第13話 襲撃

「お客さん、そろそろ着きますよ」

タクシーの運転手に身体を揺すられて目を覚ました。ずり落ちていた腰を引き上げると、辺りは住宅街でどの家をみても窓に明かりは点いていない。それでも横幅が30メートルはありそうなただっぴろい道路を照らす街頭のお陰で、午前3時過ぎの深夜でも外は意外と明るい。車も人もいない真っ直ぐに伸びる広くて明るい道路は、まるで映画のセットのように現実感がなかった。

 信号が青に変わってタクシーが動きだす。

 カーナビを覗くと、目的地まであと1分と表示されている。

 コンビニの明かりが近づいてくる。

「運転手さん、そこのコンビニの前で」

カーナビが表示している目的地までの道程を頭に叩き込んで、榊はタクシーを降りた。コンビニが近いのは有難い。榊は食料を買い込むと、頭に叩き込んだ道程をたどって行く。やがて荒川から聞いたブランシールという名の真新しいタイル張りのマンションが住宅街の中に現れる。5階建てだ。亀山が用意した部屋は203号室。敷地の入り口からマンションのエントランスまでは一直線だが車の駐車スペースが意外と広い、ざっと見ても20台は並んでいる。車がないと生活に不便な場所柄なのはわかるが、周辺の住宅で見かけた車と比較すると、ここにある車はどれもグレードが高い。榊はエントランスに続く道を歩きながら片手でスマホを操作して、亀山に電話を掛ける。

「今、新しい場所に着いたんだけど、えらく小奇麗じゃねぇか。気おくれしそうだ」

「実は荒川に任せっきりで僕も詳しい場所は知らないんだ。それより五反田の女の方はどうなった。何か教えてくれたかい」

「それに関しては、荒川を幹部にしてやってくれよ。あいつの睨んだ通りだった。おまけに……」

 愛人すらいないことも判明した。と言いかけるが、どうしてそれが分かったのか上手い説明が出てこない。

「おまけにどうしたんだ」

「いやなんでもない。とにかく俺の探れそうな線が、無くなったってことだ」

「なら仕方ないな、パスポートの方は1週間はかかる。少しそこで辛抱しててくれ。それより荒川と連絡が取れないんだ。あいつから何か聞いたかい」

「いや何も聞いてないぞ。まさか竜神会のやつらに攫われたんじゃねぇだろうな」

 外部から入ってくる亀山の電話の音声は、脳内に響くカミオカの声のせいで遮られた。

〈榊、電話を切れ、何か様子がおかしいぞ〉

 榊はスマホを耳から遠ざける。

「どうした、カミオカなにがおかしい」

 榊は歩を止めるが、マンションのエントランスはもう近い。

〈引き返すんだ。待ち伏せされている。しかも一人や二人じゃないぞ〉

「亀山悪いな、後でまたかけ直す」

 榊はスマホをジーンズの尻ポケットに突っ込むと、そのまま何歩か後退しコンビニの袋をその場において、おもむろに踵を返して走り出した。

 それとほぼ同時に、背後で車のスライドドアが開き、中から降り立った革靴の音が次々にアスファルトを蹴りはじめる。

「逃がすな、捕まえろ」とでも叫んでくれれば、純粋に逃げることだけに集中するのだが、深夜の静寂の中で無言の殺到からの逃走は耐え難い恐怖感を伴う。榊が本当の意味で一人なら、この恐怖感に心身が委縮して正常な判断力を失い、ただ真っ直ぐに走ることしかできず、やがては力尽き意図も簡単に拿捕されていたに違いない。

 しかし、榊は一人ではないのだ。

 カミオカは、榊の背後で起きていることを正確に把握するために聴覚機能を向上させる。

〈2台のワゴン車からそれぞれ5人が下りてきている。全員がもれなく拳銃を所持している。このまま走っていれば狙い撃ちされるぞ〉

 マンションの敷地を出て、来た方向とは違う方向に出る。

「後ろにも目が付いてんのかよ。全員男か」

〈今その情報が必要か。間違いなく全員が男だ。先頭の一人が拳銃を向けているぞ〉

「そんなもん、食らってたまるかよ。頼むぜカミオカ」

 次の瞬間、全身が軽くなった気がした。視界の流れが早くなる。自分が今、かつてない速さで走っているのがわかる。走りながら振り返ると、上下黒ずくめの集団との距離がどんどん離れてい行く。あっという間に7、80メートルは開いた。

〈撃ってきたぞ。気を付けろ〉

 銃声が聞こえなかったのは、この状況のせいではなく拳銃にサイレンサーがついているからだ。

 何発かの弾丸が、走る榊を追い抜いて行った。真っ直ぐに飛ぶ弾丸は、ハエを叩き落すより簡単そうに見える。

「カミオカ、こんだけ超絶になれんなら、逃げなくてもいいんじゃねえのか」

〈バカも休み休みいえ。武器を持った10人を相手に、お前の体力がどこまで持つか見当も付かない。せめてばらけさせて一人づつ相手にするんだ〉

「それもそうだな」

 やがて、最初の広い通りに出ることができた。買い物をしたコンビニが大分離れた場所にある。自分がとんでもない速さで走ったのを改めて実感する。

 立ち止まって感動している場合ではなかった。コンビニの脇から奴らのワゴン車が通りに躍り出てきたではないか。しかし榊の方向に曲がってきたのは一台だけで、もう一台は逆の方向に進路をとった。手分けをしたのだ。完全に榊の行方を見失っている証拠だ。

「一気に半分の5人になったな」

〈ここから、三百メートルほど先に貸倉庫のコンテナ群があった。そこに誘い出せ〉

「よく見てんなぁ、そんなのあったか」

 タクシーの中で目を覚ました時、確かそんな看板が見えた気がする。 

 榊はコンテナ群の辺りにたどり着くと、広い道路の中央線をまたいで、奴らのワゴン車が迫ってくるのを仁王立ちで待った。

 ワゴン車が道路をゆっくりと走行しているのは、まだ近くに榊が潜んでいると考えて、前方よりも周辺を注視しているからに違いない。

「ところで奴ら、どうしてこの新しい隠れ家がわかったんだ」

〈連絡が取れなくなった荒川から情報が流出したと考えるのが妥当な線じゃないか。加えて奴らには君の、怪我が治っている顔に頓着する様子がなかった。あの反応が荒川から情報が漏れたことを裏付けていると言えるのじゃないか〉

 その線が濃厚だが荒川を恨む気持ちは毛頭ない。奴らは本気で俺を殺しに来ている。全員が拳銃にサイレンサーを装着しているということは、仕留めきるのが目的なのだ。荒川がまだ生きているとは思えなかった。

 携帯の着信音が鳴る。亀山からだ。

「公平、さっきは何があった。大丈夫なのか」

 会話に雑音が入る。亀山自身も動き出しているに違いない。

「マンションの前で待ち伏せされた。状況からして荒川が攫われたとしか考えられねぇ。巻き込んじまって申し訳ねぇ。亀山、お前も体をかわしてくれ。頼んだぞ」

「公平、俺も今そっちに向かっている。詳しい住所を教えてくれ。俺が行くまで無茶はしないでくれ」

 詳しい場所を教えるつもりはなかった。榊は亀山の訴えを無視して一方的に通話を切る。それを急いだのは、ワゴン車がようやく前方にいる榊に気が付いて加速を始めたからだ。猛然と突っ込んでくるワゴン車のヘッドライトがハイビームに切り替わる。

 榊はワゴン車を充分に引き付けてから、コンテナ群の中に飛び込んだ。


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