第25話 【番外】覚悟

「おかえり紗奈、雨まだ降ってる?」

「ただいま美穂さん、小雨にはなってるよ」

「そう、先にお風呂にする?」

「ん……」

 出迎えてくれた美穂さんとのハグとキスが心地良くて、いつも離れがたい。

「先に美穂さんがいい」

「はいはい、ちゃんと温まっておいで」

 いつもの言葉はヒラリとかわされた。



「今日はね、冷しゃぶにしてみたよ」

「わぁ、美味しそ。この梅としらすのご飯も好き」

「今日は蒸し暑かったね、私もこのメニュー好き。梅雨時期は食中毒も多くなるから対策にもなるしね」

「いつもありがとうございます」

 改まってお礼を言ったら、照れていた。私はそんな美穂さんが大好きで、一緒に暮らせる毎日がとても幸せだ。


「そうそう、来週末は予定がないからその日でどうかな?」

「来週?」

「ちょうど父の日だし」

「あぁ……本当にいいの?」

「うん」

 美穂さんは、しっかりと私に視線を合わせて頷いた。

「わかった、お父さんに言っておくね」


 美穂さんを父に会わせること。

 それは私も美穂さんも以前から希望していることだけど……いざとなるとやっぱり不安もつきまとう。

 私は何を言われてもいいけど、美穂さんが傷つかなければいいなと思う。

 否、私がしっかりして美穂さんを守らなきゃ。


 将来を誓い合った相手がいることは前に伝えていて、一緒に暮らし始めたことも報告はした。ただ、それが女性であることは言えずにいる。

 このまま何も言わず美穂さんを連れて行けば驚くのは分かり切っている。その時に父がどう反応するか。父の性格からして暴力とかはないと思うけど、わからないなぁ。

 やっぱり、予め伝えておいた方がいいのかな。


 そうは思っても、表情が見えない電話なので、なかなかに言い辛い。

 来週末に帰省することを伝えると、「わかった」と短い返事が返ってきたが、優しい声だった。

「それで、あのね」

 次の言葉を探す。

「どうした」

 私の性格を知っている父は、私が話し出すまで気長に待ってくれる。

 私は一つ深呼吸をした。

「美穂さんも連れて行くから会って欲しい」

「みほさん?」

「あ、うん。一緒に暮らしている人で、私の……その……大事な人で」

「みほさんは、女の人なのか?」

「……うん」

「そうか、わかった」

 今、父はどんな顔をしているのだろう、声だけではわからなかった。

「お父さん?」

「うん、待ってる」




「ねぇ、おやつ食べる?」

「コーヒー買おうか」

 まるで遠足のようにはしゃいでいる。

「向こうの天気はどうだろう?」

 窓の外を眺めたり、アプリで天気予報を確認したり。


「美穂さん、楽しそう」

「そりゃ楽しいよ、紗奈と一緒だもん。こんな遠出、初めてじゃない? 新幹線も新鮮だしね」

 そういえば、美穂さんと出掛ける時には車移動が多いな。

「いつも運転、ありがとうございます」

「どういたしまして。まだおやつあるよ、食べる?」

 笑顔で袋の中を覗き込む美穂さんを見て、私は安心していた。

 美穂さんは、私と違って誰にでも明るく接することが出来る人だから、何も心配することなんてなかったんだ。

 

 電車を乗り継ぎ少しだけバスに乗り、今は二人で歩いている。

「遠くてごめんね、あと少しだから」

 振り向くと、美穂さんは目を細めて街並みを見ていた。

「どうしたの?」

「ここで紗奈が育ったんだなぁって思ったら、愛おしくて」

「何もない街だよ」

 そう思っていたのに、隣に立ち一緒に眺めると不思議と懐かしさが込み上げてきた。



「ただいま」

 玄関を開けても静かなままだったので、中へ入っていく。

「お父さん?」

「あぁ」

 ようやく奥から出てきた父は、目を合わせずそのまま出掛けようとしている。

「待って、どこ行くの?」

「いや、ちょっと用があって」

「あ、あの。初めましてーー」

 美穂さんは挨拶をしようとして、言葉が続かず、深々とお辞儀をした。

「こちらが美穂さん、私のーー」

「あぁ、ゆっくりしていってください」

 父も私の言葉を遮って、早々に出て行ってしまった。

 全く。


「ごめんね、美穂さん」

 まだ呆然としている美穂さんを座らせてお茶を入れに行く。

「私もごめん、頭が真っ白になっちゃって」

 美穂さんでも緊張するんだ、いや、もしかしたら。

「朝から緊張してた?」

「あ、うん」

 無理させちゃってたんだね、情けないな、私がもっとしっかりしていれば。

 私は微かに震えている美穂さんの手を握ることしか出来なかった。


「それにしても遅いなぁ」

 父は帰ってくる気配がなく、夕飯を作って待つことにした。

「私も手伝っていい?」

「美穂さんはいいよ、待ってて」

「何かしていたいの」

 美穂さんにとっては他所の家、何もせずに待つのも辛いのかな。

「なら、一緒に作りましょう、何が良いかな」

 冷蔵庫を開けて見ると、食材は揃っている。この量は一人暮らしには多すぎるから、父が今日のために買ったんだろう。

「お父さんは何が好きなの?」

 美穂さんの問いに、考えこんだ。

「何だろう」

 わからなかった。

「いつも私に合わせてくれていた気がする」

「そっか、親はそういうものなのかもしれないね」


「この包丁、凄く切りやすい」

 普段包丁を使い慣れている美穂さんが言うんだから、本当なんだろう。

「そうなの? 昔から使ってるやつだよ」

「ちゃんと研いでるんだね」

「見たことなかったけどなぁ」

「料理はお父さんが?」

「高校時代は私も作ってたけど、テスト週間とか忙しい時は作って貰ってた」

「そっか、感謝しなきゃね」

「そうだね」


「良かったらこれ使うか?」

 料理を作っている途中に帰ってきた父は、大きなレタスとキャベツを持っていた。

「あれ、畑に行ってたの?」

「ああ」

 相変わらず、野菜を置いてすぐに出て行ってしまったが、あれで歓迎しているつもりなんだろうか。


「うわ、大きい。丸ごとだからロールキャベツも作っちゃおう」

「あぁ、いいね」

 美穂さんのロールキャベツは絶品だから、つい顔が綻ぶ。

 こうやって二人で過ごす時間、隣に居られる幸せは誰にも奪わせない。美穂さんは他の誰でもなく私が守ってみせる。


「やっぱり新鮮な野菜は美味しいね」

 レタスのサラダを食べて、美穂さんが言う。

「確かに。美穂さんが作ってくれたロールキャベツも美味しいよ。ね、お父さん」

「……ああ」

 一緒に食卓を囲んでいても、黙々と食べる父に話を振ってみても生返事しか返ってこない。


「そうだ、父の日のプレゼントがあるんだ」

 ご飯を食べ終わる頃を見計らって渡す。二人で選んだのは、ちょっと渋めの湯呑み。

「開けてみてよ」

「え、あぁ」

 出てきた湯呑みを眺め、何かを考え込む父。

 こんなに無愛想だったっけ、無口ではあったけど、昔はもっと優しい目をしていたはずだ。

「あ、私お茶入れてきます」

 美穂さんが気を使ってくれている。


「何怒ってるの?」

「別に怒ってないーー」

「いいよ、思ってること言ってよ。でもお父さんが何を言っても、どんなに反対されても私は美穂さんと生きていく、それだけは変えられないよ」

「本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ」

「今は良くても、いろいろ問題が出てくるだろう」

「例えば、何?」

「何って、ほら、世間の目とか。おまえは元々不器用なんだから、わざわざ生き辛い人生歩まなくてもいいだろ」

「何それ」

 なんだかとっても悲しくなって、言葉が掠れた。


「お父さんは、どう思ってるんですか?」

 いつの間にか隣に美穂さんがいて、言葉にならない私の代わりのように父に対峙してくれている。

「さっき紗奈は、お父さんに何を言われてもいいって言ってたけど嘘ですよ、逆です。世間のみんなからどう思われても良いけど、お父さんにだけはわかってもらいたい、そう思ってる筈です」

「美穂さん……」

 私は視界がぼやけて目を閉じた。

「好きにしなさい」

 父の声が微かに聞こえた。




「そろそろ準備しないとね」

「そうだね」

 お昼前には出発しないと、今日中に帰れなくなる。そう考えるとやはり遠いなと思う。

「もう行くのか?」

 朝は部屋から出て来なかった父がリビングへやってきた。

「あと1時間くらい」

「そうか、美穂さん?」

「はい」

 突然声をかけられて、美穂さんが目を丸くしている。

「ミニトマトは好きか?」

「大好きです」

「そうか。紗奈、畑から採ってきてくれ」

「は?」

「今、いっぱいなってるんだ、あと適当に野菜も採ってきて持って帰りなさい」

「え、私が?」

 私が採ってくるということは、美穂さんと父が二人になるということで。

 美穂さんを見たら、頷いている。

 目で会話……じゃないけど、何となく考えていることが理解できた。

「わかった、行ってくる」




※※※


 お父さんが、私にだけ話したい事があるようだったので、紗奈に頷いてみせた。

 覚悟は出来ている。

 ちゃんと向き合おうと思う。


 そう思っていたのに、話は意外なものだった。


「美穂さん」

「はい」

「あいつーー紗奈は寂しがり屋なんです」

「……はい」

「それはきっと、私のせいです」

「えっ」

「母親が……あの、母親の話は?」

「聞いています」

「あいつが小さい時に出て行ってしまって、だから私たち親のせいで、だからーー」

「私は紗奈に寂しい思いをさせません、約束します」

 今まで伏目がちだったお父さんは、今はしっかり私の目を見て何度か頷いた。

 あぁ、目元が紗奈とソックリだ。


「これを持っていてください」

 そう言いながら、お父さんは封筒を差し出した。

「これは?」

「私の姉、あいつにとっては叔母の連絡先が書いてあります。姉に聞けば、紗奈の母親の居所がわかる手筈になってます。私には一切知らされてないので」

「え?」

「もしも、紗奈が母親に会いたいと思った時には……お願い出来ますか?」

「それは……」

「荷が重いですか?」

「いえ、任せて貰えるなら……光栄です」

「良かった」

 ふっと、初めて見た笑顔が紗奈の笑顔と重なって、目頭が熱くなった。


「あ、それと」

「はい」

「昨日の質問の答えを」

「はい」

「親は子供が幸せなら他の事はどうでもいいんですよ」

「幸せ?」

「あいつ、紗奈はわかりやすいから。貴女といる時の顔なんて、幸せそのものだから」

 だからよろしくお願いしますと頭を下げたお父さんに、こちらこそよろしくお願いしますと頭を下げ、二人同時に微笑んだ。



※※※


 急いで戻って見ると、和やかな雰囲気になっていた。

 美穂さんに大丈夫? って聞いたら笑って「うん」って答えるし、何がどうなったのか。

「そうだ、これ貰ったよ」

 そう言って、見せてくれたのはペアのマグカップで。

 可愛い猫のイラストが入っている。

 え、こんなのいつ用意したんだろう。包装紙を見れば、ターミナル駅のデパートの物で、だとしたら昨日今日で用意出来る筈もなく、電話で伝えた後に買いに行ったとしか思えない。


「じゃぁ、なんであんな態度だったの?」と詰め寄れば。

「おまえの覚悟を確かめたんだ」と返された。

 私の覚悟は合格だったんだろうか。

「世界中が敵になっても、お父さんだけは味方になってやる」と、どこかで聞いたことのあるようなセリフを言っている。

 あぁそうか、美穂さんの覚悟が合格だったんだね。


 後で美穂さんにその事を話したら「二人の覚悟が合格だったんだよ」と頭を撫でられた。


 二人の覚悟、二人の想い、二人の未来は、ここから。



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わりとよくある話らしい hibari19 @hibari19

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