葉を鬼瀬は声にすることが出来ず藻搔もがき苦しむことになった。鬼瀬の喉元を鷲掴みにした朝倉が、そのまま鬼瀬の身体を宙づりにしたからだ。

「双子じゃねえよ。あの世でゆっくり考えな」

 朝倉の腕の筋肉が盛り上がり隆起していく。やがて宙でばたついていた手足にも力が入らなくなっていく。その時うすれていく意識の中で無自覚の視野が、スロープを登って来る車のヘッドライトを捕らえた。

 そのヘッドライトの光は屋上に達すると場違いなスピードで駐車場を駆け抜けてくる。ハイビームに切り替わったヘッドライトの光が朝倉の背中を照らした。やっと探し当てた。そんな照らし方だった。


 まるで子供が興味を失った人形を投げ捨てるかのように鬼瀬を放り投げた朝倉は突進してくるハイビームと対峙する。


 ボンネットの上に落ちた鬼瀬は酸素を貪りながら、仁王立ちでハイビームに照らされている朝倉が猛然と突き進んでくる白いセダンにぶつかる瞬間を目撃した。

 そのセダンのハンドルを握っているのが榊だということもハッキリと見えた。


 「鬼瀬ーーーーっ」

 叫ばずにはいられなかった。榊はアクセルを床一杯に踏み込む。

 数日前にこの男に車で轢かれた時のことを思い出す。あの時と立場が入れ代ってもこの男は同じように笑っている。

 車で跳ねたくらいでは、この男にダメージを与えることなど出来はしないだろう。それがわかっていても自分の駆る車が、朝倉とぶつかる前に榊は、アクセルペダルを踏む右足を浮かせてしまった。

 生身の人間を車で跳ねることに抵抗を感じたのか、あるいは朝倉の相貌に亀山格の面影を見たのか判然としないが無意識の拒絶だった。意識してアクセルペダルを踏む右足に力を入れたが、膝から下が石のように固くなって力が入らない。ともすればハンドルを切ってしまいそうになる。

 それでも惰性とはいえ時速60キロ以上のスピードで車は朝倉にぶつかった。

 壁にぶつかったような衝撃がハンドルに伝わる。

 場所は駐車場の入り口から対角線上の一番奥側だ。額に青筋を立てた朝倉と視線が交錯するが、エアバッグに交錯を遮られる。榊はブレーキを踏んでいなかった。朝倉ごと壁に激突した。そう思った。

 その直後、朝倉が絶叫する。それと同時に金属やプラスチックがひしゃげる音と共に車体のフロントが浮き出した。

 榊はエアバックを搔き分ける。壁までまだ距離があった。

 車体を受け止めた朝倉がそのまま車体を持ち上げているのだ。

 榊は咄嗟にギアをドライブレンジからローレンジにシフトしてアクセルを目一杯踏み込んだ。

 車は今度こそ壁に激突した。

 車体と壁に挟まれた朝倉がボンネットに突っ伏している。ピクリとも動かない。それでもこいつは甦って来るに違いない。

 榊は車から降りると鬼瀬に駆け寄った。

「鬼瀬、大丈夫か」

「あ、ぁぁ何とかな」

 喉から絞り出すような声で応じる鬼瀬に肩を貸して歩かせる。

「取り敢えず。ここからずらかるぞ。仕切り直しだ。お前の車はどれだ」

「ずらかるのはいいけどよ、ここに死体を放っておくのはまずいんじゃ……」

「鬼瀬、こいつはこんなんじゃ死なねぇんだ」

「はぁ、見てみろよ死んでんだろ」

「説明は後だ」

 2人は鬼瀬の車に乗り込んだ。ハンドルは榊が握る。エンジンを掛けて車を発進させて、ルームミラーで後方を確認する。

「鬼瀬、後ろを見てみろよ」

 助手席から後ろに振り返った鬼瀬の目が大きく見開く。

 榊が乗って来た車が倒立しているのだ。そしてゴロンとひっくり返る。その向こうに肩で荒い息をした朝倉がフラフラとした足取りで、たたらを踏んだかと思うと、その場で地面に膝をついた。見えたのはそこまでだった。車はスロープを下って市場を後にした。

 唖然としてしばらく声も出せないでいる鬼瀬が目を丸くしたまま運転している榊の肩を掴んで揺さぶる。

「公平、あの野郎どうなってんだ。お前仕切り直すってどう言うことだ。あれが何者か知ってるのか。あれは朝倉だろ。じゃあ格はどこに行ったんだ。ところでお前はどうしてあの場所がわかったんだ」

 軽々と車を引っくり返す人間を目撃してパニックになるのは当然と言える。

「落ち着け鬼瀬。あとで全部説明してやるから、それとあの車、お前のとこの事務所で借りてきたんだ。行き先を舎弟に教えといて正解だったな」

 いくらか落着きを取り戻した鬼瀬は、事務所に連絡を入れて、竜神会の朝倉とやり合ったことを報告する。

「これから、どこに行くんだ」

 竜神会の朝倉がこのあとどう出てくるか判断できない。それでも鬼瀬とやり合ったのだ。東崎組と竜神会の抗争になってもおかしくはない。

「取り敢えず、あそこに行くか」

 榊は、首都高速新宿線の入り口に向けてハンドルを切った。





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