第24話 対決

 体育館裏での一件は、半年も前のことになる。東崎にしてもあの時、榊と鬼瀬に1度はのされたのだ、あのセリフは負け惜しみ的な心情も混ざっていたに違いない。それにあの一件以来、校内に境界線でも引かれたかのように1年生が多い場所では上級生の不良を見かけなくなった。きっと榊と鬼瀬が先輩にも躊躇なく向かって行くのがわかっているから些細なことで喧嘩になって、1年にやられたとあっては面目が立たない。従って不用意には近づかないという暗黙の了解が出来ているのではないかと僕らは思っていた。

 加えて今の東崎は左右の取り巻きと談笑に夢中でいるようだ。格にしてもあの時と違って今はリュウが付いてはいるが、ことを荒立てることは、もちろんしたくない。ここは知らんぷりをしてやり過ごすことにする。

 場所は、校舎の1階と2階を繋ぐ階段の踊り場だった。2階から下る格は外側を、東崎らは内側を登ってきて、お互い気付いた様子もなく階段の途中で擦れ違う。ところが、やり過ごしてホッとした瞬間、あの感覚が格を包み込んだ。一切の音は遮断され、目前を通過する、普段なら気にも留めないはずの埃のように小さい虫の羽ばたきが、数えられるほどに周囲の情景がスローモーションになった。

〈振り返ってみるといい〉

 その通りに、振り返ってみると心臓が止まりそうになる。

 額の青筋を躍動させた東崎が、格の背後から襲い掛かろうとしている。怒気を含んだ鋭い目付き、それでいて口は笑っているのだ。ただし歯は、がっちりと食いしばっていて、上から振り下ろす拳にその力が加わっているのがわかる。

 背後から不意をつくという卑怯な遣り口に格は、憤りを感じて身体の芯を熱くする。以前の格ならまず畏縮している場面だ。それは出番がなくとも、毎日のように榊たちとストリートに立ち続けたことの賜物と言えるものかも知れなかった。

 リュウもいい切っ掛けになるとばかりに、格を焚きつける。

〈ここで東崎を撃退しておくのは、君たちにとってはもちろんのこと、格君自身にも意味のあることだぞ〉

『僕にとっても』

〈そうだとも、グループ内で君はまだ一度たりとも喧嘩をしていない。榊君と鬼瀬君の2人は君を認めているが、他の者はそうとは限らない。ここで誰にも文句を言わせない実績を作るんだ。東崎はこの上ない相手だ。わかるね格君〉

 格は迷わず頷いて見せる。

〈よし、私の言うとおりにするんだ〉


 東崎は、上の階から1人で下りてきた生徒が誰なのか気が付いていた。

 あの時のことは忘れもしない。油断していたとはいえ普段でさえあれほどの負傷を負わされたことはない。その発端となった張本人の顔を忘れるわけがない。元々はこの1年生がマスコミの報道通りの野郎か確かめようとしただけなのだ。ここで呼び止めて人目の付かない所へ連れ込むことも出来るが、またいつ邪魔が入るとも限らない。この場でこいつを半殺しにして、その後はあの1年坊の教室にこいつを放り込んでやる。

 東崎は階段の踊り場をターンしつつ、取り巻き2人と談笑しながら、格を半殺しにするプロセスを頭の中に描いていた。

 傍らの2人の与太話に声を張り上げて笑う。擦れ違いざまに後ろから不意をつくには絶好の演出だ。例の1年生はこれ幸いとばかりに気配を殺すようにして、この場からそそくさと消えようとしているのは明らかだ。

 その1年生の姿が目尻の端から消えると同時に、東崎は階段を登りかけた足の踵を返し身体を捻りながら渾身の左の一撃を繰り出した。振り返りざまのそれは傍らの1人を巻き込んで薙ぎ倒す格好になる。衝撃は半減するだろうがそのまま体当たりして、階段から突き落としてやる算段に変更はない。東崎にとって否も応もなく成功するほどの不意をついたつもりだった。

 しかし東崎の思惑はここでとん挫する。

 自分が振り返った時、1年生はまだこちらに背中を向けていた。不意をついたのは確かだった。それがこっちの気配に気づくや否や、奴は状況を目視することもなく振り下ろしの左の一撃を紙一重で躱したばかりか、右クロスを被せる芸当を見せたのだ。

 格のカウンターは東崎の顎をとらえた。

 その一発で腰が砕けそうになっている東崎に、続け様の格の左が東崎の腹を2発、3発と突き刺さる。その衝撃は内臓が破裂するかと思うほど痛くて重い。東崎はたまらず腰を折って屈みこむ。格は大股で一歩退いた。東崎の打撃に巻き込まれた取り巻きの1人は踊り場で、もう1人は階段の途中で、あっという間のKO劇に驚愕と焦燥が入り混じった表情を格に向けている

「てめぇ、1年のくせにやりやがったな」

 取り巻きの2人は、格と東崎の間に何が起きたのか見ていなかった。とにかく自分たちのボスが、やられているのは何かの間違いか、この1年が擦れ違いざまに卑怯な手を使ったに違いないと信じている。そして、格のことを初めて見た2人が迷わず格に威勢よくでたのは、格の見た目が華奢だったということと2対1という驕りがあったからだ。

 2人はほぼ同時に飛び掛かった。

 1人は下から格の腰の辺りを目掛けてタックルを慣行し、もう1人は上から更に跳躍する。その拳は格の顔面を狙っている。咄嗟にしては上下に分けた見事な攻撃といえた。

 しかし、2人は目の前から格が消えるのをする。そして次の瞬間、身に受けた衝撃を認知する前に、踊り場で折り重なって天井を見上げていた。

 東崎だけが、苦痛に喘ぎつつも2人に何が起きたのか目の当たりにしていた。

 格は、下から来たタックルに対しては相手の額に膝を叩き込み、上から振り下ろされてきた拳には、その手を取って一本背負いを仕掛けたのだ。投げを打たれた身体は、額を割って踊り場で仰向けになって伸びているもう1人の上に叩きつけられた。


 こいつの強さは尋常じゃねえ。格闘技をやっているとかそう言うレベルじゃない。

どんなに卓越した攻撃や防御技術があっても、圧倒的なスピードと力はそれを簡単に凌駕してしまうということを東崎は本能的に悟ってしまう。同時に誘拐未遂事件のあの動画は、何の細工もされていない真実を映し出していると確信する。

 こんな奴をまともに相手にしていたら命が幾つあっても足りねえ。

 圧倒的な実力差を見せつけられた東崎に反撃の意志は消え失せていた。完全に降参に追い込まれたのだ。しかしそれは、喧嘩をするということに限ってだ。いくら強くてもまだ1年生。先輩としての面子がある。頭を働かせろ。こいつは手なずけて俺の手下にする。この場の切り抜け方次第で、どうにかなるずだ。

 振り返った格と蹲っている東崎の視線が合う。

『もう僕たちに関わるなって言った方がいいよね』

 東崎の目に戦意はないと見た格がリュウに相談する。

 東崎のような輩には、それでは駄目なのだ。もう二度と顔も見たくないと思わせるほど完膚なきまでに打ちのめしておかないと、このタイプは必ず仕返しにやってくる。だがそう教えた所で格がそれを実行できないのはわかり切っているリュウはこう言った。

〈そうだな。これに懲りて、奴もおとなしくなるだろう〉

 格は、蹲って脇腹を押さえている東崎に歩み寄って膝をつく。


 東崎が蹲って脇腹を押さえているのは、大袈裟に見せて同情を引くためだった。いくら馬鹿げた強さでも、この1年生は元来、人と殴り合うことを好まないタイプだと東崎は見抜いていた。そうでなければ最初にこの踊り場で気配を殺してやり過ごそうなどとは考えないはずだ。今もこの1年生は心の中の自分の良心と絶えず会話をしているようにも見える。それはこいつの立ち回り全てに感じることだ。誰かに命じられて人を殴っているようにも見える。要するにこいつは優しすぎるのだ。

 こいつの言いたいことは、察しがついている。「もう関わるな」だ。だがそうはいかねえ。ここで俺が「肋骨が折れたかも知れねえ、保健室に連れて行ってくれ」と言えば、こいつは精神的な負い目を背負うことになる。そうなればこっちのもだ。さっそく明日からでもジワジワと追い詰めて、そのうち俺の言うことは何でも聞く取り巻きの1人にしてやる。

 東崎は精一杯、苦痛に満ちた顔を作って格を見上げ、口を開いた。


「お前だけは絶対に許さねえ、お前の妹もさらって一緒にブッ殺してやる」







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