第21話 呼び出し

 気が付いた時は、仰向けの男に馬乗りなっているのを、後ろから引き剥がされるところだった。息継ぎなしで25メートルを泳ぎ切った時みたいに肺が苦しい。

 男は血塗れの顔をぐったりと横に向けている。両拳が割れるように痛い。この惨状が自分のやったことだと気付くのにしばらくかかった。視界の景色が粘りのある赤色に染まっていく様が、バグッたプレイヤーのように頭の中で繰り返される。

 辺りはどこもかしこも騒然としている。警察官の背中と野次馬が焚くフラッシュの光、ロープとのせめぎ合い。デパートの搬入口は封鎖を余儀なくされ、建物の間を縫うように反響してくるパトカーのサイレンはいつまで経っても止むことがない。

母さんが みどり のことを抱きしめている。その横で父さんが母さんに寄り添っている。傍らでは、あの誘導係が警察官に何か話している。僕を羽交い締めにしているのは、さっきの協力的な警備員だった。

 僕は、被害者の家族なのに、どうして手錠を掛けられるのかわからない。そして犯人の男と、みどり が別々の救急車で搬送されて行く。両親は当然 みどり を乗せた救急車に同乗する。僕はガンメタの乗用車の後部座席からそれを見ている。両親は僕に見向きもしない。どうして僕のことを労ってくれないのか、とは思わない。それよりも頭の中でばぐったプレイヤーをそのままにして興奮している顔を見られないで済むことにホッとしている。本当は壊れたプレイヤーの映像で、自分の気の弱さを塗りつぶしいるだけなんだけどね。

 ふと、僕にはリュウさんがいることを思い出して話しかける。

『リュウさん、これで良かったのかな。僕は何か悪いことをしたのかな』

〈妹を誘拐犯から救ったんだ。決して悪くはないさ。あるとすれば今君の腕に嵌められている手錠が証明してくれることになる。だが若いうちは、やり直しが幾らでも利く。大事なのは何事にも怖気づかないで自分の思うままに行動することだ。君はそれが出来たから みどりちゃんを救うことが出来たんだ〉

 リュウの言葉に勇気づけられた格は大きく頷いて見せる。

 後部座席で僕の両脇に座っている刑事が僕のことを馬鹿にしたような顔でアイコンタクトをしている。僕はそれに気付かない振りをする。頭の中では繰り返される暴力シーンで血塗れになっていく犯人の顔と、刑事の顔を1人づつ挿げ替えて再生していた。壊れたプレイヤーはしばらくこのままにしておくことに決める。


 この日の一件は、小1少女誘拐未遂事件として大きく報道されることになった。少女誘拐未遂ということだけでも世間に与えるインパクトは十分過ぎるが、何よりこの事件を未然に防いだ人物が、まだ小学6年生で被害者の少女のお兄ちゃんだったということと、このお兄ちゃんが、35歳の犯人の男と対峙して格闘のすえに取り押さえてしまったことが事件そのものよりも注目を集めてしまう。

 少年を英雄視する報道は、少年が過剰防衛の疑いがあるとして補導された後も変わらずに続くことになるが、犯人の怪我の容態が顔面の複数個所に及ぶ骨折に加え、左目の失明、そして左手首の脛骨の粉砕骨折だったと警察から発表されると、報道の趣旨は徐々に違う方向へシフトしていく。

 少年は一体何者なのか。昼のワイドショー番組は格の素性を詳らかにしようと躍起になった。そしてこのタイミングで追い打ちが掛かる。格が犯人の男と格闘するシーンの動画がネットにアップされてしまうのだ。これで犯人の負った怪我が格によるものだと裏付けられてしまう。更にこの動画を撮影したデパートの搬入口の誘導係は、この動画内で格と接触した時の一部始終を語り、必然的に自身の素性を明かしたことが徒となり、今度は自分自身が2人の覆面をした暴漢に襲われリンチ制裁を受ける動画をネットにアップされる事件が発生してしまうのだ。

 誘拐未遂事件から派生したこの事件も世間の注目度は高く、格の仲間による犯行だとの憶測が先行し報道関係者が、格の自宅どころか、通学路にまで現れるようになり、父親はビジネスホテルからの通勤を余儀なくされ、みどり は警察病院を退院した後も、自宅での療養をつづけることになった。

 格の処分は、少年法に基づいて家庭裁判所の判断で保護観察処分になる。

 そしてこの事件は、少年が絡んだことで多くの不可解な事実が、報道しきれないまま、日々新たな事件やスキャンダルに事欠かない都会にあって、格が中学に進学する頃には世間的には風化していく。それでも一時はマスコミが格のことを、怪物だの殺人鬼の卵だのと囃し立てた影響は大きく、町内では火中の少年が亀山格だと知れ渡っていたし、入学前から学校中にあまねく膾炙されていて、登校初日には校長室に呼び出され、絶対に事件のことは話さないようにと指導を受ける。初っ端から問題児扱いにされる始末だった。


「亀山ってのは、どいつだ出てこい」

 格のクラスに怒鳴り込んできた生徒の詰襟には2年生のバッヂが付いていた。小学校を卒業したての1年生からすると2年生は立派な大人に見える。しかも授業中なのである。先生が引き攣った顔をして何か言おうとしているが、震える喉から搾り出されるのは、細切れになった「あ」だけで、その2年生に指を差しながら詰め寄ろうと努力してはいるものの、それよりも腰がバックする牽引力の方が勝っているものだから距離はどんどん遠ざかって行く。生徒の間にも緊張がはしる。格は眉根を寄せて、その2年生の様子を窺う。するとその2年生と目が合った。

「お前が亀山か、ちと面かせや」

 格が小さく頷くと2年生はズカズカと格の前までやって来て、おもむろに格の胸倉を掴み、無理に格を立ち上がらせると肩を押して、教室の外へと促した

 自分がなぜ上級生に呼び出さるのか理由は察しがついている。

〈自分たちより目立つ存在を面白くないと思う者は、少なからずいるはずだ〉とリュウさんに予め言い含められていたからだ。でも授業中にクラスに乗り込んでくるのは予想外だった。それが強引にでも許されてしまうところに先が思いやられる。

「乱暴はするなよ」と言う、先生のか細い声がかろうじて耳に届いてきた。

 デパートの一件で、自分の気の弱さにもかなりの耐性がついている気がしていた。それが証拠に、この学校の生徒の8割以上に達する所謂ヤンキーと称される彼らに、いくら睨みを利かされたところで、どこか子供騙しにしか感じないのだ。

 しかしそれでも、いざこうして名指しで来られると流石に怖気づいた。声も出せなかったし、連れて行かれる先が体育館裏だと察しが付くと腰が抜けそうになる。教室で先生のことを少しでも馬鹿にしたことを反省する。


 体育館裏と言っても、曲がりくねった先にあるそこは意外に広く、その光景に格は更に怖気づいて膝頭のシェイクが止まらなくなった。

 一目では何人いるのか判別できない。その全員がしゃがみ込んで、まるで生きているのも面倒くさそうにしながら煙草を吹かしている。それでいて髪型や服装には神経質なまでに気を使っているのが見て取れる。一人として髪の色が黒い者はいない。一人として標準の学生服を着ていない。それぞれが皆、個性的と言ってもいいが、不思議と眉毛だけは全員、東京タワーを横に倒したような形にしている。流行なのかもしれない。時折、笑い声が響く。それに続く汚い言葉遣いは、冗談なのか本気なのかわからない。仲間同士のようでいて、各々が一番だと主張しているようでもある。彼らはどこにいてもそうだが、自分の時間を邪魔されることには至極、敏感で周囲に対して、触れただけで怪我をするような緊張感を強いてくる。学年の差に生じるこの効果は実に絶大で、今も格は黙って彼らの前で、彼らが話しかけてくるまで待っているしかない雰囲気だった。教室に乗り込んできたこの2年生でさえも、この連中の前では可愛いとさえ思えてくる。彼はただの使い走りに過ぎなかったのだ。


 今の格には、リュウの力に頼るという選択肢はない。それはリュウが定期報告で未来に帰っていると信じているからだった。格にとってはデパートの一件以来のピンチと言っていい。しかしこういう時こそ己を鍛える時間にして欲しい。いざとなれば力を貸すことは簡単だ。その時は偶然戻ってきたと言えばいい。

 

 いきなり背中を突き飛ばされた格は、前のめりにたたらを踏んだ。使い走りの2年生が痺れを切らせたのだ。

「連れてきました。こいつが亀山です」

 場の空気が止まった。全員の顔が一斉にこちらに向く。そして、一番奥にいる1人が、フィルターの茶色い煙草を地面に落として立ち上がった。

 縦にも横にも広い体躯だった。その体躯が格の顔に影を落とす。160センチに満たない格とは頭一つ分以上の差がある。襟には3年生のバッヂが付いている。格はその顔を仰ぎ見る。とても中学生とは思えない。スポーツ刈りのような髪型だがシルバーのメッシュが入っている。血の気が引いてきたのは、仰ぎ見ているせいだけじゃなかった。蛇のような目で睨まれているからだ。

「お前が、亀山か。俺はこの学校を締めてる。東崎だ」

 こっちに来いよと言われて肩に腕を回される。制服の中は金属で出来ているのかと思えるほど硬くて重い腕に絡めとられた格は、身体が地面にめり込んでいくような気さえした。

 東崎に促された格は、車座の中心に迎えられる。緊張しなくていい。と言われてもリラックスなど出来る訳がない。どの顔にも爬虫類が獲物を物色している時のような餓えた目と口が連想できる。東崎だけはコンクリートのブロックに腰を下して、生贄のようになっている格を遠目から見物している。

「お前、極真空手か何かやってんだろ。じゃなきゃあんなこと出来ねぇよな」

 格の正面で地べたに胡坐を掻いて座っている、金髪が口火を切った。

 あんなこととは、もちろんデパートの一件のことに違いない。

「人は見かけによらねぇって言うけどよ、こいつの拳見ろよ。格闘技やってる人間の手じゃねぜ」

 左隣の茶髪ロン毛が横倒しの東京タワーを右側だけ大袈裟に湾曲させて、格の手の甲を凝視している。

 格は曖昧に頷きながら隠すように自分の手の甲をズボンの体側に擦り付ける。

「おいおい、あんまり失礼なこと言ってると、今にマウント取られてよぉ、顔面骨折に失明させられちまうぞ」

 遠巻きから、東崎がふざけ半分の忠告をすると、一同がどっと笑い声を上げた。

「だけどよぉ、どう見たってあれがこいつの仕業とは思えねぇけどな」

 とロン毛はまだ、格のことを疑っている。すると右側から片耳と鼻に銀のピアスを付けた、頭が半分五分刈りのマサイ族のような輩がスマホ掲げて見せる。

「だけど、こいつが動画に映ってんじゃんよ。ほら」

 マサイ族は動画共有サイトからダウンロードした動画を再生し、格の顔がかろうじて判別できる箇所で止めて、一同の注目を集める。それは確かに格ではあるのだがスマホ撮影のそれは当事者以外には、曖昧にしか見えない微妙な画像でしかない。

「仮にこれがこいつでもよ、これが撮影される前に実は違う奴にやられてたって可能性もあるよな」

「あっその線あると思うわ。この動画アップした馬鹿もやられたじゃん、きっとそいつらなんじゃね」

 事件と格本人の関わりを疑っている連中が勝手に歪曲した事実を作り上げようとしている。しかし格も思う。あの誘導係をリンチにしてその動画をアップしたのが誰だったのかと。映っていた2人の覆面男と他に撮影者が1人。少なくとも3人はいたことになる。ワイドショーでも取り上げられていた……。

 突然、背中に衝撃を受けて格はつんのめった。正面で胡坐を掻いていた金髪が素早い身のこなしで、つんのめってきた格を躱す。格は金髪が寄りかかっていたコンクリート塀にぶつかりそうになりながらも、間一髪のところで踏ん張って止めるのだが金髪がそれを許さずに、格の頭をうしろから押さえつけて、コンクリート塀に激突させた。その瞬間、数人がこの絶妙な連携に祝福の雄叫びを上げる。

「てめぇ、さっきから先輩方が話しかけてんのに、シカトはねぇべ」

 車座に混ざっていた唯一の2年生が格の背中を蹴り飛ばした右足を宙にピタリと静止させたままでそう言い放つと、足を下しておもむろに格に詰め寄り、うずくまって額を庇う格から強引に胸倉を奪い、互いの鼻先が触れるほど顔を近づけた。

 事実を都合のいいように歪曲されても構わなかった。それで良しとされて、飽きられればやがてこの場から解放されると思っていた。その矢先の塀の激突。痛みと動揺で言葉も出ない。そこへ間髪入れづの第2波に襲われる。一瞬白目を向いてしまうほどの衝撃が頭に走る。

 周囲が囃し立てる声で、それがチョーパンと呼ばれる頭突き攻撃だと知る。格は自分の常識を度外視している、捨て身とも言える頭突き攻撃を躊躇なく放てる目の前の2年生に恐怖を覚えるあまりガタガタと全身が震えだすのを止められない。

「先輩、やっぱこいつじゃないっすよ。これ見てくださいよ」

 額を僅かに赤くした2年生は、格の胸倉から手を離してどうですかと言わんばかりに勝ち誇ってみせる。

「こいつ、震えてるぜ。マジでちびる5秒前だな」

 震えている格を面白そうに覗き込んだ金髪が、格の真似をして身体を震わせるとまた全員が激しい笑い声を上げた。

 鼻先に漂う鉄臭を拭う。鮮血に塗れた手の甲と格を指さして笑う連中を、見比べているうちに、滲み出した涙が視界を歪めていく。

 これには、今まで沈黙していたリュウも、次は力を貸してやるしかないと思う。


「この学校の先輩方は、たった1人を寄ってたかってイジメるのが趣味なのかよ」

 唐突に投げられた言葉に、その場の全員が振り返った。










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