第22話 榊と鬼瀬

 そこには2人の部外者の姿があった。部外者とはこの中学校の部外者と言う意味ではない。この体育館裏に出入りする連中から見て部外者という意味だ。

 2人は遠慮なく踏み込んでくる。どちも学ランの上着もワイシャツも着ていない。だらしなくTシャツの裾をだしている。この2人が2年生でもなければ3年でもないことは、彼らには一目瞭然だった。1学年に100人は生徒がいるが、在学する年月は全校生徒をあまねく識別する時間を与えている。新顔ということは、この春に入学してきたばかりの1年坊ということだ。

 2人とも短く刈り込んだ頭髪と顔つきに、つい先日まで小学生だったことを思わせる幼さを残している。それでいて先の口上を言ってのけた方は、やけに場慣れした落着きぶり。もう1人は無口なようだが口元には不敵とも思える笑みを浮かべている。そして2人の後ろには、この体育館裏へと曲がり込む角で、敷点を張っていたはずの、使い走りの2年生が、格と同じように鼻血塗れで腰砕けになっていた。

「なんだ、お前らこいつの連れか」

 メッシュ頭の東崎が取り巻きを差し置いてアグレッシブに前に出てくる。

「まぁ連れっていうか、俺たちもあいつに用があるんだよ。教室に行ったら2年の先輩が連れて行ったっていうもんだからよ。あっ因みに体育館裏じゃないかって教えてくたの先生だから」

 東崎は端から1年坊の話など聞いていない。お構いなしにTシャツの胸倉を引きちぎらんばかりにねじり上げる。

「うちの1年なら、まず言葉遣いから教えてやらねえとな」

 東崎の口調は尻上がりにドスが利いてくる。喉の奥が白く光り出して、何か飛び出してきそうだ。

 格に対しては、寄ってたかってイジメようとした取り巻きの連中さえも、東崎の怒気に顔を引き攣らせて、半ば苦笑いを浮かべている。きっと東崎の逆鱗に触れたら誰も止められないに違いない。東崎だけは怒らせてはいけない存在なのだ。それは初対面の格にも容易に想像が出来た。

 しかしこの2人の1年坊はなんら怯むことがなかった。胸倉をねじり上げられている1年坊が両腕を左右に大きく広げたかと思うと、両掌でメッシュ頭の両耳を打った。インパクトの瞬間、手の平を逸らせることによって弾けた空気は意図も簡単に、東崎の鼓膜を破る。

 致命傷には程遠いが、一瞬の激痛が戦闘不能に追い込める隙を作ってくれる。東崎はたまらずねじりあげたTシャツから手を離して距離を取ったが、横からもう1人の1年坊が狙いすましたボディーアッパーを東崎の脇腹に叩き込んだ。猛獣のしわぶきのような呻きと共に体躯を折り曲げた東崎の頭を、すかさず両手でキャッチして、容赦のない膝を顔面にお見舞いすると、東崎は本日1番の大鼻血を滝のように流しながら、もんどりうってぶっ倒れた。

「あっお前やり過ぎだっての、この人絶対に鼻の骨、折れてるぜ。これじゃあ言葉遣いを教えてもらえねえな」

 非難された1年坊は相棒を無視して、まだ呆然としている上級生らにファイティングポーズを取る。興奮すると無口になる相棒。その姿に感化されたのか仕方なさそうに肩を寄せて拳を握る。

「なんだよ先輩。今更、卑怯だなんて言わねぇよな」

 次に出てきたのは金髪だった。やれやれという体でかったるそうにしている。他の何人かは東崎に肩を貸して退かせている。

「誰もそんなこと言うつもりはねえ。東崎はちょっと油断しただけだ。目上を敬うことを知らねえ生意気な1年坊には、ここでキッチリと言葉遣いを覚えて行ってもらう」

 言いながら上着を脱ぎ捨てた金髪は2人の1年坊に向かって、いきなりダッシュして飛び掛かって行った。それを合図に他の全員も我先にと殺到する。


 突如現れた2人組の1年坊は、格が見ている前でボスの東崎をあっさりとKOして見せた。これが1体1のタイマンだったら、あるいはこの場で次の乱闘にはならなかったかも知れない。しかし2対1という数の上では卑怯な手でやられた事実は、それ迄の格に対する自分たちの行為を棚上げにして、残りの多勢で2人を成敗してしまえという彼らなりの大義名分となるには充分だった。

 それでも2人組の1年坊は1歩も引くことなく、実に勇敢に向かっていった。2人の立ち回りは対照的で、東崎の鼓膜を破った方は、体幹の強さに任せて相手を薙ぎ倒したかと思うと、振り向きざまに放ったラリアート気味の掌底が別の相手の顎にヒットする。拳を使わないのは、喧嘩慣れしているひとつの型と言ってもいい。対してもう一方の無口な方は、明らかにボクシングの心得があるようだが、多用するのは肘で、この肘をまともに眉間に食った者は、一発で膝から崩れ落ちる。

 だがやはり多勢に無勢だった。形勢は東崎が復活した辺りから怪しくなる。仕舞には2人が、羽交い絞めにされてサンドバック同然に仕上がるのに結局5分も掛からなかった。

 入れ替わり立ちわ変わり殴る蹴るをしこたま食らった2人は、ヨロヨロになっても、崩れ落ちはしない。原型を失ったボコボコの顔面に埋まっている眼孔はそれでも先輩たちをにらみ続ける。

「せ、先輩よぉ、これくらいじゃ俺たちの……口は……な、直らねぇぞ」

 口から血痰を吐いて、フラフラと両手を上げて拳を握る。

 格は、2人のこの乱闘振りを見ていて、あることに気が付いてしまう。そしてこの2人がどうして自分の味方になってくれるのか疑問を抱いた。どこかできび団子をあげたのかもしれない。なんにせよこれ以上2人がやられるのを見ていられなかった。

 格はいつの間にか、この2人の間に割って入っていた。今、この体育館裏で一番軽傷なのは自分かも知れない。

「1人増えたぜ。こいつがやる気になったらどんなことになるか、動画見てんなら知ってるよな」

 このセリフはハッタリの効果としては、まだ有効だった。

 対峙する双方の間に、緊張感が張り詰める。

「粋がってんじゃねえぞ1年坊が。お前らは俺たちに締められたんだ。これ以上やっても意味はねえ、殺人者にはなりたくねえからな。今日はこれでお開きだ。だけどこれで許してやったわけじゃねえ。次に見かけた時その態度が改まってなかったら、また同じ目に合わせてやる。覚えとけ」

 東崎が終結を告げると、集団はぞろぞろと引き上げて行き、体育館裏は3人の1年生だけになった。

 格はこの2人が誰なのか最初からわかっていた。小学校の時、同じクラスになったこともある。でもちゃんと話すのはこれが初めてだ。

「榊君に、鬼瀬君。2人とも大丈夫かい」

 正に、腫れ物の2人にどうやって手を貸せばいいのか困ってしまう。

「大丈夫じゃねえよ。ちょっと肩かしてくれ」

 格は言われたように、肩を貸そうと屈みこんで、腕を上げた榊の脇の下に慎重に潜り込むと、これまた慎重に立ち上がる。それと同時に反対側の肩にも同様の負荷がかかる。

「俺にもこの肩、借りる権利はあるよな」

 振り向くと鬼瀬がアイシャドーを塗ったような紫色の目蓋を見開いている。初めて聞いた鬼瀬の声は、厳つい顔に似合わづハスキーで高い。彼が無口なのはこの声のせいだと妙な得心をしながら格は、2人の肩を支え体育館裏を後にした。


 付き合いの長さが、親友を形成するための必須事項ではないと初めて知る。大事なのは互いの間で、どんな時間が流れるかだ。言葉すらいらない。場合によっては、

その時間を過去の記録から持ち出して原材料にしてもいい。

「どうして、2人はデパートの誘導係を襲ったの」

 榊が咳払いをひとつして、赤く染まった唾を吐くと、格の言葉に驚きもせずにこう言った。

「ばれたか、俺たち退屈だったんだ」

 横で鬼瀬が同意するかのように頷いている。

「え、何それ。じゃあ体育館の裏に来たのも退屈だったからて言うの」

 格がそう言うと、榊も黄瀬も身体の痛みを堪えながら、肩を震わせて笑った。

 やがて3人は学校から歩いて10分ほどの所にある、榊の家に着いた。2人が格の肩をあてにした強行軍でも、辿り着くのにたっぷりと30分は掛かった。

 榊の家は、学校のある区画から青梅街道に出て、十二社通りを左折し、通りの右側に広がる西新宿5丁目の住宅街にある古い一軒家だった。手入れの行き届いている瀟洒な庭先には、おいそれとは立ち入ることを許さない雰囲気が漂っている。その敷居を、この家の人間なのだから当たり前なのだが、軽々と跨いでいく榊の後姿に生い立ちの良さが透けて見える。腫れ上ったその顔にさえも、どこか庭先に漂う品の良さと通じるものを感じた。

 玄関の土間は大の字になって寝れるほど広かった。そこへ出迎えた榊の祖母は3人の姿を見るなり、慌てて奥に引っ込んで行った。そして薬箱を抱えた家政婦を伴って舞い戻ってくる。間口の広い玄関先は忽ち野戦病院のようになった。

「今日は派手にやられたわね。あんたらそのうち敵だらけになって怪我だけじゃすまなくなるよ」

 野戦病院の院長はこの2人の素行をよく心得ているようだが、都合の悪い大人の言葉は子供の耳には入ってこない。しかし院長の話はお構いなしに続く。そのやり取りが軽快で面白い。どうやらこれがいつもの榊家のスタイルらしい。そして院長の話の矛先は、確信的に格にも及ぶ。

「ところでそこのあんた、初めて見る顔だね」

 鬼瀬の擦り剝けた肘に消毒液を吹き付けていた格は、居住まいを正して、

「亀山格です。よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。

 孫の公平が連れて来る仲間は皆、どちらかの親がいない。そのせいか礼儀知らずの子が多い。それならば親に代わって躾をするのは自分の役目だと心得ている公平の祖母なのだが、格のこの態度には少々面喰ってしまう。

「あんた、御両親が健在だね」

 こんどは、格の方が面を喰らう番になった。健在という言葉を初めて耳にしたからだ。それでも話の流れでその意味を察すると、少し返事が遅れた非礼を詫びる気持ちも込めて精一杯「はい」と返事をした。

 そんな少年の心の機微を見抜いた公平の祖母は、格の頭に手を置くと、この聡明な少年の髪の毛をクシャクシャにした。

 その光景を見た榊と鬼瀬は、目を見合わせてニヤリとする。自分たちの仲間になるには、公平の祖母に受け入れられることが第一条件なのだ。

 榊の祖母は自分が気に入った子供しか面倒を見ようとしない。見極める時間も意外と長い。格が初対面で髪をクシャクシャにされたのは、異例の早さと言ってよかった。

 そしてこれは、格の中にいるリュウにとっても僥倖だった。格の優しすぎる性格では、不良少年とも言える榊と、ただの友達になることは可能でも、対等の関係にはなれないだろうという懸念があった。近い将来のこのと考えると、榊と対等、あるいは榊に頼られるような立場が理想なのだ。その為にデパートの時のような、格の性格を矯正するイベントを今後も仕掛けなければならないと考えていた。

 その矢先、榊自身から格に接触を図ってきた。関係性の問題についても申し分ない。体育館裏ではどうなるかと思ったが、結果オーライだ。

 このまま、いい関係が続くことを願う。

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