第28話 最強決定戦
「聞いたか公平、格、卒業式の後に、武藤が東崎とタイマン張ってたの」
榊君と僕が授業をエスケープして校舎の屋上で、ぼんやりしている所へ遅刻してきた鬼瀬君が、屋上に顔を出すなり言った。卒業式の後ということは、もう数週間前のことだ。それでもその話が出回らなかったと言うことは、結末の予想は大体つく。
「えっマジかよ。あの2人がやったら、子供同士の喧嘩じゃ済まなくなるんじゃねの」
確かに親同士が代紋の違う組織なのだからそれも有り得るが。
「その辺は、どっちの親も理解してるんじゃねえか。格と東崎の時も何もなかったじゃねえか。それよりどっちが勝ったと思う」
「東崎だろ」榊君の即答に、鬼瀬君がどうしてわかったんだ、という顔をしている。
「武藤だったら学校中がもう知ってるはずだろ」
「なんだつまんねえな」
教える喜びを逃した鬼瀬君は、つまらなそうに煙草をだして火を点けた。榊君もそれに習って自分の煙草に火を点ける。榊君は僕にも1本どうだと目配せをするが、僕は首を横に振ってそれを断った。身体を鍛えている身で、酒と煙草は厳禁だとリュウさんからきつく言われている。
「東崎に負けたんじゃ、エラそうに格に面出せなんてもう言えねえよな」紫煙を吐きながら榊君が言った。
「でもあいつの気性ならきっと出張って来てもおかしくねぜ。格も覚悟しておけよ」
「いや、チャンピオンに負けたやつが、スーパーチャンピオンに挑戦する資格はないだろ。格に挑戦したいなら、まずは俺を倒してからだ」と榊君が言いだした。
「いや、それならナンバーツーの板倉に勝った俺とやりたがるんじゃないのか」と鬼瀬君も名乗りを上げる。
「お前、板倉に勝ったからって欲張ってんじゃねえよ。武藤は俺によこせよ」
「何言ってんの2人とも武藤本人は、僕とタイマンを張りたいって言ったんだから僕が行ってくるよ」
「そりゃ駄目だ」榊君と鬼瀬君の2人がハモリながら僕に振り向いた。
「格は最早、俺たちの象徴みたいなもんなんだからよ、そう簡単に喧嘩はさせねえよ。第一お前は限度ってものを知らんだろ、武藤が死にかねねえ。お前はじっとしてろ」要するに榊君と鬼瀬君は自分の喧嘩相手が欲しいだけなのである。
つまるところ、自分自身が今どの程度の強さなのか、それを知りたい年頃なのだ。
板倉が3年生ではナンバーツーと言うことになっていたが、自分の目で確かめたわけではない。例えそうだとしても、不可抗力の末に終わってしまったような勝ち方をした鬼瀬君は、板倉に力で勝ったという気がしていないし、端でそれを見る羽目になった榊君は不完全燃焼もいい所だったに違いない。今ではこの2人がどれだけ喧嘩馬鹿なのか、僕はよくわかっている。本当は、最強と謳われていた東崎を病院送りにした僕と力比べをするのが手っ取り早い方法なのに、この2人にその考えはないらしく、東崎が卒業した今、この学校の頂点に立つ武藤に勝てば、少なくともこの学校のランキングは僕と肩を並べることになる。そもそもこの2人が考えるランキングに、僕は入ってないのかも知れないけど。
とにかく武藤という銘柄の存在価値は連日ストップ高で上がって行く。
ただ、僕にもちょっと思うところがあって、ひとつ提案をしてみる。
「それなら僕とやって勝った方が武藤に挑戦するってのはどう」
2人はきっと僕が本気になれないと考えているから、実現不可能と決めつけているに違いない。その僕が自分から言い出したものだから2人は目を丸くしている。
「格、本気で言ってんのか。それが出来んなら武藤なんかどうでもいいんだけどな」
「でも素手じゃなくて、例えばちゃんとグローブを付けたボクシングとかってのはどう……」
この僕の提案に2人は、一も二もなく飛びついた。
それから2日経った放課後、僕ら2年生の不良グループの殆んどが榊君の自宅の庭に集まった。庭の中央で、スポーツ用品店で買ってきたばかりのヘッドギアと8オンスのグローブを僕と榊君が身に着ける。
その僕たちを中心に10人が輪になってリングを作っている。レフェリーは鬼瀬君がすることになっている。
縁側では榊君のお
「お祖母ちゃん知ってる、ボクシングのリングって四角いのになんでリングって言うのか」一緒になって煎餅をかじりながら津橋はお祖母ちゃんの反応を待たずに続ける。お祖母ちゃんが知らないと決めつけて。
「最初はああやって人が輪を作ってたからリングっていうんだってさ」
「へぇ、あんた物知りじゃないか」お祖母ちゃんは心底、感心したようだったが、おもむろに立ち上がると「ちょっと、こっちに背を向けてるあんたたち、邪魔だからそこおどき、こっちから見えないんだよ」とたった今、津橋が説明したリングを壊しにかかった。
全員が困惑の表情を浮かべて振り返る。鬼瀬君が慌ててお祖母ちゃんに反論しようとするところを榊君が首を横に振って止める。やがてお祖母ちゃんの要求通りに縁側からよく見えるようになった半円のリングが出来上がった。
「だけどあんたたちも好きだねえ。こうして観てる分にはいいけど、あたしゃ気がしれないよ」
リングサイドの特等席となった縁側に座るお祖母ちゃんだけが、この試合の意味を理解していないのは無理もない。
「お祖母ちゃん、今日のはただの殴り合いじゃねえんだよ。格はああ見えて去年までうちの中学で最強だった奴を病院送りにしてるんだぜ。対して公平は百戦錬磨のストリートキングだし、鬼瀬は去年までのナンバーツーに勝ってるから、この対決は事実上のうちの中学の最強決定戦みたいなもんなんだ」と津橋が解説した。
「ほっほっほ。そりゃ面白そうだね。だけど格って子は見違えるほど身体がおおきくなったね」
「別にこれでも問題ないよな格、まぁお祖母ちゃんはこの会場のオーナーだからな」僕は黙ったままコクリと頷く。そして鬼瀬君がルールの確認をする。
「ルールは昨日、決めた通り攻撃はパンチのみ、金的は反則。フリーノックダウンのカウントは無し、ラウンドも無しの時間無制限だ。あとギブアップはありな」正面で見合った僕たちは同時に頷く。
鬼瀬君が向かい合った2人の手を取った。
「勝った方が後日、俺と対戦することになる。そこで勝った奴が武藤とやる権利を手にする。いいな」
僕たちが同時に頷くと鬼瀬君が開始の合図する。
「ファイッ」
僕たちは軽くグラブを合わせると距離を取って構えた。
この試合にリュウさんは関与しない約束だった。理由はフェアじゃないと言うことよりも、この数カ月の間に鍛えた自分の力がどの程度のものか試したかったからだ。東崎を病院送りにした時に比べて僕は強くなった。リュウさんの指示で効果的な筋トレを、あれから毎日欠かさず続けている。食べるものにも気を使った。摂取した栄養はリュウさんの力によってあますことなく血肉に変えられて成長期の肉体に飛躍的な貢献をもたらしている。その為に骨格の成長がおいつかず関節の至る所に成長痛を伴わせるほどだ。中学入学当時は華奢な体付きで背も低い方だったけど、今では175センチに達してグループでは一番背が高くなったし、体力や腕力に関しても最早、榊君や鬼瀬君に劣るものではないと確信している。
しかし喧嘩の強さとは腕力の強さに比例はしないということを僕は彼らと一緒にストリートで学んで来た。
まず素手の拳を相手に打ち込んで怪我を負わせるという行為に自分の良心が挫けてしまう者は問題外で、相手の気勢に呑まれて畏縮してしまう者はいくら腕力が強くても喧嘩で勝つことは出来ない。つまるところ喧嘩の勝敗で一番大きな要因になるのは結局はメンタルによるところが大きいのだ。
榊君と鬼瀬君はそんなことを度外視して、殴り合うことによって、そして勝つことによって自分の存在の確かさに無上の喜びを見出せるのだ。このタイプは己の腕力や体力では説明のつかない強さを、喧嘩をする度に発揮している。これは競技でいうところのゾーンに入ることと一緒で、ゾーン体験は人を虜にする。榊君と鬼瀬君はゾーン体験を求めて喧嘩をしに街へ繰り出している節もあると僕は睨んでいる。
だからこそ強い相手を必要とするのだ。
最近になって彼らと喧嘩の実戦に参加するようになって経験を積むようになった僕だけど、喧嘩の実力はまだまだ榊君や鬼瀬君のそれに遠く及ばないと言うことをいつも近くで観察しているリュウさんもよくわかっているはずだ。
いくら腕力を鍛えても、喧嘩は気迫と気力と瞬発力の勝負なのだから勝てるわけがないのはわかっている。榊君は僕とやることで、東崎を含めたランキングに自分がどの位置にいるのか図りたいのかも知れないけど、本当は僕の方が榊君にどこまで通用するのか試したいんだ。榊君にはわるいけど。
私がいくら説き伏せて力を貸すと言っても格はそれを聞こうとしなかった。1年前だったらきっと素直に従っていたことだろう。格も精神的に成長したと言うことだ。それは自然の流れだと歓迎するところだが、そこで初めて格と意見の対立をした時、ひとつの事実が明らかになった。
本人が強く拒むという感情を抱いている時、私は格の胸の内で何も出来なくなってしまうのだ。格が抱く感情を血流や脳内のパルスを観察して窺い知ることも、成長を促すことも、一時的に身体能力を飛躍させることも、全ては私の存在を認識している格が無意識的に了解している上で成り立っていることなのだ。
格の拒むという感情が私自身へと移り、私の存在を疎ましいと思い始めたら、その時私自身がどうなってしまうのかわからない。全てが台無しなる可能性もある。格と対立することは絶対に避けなければならない。
やはり格の身体を乗っ取るということを真剣に検討するべきなのだ。
榊君との勝負は3分もしないうちに決着がついた。ある程度のルールを定めたボクシング形式であっても競技とは違う。まずはガードを固めて相手が打ち疲れするのを待ちつつ隙を窺ってカウンターで仕留めようなどという競技における戦術じみた考えが榊君に通用するはずがなかった。
ヘッドギアの奥で鼻血を垂らし尻餅を付き、圧倒的な実力差に呆然とするしかない僕は榊君に手を差し伸べられて立ち上がった。
「やっぱり格は俺相手じゃ本気になれないみたいだな」
「いや、そんなことはないよ。今のが本当の僕の実力だよ」
榊君が鬼瀬君を見据える。
「どうする鬼瀬。俺は後日じゃなくて、今からでも全然構わないぜ」
「そう言うと思ったぜ」
鬼瀬君は学ランを脱ぐと僕から受け取ったヘッドギアを身に着けてグローブに手を突っ込んだ。
実力の拮抗した2人の対決は白熱した。最後には両者が大股になって膝に両手を付いて動けなくなった。どちらが勝つか想像できないという予想通りの引き分けに終わった2人の対決は、この先何度も繰り返されることになる。時にはどちらかが勝つこともあったが、いつしか2人が求めていたのは勝ち負けではなく、紛れもない純粋なゾーン体験だった。
同時に街へ繰り出して喧嘩相手を探すことも続けたが2人と対等に渡り合い、ゾーン体験をさせてくれる相手には殆んど巡りあうことはなくなって行った。
ゾーン体験こそは競技においてもごく稀なことであり、瞬間的な体験であっても体験者は実力を大きく向上させる。榊君と鬼瀬君はそのゾーン体験を日常茶飯事のように繰り返しているから、どんどん強くなる2人の相手が見付からなくなるのは当然と言えた。
3年生になって学校の頂点に君臨した武藤の相手をしたのは榊君だった。
最早、眼中になかったのだが、校内で出くわして、目が合ったという相場通りの切っ掛けだった。
勝負は、榊君が持ち前の瞬発力を発揮して武藤の眉間に目がけて右の肘が入ったところでほとんど付いてしまった。これがクリーンヒットすれば相手は一瞬正気を失ってガクリと膝から崩れ落ちる。そこへ更に両手で頭を押さえて鼻柱を膝で潰す。この榊君のお決まりのパターンに何十人が倒れて行ったか分からない。さすがに武藤は堪えたが後に続く猛攻に成す術はなかった。
かつて僕のことを極真空手のチャンピオンだと揶揄したのは武藤だった。それは自分自身が極真空手を習っているからこその発想だった。喧嘩に対して人一倍プライドの高い武藤が最近、鳴りを潜めていたのは、極真空手の大会が控えていたからしい。そして武藤はその大会で優勝を飾り文字通りのチャンピオンになっていたのだ。
東崎が卒業するとき張ったタイマンは、次の番格が名乗りを上げる為の、期日を先延ばしに出来ない卒業式の裏伝統行事だった。武藤はその日朝から39度の発熱に見舞われて意識が朦朧としていたらしい。万全なら負ける気はしなかったが、こうなっては、数日後に控える試合に影響させないように負けるしかなかったという。そしてやはり負けはしたが終わった時、体調が万全なら絶対に負ける相手ではないと確信したらしい。
その武藤でさえ今の榊君には手も足も出なかったのだ。鬼瀬君が相手でも結果は同じだっただろう。武藤はその後、一線から退いて極真空手に専念するようになる。そして、この対戦はそのまま番格の継承戦として位置付けられ、2年生で学校を締めることになった榊グループは、相手を別の学校の不良学生に求めだした。
その結果、3年の夏には城西地区の中学、高校で榊と鬼瀬の名を知らない不良学生はいなくなっていた。
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