第10話 無関係
あの時、俺ことを殴り倒してくれたのが竜神会の朝倉の可能性が高い。俺を狙っている理由は、証拠映像が記録されたメモリーカードを回収することと、その事実を知っている俺の息の根をとめることなのか。
ヤクザにとって面子というものが時として命よりも重く扱われるのは俺でも理解できる。しかしだからといってこのご時世に、堅気相手に放火さえも厭わないのは尋常じゃない。人違いの線は否定された。仲間は朝倉を消してしまうという力業にでようとしている。誰もが主役であるはずの俺を無視して動いている。火中の栗がどこにあるのかみえてこない。
シャワーから出ると、荒川はまだ首を傾げていた。
「何かあの男のことで思い当たる節はないか」
バスタオルで頭を拭きながら榊は尋ねた。荒川は居住まいを正して榊を見やる。
「最後に映っていたあの男なんですが、あのキャバ嬢とは関係ないんじゃないかと思いまして」
「何っ、でも一緒に出てきたじゃねぇか」
と言いつつも、それが自分の思い込みだということを否定する理由を探し始めている。荒川は自信ありげだ。
「一緒に出てきたからといって、連れだとは限りません。場所柄出入りの多いラブホですから。あの女は最初に一人で入っています。別々に入ったら別々に出るのが普通ではないでしょうか」
否定できそうな理屈だが考えてみると、それ以外の経験がなかった。榊は荒川のプレゼンに耳を傾けるつもりでテレビの前に腰を下す。画面はさっきの一時停止状態のままだ。榊は荒川説を検証するために女がホテルから出てくる場面に戻って再生ボタンを押した。
女がホテルから出るとカメラがその後ろ姿を追い始める。ホテルの入り口の前に差し掛かると同時に男と鉢合わせになる。実はその時すでに男の左拳は振り上げられていて、次の瞬間、画面が宙に舞ったかと思うと、そのまま天地が逆さまになって地面に落ちてしまうのだ。その後、画面は真っ暗になって動画は終了する。
「今のところもう一度いいでしょうか」
リモコンを渡すと、荒川は天地が逆さになった瞬間で一時停止をする。
「榊さん、ここをよく見てください」
画面の上半分は逆さになった地面のコンクリートで、左右の端に人の足が片方づつ映りこんでいる。荒川が指したのは左端に辛うじて映り込んでいる女のハイヒールの踵だった。
「このハイヒールは状況からして、あの女のものです。女はこっちの事態に目もくれてません。連れの男が暴力沙汰を起こしているのに、尚も知らんふりをして立ち去ろうとしているんです。ちょっと考えられなくないですか」
確かに荒川のいうことには一理ある。だがこれは騒ぎになるまえに男が立ち去れと指示を出しているのかもしれないし、特定の場所や状況によっては信じられないほど人は無関心になれるものなのだ。特段おかしいとは思えない。説としてはいまいち決定力不足。それでも言葉にはしない、溜息を吐くのも我慢したが、無言でいることがこの説に賛同できない意思を如実に伝えてしまっていたようだ。しかし荒川は怯まなかった。これは次に繰り出すストレートを活かすためのジャブに過ぎなかった。
「それから、榊さんがシャワーに入っている間にこの動画、何回か通しで見直したんですが」
荒川は、リモコンを操作して、カメラがホテルの前で男と鉢合わせになる直前で止める。
「この男、最初からカメラに向かって来ているように見えませんか」
その場面が再生される。確かに男はこのカメラが視界に入る前からカメラに真っ直ぐに向かって来ているように見える。
「ってことは、この男はホテルから出てきた女とは無関係で、しかも最初から俺を狙っていたって言いてぇのか」
荒川が目を丸くする。
「これ撮ったの榊さんなんですか」
隠し通そうとしたわけではないが、適当な言い訳を考えていなかった。
「顔の怪我か、確かにこの男に殴られたのは俺だ。でもたいして当たりは強くなかったし、元々俺は顔が腫れにくいんだ」
それでも侍大将は納得していないようだ。それでも本人が言うのだからしょうがあるまい。
「奴らの人違いじゃないってことなんですね」
「そういうことだ。ところが奴らは、俺が顔に怪我をしていると思っている」
「なるほど、当分は奴らには見付からないってことですね」
こう見えて侍大将は勘のいい男だ。
「ところで、今日は場所を変えるんだろ」
「はい、次は八王子にいきます。そろそろ出発しますか」
榊は支度をはじめようとする荒川に待ったをかける。
「いや住所だけ教えてくれればいい。その前に俺はあの動画に撮った女が、あの野郎と本当に無関係かどうか裏を取ってから行く」
「それなら自分もお供します」
「いや一人で大丈夫だ。竜神会に顔が割れているお前は足手まといになる可能性がある」
榊は教え諭すように言った。
「わかりました。役に立てなくて申し訳ありません」
「何言ってる。十分すぎるほど役に立ったさ。これからも何か気付いたら、すぐに連絡をくれ」
「ハイッ、俺いつも亀山の兄貴や鬼瀬さんが、榊さんのことを凄い人だって話してるのを聞いていたんで今日、亀山の兄貴から榊さんのところに行って来いって言われて、メチャクチャ嬉しかったんです。俺に何か出来ることがあったらいつでも言ってください」
荒川は両手を体側につけて頭を下げてみせた。
あいつら俺のことを買いかぶり過ぎだ。男同士の熱い絆というものはどうも性に合わない、というか苦手だ。いや嫌いだ。特に暴力団は組織を強固にするための戦略として用いていると俺は考えている。だから俺はヤクザにならなかった。その俺が暴力団の絆の力に助けられている。
「ありがとうな。この件が落ち着いたら、ゆっくり飲みに行こうぜ」
榊は新しく八王子に用意されているという隠れ家の住所と鍵を受け取って荒川を見送ると亀山に電話を入れ、礼と、これまでの経緯と今後の方針を話した。もちろん荒川の考察がおおいに役立ったことを付け加えるのも忘れなかった。
「ところで公平に女の浮気調査の依頼をしたのはどこの組織の組長なの。まさかこの期に及んで、依頼人のプライバシーは明かせないなんて言わないよね」
亀山と話をしていると、頭のいい弟に理詰め攻撃されてタジタジにされる出来の悪い兄貴のような気分になってくる。こいつは小学生の時に、ある事件に巻き込まれて世間を騒がし、ちょっとした有名人になっていた。そのことが原因で中学に上がってすぐ先輩グループに目を付けられイジメにあいそうになる。そこから救い出したのが俺と鬼瀬というわけだ。小柄で華奢な体型はあっという間に大きくなっていった。喧嘩に関しての実績は俺と鬼瀬の上を行っている。特に中1の時、俺たちの中学を締めていた3年の番長をKOした星が輝いている。潜在能力は三人の中でずば抜けていた。そして亀山は組織からスカウトされてヤクザになる。本当はヤクザになるような人種じゃないのは俺たちが一番よく知っている。亀山は荒れた環境に人生を捻じ曲げられて、それでも生き延びてしまった突然変異型だ。
「実は詳しいことは俺も知らねぇんだ」
「もしかして、依頼から契約、調査報告も全部ネットで済ませるやつぅ」
「その通り、俺は金さえ払ってくれれば、それでいいわけよ」
「ということは、依頼人が組織の人間とは限らないわけだよね」
亀山の言うことはもっともだ。そこに食いついてくるとは思っていた。
「それがよ今回だけはハッキリしてんだよ。依頼人のメールドメインが組織のドメインなんだ」
昨今のIT化の波は等しくアンダーグラウンドにも及んでいる。組織は団体本部にサーバーを設置し幹部専用のアカウントを割り当てることにより、暴対法対策に乗り出した。これにより組織のバッジや代紋の入った名刺を持つことにリスクが生じる現代ヤクザの新しいステイタスを確立したのだ。組織のドメインは業界内外で身分証明として機能する。
「そういうことか。で浮気相手だと思っていた男が、荒川の指摘通りに無関係だったらどうするんだ」
「女から依頼人の組長を当たってみるよ」
「公平、油断しちゃだめだからな。女が竜神会と関係なくても、公平の動きを見越して女を見張っているかもしれないからな」
「それもそうだな。十分気を付ける」
通話をしながらJR三鷹駅に向かっていた。通話を終えたときは既にホームのベンチ座っていて、何本も電車を見送っていた。時刻は午後の10時30分を過ぎている。時間的にはいい頃合いだ。
榊は女の住まいがある五反田に向かうために新宿方面の電車に乗り込んだ。
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