第27話 ドラゴンスクリュー

「おはよう」

 次の日、教室の席で座っている榊君と鬼瀬君に僕は声を掛けた。

 足を机の上に投げ出していた榊君は、僕の姿を見ると椅子からずり落ちそうになっる。鬼瀬君に至っては椅子を斜めにしてバランスをとっていたけど、絶句したままバランスを崩して、そのまま後ろにひっくり返った。

 朝イチだというのに、2人の顔には血の滲んだ絆創膏が張ってある。赤く膨らんでいる拳も痛々しい。

「格、来るなって言ったろ……ってお前、手の方は大丈夫なのかよ」

 包帯の巻かれていない僕のキレイな手がよほど衝撃的らしい。榊君は開いた口が塞がらない。鬼瀬君も目を見開いてフリーズしている。

「もう全然ヘーキだよ。ほら」僕は両手指のストレッチをして見せた。

「今日は僕も行くよ。どうせ3年は僕が狙いなんでしょ」

「あっあぁ、格が大丈夫ってんなら問題ねぇけどよ、折れてたんじゃねぇのかよそれ」榊君が僕の右拳を指さして言う。まだ信じられないみたいだ。

 鬼瀬君もようやく倒れた椅子を元に戻して座り直すと不思議そうな顔で僕の拳を見詰めている。

「なんか折れてなかったみたいなんだ、昨日ギプスを外したら良くなっててさ」

 あまりにも驚いている2人を見て、僕は咄嗟に嘘吐いたことを軽はずみだったと反省する。

「それより2人の方こそ傷だらけじゃないか、そんなになるまで僕を守ってくれて本当に有難う」僕は頭を下げた。

「何言ってんだよ格、俺たち仲間だろ」いつもは黙っている鬼瀬君が痛々しいまでの笑顔で言ってくれた。僕は何だか胸が苦しくなってくる。

「だけど格が復活したとなりゃあ百人力だ。放課後は奇襲なんかしねぇで、やっぱり正面から行くか」


 僕たちは、授業が始まる前に教室をエスケープして場所を屋上に移すことにした。約束の時間は午後だけど、とても勉強なんかしている気分じゃなかったんだ。

「奇襲するつもりだったの」僕は話の続きを促した。

「本当は今日の2時に、格を連れて体育館裏に来いって言われてたんだ。でも格を連れて行くわけに行かねえから、それをバックレて奴らが体育館裏から解散した後、板倉が1人になったら、やっちゃおうかと思ってたんだ」榊君がいたずら坊主のような顔をして言う。彼はどうしてこんな時まで楽しそうにしているのだろう。

「実は奴らに格の家の住所がバレてんだよ。でも津橋とか原田が言ったんじゃないからな。だからついでに板倉の家の住所も突き止めてやろうかと思ってたんだ」

 榊君がさらりと秘密を打ち明けた。やっぱりリュウさんの推測は当たっていたんだ。

「正面から行って僕たちに勝ち目はあるかな」当然の疑問を僕は口にしてみる。

「板倉とのタイマン、格はやれるか」

 僕に確認するような口調で榊君が言った。いつもなら鬼瀬君と2人でメインを取り合うところなのに、2人ともきっと見た目以上に満身創痍なんだと思う。

「うん多分、大丈夫だと思うよ。任せて」今日の僕に気負いはない。

「それを聞いて安心した。でも格、板倉に勝っても俺たち、きっと前の時みたいに奴ら全員に袋にされるぜ、それは目に見えてる。だけどそっからが本番だ。俺たちは逃げねぇ、最後まで俺たちの根性見せてやろうぜ」鬼瀬君の口元が少し笑っていた。

 

 僕たちはその後も屋上に留まっていた。青空の真ん中に向かって少しづつ登って行く太陽は屋上の日陰を食いつぶして行く。安全地帯を求めた結果、僕らは辛うじて日陰を保っている出入口の傍で金網にへばり付いて、校庭でやっている体育の授業を眺めていた。昼には給食のパンと牛乳を持ち込んで3人で食べる。今日はラッキーなことに揚げパンだった。食後にたわいもない話をしているうちに大の字になった僕らは午睡に耽る。最初に目を覚ましたのは鬼瀬君だった。最近買ったばかりだというスマホで時刻を確認しでいる。午後1時45分だと教えてくれる。もしかしたらアラームをセットしていたのかも知れない。実は鬼瀬君はどこかでバイトをしているらしく、意外と金持ちなのだ。絆創膏が貼られた顔に痛々しく腫れている手をした榊君は、まるでブチのめされて倒れているように見える。これからブチのめされに行こうとしてるのに……。鬼瀬君もそんなことを言いたそうな顔で、しばらく榊君を眺めていた。スマホのアラームが鳴る。

「おい、公平、そろそろ時間だ。起きろ」鬼瀬君は榊君の身体を揺さぶった。

 榊君が大きな欠伸をする。とてもこれから喧嘩をしに行くとは思えない雰囲気。呆れるほど緊張感がない。鬼瀬君が苦笑している。

「公平、さっさと行ってチャチャっと終わらせようぜ。なぁ格」

 きっと明日もこの3人で校舎の屋上を占領していたいと僕は強く思った。

 何もかも一瞬で今日を切り抜けて1秒後には明日の午後になる方法はないものかと寝起きのユラユラした頭の中で考えてみたけど、そんな方法は思い付けそうになかった。

 それでも何も怖いことはなかった。それが不思議で仕方なかった。屋上を出て一緒に階段を下りて行く、この2人が付いているからか、あるいは自分にはリュウが付いているからか。目の前の2人が僕を当てにしている。でもそれは本当の自分じゃない。リュウさんの力を借りた僕だ。できるなら本当の僕を当てにしてもらいたい。この2人がいれば怖くはない。

『リュウさん僕、自分の力だけで喧嘩してみるよ』


 僕らは約束の時間通りに体育館裏に着いた。板倉を始めとする3年生の主要グループは既に集まっていて何人かは煙草を吹かしている。ざっと15人はいそうだ。地面には吸い殻が散らばっている。黒い学ランの人だかりの一番奥に、普段着の人が紛れている。顔に包帯を巻いていても、それが東崎だとすぐにわかる。

 その場の全員がこっちに向いた。

 僕たち3人を見咎めた板倉が立ち上がって口角を釣り上げる。僕たちが来ないと思っていたのかも知れない。

「やっときたか、亀山」

 僕は黙ったまま板倉から視線を離さなかった。以前の僕なら怖気づいて膝がガクガク震えていたいはずなのに、今は不思議と落ち着いている。

〈格君、落ち着いているようだが1人で本当に大丈夫か〉

『うん、不思議と負ける気がしないんだ。どうしてなんだろう。なんだか力が漲っている感じなんだ』

〈感じじゃなくて本当に漲っているんだ。身体の治癒がもたらした筋力や耐性の強化が原因だ。だからといって人並以上になったとは限らない。それだけは忘れないでくれ。万が一生死に係るような事態になったら、その時は迷わず力を貸すからな〉

『わかったよ』

 榊君が一歩前にでて先頭に立った。

「先輩この通り、亀山を連れてきましたよ。まさか頭を下げて謝れなんてことは言わないでしょ。ここは正々堂々とタイマンでケリを付けてもらえませんか」

 榊君が3年生に対して初めて敬語を使うのを聞く。礼儀を尽くして申し込めば受けいれざる終えないだろうと考えてのことだ。

 これに対して板倉の返答が少しでもタイマンを突っぱねるような口振りをすれば、3人で即座に殴りかかるつもりでいた。その時はゴチャマンだ。場の空気がまだ穏やかなうちに先に板倉を潰してしまうおうというのが、最初に予定していた奇襲に変わる3人の作戦でもあった。でも結局は袋になる。だけどタダで袋になるつもりはない。

 しかし板倉の反応はそのどちらでもなかった。

「俺もよ、ついさっきまでそのつもりだったんだけどな、うちの大将が亀山とやりたいんだとよ」

 板倉が突き立てた親指で後方にいる東崎を差した。

「元々が、仇討ちみてえなもんだ。その権利は本人にあるだろ。もちろん怪我が治ってからだけどな」

 今にも殴り掛かるつもりでいた僕は、誰にも見抜かれないようにそっと溜め息を吐いた。しかしそれとは対照的に板倉の相貌が緊張感を帯び始める。

「だけどよ俺は俺で納得がいかねえんだよ。この2、3日でお前ら2人に10人以上やられてんだ」

「それは単にあんたらが弱かっただけじゃねえのか」

 鬼瀬君が真顔で火に油を注ぐようなことを言った。もしかしたら鬼瀬君は天然なのかもしれない。だとしたらもっと違うところで発揮するべきだ。こんなことを言ったら相方が黙っているわけがない。

「何言ってんだよ鬼瀬、俺たちが強すぎるだけだって」ほらね。

 次の瞬間、榊君と鬼瀬君の2人は板倉に同時に胸倉を掴まれて引き寄せられた。

「舐めてんじゃねえぞ。お前ら2人まとめて相手にしてやる掛かって来い」

 板倉はそう言うなり2人を同時に突き放した。

「さすが先輩、えらいハンデくれるじゃんか」榊君が言った。

 そのまま臨戦態勢になった榊君の前を鬼瀬君が塞ぐ。

「公平、お前寝起きだろ、ここは俺に任せろ」

 榊君は今、絶対にお前も寝起きもだろと思っている。だけどその言葉を呑み込んで、後ろに下がった。屋上でいち早く目覚めた鬼瀬君は榊君の両手の指が握り込めないほど腫れ上がっているのを見ていたに違いない。

「恰好付けてんじゃねぞ。クソガキが」

 突如、板倉のハイキックが鬼瀬君の頭部を襲う。普段、格闘技とかには全く興味はないんだけど、それが素人離れしたものだとすぐにわかる。そのキックは鬼瀬君の肩を掠めるも、加速する板倉の素人離れは、鬼瀬君に反撃の隙を与えない。いきなり始まった鬼瀬君と板倉のタイマンは、お金が取れそうな好カードだ。

 上段の次には中段、そして下段。蹴りには後ろ回し蹴りや、飛び膝が入る。防戦一方の鬼瀬君は躱したりガードしながらも、じりじりと後退する。だけどまともな被弾は許していない。反撃にでたいところだけど板倉の動きが早すぎて攻撃が出来ない。

 このままだと危ないんじゃないかと心配になる。ストリートでもここまで防戦になる鬼瀬君を見たことがない。

 僕は思わず声を上げそうになった。鬼瀬君が足を滑らせてバランスを崩したのだ。その体勢は次弾を躱しきれない隙を生んでしまう。板倉は当然のように見逃さない。鬼瀬君の頭部に目を閉じたくなるほど残酷な蹴りが命中した。その衝撃で避けるリズムが狂い始める。次々と繰り出される、一発で勝負がつくような重い蹴りが、鬼瀬君のガードをすり抜けたり、意表をついてヒットする。

 息を詰まらせて背を丸めた鬼瀬君の視界からエスケープした板倉が、飛び蹴りまで繰り出した。吹っ飛んでコンクリートの塀に身体を激突させた鬼瀬君はそれでも怯まなかった。すぐ様起き上がって、頭から流れ出した鮮血を拭ってファイティングポーズをとる。

 3年生が歓声を上げた。

「いいぞ1年生、板倉の蹴り喰らってピンピンしてやがるぜ」

「板倉、本気でやれ本気で」

 板倉は鬼瀬くんに向かって行った。再びハイキックを浴びせる。肩で息をしている鬼瀬くんはガードをするのが精一杯だ。そして中断に後ろ回し蹴り。

「これ、あんたの癖だろ」

 鬼瀬君は中断に飛んで来た後ろ回し蹴りをキャッチしていた。

 半ば背を向けたままの板倉が鬼瀬君に片足を取られたのだ。そのまま押し倒せば俯せのマウントポジションが完成する。

 勝負あった。僕はそう思った。しかし次の瞬間、片足を取られたまま飛び跳ねた板倉は宙で身体を反転させてサッカーのボレーシュートでもするかのように鬼瀬君の頭部に蹴りを入れる芸当を見せた。

鬼瀬君は再びコンクリートの壁に激突する羽目になった。

「あぁ、癖だよ。人の癖を見抜いたはいいがお前はその様か」

 コンクリート塀に頭からぶつかった鬼瀬君の顔面は半分近くが鮮血に濡れていた。

 それでも鬼瀬君は立ち上がって構える。


「やっぱ噂通りの強さだな、喧嘩でこんだけキレイに蹴りを打つ奴、初めて見た」

 相手に感心している場合じゃないだろう。と僕は思うし、気が気じゃないんだけど榊君は、欠伸が出そうなほどリラックスして、腕まで組んでいるではないか。鬼瀬君が負けるとは1ミリも思っていないようだ。

 

 板倉の連続攻撃が止まった。対峙する2人の間に沈黙が流れる。癖を見抜かれてそれでも返り討ちにしたのはいいけど、これで迂闊には出れなくなった。1年の小僧だと舐めて掛かることを改めざる終えなくなったに違いない。

 それでも、先に動いたのはやはり板倉の足だった。素早く間合いを詰めた板倉は右足を垂直に振り上げた。踵落としだ。いやそれは踵落としのはずだった。繰り出す早々その踵落としは鬼瀬君がキャッチしてしまったのだ。しかし足技を得意としている板倉に焦りはない。さっきと同じように片足を取られても板倉は躊躇なく、残った片足でボレーシュートを敢行する。実は相手の蹴りは、不用意にキャッチしてはいけないのかも知れない。特に板倉の蹴りは。

 板倉の片足を取っていた鬼瀬が、動いたのもほぼ同時だった。鬼瀬はボレーシュートを掻い潜り板倉の足を抱えたままコマのように回転する。ボレーシュートの回転と、コマの回転がぶつかりあう。

「うがぁ」

 靭帯が切れるときは、太いゴムが切れたようなバチンという音が自分だけに聞こえ、それが声になってしまうらしい。と僕は後からその経験がある榊君から聞いた。

 相手に背を向けてのたうち回る板倉の醜態は、既に勝負を投げていることを意味していた。他の仲間が板倉に殺到する。別の何人かはこれ以上はさせまいと鬼瀬君の前に立ちはだかった。

 そこへ榊君と僕も加わって睨み合いになった。

「次は誰が相手になってくれるんすか」榊君の言葉に受けて立とうとする者はもうこの場にはいなかった。これも榊君の牽制だ。僕らは3年生に袋叩きにされるのを最初から覚悟している。

「今日の所は板倉の負けだ。板倉がタイマンを張って負けただけだ。ただそれだけだ。亀山、次会ったら覚えておけよ」

 板倉に肩を貸した東崎がそう言うと3年生らは僕たちを残して体育館裏から去って行った。喧嘩に審判はいない。勝ち負けは自分たちが納得して決めるしかない。この喧嘩で3年生が納得したかはわからないけど、あっけない程の幕切れだった。


「お前、プロレス技なんてよく使う気になったな」榊君が鬼瀬君に言った。

「あいつの蹴りの間合いじゃパンチは届かないからな。さすがに負けるかと思ったぜ。あれは咄嗟にでたんだ」最後の大逆転は、スポーツだと盛り上がっていいのかも知れないけど。喧嘩だとなんだか複雑な気分になる。現に本人も納得が行ってないみたいだ。勝負には勝ったけど、実力は……。これじゃあやっぱり納得がいかないと思う。

「格帰ろうぜ」

 今日の鬼瀬君と板倉のタイマンを見ていて、結局、やる気満々だった僕の出番はなかったんだけど、今はちょっとホッとしている。今日の2人の勝負を見ていて喧嘩は力や身体の強さだけでは勝てないことを知ったからだ。多分、僕がやっていたら負けは目に見えていた。これからは僕も実戦で鍛えていこうと思う。

「ところで、あの技なんて言うんだっけか……」


 この日を最後に1年生グループが3年生に狙われることはなくなった。そしてそのまま3年生は卒業を迎え、格たちも中学2年生になった。 









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