第20話 救出

 格は、一旦近くの出入口から外に出ると外壁に沿ってデパートの裏口に回り込んだ。デパートの裏口にある商品や食品の搬入口は華やいだ表通りとは打って変わり、出入りしているのは人ではなくて大型のトラックや保冷車ばかりだった。辺りに立ち込めるディーゼルエンジンの排気ガスを搔き分けるようにして格は、搬入口の中に入って行く。

「こらっ、そこの君。ここは立ち入り禁止だ。危ないから入るな」

 トラックの誘導係がホイッスル吹きながら、格に向かってくる。

「ご、ごめんなさい。でもここに」

 工事現場と変わらない騒音の中で格の言葉は自分の耳にも聞き取れない。場違いな子供の出現に誘導係はイラ付き隠そうともせずに詰め寄ってくると、格の二の腕を力任せに掴んで、何かの憂さを晴らすかのように腕をねじり上げる。

「危ないって言ってるだろ。入りたければ表から入りなさい」

「でもそこから僕の妹が出てくるかも知れないんです」

 格は、搬入口の奥を指さしながら、殆んど叫んでいた。

「はぁ、君はこのデパートの関係者の家族か」

「いえ、違うんです。中で妹が……」

 格の訴えはトラックの、から吹かしに掻き消されてしまう。誘導係が舌打ちをして格の腕から手を離した。

「馬鹿野郎、庫内でから吹かしすんじゃねよ。君、とにかくここは一般人は来ちゃいけないところだから戻りなさい」

 誘導係は、自分の持ち場へと戻って行くしかないようだった。きっと2秒後には格のことなど忘れているに違いない。から吹かしに喝采したい気分で格は懲りずに中に侵入する。そして次に立ちはだかったのは警備員室だ。通用口の出入りはここで見張れるようだ。間の悪いことに中から出てきた警備員と鉢合わせしてしまう。もしかしたら、誘導係とのやり取りを見ていたから、僕の前に出てきたのかも知れない。誘導係とは違って穏やかな感じだが、有無を言わせぬ強い目で僕を見てくる。話しても子供の言うことなど相手にしてくれそうもない。間違いなく誘導係よりも格上だ。

〈格君、この警備員の視線から目を離すな〉

 その瞬間、格は自分の視線がチューブのように伸びて、警備員の眼孔を貫き、そのまま警備員の身体の奥に入って行って、そこに自分の意志を流し込むような不思議な感覚を体験した。その気になれば相手の脳内に収まっている全てを探索出来そうだ。そこにはチューブの侵入を咎める強い反発もあった。しかし格の意志がチューブを伝って流れ込んで行くと、辺り一帯は みどり が連れ去られるかもしれないという焦燥の色に変わった。強い反発も格の味方に変わっていく。そんな気がした。

 チューブはそこでログアウトした。警備員の顔色が変わってる。病院に見舞いにきた親戚の叔父さんのような心配そうな顔付きで、格を警備員室に招き入れてくれた。

『リュウさん、今何をしたの』

〈その説明は後だ〉

 格は、各所に設置されている防犯カメラの大画面モニターの前に座らされた。

「君は、ここにいてモニターを監視しながら、ここの出入りを見張っていなさい」

 そう言い残して、警備員は出掛けて行った。

『あの人はどこに行ったのかな』

〈他にも出入り出来る箇所があるのかも知れない。今の彼は完全に私たちの意志を共有している味方だ。もちろん みどりちゃんの顔も知っている〉

『さっきので みどり の顔を教えたんだね』

 格はモニター画面を注視しながら言った。

〈ある意図をもってこちらを見てきた相手なら、それを突破口にしてこちらの意志を言葉なしに伝えることができる。さっきの警備員は元来が善良で優しい人間だった。だからこれだけ協力的になってくれたんだ〉

 実際のところは、こちらの意図を相手の意識下に植え付けてしまうマインドコントロールを仕掛けたのだ。そして警備員がここを出て行ったのは、ここには30分は戻ってこないように、管内の巡回に行かせただけに過ぎない。みどり の顔など知る由もなかった。


 通用口の出入りは頻繁にあった。どの人の顔もデパートの客とは違う仕事中の顔をしている。どんな仕事なのか格にはわからなかったが、仕事中ということだけはわかる。それだけに1人のある男が現れた時、格は何かがおかしいと思った。

 サングラスにヤンキースの野球帽を目深に被ったその男は、通用口の扉を開けてキョロキョロと辺りを確認すると、中からキャリーバックを引っ張り出した。その気になれば大人でも入れそうな大きなキャリーバックだ。

 格はまだその男をモニター画面で見ていた。顔を上げれば警備員室のガラス越しに生で確認できるはずだ。それでも格はそれが出来なかった。外からは警備員室が無人に見えるに違いない。膝が震えて足に力が入らない。

『リュウさんこの人、絶対怪しいけど、警備員の人が戻るのを待ったほうがいいよね。もしかしたら関係ないかも知れないし』

〈関係ないかどうは、自分の目で確かめてみることだ。ここでぐづぐづして、犯人を逃がして みどりちゃんに何かあったらどうするんだ。一生後悔するぞ。君はそれでもいいんだな〉

 この少年の気の弱さに少し辟易とする。まるでボクシングのセコンドにでもなった気分だ。

『わ、わかってるよ。ぼく後悔したくない』

〈そうだ格君、私が付いていることを忘れるな〉

 格は意を決して、遂に立ち上がった。

 モニターに映っている男は、今まさに警備員室の前に差し掛かろうとしている。

 格は震える手でドアノブを握る。力が入る。これが夢だったらどんなにいいか。格は意を決して一気にドアを開いた。


 キャリーバックを引いた男は、出し抜けに開いた扉に、行く手を阻まれた。更に、中から出てきたのが少年だということに、些かの驚きを示すがそれも寸暇のことで、すぐに冷静さを取り戻して、出くわした少年に、大人の威厳めいた態度で、邪魔をするなと睨みを利かせ、どけと言わんばかりに突き出した顎を振って、少年に従属を迫る。

 しかし格は、それに屈することなく男の行く手から下がろうとはしなかった。

「おじさん、それの中身を見せて」

 男のキャリーバックを指さして言う。唐突だがいきなり核心をついた。

 少年の思わぬ言葉に、男は目を瞠る。

「ガキには関係ねぇ、邪魔なんだよ。さもないとぶん殴るぞ」

 男は格の要求を突っぱねて、強引に格を押しのけようと手を伸ばしてきた。

〈この男の手を掴んでくれ〉

 リュウの指示と同時に、耳が遠くなって、目前の男は例によってスロー再生になった。格は自分に迫ってくる男の手を易々と掴む。

〈あとは、力一杯握るだけでいい〉

 格は、指示通りにする。男の手首はまるで発泡スチロールのようにやわらかかった。無音状態から解放されると、大人とは思えないほどみっともない呻き声が格の鼓膜を震わせる。

「ぐぎゃぁぁぃぃいいててええぇぇぇええははなはなせぇぇぇえええ」

 万力で締め付けられたような痛みは際限なく力を増していき、男は一切の抵抗力を奪われる。

「わ、わかったから、頼むから離してくれ、手がちぎれる。だ、誰か助けてくれぇ」

 少年の指先が男の手首の筋を圧し潰していく。

 この痛みから解放してくれるならなんだってする。

〈格君、もういいだろ、その手を離してキャリーバックの中身を確かめるんだ〉

 リュウの言葉に我に返った格は、その場にへたり込んだ男を飛び越えてキャリーバックに詰め寄る。がキャリーバックには鍵が掛かっている。

『リュウさん力を貸して』

〈了解した〉

 格は強引にキャリーバックを開けに掛かる。キャリーバックはまるで段ボール箱のように意図も簡単に壊れて開く。中から緑のワンピースを着た みどり の姿が確認できた。両手は紐で縛られ、口はガムテープで塞がれている。

「みどり、みどり大丈夫か、お兄ちゃんだぞ」

 泣き腫らした目頭が僅かに反応する。格は慌てて みどり を抱きかかえると慎重にガムテープを剥がしてやる。

 妹をこんな目に合わせた犯人は、まだ目の前でうずくまり格に潰された手首の痛みに泣き言を漏らしている。

「ち、畜生、お、お、俺の腕が、腕が、痛ぇ、治んのかよこれ。畜生クソガキが」

 見ているだけで、無性に腹が立ってくる。

〈リュウさん、もう一度力を貸して〉

〈この怒りは、自分だけの力で晴らさないと駄目だ〉

 これまで、リュウさんの言葉は結局、全部正しかった。きっと今もそうなのだろう。格は無言で頷くと、みどり をそっと横たえて立ち上がった。怒りに身体中が熱くなる。犯人の男は腕の痛みで忙しくて、格が近づいてくるのに気が付いていない。格は男の襟首を掴んだ。

「ヒッ」と呻き声を漏らして顔を上げた男の目には涙が滲んでいた。格が握り潰した手首があらぬ方向を向いている。

 この男の涙と みどり が流した涙は到底、等価交換にはならない。格は男の負傷した手首に振動が伝わるように肩を揺すってやる。それだけで男は断末魔の叫びを上げる。だがこんなことでは格の怒りは収まらない。それどころか余計に怒りが 湧いてくる。

 それは、この男に対する怒りではなかった。母親を連れて行こうとした自分、警備員が戻るのを待とうとした自分、どちらの場面でもリュウがいたからこそ みどり は連れ去られずに済んだのだ。怖気づいた自分に、情けない自分に、身体が熱くなる。こんな自分はこの場で全て捨て去りたかった。


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