第31話 朝倉

 私は右腕を負傷している長谷川に手を貸して、塀を登らせると奥に続いている民家やマンションの敷地を抜けてその場から脱出することに成功した。

 公園は亀山格の自宅から5分と離れていない。

 長谷川を自宅の庭に待たせて、私は人相を格に変えると自宅内に着替えを取りに行った。長谷川の白い特攻服は目立ち過ぎる。格の服は少し小さいようだが我慢してもらうしかない。

 私が負傷させたのだが長谷川には病院に行くように勧める。しかし本人はたいしたことはないと言ってそれを拒んだ。

「それより腹が減った。飯食いに行かねえか」と長谷川が言った。

 時刻は午前4時になろうとしている。こんな時間に営業している店は青梅街道沿いのファミレスくらいのものだ。きっと始発待ちでくたびれた客が騒いでいるに違いない。行ってみると店内は、予想通りの疲れ切った客ばかりでこっちまでうんざりさせられる。

 やけにケバケバしい顔と服を着た2人組の女の1人が私と長谷川に一瞥をくれるが、すぐにまたスマホの画面に顔を戻した。ネクタイを緩めたサラリーマン風の男たちが陣取っているテーブルの脇を通ると1人が叫ぶように言った。

「なんだ君たちは、この時間は少年が来ちゃダメだぞ」そう言ってジョッキのビールを飲み干そうとしたが、振り向いた長谷川の鋭い眼光に射抜かれて、男はたちまち静かになった。その隣のテーブルに案内しようとしていた店員は、気を利かせて離れた場所に案内する。私と長谷川はテーブルに向かい合って座った。

 長谷川が負傷した右腕を庇って左手だけで煙草をくわえると、左手でライターの火を点けた。最初の一服目の煙を吐き出して、煙草とライターを私の前に差し出す。100年後の未来で煙草を吸っているものは1人もいない。元々私は煙草を吸わないのだが、差し出された煙草を手に取った。長谷川と同じように、口にくわえて火を点けてみる。が長谷川と同じように上手く火が点かない。それを見た長谷川が笑い出した。

「お前、煙草すったことねえのか」長谷川が馬鹿にしたような目でこっちを見ている。

「悪いか、これどうやったら火が点くんだ」

 頭を傾げながら、左手で口から煙草を外すと、ライターの火を煙草の先に付けてみる。長谷川が益々笑い出した。

「口で吸いながらじゃねえと火は吐かねえんだよ、ほら」

 長谷川は新しい煙草を1本とると私からライターを奪って火を点けた。

 店員が注文を取りに来た。2人でサーロインステーキのセットを注文する。店員が去って行くと長谷川が言った。

「さっきお前の家の表札を見たら亀山になっていたけど、下の名前はなんていうんだ」

 亀山という名字を通すのはまずいと思った。新宿カオスには、東崎や板倉が所属しているのだ。

「あそこは俺の家じゃない。親戚の家だ。俺の名前は朝倉竜一だ」

 店内の厨房の見える位置に掲げられている食品衛生管理責任者の名前が朝倉になっているのを拝借した。竜一という名は本名を日本風にアレンジしたものだ。

「俺は龍二ってんだ」ニヤリと口を曲げる長谷川が続ける。「お前、カオスを自分の物にして何がしたいんだ」

 そんなことは思い付きで言ったのだ。何も考えていない。ただ榊公平という男の近い将来を考えた時、自分の手足になる兵隊がいた方が何かと都合がいいと言うことは確かだ。

「カオスを暴走族を超えた存在にする」

長谷川の指の間に挟まれた煙草の灰がポトリとテーブルに落ちた。長谷川は意に介さずしばらく私を見詰めたまま微動だにしなかったがやがて「お前馬鹿か」と言い放つと、煙草を灰皿に押し付けて、辺りかまわず大声で笑い出した。


 この日以降、亀山格の肉体は深夜になると朝倉竜一に名を変えて、暴走族新宿カオスの頭として活動するようになる。

 それから、瞬く間に3年が経った。

 榊と鬼瀬と亀山格の3人が、揃って進学した高校生活もあと僅かで終わりを迎えようとしている。


「公平、お前どうすんだよ。マジで大学に行くのか」と鬼瀬が心底不思議そうな顔をして言った。

「何言ってんだ、高校を卒業して真っ直ぐヤクザになろうとしてるお前の方が非常識なんだぞ。なぁ格……ってどうしてお前もそうなんだよ」

 榊は両肘を付いて頭を掻きむる。

「鬼瀬だけならまだしも、なんで格までヤクザになるかな」

「だって就職するより条件がいいんだよ。一応ちゃんとした企業の社員てことにもなるし」と格がこともなげに言ってのける。

「はぁ、なんだそれ」

 テーブルに鬼瀬が注文したホットコーヒーが運ばれてきた。

 西新宿に数あるシティーホテルのラウンジが3人の最近のたまり場だった。学校が終わるとたいていは真っ直ぐ新宿に戻る。しかしJR新宿駅から3人が住んでいる西新宿の住宅街の間には、都庁や高層ビル群が立ちはだかっている。商業施設も林立している。駅から、どこにも立ち寄らないで帰るのは血気盛んな若者にとっては不可能と言うものだ。シティーホテルのラウンジに寄るのは、3人が帰りに立ち寄るスポットのうちのひとつだ。

 今日は鬼瀬が近くの歯医者に治療の予約が入っていたので、その間、榊と格が先にラウンジでコーヒーを飲んで待っていたと言う訳だ。

 鬼瀬のホットコーヒーを置いた従業員が立ち去ると話の続きが再開する。

「格が行こうとしてる組って、あの武藤先輩の親が幹部やってるとこだろ。なんでまたそんな話になったんだよ」

 榊が煙草に火を点けながら言う。

「実はさぁ、武藤先輩が勝負しようって言ってきたんだよ」

「いつだよそれ。そんな話聞いてねえぞ」榊と鬼瀬が声を揃えた。

「うん、口止めされてたからね。その時にさ俺に勝ったらうちの組に来いって言われてさぁ」

「で、どうだったんだよ」2人がまた声を揃える。

「どうだったって、もちろん勝ったよ。勝ったから行くことにしたんじゃないか」

「そんなことはわかってんだよ、それより武藤は強かったかって聞いてんだよ。今でも現役の極真のチャンピオンだからな、俺とやった時よりも数段強くなってるはずだぜ」榊は、今やったら勝てるかどうかわからないと言った口ぶりだ。

「さぁどうかな、でも根性は間違いなく本物だよ。一発で伸びちゃったけどね」

「それってデブに、肌はキレイだねって言ってるのと一緒だぞ。てか格は相変わらず化け物だけど、いつまでたっても甘ちゃんだな」

「えっどうして」

「なにが、俺に勝ったらうちの組にこいだ。おかしいだろその条件……」

 歯科治療が終わったばかりの鬼瀬がそっとコーヒーカップに口を付ける。厳つい顔が肩をすくめて両手でコーヒーカップを包む様が妙に可愛くて、榊と格はクスリと笑ってしまう。中学、高校を通して数えきれない程の喧嘩をしてきてタイマンじゃ一度も負けたことのない男とはとても想像出来ない。尤もそれは榊と格も一緒なのだが。

「でもさぁ、武藤先輩のとこ最初は公平に声を掛けたらしいじゃん」

「だいぶ前だぜそれ。話があるって来たけど。でも俺が先輩から受け付けるのは喧嘩だけだから」

「そうそう、俺のとこもだ、組長が榊公平が欲しかったって言ってたぞ」歯を気にして頬をさする鬼瀬が言った。口振りはもう一端の組員そのものだ。

「その組長って、東崎の親父だろ。どうせ俺を取り込んだら西新宿の不良どもが丸ごと付いて来るって思ってんだろ。とんだ買いかぶりだよな全く」

「何言ってんだよ。それは事実だよ、もし公平がどっかの組織に入ったら付いて行く人間は沢山いると思うよ、少なくともここの2人はね」さらっと告白じみたことを言った格は声の調子を変えて続ける。「暴排条例がどんどん厳しくなってヤクザになる人も少ないし止めていく人も多いようだから逆にチャンスでもあると思うんだけどね」

 格の世間離れした認識に榊は冷めた気分になった。

「格、お前の家は両親がちゃんと揃ってる普通の家庭だろ。進路のことで何も口出しししてこねえのかよ」

「もちろんヤクザになるなんて言ってないよ。さっきも言ったように表向きは企業の社員てことになってるからさ」

 格と両親の関係は、小学校の時の妹の誘拐未遂事件以来、形だけのものになってしまっていた。格はあれ以来、家では腫物扱いになっている。格の不良化はそうした家庭の事情も影響していると言えた。それでも心が荒廃しなかったのは榊や鬼瀬の存在が大きかったのは言うまでもない。

 榊は短くなった煙草を灰皿に押し付けると残り少ないコーヒーを飲み込んで溜め息を吐いた。

「なんだかピンと来ないんだよなヤクザってさ」

 空のコーヒーカップに気付いた従業員がコーヒーを継ぎ足して去って行った。

「血が繋がっている訳でもないのに、兄貴だの親父だのって呼び合っちゃてよ。いざ事件や抗争となったら身体を張って来いって言われるだろ。それが抗争だったら死ぬこともある。少なくとも刑務所に入ることは確実だ。体を掛けるってことは犠牲になれってことだ。俺には、組織からいなくなっても支障のない人間の中から選んでるとしか思えねえ」

 榊の言葉に何か反論しようとする鬼瀬を静止して榊は続ける。

「まぁ今の時代、抗争なんてそうある訳じゃないし、命令した人間だって教唆でパクられる。そんなことを言われる可能性は低いと思う。でも、じゃあどうすると思う」

 殊の外、熱くなってしまった自覚はあるが、それでも榊は敢えて止めない。

「黙っていても自分から行かせるように仕向けてるんだよ。格は稀だけど俺たちみたいに、はみ出す人間は両親がいなかったり片親が多い。普通より親の愛情が足りてねえ連中ばっかりだ。そこへ来て、他人なのに本物の家族みたいに自分を受け入れてくれる人たちが現れるとよ、そりゃ居心地がいいよな。その大事な組が危険な目に合いそうになったら馬鹿な野郎は自分から飛んじまうよな。自分に出来ることはそれしかねえって納得済みでよ」

「義理人情は戦略だって言いたいのか」鬼瀬の表情が険しくなった。榊は鬼瀬から目を逸らさなかった。

「俺はそうとしか思えねえ……」

 榊がコーヒーをひと口すすった。









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