第8話 足軽大将

〈いい仲間がいるじゃないか〉

「持つべきもんは、何とかってやつだな。俺の名前を語る奴が仲間じゃないといいけど、カミオカはどう思う」

 ふと、耳にワイヤレスのイヤホンをしておこうと思った。そうすれば一人で喋っているところを人に見られても、アホだとは思われないだろう。

〈腑に落ちないことがいくつかある。春川外科病院に放火したのが竜神会の仕業だとするなら、その理由はさておき、君がそこにいたという事実を突き止めるだけの情報力と君の幼馴染み一人、ひとりに監視を付けるほどの機動力をもって新宿中を捜索していたのにもかかわらず、ほぼ無防備だった君がなぜ奴らに発見されなかったのか。また、那智君とファミレスで待ち合わせした時のことだ。奴らは君のことを目撃したはずだ。なのにどうして沈黙していたのか。私から言わせると、裏がハッキリしないうちから放火までする連中だ、白昼堂々とファミレスの中に乗り込んできてもおかしくはないと思うのだが〉

「言われてみればそうだ、そうなるとやっぱり人違いってことにならないか。奴らが追っているのは、この顔じゃないんだよきっと」

 榊は自分の顔を指して言った。

〈そう考えると、全てが腑に落ちる。しかし結論づけるのはまだ早いぞ〉


 だしぬけに、携帯電話が振動しはじめた。液晶には見覚えのある番号が表示されている。榊は通話ボタンを押して応答する。

「公平、大丈夫か」

「鬼瀬か悪いな色々と世話になって」

 鬼瀬の口調は那智と違って、焦りのようなものが全くない。こっちが陥っている状況に気を使っているはずだが、そうでないとしても鬼瀬が何かに焦っているの見たことがない。

「礼には及ばねぇ、それより厄介な奴に睨まれたな。お前何をやったんだ」

 なんだか楽しそうに聞こえる。

「こっちが聞きてえよ。恐らく人違いだろ。それからここはどこだ」

「そこは三鷹だ。だが今日の夜には場所を変えるらしい。行き先は亀山に聞いてくれ。それと亀山がお前の偽造パスポートを作らせている。それが出来たら、しばらく海外に行ってこい、その間に竜神会の方は俺がケリを付けてやる」

「お前は関係ねぇだろ、だいたいケリってどうやって付けんだよ」

「何があったのかしらねぇが放火までする連中だ。そんなのと穏やかに話し合うつもりはない、かといって組織同士の抗争にするつもりもねぇ」

「暗殺でもするってのか」

「それしかねえだろ。新宿には奴に消えて欲しいと思っている人間はごまんといる。俺がやらなくても、いずれ誰かがやることになるさ。まぁもう少しコンビニ弁当で我慢しててくれよ」

 昔、中学の同級生が学校の先輩に連れていかれたのを聞いて、2人で助けに行ったことがあった。先輩グループは10人は下らないはずだった。言いだしっぺの俺は内心後悔していたが、二つ返事でついてきた鬼瀬は、今と同じように何ごともないかのように落ち着いていた。こいつには普通の人間の感情が足りてないに違いない。どんなときも動じることがないこいつのせいで、酷い目にあったことも数知れないが、それよりもどれほど助けられたことか。周囲は俺がカリスマだと勘違いしていたが、実際は違う。鬼瀬のカリスマ性を俺が利用していただけだ。喧嘩だってこいつに勝てる気がしなかった。いつも一番後ろから物事を見据えるようにして黙っていた鬼瀬は俺たちの強さの象徴だった。その存在は社会に出てヤクザになった今も変わらない。その鬼瀬が竜神会の朝倉をやると言い出したのだ。言葉だけでもこれほど心強いことはない。

 

 夕方になると亀山の舎弟だという男から連絡がはいり、間もなく訪ねてきた。

 インターホンが鳴って、ドアスコープを覗くと、大柄で顔は厳ついがどちらかというと都心部の通勤電車に乗っているような男が立っている。

 きっと亀山の指示でそんな恰好をしているのだろう。

「榊さんですか」

 ドアを開けて部屋の中に促そうとした榊の顔を見て不思議そうにしている。

 今までにも、鬼瀬や亀山の舎弟や若い衆が似たような顔をしているのに出くわしたことがある。一体俺のことを何者だと聞かされているのか。初対面のそれと相当なギャップを感じるらしい。きっとこの男もその類だと判断し榊はその眼差しを受け流して、更に部屋の奥へと促した。

「すいません。自分は荒川と言います」

 荒川は、スーツの前ボタンを外して榊が用意した座布団の上に腰を下ろした。額に吹きでた汗をハンカチで拭う仕草は違和感を感じさせない。

「榊さんの顔がきれいなんで、ビックリしました」

 お前はホモか、という言葉を呑み込んだ。肯定されたら対応に困るからだ。しかしそれは余計な心配だった。

「本当にすいません。間違いなく榊さんですよね。実は竜神会の若いのがうちの事務所に来た時に自分もその場にいたんですが、奴らは顔に怪我をしている榊という男を探していると言ったんです」

 荒川は、自分の右頬の辺りを指でクルクルと描いてみせる。

「でも来てみたら、なんともないんで……」

 榊はやおら頭を抱え込んでため息をついた。

 その怪我は、カミオカが治してくれたのだ。奴らがファミレスに踏み込んでこなかったのは、俺の顔に怪我が無かったから、指名手配中の榊本人だとは思わなかったということだ。これは同時に、この異常事態が俺の頭の中だけで起こったのではないということの証明でもある。

「榊さん、俺思うんですけど、竜神会の奴らひょっとしたら人違いしてるんじゃないでしょうか」

 荒川が手柄を立てた足軽大将に見えてきた。それは、つい今しがたの愚かな自分の姿でもある。だけどこの種明かしを荒川に説明しても理解はしてくれないだろう。

 人違いなどではなかったのだ。奴らは俺が顔面に怪我を負ったことを知っている。ということは、俺の顔面を殴った張本人が竜神会の関係者なのかもしれない。浮気調査の依頼人は、ある組織の組長だ。浮気相手の男の素性もヤクザにしか見えなかった。ひょっとしたら俺の顔面を殴ったあの男が竜神会の朝倉本人という可能性もある。

 ヤクザの女に手を出すのはご法度だ。それが情婦であっても例外ではない。実際のところは、一般人の不倫並みに日常茶飯事なのかもしれないが、俺はその決定的な証拠映像を握っている。


 足軽大将のお陰で、謎がひとつ溶けた。ついでにこの大将は、ワイヤレスのイヤホンを持っていないだろうか。

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