第6話 恨み節

 茶筒から茶葉を取り出し茶器に入れておく。この茶器は姉ちゃんがハーブティーを飲むために買ったものだ。緑茶も淹れることができるので重宝している。



 家のインターホンが鳴る。祖父ちゃんの友達が仏間に行ったタイミングでお湯を注ぐ。


 仏間にお茶とパウンドケーキを持っていき、祖父ちゃんの友達にあいさつをして僕の仕事は終了。おっとまだだった、茶器を洗わなくてはいけなかった。汚れたままにしておくと姉ちゃんに怒られる。



 思ったよりも時間がかかってしまった。気持ちが落ち着いていないので一番高い豆は今日はやめておこう。パウンドケーキも今日は食べないことにする。一番高いコーヒー豆と一緒に味わいたいから。

 今日はレギュラーの豆にした。いつもより急いでコーヒーを飲み、漫画を描き始めた。


 今はweb投稿ができるのでとても便利になった。五年前の僕は原稿を郵送していた。あの頃はパソコンを持っていなかったので手描き原稿しか手段がなかった。今は仕事をしているので欲しい機材は一通り揃えられるようになった。


 二年前、受賞者発表ページに名前だけが載って以来、賞にはかすりもしない。それでもマイペースに描いている。成功するのは一握りだって分かっている。



 今週もまんが雑誌を買ってから会社へ向かう。今描いている漫画もそろそろ完成する。描き上げたら、今週こそはパウンドケーキを食べよう。


 僕は飲料会社に勤めている。そこで事務職をしている。


 朝礼では順番に「一分間スピーチ」が回って来る。事務所には七人いるので、一~二週間に一度順番が来る。他のみんなは嫌がっているが僕はそうでもなかった。

 一つのネタをどこまで膨らませることができるか。それは漫画を描くのに必要なことだから。ほんの少しでも漫画を描く練習の一部になっている。


 けれども全てを投げられる一分は、意外に長い。ほとんどの人は三十秒ほどで終わってしまう。僕は一分話せるが、さほど目立たないように内容を考える。

 漫画を描いていることは会社の人には内緒にしている。締め切り前に有休を使うこともあるからだ。まさか漫画を描くために休むとは言えない。


 けれども漫画好きは公言している。新しい情報や、みんなの感想を知りたいので。純粋な読者の感想を聞けるのはとても貴重だった。


 今日の仕事は月一回ある社内プレゼンの資料作りが中心になる。運動会時期に向けたキャンペーンでも企画しようか、新しい味の提案にしようか。候補をいくつかあげる。


 僕の隣の席は同僚の河内かわうちという男だ。おちゃらけた男で口数が多い。河内は新人の若い女子社員をパシリにしていた。


月岡つきおかさん、コピーとってくれる? あとデータ集計も頼むわ」


 データ集計は基本的に新人の仕事なので頼まなくてもやるはずだが先輩風を吹かせたいのだろうか。こんな感じで言わなくても済むことをわざわざ言って口数が多いのだ。


 雑用を頼まれた月岡さんは「はい」と言いコピー機に向かった。

 月岡さんは去年配属されたばかりで、事務職では一番の新人だ。社交的で誰とでも積極的にコミュニケーションをとりに行く。上司とも仲良しだ。ああいう人を根明ねあかと言うのだろう。


 それよりもプレゼンのテーマを決めないと。運動会にしよう。

 運動会の時期って結構雨が降ったりするからなぁ。気温が暑くなるのが確実なら冷たい飲料を前面に出すんだけれど。そうじゃないことも視野に入れて考える。



 午前の休憩時間が終わったら電話やメールが鳴り始めた。取引先や顧客が動き始める時間だ。

 僕はプレゼンの資料作りを一旦中断して、電話に出た。そのあとも請求書や見積書、計画表の作成、社内プロジェクトの打ち合わせ、トラブル対応などが続いた。



 定時で帰宅すると、十七時半には家に着く。特に用事がなければ漫画を描く時間は二時間ほどある。


 こんな感じで少しずつ原稿を進めて、日曜日には一作完成した。webで漫画賞に応募する。今回の賞は三ヶ月ごとに募集しているので間に合う回に応募するだけでいい。



 ひと段落したのでついに、パウンドケーキを食べることにした。


 ケーキ皿とフォークを用意する。コーヒーを淹れてから開封しよう。

 前回飲み損ねた一番高いコーヒー豆を冷蔵庫から取り出す。ふたを開けた瞬間、高貴な香りがする。フィルターに粉を入れていたら視線を感じた。なんだ?


「姉ちゃん」


 思わず声が出てしまった。なんで僕を見ている? しかもちょっと顔が怒っている。姉ちゃんの視線は僕の顔からパウンドケーキに移っていった。


「私、ダイエット中なの」


「そうなんだ」


 いつもダイエットしてるよね。食べるのが大好きなのにと心の中で言っておいた。


「コーヒーのにおいも嫌なのよね」


「ブラックならいいんじゃない?」


 姉ちゃんに僕のコーヒータイムを止める権利まではない。それとも飲みたいのだろうか。飲めば少しは落ち着くのかもしれない。


「これ、一番高い豆なんだ。姉ちゃんも飲む?」


「コーヒー飲んだらお菓子が食べたくなるでしょーが」


 恨み節とはこういうものだろうか。ものすごい形相でにらまれる。姉ちゃんの眉間にしわが寄っていた。


 ダイエットなんて言って、変にごはんの量を減らしているからイライラするんじゃないのかな。普通にごはん食べたほうがいいと思うんだけど。そう言っても怒るし、ここは黙っておこう。

 僕は無言でフィルターに粉を入れる。姉ちゃんはまだ僕を見ている。僕というより、僕の手元のコーヒーを。なんだかやりづらいなぁ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る