第33話 トラバーユ
亀山格と鬼瀬伸一は、それぞれ別の暴力団組織で3年に及んだ部屋住み修行を終えて、お互い所属する組織団体に本部登録された。2人とも晴れて一人前のヤクザとなったのだ。
2人ともまだ駆け出しではあったが、学生時代に喧嘩で売った名前が手伝って、2人の舎弟になろうと歌舞伎町にやって来る者は後を絶たない。
そして亀山格のもう一つの顔でもある朝倉竜一が立ち上げた竜神会は組員130人全員が25歳以下と若く、どこの広域組織の傘下でもなかったが竜神会の前進が準指定暴力団に認定された暴走族新宿カオスだと確認されると検察庁は竜神会を新たに指定暴力団に認定した。
今の歌舞伎町で一番勢いがあるのは、若手で頭角を現しつつある鬼瀬伸一と亀山格の名前を挙げる者も多いが、本命は間違いなく朝倉竜一だった。加えて亀山格と同じ肉体を共有している朝倉竜一の活動時間は必然的に深夜のごく一部の時間に限られるため、その希少性が朝倉竜一の名前にカリスマ性を持たせることになった。ただ何の後ろ盾もない一本独鈷の若い組織を、歌舞伎町の老舗組織が放っておく訳があるはずもない。という見方からそう簡単に朝倉が姿を見せないのも必然と見る向きもあった。
一方、榊公平は大学を卒業後、一般企業に就職をしたが榊にそうした進路を促し、実際にその通りにした榊に誰よりも喜んでいた祖母が病気で他界すると、榊はあっさりと会社を辞めてしまう。周囲には、失意の末のドロップアウトだと捕らえらた。
祖母の遺骨は東京都小平市にある小平霊園に納骨された。
榊は納骨の済んだ真新しい墓石を時間を掛けてゆっくりと入念に洗い上げる。礼服の背広を脱いでワイシャツのボタンの間にネクタイを押し込み腕まくりをして、額にジワリと滲み出た汗を二の腕に擦り付けながら、何度も墓石を磨き、洗い流す。スラックスに飛び散った水滴を午後の強い日差しが、あっという間に蒸発させる。
陽炎の揺らめきに立ち並ぶ墓石と生い茂る霊園の立樹が同じリズムで歪む様は、自分が何かの結界に守られているような錯覚を起こさせる。もしや祖母の霊がそばにいて見守っているのではないか。そう思うと墓石を洗うのは、きっと何がしかの意味があるのかも知れないと考える。
榊は「よしっ」と独り言ちてもう一度最初から墓石を磨きに掛かった。
「いつまで洗ってんだよ、公平」
ひどく聞き慣れた声と共に現実が舞い戻る。
振り返るとそこには鬼瀬が佇んでいる。一歩後ろには格の姿もある。2人とも礼服のスーツ姿だ。鬼瀬の足元には煙草の吸殻が何本か落ちている。
「お前たちいつからそこにいたんだ」
固まりかけている膝関節の痛みに顔をしかめながら、ぎこちなく立ち上がった。
「10分くらい前。そんなとこだよな」
鬼瀬が同意を求める視線を後ろにいる格に投げた。
「そんなとこ。それより公平これからどうする」
「どうするって、もしかしてお前たち俺のこと心配してくれてんのか」
「当たり前だろ。祖母ちゃんが死んで落ち込むのはわかるけどよ。会社まで辞めちまって。なんか馬鹿なこと考えてんじゃねえかと思ってな」
神妙な面持ちで肩を並べる2人の隙間を縫って、遠くにある霊園の入り口付近が見える。2人と同じく黒づくめの恰好をした何人かがこっちを見ている。恐らくこの2人の連れに違いない。
急に可笑しさが込み上げた榊は思わず吹き出してしまう。
「そりゃあ唯一の肉親だったからな。悲しいって言うか淋しくなったのは確かだけど、祖母ちゃん90歳だったんだぜ。しかも最後までボケもしなかった。大往生もいい所じゃねえか。長い間お疲れさんとしか言いようがなねぇ」
そう言いながら、両腕を快晴の空に突き上げて背中を伸ばしてから、柄杓やら桶を片付け始める。
片付くと格が持参した花を添え、鬼瀬が線香に火を点けた。
3人は揃って墓石の前で手を合わせて黙祷する。
「会社勤めは性に合わなかっただけだ」手を合わせたままの榊が言った。
「ならヤクザにでもなるか。うちなら大歓迎してくれるぜ」
「多分うちもだよ」
2人はそう言うが榊にその意思がないことはわかっている。だからこそここに来たと言ってもいい。
「ヤクザはもっと性に合わねぇよ。まぁ当分は祖母ちゃんが残してくれたものがあるから食うには困らねぇ。今後のことはゆっくり考えるさ」
「そうだ公平、お前探偵になれよ」
手の平を叩いた鬼瀬の瞳が少年のように輝いている。
「探偵」
「最近、暴対法がうるさくて違法な凌ぎだけで食っていける時代じゃなくなってきてな、そればっかりだと先行きもみえねえ。そのうち目端が利かない奴らは、シャブか詐欺くらいしか凌ぎがなくなる。そうなる前に稼いだ銭で正業を始めたい。だが今度は暴排条例が壁になって、表の社会じゃ思うように身動きがとれねえ。情報ひとつ集めるのにもヘタを打ったら身体が掛かる始末だ」
「要は、暴力団相手の情報屋か」
「それだけじゃねえ、ヤクザってだけでまともな探偵会社からも相手にされねえから使わねえだけで探偵業としての需要はあるはずだ」
いつになく雄弁に語る鬼瀬に榊は目を丸くする。
「お前それ、今思い付いたんじゃねえだろ」
鬼瀬は隠しきれず相好を崩した。「名案だと思わねえか」
背広を羽織った榊は、2人の間を割って、それぞれの肩に腕を回した。
「俺が探偵になったとして、ヤクザ相手にどうやって宣伝すんだよ」
「そんなもん口コミで何とかなんだろ。なぁ格」
「うちにITに詳しい奴がいるからホームページを作らせるよ」
「変な秘密を握ることになって、どっかの組織に的に掛けられるってことはねぇだろうな」
「そうなったらなったで面白そうじゃねえか。でもまぁそん時は俺たちが守ってやるよ。なぁ格」
「あぁ約束するよ」
「なるんかい。そこは否定してくれよ……」
こうして榊の探偵稼業が始まった。
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