第32話 竜神会

「それより公平」

 鬼瀬がその話はもういいとばかりに話題を変える。

 やはり今更、心変わりはしないようだ。これ以上は榊がとやかく言っても仕方のないことだろう。結局は自分の意志の問題なのだ。いつか考え直そうと思った時、今の話を思い出して自分に相談してくれたらいいと思いつつ頭を切り替えて鬼瀬の言葉に耳を傾ける。

「カオスが名前を変えたの知ってるか」

 カオスと言えば、西新宿に随分昔からある暴走族のことだ。

「本当か、何になったんだよ」

 同じ西新宿でも暴走族とは接点もなければ、興味もない。従ってどうでもいい話だが、それでも地元暴走族の名称変更には、理由の方が気になってくる。

「竜神会だってよ。おまけに単車転がすのも辞めたらしい」

「暴走族が単車下りたら、ただの愚連隊じゃねえか。ギャングにでもなるのかよ」

 格も初めて聞いたような顔をしている。

「そうかもな、だけどただのギャングじゃねえぜ。もともとカオスのメンバーは色んな業界の2世が集まってる。組長の息子とか、芸能人とか代議士とか会社役員とかな、だから色んな業界にコネがあるし、人数も半端じゃない。やろうと思えば何だって出来るんじゃねえか」

「なら社会貢献とかすればいいのにな。でも頭の長谷川って人は、俺たちと同じでただの喧嘩好きなんじゃねえの」

 長谷川には会ったこともないが、自分たちの中学のずっと上の先輩だと言うことは知っている。

「そう思うだろ。カオスの長谷川って言ったら東京中の族の間じゃ生きる伝説だ。高校生の俺たちとは昼と夜で住み分けが出来てたから接点がなかったけど、去年まで東崎先輩がカオスに入ってたから聞いたんだが、3年くらい前に朝倉って野郎がサシで長谷川をぶっちめてから、カオスの頭はその朝倉って男に変わっていたんだとよ。長谷川が子ども扱いだったらしいぜ」

「それマジかよ。長谷川とはいつかやらなきゃならねえと思ってたんだけど。ちょっとショックだわ」榊は天を仰いでから付け加える。「でその朝倉ってのは、どっから湧いて来たんだよ……」

 この後、夜が更けるまで2人はこの話題で盛り上がって行く。格にとっても興味の尽きない初めて聞く話ばかりだった。

 やがて春を迎え3人は無事、高校を卒業し榊は大学に進学、鬼瀬と格はそれぞれ別の暴力団組織の一員になる。


 鬼瀬伸一は、小学校3年の時に交通事故で父親を亡くしている。母親は歌舞伎町でホステスとして働いていたが、子育てよりもホストクラブに通う方が忙しく、ろくに鬼瀬の面倒を見なかった。それでも鬼瀬はそんな母親を責めるつもりはない。鬼瀬は新聞配達をしながら生計をたてる。職場ではイジメられることもあったが、全く意に介さなかった。そんなことに構っている暇などなかったのだ。自分で働いて稼いだ金で生活をする。社会人としては当たり前のことだが、鬼瀬は小3の頃から、社会人として生きてきたのだ。

 ある時、バイト先の売上金が盗まれる事件が起きた。何の根拠もなく鬼瀬が疑われる。普段は聖人君子のような社長が、この時ばかりは鬼瀬を犯人と決め、あの手この手でありもしない事実をでっち上げて執拗に自白を迫った。結局真犯人は社長の息子だと判明したが、社長は鬼瀬に頭ひとつ下げようとしなかった。こんな大人にはなりたくはないと思った。鬼瀬は文句も言わず、嫌な顔ひとつ見せなかった。他に小学生を雇ってくれる所などないと知っていたからだ。所詮、世の中は全て金なのだ。大人たちは決まって鬼瀬にまともな社会人になれと言うが、この一件以来、上辺だけ立派なことを語る大人が信用出来なくなった。社長も学校の先生も、母親の言うことでさえも嫌悪するようになった。

 ふと、自分も大人になったらそうなるのだろうかと思った時、クビになることを恐れて素知らぬ顔をしている自分が既にそうだと言うことに気が付いてしまった。それでも生活していく為に仕事を辞める訳には行かなかった。嫌悪する存在に日々染まって行く。着ている洋服も靴もノートも鉛筆も、大抵の物は自分が稼いだ金で買った物だ。この身体だって稼いだ金で買った食料で生かされている。

 このままでは壊れてしまう。どこかに捌け口が必要だった。それが喧嘩の原動力なった。生まれて初めて殴りつけた奴の顔などもう覚えていないが理由はハッキリしている。そうしないと自分が壊れてしまうからだ。鬼瀬の意識の奥底には親の脛すねをかじっているような野郎に負ける訳がないという強い信念がある。

 鬼瀬にとっての高校卒業、そして暴力団への加入には、人並の感慨深さが何もない。あると言えば、暴力団になろうがなるまいが、社会に出れば迂闊に喧嘩が出来なくなるということだ。自分が保って行けるのか憂鬱になる。テレビでよく殺人事件にみられる「人を殺してみたかった」という犯行動機を耳にすると、もしや自分と同じ憂鬱を抱えていたのではないかと思うこともある。高校生活最後の夏ごろから、いつも心のどこかでそんな憂鬱を抱えながら生きてきた。

 そんな時だった。かつての先輩である東崎と歌舞伎町でばったりと再会する。

「ちょっと面かせ」

 中学時代にやり残した対決が実現するチャンスだ。鬱憤晴らしにも丁度いい相手だと思いながら付いて行った先は、意外なことに焼き肉屋だった。東崎は身の上話から始めた。暴走族を卒業して父親の組に入るのだと言う。

「榊も連れて一緒にうちの組に来い」

 予想外の誘いに動揺して、そのあと東崎が何を言ったのかよく頭に入ってこなかった。多分このご時世でヤグザになることのメリットとデメリットの説明だったように思う。焼き肉の味も全く覚えていない始末だ。ただ東崎が何度か口にした反社会的組織という言葉が頭の中で引っ掛かって消化不良のように残った。かつて大人たちが口を揃えて言った”まともな社会人”とは対極にある言葉だった。

 嫌悪する存在に染まらなくても済むかもしてないと思うと心が楽になったような気がした。


 一方、亀山格が入った組織は関西を拠点とする日本最大の暴力団組織の東京侵攻部隊のひとつだった。掟破りの東京進出に一時期は関東の組織と頻繁に抗争を繰り返していたが、あれから10数年たった今では確固とした市民権を得た感がある。それが証拠に近頃は大半の組員は格のように東京出身者が大半を占めるようになっている。

 亀山格の胸に宿るリュウの思惑では格には榊公平と同じ大学に行かせたかった。

 100年後の未来から榊公平のもとに工作員がやって来るまでまだ数年ある。

 当初は亀山格を洗脳し鍛え上げて、自分に変わって榊公平に宿る工作員の作戦行動を看破し、それを阻止させるつもりでいたが、亀山格の肉体を自由に操れるようになった今となってはその必要性がなくなった。亀山格の存在価値は学校生活で培った榊公平との絆を存続させ、この広い世の中で見失うことのないようにしてくれればいいだけだ。


 中学生になったばかりの頃の格の精神的支柱は間違いなく私だったはずだ。それが身体を鍛えることにより自分に自信を深め、更に私の力を借りることに持ち前の純粋さが罪悪感を生じさせて、次第に私の力を借りようとしなくなって行った。

 今では相談相手どころか単なる話し相手でしかない。日本の未来を守るという大望を忘れてはいないようだが、まだ数年先だと言う事実に緊張感が薄れているのは確かだ。かと言って時には叱りつけるような、あるいは教え諭すようなことをして、存在を煙たがられるようになってしまえば、私は自由を奪われてしまい兼ねない。

 高校生活が終わりに近づいてきたある日、中学の時にひとつ上の先輩だった武藤から組織に来いと誘われると、私の力を借りて進学することよりも、自分自身を求められた喜びに感激して意図も簡単に暴力団入りを承諾してしまう。「俺に勝ったら組に入れ」という武藤の条件は荒唐無稽もいいところだ。格は精神的にまだ未熟な部分を残しているのを露呈した。それでも強く反対することのできない私は、未来の大望の為に榊公平との繋がりだけは絶やしてはならないということを約束させるのがやっとだった。

 つまるところ格との関係構築に私は失敗したのかも知れないが、朝倉竜一としては着々と地盤を固めつつあった。格が高校生活を謳歌している間に、新宿カオスは次々と傘下を増やし遂には東京23区で最大の勢力を有する暴走族になった。新宿カオスだけで百人を超える大所帯となり日々、加入を志願する若者が後を絶たない状態だ。

 ある時、メンバーの数人がどこかのヤクザ者と女のことで揉め事になった。1人が自分は新宿カオスだと名乗ると、相手のヤクザ者はカオスの頭が詫びを入れに来ない限り、名乗った人間を帰さないと言って組事務所に監禁してしまう。

 その組員はこれを機に、新宿カオスという暴走族のバックについて、あわよくば準構成員を募ろうと考えたのかもしれない。

 ところが、カオスのメンバーをさらった組員は自分のしでかしたことに驚愕する羽目になる。その組は広域指定団体の傘下だったが、末端の小さな組で組員は20人弱。カオスのメンバーには、親兄弟がヤクザ者という者が多数在籍している。この時、偶然にもメンバーをさらったその組の幹部の息子が、我々カオスのメンバーにいたことが判明する。普通なら親が組の幹部なら、これ幸いと穏便に済ませようと働きかけるところだが、最早カオスのステータスはメンバーにとって実の親子の絆を遥かに凌駕していた。親であろうと迷うこのなく逆にさらってしまうことを進言し、実際にさらってくると拷問にかけて、組長宅や他の組員の住所あるいは住処を全て吐かせてしまったのだ。こうなるともう引くことは出来ない。

 私の率いる新宿カオスはメンバーがさらわれてから12時間以内に、組長を始めとする殆んどの組員に襲撃をしかけ病院送りにした。その上で私の手で半殺しにした組長に事務所に連絡を入れさせて監禁されているカオスのメンバーの解放を命令させた。

 当然の帰結として、この件は警察沙汰にはなりはしない。たかだか暴走族のガキどもを相手に壊滅状態にされたとは口が裂けても言えまい。

 それでも裏社会に与えた衝撃は充分過ぎるほどだった。新宿カオスはヤクザに対して一歩も引かないどころか潰しに掛かって来る危ない暴走族として認知されることになる。これこそがいつか長谷川に対して、新宿カオスを暴走族を越えた存在にすると宣言したことの始まりだ。


 暴排条例のお陰で、暴力団が社会から孤立し弱体化して行く中にあって、暴力団ではない新宿カオスは渋谷や六本木で様々なイベントを開き、薬物を売り捌き売春を斡旋し、はては企業恐喝や債券の取り立てまで行うようになる。しかしここまで手広く展開すると流石に暴力団も黙ってはいない。都内各所で、既存の暴力団対新宿カオスという暴行傷害事件が多発するようになり一時期は連日のように新宿カオスの名がメディアで取り上げられるようになった。

 事件ではいつもカオスの方が卑怯で横暴で極めて暴力的で、毎度目を背けたくなるほど凄惨な結果が待っていた。それを受けて警察庁は暴走族新宿カオスを準指定暴力団に認定し取り締まりの対象にすることを発表する。

 そしてその発表から1カ月と経たないうちに歌舞伎町に竜神会という看板を掲げた暴力団組事務所が出現した。会長は朝倉竜一、若頭は長谷川龍二、以下全員元カオスのメンバー130人が名を連ねていた。彼らは暴走族の肩書を捨てたのだ。

 鬼瀬と亀山格が高校を卒業してヤクザの部屋住み修行にはいる直前のことだった。


 













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