第26話 報復

「格、お前は怪我してるんだ。俺がいいって言うまで明日から学校に来るな」

「で、でも」格は言葉に詰る。

「でもじゃねえ、お前が一番狙われてるんだぞ。その手じゃ何も出来ないだろ。それにお前は俺たちにとって最後の砦なんだ。わかったな」榊は格に付け入るスキを与えなかった。

 あと3日だけ待って。そう言いたかった。しかしその言葉を呑んで「わかったよ」と告げると電話を切った。

『リュウさん。本当にあと3日あれば僕の手は治るんだよね』

〈必ず治す、学校に行かなくていいのは都合がいい、怪我の治療に専念出来る。とにかく栄養をしっかり摂って安静にしてくれれば助かる〉

『わかったそうするよ』

 今に始まったことではないが、格の心に葛藤があるのを感じ取っていた。すぐに片付く問題ではないが、ほっとく訳にもいかない。

〈何か心配事があるようだな。話してごらん〉

 格は、しばらく自分の拳の包帯をいじってから口を開いた。

『僕が榊君たちと友達になったのは、いつか未来からやってくるテロリストが榊君に       宿った時に起こす、工作活動を阻止するためなんだよね』

〈その通りだ。榊公平と親友になることによって、早い段階で彼の変化に気付くことが出来るはずだ〉

『テロリストの工作活動を阻止する時は、榊君と戦わなければならないんだよね』                         確かめるように格は言った。

〈それが自分に出来るかどうか自信がないと言いたいのかい〉

 格は、恐る恐る、そして申し訳なさそうに小さく頷いた。


 格がそう考え始めることは榊たちが、格をグループに迎え入れようとした時から想定はしていた。こちらが作為的に場面を用意してできた関係ならば、それは偽りの友情なのだからと説得しようもあるが、これは榊たちから接触して出来た自然な友情なのだ。そこだけは誤算だったのかもしれない。

 榊に対して殺してでもという秘めた思いを抱かせるように仕向ける必要がある。さもなくば、この私が格の肉体を乗っ取ってしまうしかない。それについては、理論上は可能だという結論に達している。ただし肉体を乗っ取った後も都合よくその状態をオン、オフできるかは、やってみないことにはわからない。もし元に戻れなくなった時、果たして格の自我がどうなるのかもわからなければ、自分自身が未来に帰れなくなることも十分に有り得る。そうなっては何もかも意味がなくなってしまう。リスクが高すぎる。やはり格自身をどうにかしなければならない。幸いまだ時間はたっぷりとある。


〈格君、それはまだ先のことだ。それに榊君と戦うことだけが全てじゃない。例えば彼自信を説得するとか、間接的に工作活動を妨害するとか、別の方法はいくらでもある。ただしそうした日常の変化に違和感なく介入するには、今よりもっと深い関係になっておかなければならない。日本の未来は君たちの友情の深さに掛かっていることを忘れるな。わかったね〉

『わかったよリュウさん、とにかく今は怪我を治すことだね』

〈その通りだ〉

 思春期の少年をこちらの都合のいいように矯正するのは実に複雑で面倒なことこの上ない。正義と友情の狭間で思い悩む少年の心が口先だけで解消されるはずがないのはわかっている。事実この少年は私の話を信じ切ってはいない。そのうち決定的となるファクトに遭遇させなければいけないのだ。その手間を考えるとやはり格の肉体を乗っ取るのは実に有効な手段に思える。格がどうなろうと私の知ったことではないが。しかし失敗が許されない以上、この手段は少なくとも一時の感情で引き金を引いてはならない。


  津橋君が病院送りにされたと榊君から電話で聞いた次の日には授業中にも関わらず教室に乗り込んで来た3年生によって、原田君がやられたと聞かされた。僕はそれがパラジの本名だと初めて知る。もっともその日の放課後を迎える前にパラジを襲った3年生の3人は榊君と鬼瀬君の2人が、たまり場になっているトイレに乗り込んで行って血祭にしてやってらしい。

 こうしてやったりやられたりを繰り返すうちに数少ない1年生グループは3日と経たないうちに榊君と鬼瀬君の2人なってしまった。


「明日にはケリをつける」

 3日目の晩に榊君が電話してきて僕に言った。

 この3日間で榊君と鬼瀬君以外のメンバーはまともに登校できなくなるか戦力外になってしまったけど、2人の奇襲や応戦によって同じ目に合わされた3年生は10人以上にも及んでいる。しかしその中に3年生の主要なメンバーは含まれていないようだ。春先に僕を体育館裏に呼び出した連中はまだ1人も見ていないらしい。

 暴力団組長の実子という親の七光りに加え、身長180センチ、体重100キロ越えの体格で他の存在を区別なく、その他大勢にしてしまっていた東崎が学校から姿を消して、その後を引き継ぐように頭角を現し報復の指揮を執り出したのは、僕が体育館裏で最初に目にした金髪の板倉という先輩だった。

 僕たちはこの半年の間に、この板倉が東崎の参謀の役割を果たし喧嘩の実力も東崎に次ぐ実力の持ち主だということを突き止めていた。

「雑魚ばかりで切りがねぇから板倉をブッ飛ばして終わりにするよ」

 じゃあまた明日なと榊君は明るく言い放って電話を切った。これまで榊君は仲間たちに対して喧嘩で見栄や強がりを言ったことがない。いつでもそれに伴う実力を示してきた。しかし榊君と鬼瀬君の2人が無敵だとは思わない。東崎と直接まみえた僕の見解では、1対1であれば東崎の方が上じゃないかと思う。今まで榊君と鬼瀬君の口から東崎に対して何かしら強がるようなことを聞いたことがない。それは自分たちの力がまだ東崎には及ばないと肌で感じているからだと思う。そしてそれは板倉に対しても同じことが言える。にも拘らず、板倉を相手に明日でケリをつけると言うのがどうにも腑に落ちない。体育館裏で東崎を2人でKOした時のようなチャンスが今の板倉にあるだろうか。あったとしてもあの時のように結局は多勢に無勢で袋叩きにされるのが落ちだ。しかもこの2、3日で榊君と鬼瀬君は10人以上の3年生と殴り合いをしている。無傷であるはずがない。どんなに快勝した喧嘩でも相手を殴り続ける体力の消費は計り知れないものがある。それくらい僕でもわかる。2人とも疲労困憊なはずなのに。とても喧嘩できる状態じゃないのに。どうしてそんなに急ぐ必要があるのか。


〈普通に考えれば、3年生の狙いは君だ。最初から君だけが目的だったとしてもおかしくはない〉

『僕が発端になったんだから、それは当然だと思うよ。なら榊君の明日ケリを付けるってどうしてそんなに急ぐ必要があるんだろう』

〈口では平然としていたが実はそうせざる得ない状況になってしまったんじゃないか。恐らく君のこの自宅の住所はもう彼らに突き止められていて、その上で板倉から君を連れて来いと言われたのじゃないか、さもなくば家まで乗り込むと警告されているとしたら、あの2人ならばもちろん君には言わずに行こうとするだろう〉

 リュウさんの言う通りだと思う。板倉にとって報復というのは最初から僕1人が標的だったら、津橋君や原田君にしても僕の居所──自宅の住所を──言わなかったが為に病院送りになったに違いない。

 榊君は毎晩のように報告の電話を入れてくれるけど、3年生が僕の居所を探しているという事実だけは隠していたんだ。


〈だとしてももう何も心配することはないだろう〉

 僕は両の拳の包帯を外した。怪我はもう完治している。

〈今回の怪我は私が力を貸したが為に負ったものだ。今後は自分に跳ね返ってくる衝撃に耐えられるように肉体の強化をすることが大切だ〉

 格が負傷していたのは実は拳だけではなかった。両手足の筋肉はもとより関節に至る多くの部位に損傷が発生していた。その点において格を学校に来させないという榊の判断は、十分な治療が必要となった格にとっては有難いことだった。実際には東崎より格の方が重傷だった節もある。私が格の内部から血流を操って治癒能力を高めることは、どんな最先端の医療技術にも勝る。最早、全治1カ月以上の重傷を3日で完治させることなど造作もないことではあるが、日に日に仲間が傷ついていくのに自分だけが何も出来ないでいる状態に起因した格の精神的変化には目を瞠るものがあった。今の格に恐れや迷いという感情は欠片もない。肉体の治癒と共に費やされた時間は格の精神も成長させたのかも知れない。

 格は自室に戻ってベッドで横になってリュウに話しかけた。

『肉体を強化するって何をしたらいいのかな。ジムに通うとかは……、人に怪我させて自分もこの有り様で、親に印象が悪いから今はちょっと無理だと思おうんだけど』

〈何もお金を掛けることはない。自分で筋トレはいくらでも出来るし、今まで通りに榊君や鬼瀬君と一緒に遊んでいればいい、そこで積極的に例の退屈凌ぎに参加すればいいんだ〉

『それでいいの』ふさぎ気味の格の気分が電気を点けたように明るくなる。

〈実戦で体を鍛えるのが一番いい方法だ〉

〈わかった。さっそく明日からそれを実践するよ〉


 榊と鬼瀬の3人で板倉を始めとする3年生に対峙する様を想像すると、興奮して格はいつまでも寝付くことが出来なかった。





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