第14話 覚醒
20フィートのコンテナが並ぶ貸倉庫は、ロッカー室のようにぐるりと一周できるように設置されていた。夜明けまでまだ時間はあるが、オレンジ色の常夜灯が深夜の暗闇にコンテナ群を浮かび上がらせている。
乗りつけられたワゴン車から5人の男が降り立ち、1人を残して4人が貸倉庫の敷地内に入ってくるのを榊は、コンテナの上から腹這いになって窺っていた。残った1人は出入り口を見張っている。
〈もたもたしていると、もう1台もすぐにやってくるぞ〉
「わかってるって、こいつら全員ぶっ飛ばしやる」
榊は砂利敷きの地面から拾っておいた、拳ほどの大きさの石を敷地の奥に向かって放り投げた。
落下した石は、奥のコンテナの上で派手な音をたてる。
「二手に分かれて挟み撃ちにするぞ」
砂利を蹴る足音が敷地の奥へと向かっていく。カミオカのお陰で奴らの息遣いまで聞こえてきそうだ。
「今の奴が頭だな、まずはあの野郎の脳みそをスキャンしたい」
〈この暗さだと黒崎明美のようにはいかない、組み付いて相手の脈拍を取る必要があるぞ〉
榊は了解すると、コンテナの上を駆け出した。ついでに途中の常夜灯を破壊して行く。この敷地内のオレンジゾーンを暗闇に呑み込ませていく演出は、マンションの駐車場で闇討ちにされた榊の仕返しでもあった。
「慌てるんじゃねぇ。絶対に逃がすんじゃねぇぞ」
頭の男が叫んでいる。
「逃げるわけねぇだろ」
呟いた榊は、既にこの男の頭上を見下ろしていた。
〈よく見えるようになっただろう〉カミオカが榊に確認する。
「自分の目が暗視スコープになったみてぇだ」
それに対して奴らの光源は時折雲間から顔を出す月明かりしかない。
両手で握りしめた拳銃を、暗闇の中で闇雲に振り回している様はスイカ割りの滑稽さと大差がない。そこにいるのは頭の男ともう1人、別の2人は逆の方から回っている。榊は音もなく地上に降り立つと背後から腕を伸ばしてチョークスリーパーをかけた。短い呻き声が暗闇に響く。
「どうしたっ」
すぐ隣にいる仲間の異変に気が付いた頭の男は、暗闇で人が倒れる音から反射的
に距離を取ろうと後ろに身を引いた。
「ぐあぁ」
頭の男は抵抗する間もなく、背後から首に絡んだ榊の腕で頸動脈を圧迫された。首筋の脈拍がハッキリと榊の腕に伝わる。
抗うことのできない窒息の苦しみが全身に広がり、近づいてくる限界を前に視界が白くなってくると四肢の弛緩が始まり、そこから一転して今度はもうどうなってもいいと思えるほどの気持ちよさに包まれながら、意識は無意識の沼に沈み込んで行く。全てが沈み込んでしまう寸前のところで、自分のものとは違う何かに意識の手を掴まれた。そんな気がした。
〈榊を殺せと命令しているのは、誰だ〉
男は口をパクパクとするが声にならない。質問の仕方を変える。
〈竜神会の朝倉だな〉
男は小刻みに頷いて肯定する。
〈なぜ朝倉は榊を狙うのか理由を知っているか〉
男は首を横に振った。
〈榊が今夜、あのマンションに来るのを知ったのは、荒川という男の口を割らせたからだな〉
男が首を縦に振った。やはり荒川は奴らに捕まっていたのだ。
〈荒川は、殺したのか〉
男は反応を示さなかった。
「生きてるのか」
〈いや知らないんだ。でもこの男は死んでいて当然だと思っている。君を殺せと命じられているんだからな。他に聞きたいことはないか〉
「朝倉は今どこにいる」
〈それも知らないようだ。この男は朝倉とは歌舞伎町の事務所でしか会ったことがないらしい。当然、どこに住んでいるのかは知らないし、今は歌舞伎町の事務所にはいないそうだ〉
収穫は、朝倉が俺を殺そうとしているのがハッキリとしたことと、やはり荒川が攫われていたという事だけだった。朝倉が俺を狙う理由と、荒川が生きているかどうかは、分からずじまいのままだ。
榊が完全に腕をロックするとギリギリのところで保たれていた男の意識はこと切れて、身体から力が抜け落ちる。榊はその場に男を横たえると倒れている2人から拳銃を取り上げ一丁はジーパンの腰に挟み、再びコンテナの上に登る。
一方で、逆から回り込んでいた2人は、先刻まで大声で指示を出していた自分たちの頭が沈黙していることに異変が起きたと思い始めていた。
「兄貴、大丈夫ですか」
その先にいるはずの2人から返事はない。
そこに、もう一台のワゴン車が到着した。そこに加わった5人と、外で待機していた1人も貸倉庫の敷地内に入ってきた。間もなく先の2人とも合流し今度は4人づつで二手に分かれて、捜索を開始する。
榊はコンテナの上を一気に走り抜け、ワゴン車が2台止まっている表の通りに飛び降りた。
「俺にも何となくわかってきたぜ」
この貸倉庫内での榊の動きがスムーズに運んだのは、100パーセント、カミオカの洞察力をもって榊の動きを予測し、その都度その場面に見合う身体機能をカミオカが向上させていたからに他ならない。しかし、いつ何時であっても榊の身体機能をカミオカが自由にできるわけではなかった。人間の身体は常に外部からの異物やウイルスの侵入を監視している。カミオカの存在自体はその監視が及ぶところではないが、リミッターを外すような身体機能の操作をする行為は、人体が何らかの脅威に晒されていると判断し拒絶してしまうため、実はその度に榊は己の身体に許可を求められていたのである。カミオカと榊の身体の間に発生するそのトラクションは殆んど無意識に近い刹那の揺らぎに過ぎないが、この刹那が、瞬時の大事な判断を下すときに要する脳内のリソースを圧迫することに榊は気が付いたのだ。
榊はこの問題をまだ解消するには至ってないが、更に別の事実にきずきつつあった。
〈何がわかったというんだ〉
榊が何に気づいたのか察しはついているが、今は答え合わせを楽しみたい心境だった。
「本当はお前のアシストがなくても出来ることなんだろ。ただ人間はそのやり方を忘れちまってるだけなんじゃねぇのか」
〈その通りだと思う。私も君の身体を内側から見ていて気付きつつあることだ。こんな時に不謹慎かもしれないが、楽しくて仕方がない。ただしこれは人間が忘れてしまったのではなくて、まだ知らない機能なんだと私は思うがね〉
「ちくしょう、連中しっかり車のカギを抜いていやがる」
街灯の明かりがワゴン車のイグニッション回りを照らし出している。
敷地内では連中が、倒れている2人を発見して騒ぎ出していた。
榊にはもうこの連中を相手にする興味がなくなっていた。行く場所さえ失ってしまったのだ。今の榊には朝倉と直接ケリを付けることしか考えられなくなっていた。
「カミオカ、もう少しあいつらの相手をするけど体力が持つと思うか」
この過度の体力の必要性の問題は今後もずっと付きまとっていくことになるだろう。例え榊が1人で出来るようになったとしても、人間の気力が体力の消耗の後払いを可能にしている限り大差はない。榊も本能的にそのことに気が付いていた。
「仕方ねぇこれを使うか」
榊は奪った2丁の拳銃の弾倉を引き抜いて残りの弾数を確認する。
「合わせても6発しかねえぜ……」
不意に、首筋から頭頂にかけて心地のいい痺れが登ってくる。榊の肉体が疲労の回復を始める兆候だった。
「やべぇ立ったまま、落ちちまいそうだ」
緊張感が薄れていく思考に鞭打って拳銃を一つに絞り、弾を込め、サイレンサーを外してワゴン車の陰から貸倉庫の出入口に銃口を向ける。同時にカミオカは、連中の動向の把握に努める。
〈もう出てくるぞ、前方の警戒に2人、倒れた2人を運び出すのに4人、後ろの警戒に2人だ〉
間もなくカミオカが言ったように、貸倉庫の入り口から連中が出てきた。気絶している2人は両脇を抱えられて足のつま先を引きずられている。後方の2人は背を向けて拳銃を両手で構えながら後退りしている。まだ榊が貸倉庫内に潜んでいると思い込んでいるようだ。
先頭の2人のうち1人が構えていた銃を懐にしまいワゴン車に向かって走り出してくる。リモコンキーがワゴン車に向けられると、ハザードが瞬きロックが解除になる。榊は貸倉庫側から陰になってるワゴン車の運転席側に潜んでいた。
ロックを解除した男は、仲間を気にしながら回り込んで来たために全く無防備な姿を榊に晒すことになった。
男は右の大腿部を至近距離で撃ち抜かれても、それが貸倉庫側からの発砲と勘違いをして、右足を引きずりながら榊のいるワゴン車の陰に回り込んで来た。
続いて2発目が火を噴いた。今度は左大腿部に命中する。
ようやく目前の榊の存在に気が付いた男は、その顔に驚愕を張り付けたまま両腿の激痛に辺りかまわずのたうち回った。
他の連中もパニックに陥り、仲間を引きずって貸倉庫の敷地内に引き返した。
のたうち回る男の手にワゴン車のキーが握られていない。
〈あそこだ〉
あたりを見渡すとキーは、片側三車線路道の中央付近まで飛んでいた。迂闊に飛びついて行ったら倉庫側から狙われるに違いない。
榊は目の前でのたうち回っている男から拳銃を取り上げると2丁の拳銃を握りしめて、ひとつ深呼吸をした。
「行くぞ」
意を決してワゴン車のキーを獲りに走り出した。
貸倉庫の入り口に向かって銃を乱射する。右手に握ったサイレンサーを外した方を先に撃ち尽くして投げ捨てる。左手の銃はそのまま撃ち続け、道路の中央付近に辿り着くと、右手を落ちているワゴン車のキーに伸ばした。
街灯に照らし出されていたワゴン車のキーは榊の手が届く間際、別の方向から迫ってきた光を浴びて、その影を伸ばした。
迫りくる光に榊は顔を振り向ける。既に榊の全身は光に呑み込まれていた。
光を放つ、白いベンツは容赦なく榊の身体を跳ね飛ばした。
ベンツの車体に接触する直前、ハンドルを握る男の顔を榊はハッキリと見た。
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